帝と平凡な恋 第四十三話 緊急事態と皇帝の異変 後編
第四十三話です。
「橙さま、どこに行ったんだろう」
沙々は窓辺に座りながら呟く。
夕方には戻ると言っていたが…
「もう、夕方ですよ。橙さま」
橙色に染まっていく空を眺めながら沙々は不安そうな顔をした。
「正体と犯人って、そもそも誰だよ。お前」
村の一人が橙に向かって言う。
視界の隅で村長が止めようとしているのが見えたがまぁ、本人が気にしていないので、ある程度無礼でも罰することはない。
「俺か?俺は皇帝だ」
言い終わるのとほぼ同時くらいで変化の魔術を解いて、元の姿に戻す。
「こ、皇帝?」
信じられないと、言わんばかりにポカンと口を開いた。
「色々あって姿は変えていたが正真正銘、この国の皇帝だ」
胸を張って言い放つ。
「も、申し訳ありませんでした!」
村の人は皆、頭を下げた。
「別に気にしてないから、早く推理の続きを言わせてくれないか?」
「あ、あぁ、ど、どうぞ」
橙は鷹揚に頷くとゆっくり話し始める。
「まず、この穴は多分だが、村の魔力を吸う穴だ」
「それは、さっき聞きましたが?」
「そ。この穴は魔力を吸う穴…魔力別次元は移動させている。この穴はとても重力が強くて一度入ると抜け出せない。その重力ともう一つ、魔力を吸うための機能…魔磁石がこの穴の成分なのだろう。魔磁石はその名のとおり魔力を磁石で吸うものなんだ。それで魔力を吸い込み続けて、強い重力で抜け出せなくする。それこそ、この空の先にある物みたいだな」
と橙色の空を指差す。
「あの、説明が長くてよく分からないんですけど」
「えーと、つまりこの穴は特別な成分でできた穴ということだ。こんな穴を生み出せるのは俺は一人しか知らない」
橙はその人物を思い浮かべて眉を顰める。
アイツが関与しているのか…。
「その人物は昔っから物作りは得意だったからな」
その点は評価するべきところなのかもしれない。
「その人物こそ、元皇族の朱江だ」
「しゅ、朱江さま…ですか?」
「そうだ」
朱江は皇籍を剥奪されているので今は元皇族だ。
監獄に監禁されているが早く刑罰を決めないといけないのでどうにかしないといけない。
「アイツは前に洞窟で一人、魔力量拡大円形板を作っていたことがあったんだ。その魔力量拡大円形板は魔力をその装置に込めると魔力量を増やしたいところまで魔力量を増やすことができるんだ」
…だから、自作自演で魔力量を吸わせるこの穴を作り、魔力量拡大円形板を売り付けようとした。
人の弱みに漬け込むことが上手いよな。
「それで、どうしてこの穴を…」
村長が困った顔で訊ねる。
「この穴は、アイツの商売道具なのかもしれないな」
橙は顔を顰める。
拳をぎゅっと力を込めて握る。
「この責任は俺が取る。すぐにあの穴をどうにかしなければ…」
「皇帝が責任を…ねぇ、嘘つきにも程があるな」
「誰だ?」
声がする方向を見ることなく言う。
「名乗って何になる?お前らごとき俺が名乗らない間に全てを倒してやる」
ちょっと言ってる意味が分からない…。
ポリポリと橙はこめかみをかいた。
「じゃあ、名乗らなくてもいいから要件を言ってくれないか?」
橙は冷めた目線をいきなり現れた無精髭にだいぶ薄くなった頭の男に訊ねる。
男は鼻で笑う。
「要件?お前が一番分かってるんじゃないのか?この馬鹿皇帝が」
「いや、分からんから聞いてるんだが…ってさっきから会話があんまり成り立ってない気がするなぁ」
呑気な声で話す橙に腹を立てたのか男は地団駄を踏んだ。
なんだろう、この男は。
よく分からないことが多すぎる。
橙は少し呆れながら男を眺める。
中肉中背で歳は五十くらいだろうか、髪の毛は白髪が多い。
男は鋭い目線で橙を見る。
「お前は、もしかして五年前の…」
「そうだよ!だから、俺はお前に復讐しに来たんだ!」
男はすごい形相で橙に襲いかかる。
「お前のせいで、俺は…俺は…」
泣きながら橙の胸ぐらを掴んだ。
五年前か…まだ自分が東宮だった頃だ。
知らないのだろうか、皇帝が変わったことを。
五年前
先代の皇帝は臣下が起こした事件を自分の責任だと言ったらしい。
その責任としてなんでもすると、そう言ったらしい。
だが、その事件に巻き込まれた人の遺族はそんな気休めで気が済むわけがない。
だから、皇帝を恨んだ…。
この男は確かその事件の被害者でもあるその時八歳だったの子供の親のはずだ。
皇帝を暗殺できる時機をずっと見計らっていたはずだ。
だが、今までは必ず護衛がついていた。
だから、恨みを晴らせなかった。
そして関係のない橙を巻き込んだ。
「お前、俺が五年前から皇帝やってると思ってるだろ?」
「…何を言う!」
聞く耳を持たず、懐から小刀を取り出す。
コイツ、完璧に復讐を成し遂げようとしてやがる。
「いや、人の話を聞いて、うおっ!?」
顔の横をスレスレのところを刃先が通過する。
間一髪…。
頰を引き攣らせながら小刀を避ける。
「ちょっと人の話を聞いてくれって言ってるだろ」
「問答無用!」
なんだろうこのやりとり…よく見るような見ないような…。
体にバリアを張ろうとしても保持魔力がなくなってしまったように体が重い。
「まっさか、ここの村に一定時間いると保持魔力を吸われるとか…」
あんぐりと口を開く。
…あんの野郎、ふざけんなよ!
朱江に向かって心の中でキレる。
魔術なしでの戦闘なんて…。
相手は自力で戦っている。
ということで、魔力にばかり頼っていたこっちが圧倒的に不利である。
唇を強く噛んだ。
まだ帰ってこないのか…。
沙々は空を眺めた。
もう真っ暗になっていて星も見えていた。
「遅すぎる…」
心配になってきた沙々は探しに行こうか迷っていた。
不安が胸の中に広がっていく。
「探しに行ってみるか」
「うぅっ」
橙は攻撃を避け続けているが、体制を崩して首筋に刃先を沿わせられる。
血が一筋垂れる。
「これで終わりだな」
男が殺気の込めた目で橙を見下げられた瞬間、もうダメか…と諦めかけたその時、男がいきなり派手に地面に倒れる。
「うっ!?」
「間に合って良かったです」
心から安堵したような声が聞こえてくる。
「…沙々」
「橙さま、自分の立場をわきまえて行動を…って今はそれどころじゃないですね」
橙に止血用の手拭いを渡してバリアを張ると沙々は来ていた上着を脱ぎ捨てて男に近づく。
「貴方、私たちの橙さまになんてことを…」
沙々は本気で怒っていた。
その怒りは魔術の強度を上げる。
「アニヒレーション」
男はその刹那、消滅してしまった。
「こわーい」
おどけるような口調で言う人物が一人。
「橙さま。それどころじゃないでしょ?傷は大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫」
首の傷を手拭いで止血しながら軽い調子で言う。
「今日は真っ直ぐ後宮に帰りますか?」
「そうだなー、けど保持魔力も残ってないし…この村のこともどうにかしないと」
村の人たちは遠くから橙の戦いを見守っていた。
「私の保持魔力を使えばどうにかなるのでは?」
沙々は自分を指差す。
「この穴を消すことは今の俺でも可能だ。あの穴さえ消せば、この村の調子も戻る」
大丈夫と言ってる割にはふらふらの橙はボロボロな倉庫の壁に体を預ける。
「大丈夫じゃないですよね」
橙の額に浮かぶ脂汗を手拭いで拭ってあげる。
「とりま、あの穴のことは俺に任せてくれ」
おぼつかない足取りで穴に近づけると手をかざす。
「…失せろ。魔力吸引穴」
その瞬間、パッと穴は消えてしまった。
「この穴はある意味、作るのは難しく、消すのは簡単という単純な作りだ」
「そうなんですね」
これで村の問題は解決だ。
「沙々、平気な顔してたができれば今すぐ後宮に戻りたいな」
弱々しい橙はいつもとはだいぶ違う。
「分かりました」
橙を支えると橙が最初に使った瞬間移動を使う。
誤差を考えて、あえて到着したい場所と違う場所をイメージする。
「それでは、お騒がせしました」
シュパッと沙々と橙は瞬間移動をしたのだった。
移動した先は橙の宮だった。
橙を寝台に寝かせると部屋を出て行こうとする。
すぐに医官に診せないと。
「…沙々」
橙の甘えるような声が聞こえる。
「助けに来てくれてありがとう」
橙はそういうと横になった。
「どういたしまして」
そう呟いて沙々は部屋を出て行った。
ありがとうございました。