帝と平凡な恋 第六十三話 馬(番外編)
番外編です。
「馬に乗りたい」
橙はボソリと呟いた。
「乗馬場に行ってみてはいかがでしょう?管理人の方が最近、帝が来ないなぁ、と言っておられましたよ」
龍布が思い出したかのように言う。
「暇なのか?」
橙は率直な感想を述べた。
辛辣だ…。
「んー乗馬場か、馬に乗る練習をした時以来だな…」
「それいつの話ですか?」
帝になるために育てられた橙ならば幼い頃から乗馬に勤しんでいたに違いない。
「確か…俺が馬に乗り始めたのは五つの時だったからそれから半年もせずに普通に自由に走り回れるくらいになって…その時以来か」
「それいつの話ですか!」
乗馬場の管理人はボケてきてしまったのだろうか。
全然、最近ではない。
「んじゃ、ちょっと行ってくる」
普段着から運動着に着替えて言う。
「お気をつけて〜」
「何を見送ってるんだ。お前も行くんだぞ?」
「…は?」
龍布は口を開けたまま固まってしまった。
「いい天気に乗馬か…最高だな」
晴れ渡った空を見上げる。
「だいぶ、大きくなられましたね。お噂はこの後宮の外にある、寂れた乗馬場にも轟いておりますよ」
老人管理人が好々爺の笑顔で言う。
「そうか。にしても人が少ない」
「この頃は、ここよりも新しくできた流鏑馬場の方が使い勝手が良いようでこちらにはお客様は来られません」
確かに武官ならば馬に乗りながら矢を打てる流鏑馬の方が鍛えさせられるのかもしれない。
昔は栄えたと言うが、今は閑古鳥が鳴いている。
「寂れているというが、その割には馬たちも健康そうだな」
焦茶色の馬を撫でる。
艶のある毛並みがとても綺麗で、しっかりと世話されていることが見受けられる。
「はい、馬の管理に手抜かりはございません」
「それは良かった」
「それでは、その今撫でられている馬に乗られてはいかがですか」
おすすめのようで、馬も橙にすっかり懐いている。
「可愛い馬だな」
つぶらな瞳で橙を見つめてくる。
「えぇ。そろそろ引退にも近いんですけど、まだまだ現役ですから」
橙は早速、馬に乗る。
「お上手ですね」
パチパチと手を叩く管理人。
「お前に鍛えられたからな。当然だろう?」
話について行けず、置いてかれている龍布はボーッとしながら自分の乗馬の才能を思い出した。
乗れはする。
もちろん、この間だって、実家に橙を連れて帰る時も乗った。
だが、この皇帝だ。
無理難題を言ってくるに違いあるまい。
「なぁ、龍布。俺と競争しよう」
「…ほら」
この帝と競って勝てる人などいるのだろうか。
「もちろん、ハンデありですよね」
「当たり前だろ。俺が本気出したら秒で勝ってしまう」
それなのに、競ってくれと頼むのは何とも…。
「魔術厳禁ですよ」
「おう」
橙は挑発的な顔で龍布を見た。
「距離はこの乗馬場の端から端まで。つまり約三百メートルを早く走り切った方が勝ちだ」
「はい」
龍布は管理人の二番目のお気に入りの馬に乗ると馬をならす。
結構、利口な馬である。
すぐに龍布に馴染んでくれた。
「それでは、位置について」
橙は余裕そうだが、龍布は緊張感に包まれていた。
「よーい、どん!」
管理人が良い終わるのと同時に馬は走り出す。
この表現をしたのは、乗っている龍布が馬のスピードについて行けなさそうだったからである。
早すぎて、振り落とされそうになりながら必死にしがみついて手綱を握る。
橙はどうだろうと確認する暇もなかったが、ふと目に入った光景は橙が余裕の笑みで数メートル先を走っていた。
「早すぎませんか!?」
「これくらい、余裕だな」
さらにスピードを上げていく橙に龍布は完敗だった。
詳細は言わずとも勝敗は決まった。
「なんで、そんなに早いんです?」
龍布は汗をかいても爽やかに水を飲む橙に話しかける。
「日々の鍛錬だ」
「日々、馬に乗っているところ見たことがありませんけどね」
才能だろうか…。
「その爽やかさを分けてもらいたい」
管理人から渡された手拭いで汗を拭く。
帰ったら風呂にゆっくり浸かりたい。
「俺はまだ馬に乗ってくけど、帰っとくか?」
「いえ、私も橙さまのように馬に乗れるようになりたいので」
龍布は橙に指導してもらうことにしたのだった。
「若い人たちは元気ですね〜」
管理人はそんな二人を冷たい飲み物を片手に見ていた。
「龍布、違う。それじゃあ馬が怯える」
「どうすれば良いんです!?」
橙と龍布はそれからしばらく馬の練習をしていた。
ありがとうございました!




