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第二十七話 想うがゆえ


 黒き業火が吹き荒れた隔離区画へ繋がる廊下はほとんど原形を留めない規模で()()()()()()()

 呪詛の黒炎はそれほどの凶熱を振りまいた。

 飾られていた観葉植物など燃えやすいものは灰も残さず消え失せた。コンクリートがドロドロに溶解し、トロけた鉄筋が地面に滴り、鉄の匂いと焦げ臭さが入り混じる奇妙な空気を作り出していた。


「恋華さん!」


 焦熱地獄もかくやという惨状に大和は躊躇なく足を踏み入れる。


「ああ……。大和、様。申し訳ございません。私、とんだ粗相を……」


 ぼんやりと立ち尽くす恋華が途切れ途切れにだが大和の呼びかけに答える。

 今も辛うじて顔を隠すフェイスベールの存在が示すのは彼女の理性か、それともそれほどに大和に顔を見られたくないと己の素顔を忌み嫌っているのか。


「どうか、お許しを……」

「今はそんなこといいですから――」

「ああ、熱痛(あつ)い……熱痛(あつ)熱痛(あつ)熱痛(あつ)い、あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ――――!?」


 話しているさなかに再びの暴発。恋華を中心に黒の業火が吹き荒れた。大和が風で払うが、気休めのようなものだ。

 分かっていたが恐ろしく不安定。恋華はいつランダに堕ちてもおかしくはなかった。


「身体は熱痛(あつ)いのに、心が寒いのです……嫌。もう全部、嫌なのです……殺して、ください」


 縋るように、涙を眦に浮かべて恋華が懇願する。


「どうしようも、ないのでしょう? ならばせめて大和様の手で――」

「嫌です! 僕はそんなのは嫌だ!」


 心に任せて拒絶を叫ぶ。

 どこまでも当たり前の、凡人の感情だ――友達を切り捨てたい者などいるものか。それ以外手がないと分かっていても、我が儘だと分かっていても、大和はそう叫ぶしかなかった。


「……大和様。私達が初めてお会いした時のことを覚えていますか?」


 その叫びを聞いて恋華は嬉しそうに、でも同じくらい悲しそうな声をだした。

 

「もちろんです。忘れようにも忘れられない」

「ふふっ、そうですね。私もそう思います」


 ほんの数週間前に出来事を懐かしそうに、愛おしそうに呟く恋華。大事な宝物をひっそりと愛でるような口調だった。

 だが続く言葉は彼女が味わった苦渋が滲んでいた。


「私はあの時――()()()()()()()()()()。だからAランク迷宮に挑んだのです。そうなれば、私を拒んだ人たちへ面当てになると……」


 一時の気の迷いと言うには、彼女が負った宿命は過酷すぎた。

 ”悪”の役割を背負い、周囲から理由なく嫌われ、拒まれ、迫害される日々。彼女自身の不徳に由来する迫害なら救いですらあった。だが彼女自身に非はなかった。だからこそ()()()()()()()()()()のだ。

 大和に救われ、恋をした。だからもう一度と気力を振り絞って健気で明るい少女を演じていた。でももう二人で紡げる未来などないと分かってしまった。


「お願いします。どうかお慈悲……」


 故に恋華は止まらない。生半可な言葉ではただ彼女を傷つけるだけだ。


「……でもっ」

「なら――私を受け入れてくださいますか? この、醜い魔女の唇に口づけを与えて頂けますか!?」


 それでもと拒む大和の悪足掻きは恋華を激昂させるだけで終わった。

 恋華のコンプレックスを隠し続けていたフェイスベールを勢いよく千切り捨てる。

 長い黒髪が翻り、一瞬だけ顔を隠す。だがそれも僅かな間のこと。

 (あらわ)になった恋華の本当の顔は――、


『ッ……!?』


 どこかで、誰かが息を呑んだ――恋華が吼えるように哭いた。怪物のように。


「ハ……アハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――!!」

 

 タガが外れたように哭き叫ぶ恋華は――()()()()。そうとしか言えなかった。

 老婆のように皺くちゃの黒い肌。長く垂れ下がった黒蛇のように蠢く髪。ギョロリと突き出した深紅の眼。剣牙虎の如く長く突き出た四つの犬歯。

 御伽話の悪い魔女よりも怪物じみていた。最早人型の異形と言った方が近い。


「――――恋華さん、僕は!」


 覚醒が進むことでこれまで以上に魔女(ランダ)へ近づいていた。その証が恋華の怪物化の進行。

 そして、慟哭は唐突に終わりを告げた。


「もう、いい。我慢しなくていい。全部、全部終わらせましょう!!」

 

 †《黒の寡婦》†《黒の左手》†《黒魔術(()())》†《属性権限:闇》†《殉死の黒炎》†


 これまでのような暴発ではない。明確な敵意の指向性が込められた黒い炎が大和に迫る。それは大和にすら回避を選択させるほどの悍ましい火力を秘めていた。

 これは炎にして炎にあらず。数多の寡婦達を焼き殺した炎に宿る呪い。炎の形をした呪詛そのものだ。


「あは……あはは、アハハハハハハハハハハハハハハ――――!!」


 再びの慟哭が悲しい程に冴え冴えと響き渡る。

 恋華の頬が三日月の如く歪んだ弧を描く。眦から零れた涙が灰と混じり、黒い雫となってその顔を一層醜く彩った。入れ墨の如く、まるで罪の証のように。


「なんでランダが炎を……まさか、サティーの炎?」


 日本から遠く離れたバリ島やインドでサティーと呼ばれる風習がある。

 ()()()()()である。夫に先立たれた未亡人が後追いの焼身自殺を図る風習がこの地域では古代から続いており、現代においてすらも途絶えていない。

 そしてランダはこのサティーから生まれた魔女なのだ。


「燃えろ、燃えろ、燃えろ! 何時か”私”を焼き殺した時のように!」


 暴れまわる恋華の目は焦点を失ったように虚ろな眼差し。現実ならざる光景を見、叫ぶその姿は恋華が持たない過去を見ていた。


(ランダと同調している……? それじゃあの黒い炎は寡婦(ランダ)を焼いた殉死の火!)


 夫の亡骸とともに焼身自殺を図る行いを善徳と称えたバリ島において、それを拒絶した寡婦の扱いなど言うまでもあるまい。

 ただ生きたいとだけ願った寡婦達は時に僧侶(バラモン)達に無理やり炎へ押しやられ、焼き殺された。挙句の果てに現世への未練から彷徨い出た魔女……ランダにまで堕とされた。

 現代の価値観で当時の思想を否定するのは傲慢だろう――だが彼女達の生きたいという当たり前の願いすら”善”の下で否定される世界であったのも確かだ。

 殉死の炎から再誕した魔女が炎を制する術を得たのもあるいは当然だったかもしれない。


「ことごとく燃え尽きろ、”私”のように燃え尽きろ!」


 †《殉死の黒炎》†


「やらせない!」


 †《建速嵐》†


 黒の業火を嵐が吹き散らす。だが想定よりもはるかに強烈な黒炎に大和が風の制御を誤りかける。

 明らかにさっきより火力が上がっていた。恐らくはランダとの同調が深まったことで強制的に位階(レベル)が上昇しているのだ。そしてやがては本物のランダとして覚醒するだろう。


「……禊、解析!」

()()()()Lv.45ってとこかな。このままだと加速度的に上がっていくよ』

「本当にマズイよこれ!?」


 暴走するまでは精々Lv.30を少し超えた程度だったはず。

 歪すぎる成長に大和が歯噛みした。Lv.45。既に冒険者トップ層に近いが、まだまだ頭打ちの気配がない。時間をかければ大和の手にすら負えなくなるだろう。何より恋華自身が無事でいられるはずがない。

 だが打つ手が思いつかない。

 敵ならば倒せばいい。だが恋華はそうではない。かといって今の彼女は力づくで抑え込めるほど弱くない。


(相変わらず役に立たない”最強”だな、僕は……!)


 目の前の敵は倒せても女の子一人助けられない。その事実を痛い程噛みしめ、自嘲する。

 いっそその手で楽にするべきだ――蛇狐の言葉が蘇る。大和は首を振った。きっとまだできることはあると信じて。


「……夢を」

「恋華さん?」


 その儚い希望を断ち切るように、めちゃくちゃな規模の黒炎を荒れ狂わせていた恋華が()()()と動きを止めて言葉を紡ぐ。

 荒ぶる内なるランダが鎮まったのではない。むしろ逆だった。


「夢を見ていました。生まれた時から何度も何度も、同じ夢を」

「夢?」


 室内のあらゆる調度品を灰に還したた黒き業火もまた収まり、二人の間に一時の静けさが訪れる。

 だがその静けさはただ危うさだけを孕んでいた。恋華は今もランダに呑まれかかっていた。


「夜のお墓を彷徨って、死ねと炎に突き飛ばされて、赤子の頭をかみ砕く夢を見るのです! 私はそれを……()()()()と思っている! 大和様、私はまだ……人間ですか?」


 ()()()と眼球が回転し、瞳孔の開いた危うい視線が大和を捉える。哀願のような問いかけはまるで悲鳴のようだった。

 恋華が語る夢は伝承に語られるランダの所業そのものだ。確実に恋華とランダの同調が進んでいる証だった。


「……………………」


 大和は沈黙で応えた。下手な慰めに意味はなく、かといって彼女の絶望を拭える一言なんて思いつかなかった。

 人類最強なんてこの程度だった。


「……嗚呼(ああ)。そうですよね。だって怪物は英雄に討たれるモノなのですもの」


 轟、と黒炎が荒れ狂ったのも一瞬。ケタケタと空虚に笑いながら恋華はむしろ納得がいったとばかりに頷いた。諦めの色を含んだ納得だった。

 石像のように動きを止め、やがてゆっくりと地に膝をつきこうべを垂れる。まるでその首を差し出すように。


「……殺して。終わらせてください、せめてあなたの手で」


 恋華はもう疲れていた。何もかもを放り投げたかった。

 希望のない人生に倦んでいた。


(それでも、せめて、これだけは――)


 恋華は思う、せめてと。

 そんな彼女が最後に望んだのは大和の手にかかってその生を断つこと。


(魔女と言われても、これだけは)


 恋華自身が誰よりも分かっていた。今も自分の胸の内で燃え盛る黒い炎……この業火に身を委ねれば自分はきっと()()から解放される。そう、全てから。

 でもそんなのは嫌だった。どうしても嫌だった。怪物になることではなく――この恋だけは捨てられなかった。紅恋華は怪物であっても”女”であることまでは捨てていなかった。

 だから、

 

「――――」


 浅ましいと知って、それでも。

 悍ましいと知って、それでも。

 紅恋華は黒鉄大和に、恋をした少年に深く深く()いを刻み込みたかった。

 最後まで笑顔で。涙を流して、美しく。健気に世界のためにその身を差し出す――()()()()()()()()()()


(思い出になんてなりたくない……忘れてなんて欲しくない!)


 無様でいい。怪物でいい。彼の悪夢に彷徨い出る後悔と未練の象徴としてで構わない。


 彼に呪い(ワタシ)を刻みつけたい。


 ただそれだけが最後に残された彼女の願いだった。その(ノロ)いは魔女(ランダ)の性質にも強烈に合致し、死後発動するスキルとして最上位に近い効果を発揮するだろう。

 恐らくは生涯解除できないLv.ダウンと眠る度に恋華を手にかける悪夢に襲われるはずだ。

 いま恋華は大和を罠にかけようとしていた。人を想うがゆえに嵌まる罠を。


「――お願いします、どうか」

「……分かりました」


 恋華の哀願に大和が俯いたまま低く抑えた声で答える。カチャリ、と鞘に収めた剣に手をかけながらゆっくりと歩み寄った。


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[良い点] めちゃくちゃクライマックス感。 この後どうなるのかめっちゃ気になる!
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