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クラスの氷の女王様は、俺の家でだけ甘やかされたいらしい  作者: たけのこ


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第1話 氷の女王様と、致命的な弱点

「星野。貴様のせいで、私の睡眠時間が三秒削られた。責任を取れ」


 登校して自分の席に座るなり、冷たい声が飛んできた。俺と背が同じくらいで、水色でさらっとしたロングヘア。そして、学年でもトップクラスの美人ともいえる美しい顔立ち。


 声の主は、俺の隣の席に座るクラスメイト、氷室怜奈。


 彼女は、青葉高校の二年A組における絶対的な存在だった。成績は常に学年トップ。容姿はモデル並みに整い、その完璧さからファンクラブまで存在するほど。だが、その態度はいつもクールで無愛想。感情を表に出すことは決してなく、畏敬と憧れを込めて、クラスでは「氷の女王」と呼ばれている。


 俺は星野悠真。特技は、ちょっとした料理と掃除。成績は中の下、特に目立つこともない、ごく普通の高校生だ。


「え、俺のせい? 挨拶しただけだけど…」


「貴様が『おはよう』と大声を出すせいで、私は思考を中断させられた。一秒がどれほど貴重か、凡人には理解できまい」


 大声、と言っても普通の声量だ。俺はため息を一つ飲み込む。氷室はいつもこんな調子で、理不尽なまでに俺に絡んでくる。他のクラスメイトにはほとんど無関心なのに、なぜか俺にだけは朝に一言、嫌味を言うのが日課になっている。


 


「分かったよ。悪かった。次は小さく言う」


「……不要な介入だ」


 


 氷室はフン、と鼻を鳴らして読書に戻った。その姿は、まるで関わりたくない虫でも払ったかのようだ。


(今日も絶好調に機嫌が悪いな……。いや、彼女の機嫌が良い日なんて、この世に存在するのだろうか?)


 俺と彼女の接点なんて、隣の席という物理的な距離くらいしかない、はずだった。この時の俺は、彼女との距離が物理的なものだけでは済まなくなることを、知る由もなかった。


 昼休み。


 教室は賑やかだが、氷室の周りだけは凛とした空気が漂っている。彼女は弁当箱も出さず、難しい洋書を優雅に開いている。


「また食べてないのか、氷室」

 俺が声をかけると、彼女は本のページから視線も上げず、冷ややかに答えた。



「貴様には関係ない」


「関係なくないだろ。朝食は食べてないみたいだったし、昼も食べないと倒れるぞ。高嶺の花が空腹で倒れたとか、みっともないだろ」


「みっともない、だと? 私に説教する気か、凡人」


 その言葉遣いに、クラスメイトたちがチラチラとこちらを見始めた。俺が氷室と話しているだけで、周りからは「勇気あるな」という視線が向けられる。


「説教じゃなくて忠告だ。ほら、これ」


 俺は自分の弁当箱から、卵焼きを一つ、彼女の机の上に置いた。


「別に食わなくてもいいけど、作っちゃったからな。残すのもったいないし」


 

 氷室は数秒間、机の上の卵焼きを見つめた。その眼差しは、まるで得体の知れない物体を見るかのようだ。


「……毒でも入っているのか?」


「入ってるわけないだろ!」


「そうか。ならば……」


 氷室は、すっと長い指を伸ばし、その卵焼きをつまんだ。そして、口元に運び……もぐ、と食べた。


「どうだ?」


「……悪くない」


 

 それだけ言うと、彼女は再び本に視線を戻してしまった。だが、俺の気のせいか、彼女の目元が少しだけ緩んだような気がした。


 俺が再び昼食を食べ始めようとした、その時。


「星野! お前、氷室さんに何してんだ!?」



 背が高く、すらっとした眼鏡をかけた短髪の男。


 ドカッ、と勢いよく俺の机を叩いたのは、俺の友人である田中悟だった。彼は氷室の熱烈な隠れファンであり、俺が彼女と話すだけで気が気でない様子。


 


「おい、田中。いきなりどうした」


「どうしたじゃねえよ! お前、さっき氷室さんに無理やり何か食わせてただろ! 毒でも盛ったんじゃないだろうな!」


「毒なんて盛ってねーよ! ただの卵焼きだ!」



 田中は興奮気味に、顔を真っ赤にして氷室に向かって訴えかける。


「氷室さん! 大丈夫ですか!? 星野が何か変なことしたら、俺に言ってください!」


 氷室は静かに本を閉じ、田中を一瞥した。


「……不要な介入だ。田中。貴様も、私の貴重な時間を三秒削った。責任を取れ」


 田中の興奮は、一瞬にして冷水で鎮火された。氷室は、田中にも俺に言ったのと同じ、冷たい言葉を浴びせたのだ。田中は肩を落とし、席に戻った。



「見てみろ。俺は特別じゃないだろ?」


 俺は氷室に小声で言ったが、彼女は何も答えず、また本を開くだけだった。

 

 その日の放課後。


 俺は図書委員の仕事で、人気のない旧校舎の裏手にある倉庫に、古い資料を取りに向かっていた。


 そこで、俺は思わず二度見する光景に出くわした。


 倉庫の壁にもたれかかるようにして、氷室怜奈がぐったりと座り込んでいたのだ。いつもの整然とした制服は乱れ、髪も少しばかり跳ねている。手には高級ブランドのバッグが握られているが、その表情は完全に生気が失われている。



「氷室! どうしたんだ? 具合悪いのか?」



 声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。その顔は、いつも以上に血の気がなく、瞳には微かに潤みが浮かんでいた。


「…星野……」


 か細い声だった。氷室がこんな弱々しい声を出すなんて、まるで雪女が溶けていくのを見ているようだ。


 


「立てるか? 職員室に連れていくぞ」


 


 俺が手を差し伸べると、彼女は力なく首を横に振った。


 


「…いやだ。私を、誰もいない、静かな場所に連れて行け。……そして、食い物を寄越せ」


「え?」


「…腹が減って、動けない」



 その瞬間、俺は耳を疑った。氷の女王様が、まさか空腹で動けない、だと?



「は、腹減ってるって…昼飯食わなかったからか?」


「…昼食は、食べようとして、箸を出すのが面倒で、結局、食べなかった」


 


 箸を出すのが面倒で……? その理由、本気か。あまりにも常識外れの行動原理に、俺は呆れて言葉を失った。この美少女は、まさか自分で食事の準備さえしないのか。


 


「とにかく、ここにいるのはまずい。俺の家が近い。一旦、そこで休め」


 俺は、意識が朦朧とし始めた氷室の華奢な身体を抱き上げた。お姫様抱っこだ。高嶺の花の氷室怜奈を抱き上げている、という現実味のない状況に、心臓がバクバクと鳴る。


「…無駄な行為だ、星野。しかし……悪くない」


 氷室は、俺の胸に顔を埋めたまま、うっすらと目を開けてそう呟いた。その息遣いは熱く、本当に体調が悪いことがわかる。


「無駄じゃないだろ。ほら、しっかり掴まってろよ」


 俺は彼女を抱えたまま、誰もいない道を抜けて自宅へと急いだ。


 


 俺の家に着くなり、氷室はソファに倒れ込むようにして横になった。


 


「…水」


 


「はいはい」


 冷蔵庫から冷たい麦茶を出して渡すと、彼女は一気に飲み干した。


 

「…生き返った」

 


 その一言は、いつもの威圧的な口調とはかけ離れていて、本当に安堵しているようだった。


「少し、落ち着いたか? 親に連絡するぞ」


「連絡は、不要だ」


 氷室は起き上がり、バッグからスマートフォンを取り出し、操作。



「親は長期出張で海外だ。家には私一人。そして……」


 彼女はスマホの画面を俺に向けた。そこには、数時間前に撮られたであろう、俺の家の写真が写っていた。正確には、俺が氷室を抱えて玄関に入るところだ。


「これは……」


「貴様が私を家に入れた証拠。つまり、星野悠真が、クラスの氷の女王様の弱みを握り、自宅に連れ込んでいる、という証拠だ」


 


 氷室は、ニヤリと、初めて見る不敵な笑みを浮かべた。その表情は、普段のクールな彼女からは想像もつかない、悪戯っぽいものだった。


 


「おい、何を企んでる?」


「企む? 私はただ、取引を持ちかけているだけだ」


 


 彼女はすくっと立ち上がり、俺に向き直った。


 


「星野。私の家は、今、生活不可能な状態だ。両親は来月まで帰らない。私は……家事という『凡人の営み』が致命的に苦手だ。食事の準備、洗濯、掃除。全てが『不要な介入』であり、無駄な労力だ。だが、このままでは餓死するか、不潔で病気になる」


 


 彼女は、学校で常に完璧な姿を見せる「氷の女王」とは思えない、極めて人間的な弱点を口にした。


 


「だから、どうするって言うんだ」


「簡単だ。貴様は私を助けた。その責任を取ってもらう」


 


 氷室は俺の顔のすぐ近くまで顔を寄せ、小さな声で、しかし有無を言わせぬ力強さで囁いた。


 


「私の秘密を守る代わりに、この一ヶ月間、私をここに住まわせろ。そして、衣食住、全てを完璧に管理しろ。さもなければ……この写真を学校に流出させる」


 流出させれば、俺は「高嶺の花に手を出した不届き者」として、学校中の非難を浴びるだろう。


「……脅しか」


「違う。これは、命の恩人への、最高の依頼だ。断るという選択肢は、貴様にはない」


 こうして、俺と氷室怜奈の、秘密の同居生活が、半ば脅迫じみた形でスタートしたのだった。



 



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