刷り込み
俺は流れものの狸、風の吹くまま気の向くままあっちからこっち、こっちからあっちへと流れ歩いている。
縄張りを持たない流れものだから、流れ着いた地を縄張りとする物たちに邪険にされ、追い払われる事もあった。
そういうところでは餌を求めて人家に近寄り人の情けに頼る。
情けに頼れたときは俺も風来坊なりの仁義を守り、それなりに恩義に報いた。
例えば、餌をくれた家がネズミの被害を受けていたらネズミ共を喰らい全滅させたり、アライグマやハクビシンがその家に住み着いていたら力付くで追い払ったりする。
縄張りを持たない流れものだからって弱いわけじゃない、勝手気ままに流れ歩けるだけの力はあるんだよ。
2日ほど餌にありつけずに住宅街を歩いていたら、あるアパートの開けっ放しの窓から俺と似た顔っていうか模様の顔のイタチが顔を覗かせ、周りを見渡したあと外に出て行くのが見えた。
そのイタチの姿が見えなくなってからその窓の近寄り部屋の中を覗く。
『お! ラッキー、餌皿に餌が残ってる』
あのイタチが戻って来たら1〜2発殴れば良いだけだ。
って思いながら部屋にお邪魔して餌皿に残っていた餌を頂く。
腹が満たされたら眠くなったのでチョット寝ることにする。
目が覚めたら外は真っ暗、え? アイツは帰って来てないのか?
なんて事を考えていたら部屋のドアがガチャガチャと開けられる音がして、人が入って来た。
『ヤバい、住民が帰って来た、取り敢えずアイツに化けよう』
アイツに比べてチョット胴が太いが此の際仕方が無い。
入って来た人、30代半ばの女性だったは部屋に入って来るなり俺に抱きつき、「ベンちゃぁぁーん、ただいま」と言った。
そのあと女性は持っていたコンビニの袋をテーブルに置いてから風呂場の方へ向かう。
『今のうちに逃げ出すか? でもアイツがいないからな、どうしよう?
それに餌を貰えた義は返さなくちゃならないしな、どうしようかな?』
風呂に入ってる女性を窺いながら部屋の中をウロウロしていたら、女性が風呂からあがり寝間着を着て戻って来てしまった。
女性はコンビニの袋から弁当と缶ビールを取り出し、俺をワチャワチャと撫でながら弁当をツマミにビールを飲む。
大人しく撫でられるままでいたら、「やっと慣れてくれたのかな? 此処に来てまだ数日しか経ってないから、慣れるまであと数日掛かると思っていただけに嬉しいな」
え、そうなの? と思っても今さらか。
今日はこのままアイツに化けたままでいよう、明日には帰ってくるだろうからな。
翌日、女性が出かけたあと窓を開けアイツの姿を探す。
が、いない。
それで偶々通りかかった野良猫に尋ねた。
「やぁ! すまないが此処にいたイタチを見なかったか?」
「イタチ? あぁ、フェレットね。
見てないなぁ、って言うか、アイツら帰巣本能が無いから、出て行ったら帰って来ないぞ」
「え? 帰巣本能が無い? そんなんで良く生きて来れたな?」
「お前ら狸は野生の奴だけ、猫は野生の奴や俺のような野良とペットがいるけど、フェレットはペットしかいないんだよ。
だから帰巣本能が無くても餌は人が用意してくれるし、子育ては人が手伝ってくれるんで帰巣本能が無くてもなんとかなるんだ」
「嘘ー!」
俺はガーンと頭をぶっ叩かれたように感じた。
多分今の俺は、ムンクの叫びの絵と同じ顔になっていると思う。
猫に礼を言ってから部屋から飛び出しアイツを探しに行く。
そしたらいたよ、アパートから300メートルほど離れた小洒落た家の庭に。
此の家で前から飼われていましたよって顔で、3歳前後の女の子に抱かれたアイツがいた。
女の子と女の子の母親の目を盗んでアイツに声を掛ける。
「オイ、そんなところにいないでサッサとアパートに帰って来い」
「えーあんた誰?」
「そんな事はどうでもいいから帰って来い」
「ヤダよ、あの女酒臭いからヤダ!」
そう俺に言うとアイツは尻尾を振りながら女の子の方へ行ってしまった。
だから俺は義に報いる為に此の部屋を終の棲家と定め、女性と共に生活している。
ただ、俺がフェレットでは無く狸だとバレても大丈夫なように、女性が就寝したあと毎晩耳元で「飼っているのはフェレットじゃない、狸だぞ」と言い聞かせ刷り込みしているんだ。