第二十二話 ワールドエネミー
――ガリガリと何かが削れる音がする。
何もかもが順風満帆だった。
だから、何時か壊れると思っていた。
――ガリガリと何かが削れる音がする。
何時だってそうだ。
何かを始めても何一つだって実りはしない――誰もお前を愛さない。
そう嘲笑う幻聴が聞こえるようになったのは何時からだっただろうか。
――ガリガリと何かが削れる音がする。
今回もそうだった。
ずっと昔に憧れた少年に助けてもらって、”もう一度”、救われて。
今度こそ、そう思って……失敗した。
――ガリガリと何かが削れる音がする。
最初はよかった。入ったパーティのみんなは私によくしてくれた。ダンジョン攻略も順調だった。
だけど何故かドロップアイテムの引きが極端に悪くなり始め……誰が悪い訳でもないけど、何ともなしに悪い空気が流れ始めた。
少ししてみんなの目が私に向いた。不運が偏り始めた時期が、丁度私の加入時期と重なっていたから。
誰も何も言わない気まずい時間が多くなった。ふとした拍子に向けられる目に責められている気がした。
――ガリガリと何かが削れる音がする。
それでも。
それでも、不満を言うつもりなんてない。だって、彼らは私を切り捨てなかった。
もっとハイレベルなダンジョンを攻略して一発逆転。無茶だと思っていたけど、それくらいしか今の私たちには思いつかなかった。
――ガリガリと何かが削れる音がする。
ダンジョン攻略の途中、みんなと先に進むかで意見が分かれて……私は反対した。けれどみんなは行きたがった。これ以上反対しても無駄かなんて諦めかけた時に――”白”を見た。
その瞬間に敵だと悟った。倶に戴く天は不い。絶対に認められない、存在すら許せない敵だと。
――ガリガリと何かが削れる音がする。
そこから先は……覚えていない。
目の前が真っ赤に染まって、心臓の鼓動と全身に血が流れる音がやけにうるさかった気がする。
”獣”の吠えるような鳴き声が、憎悪に焼かれた”魔女”の絶叫が聞こえた気がした。
――ガリガリと何かが削れる音がする。
悪夢が、深まっていく。
ヒタリ、ヒタリと素足で悪夢の中を歩く。立ち並ぶ墓。夜の墓地をさ迷い歩く。
死ね、消えろと声が聞こえる。恋華の存在を否定するたくさんの声が。
その中には友達の、仲間の、両親の……大和の顔があった。
悪夢の中、恋華は絶叫した。
◆
少々の違法行為を代償に最速で恋華が入院する病院へたどり着いた大和。当初まっとうに面会を申し込んで面会謝絶を言い渡されながらもなんとかツテを頼り、恋華の病室の前に立っていた。
この病院がオモイカネ資本だったこと。禊の根回し。かつ病院の医師にご同輩がいたからできたスピード面会だ。
「恋華さん? 入りますよ」
ノックしてスライドドアを開き、入室する。手配された個室の真っ白な清潔さに一点の”黒”が目に留まる。
ベッドに眠る恋華の姿を見た大和は安堵し、ホッと息を吐いた。大和がたどり着くまでの間に何が起こってもおかしくなかった。
だが次の瞬間、前触れなく全てがひっくり返る。
「――――」
『大和!』
ゾワリ、と背筋がザワついた。
これは転生者にだけ感知できる異様な寒気、危機感、焦燥感。フラグが立ったのだ。この感覚が示すのは――ワールドクエストの存在。いま、黒鉄大和は文明崩壊のトリガーとなりうる事件の岐路に立っていた。
ビー! ビー! ビー!
けたたましいアラート音が懐の携帯端末から鳴り響く。それはアプリ《サバイバーズ、ギルド》からある知らせを受け取った証。
「ワールドクエスト……? 時計の針が進んだのか!?」
世界終末時計……ギルドが秘蔵する文明崩壊のタイムリミットを指し示す時計の針と連動してアラートがなる仕掛けだ。
つまりこのアラートは世界のどこかでワールドクエストが進行したことを示す。そして震源地は間違いなくここだ。
†《白き聖獣》†《正義執行》†《太陽の加護》†《属性権能:光》――
ステージが変わったことを誇示するように、遠方からの強襲が唐突に大和達のいる病院を襲う。
はるか遠くで力が凝った。
感じ取った力の気配を追い、窓へと目を向けた大和は硝子を透かした視界の果てにある豆粒ほどの”白”を見た。
(――あれが敵か)
そう悟る間も”白”の充填は続く。
大きな牙が覗く獣の大口に都市の一画を無造作に焼き払う魔力が溜め込まれていく。
†《コンボ:聖義咆哮》†
それは悪をより強く打ちのめす聖獣の咆哮。無慈悲な光の収束砲撃が獣の口腔より放たれ――光が閃く。
上空から見下ろせば、一瞬の閃光の後に直進する巨大な光の線が街に刻まれたように見えただろう。
直撃すれば病棟はもちろんその背後に続く街並みをあっさりと燃え盛る瓦礫の山にしてのける大火力だ。そこに住む一般人を当然のように巻き込んで。
†《建速嵐》†
が、その上で損害なし。
大気を媒介にした光の屈折現象。
瞬時に圧縮し尽くした莫大な大気の壁を病院の前で盾のように展開。無慈悲な光の咆哮を飲み込んだ圧縮空気の境界面が、空へとその軌道を捻じ曲げた。結果、光の咆哮は周辺一帯にわだかまる雲を消し飛ばしただけで終わった。
スキルはより強いスキルに屈服する。これをなしたのは奇跡でもなんでもなく、ただ純粋な格の差だ。
「……街中で好き放題やりやがって。何が正義だ」
『稀によくある。文明崩壊案件絡みなら特に』
一歩間違えれば数百人単位で死傷者が出ていた”白”の蛮行に吐き捨てる大和。
禊の指摘通り似たような事件が滅多にはない。だが稀には起こりうる。そして被害者達はそれを災害と捉え、諦める。無情だがこの迷宮時代の現実だった。
「いい加減その面を見せろ」
視界に捕らえた”白”は豆粒ほどにしか見えない遠方に佇んでいるが……問題はない。
再びの《建速嵐》。
大和が生み出すのは大気から成る見えない巨人の手。”白”を引き摺り出すために作り出した無色の巨腕が天空から追いかける。
『逃げようとしてる』
「もう遅い」
それは地を這うちっぽけな蟻が人の指先から必死に逃げようとする光景に似ていた。
”白”は決して弱くない。推定Lv.40オーバー。地方都市程度なら単独でその防衛戦力ごと灰に還せるだけの暴力の持ち主だ。《サバイバーズ・ギルド》でも幹部クラスでなければ安定勝利は望めないほどに強い。
だが黒鉄大和に抗える程の敵ではない。少なくとも、今は。
「捕まえた」
掴み上げ、握り潰し、拘束する。逃げようと背を向けて駆けだした”白”が動画の一時停止じみた不自然な挙動で停止。大和が操る風の巨腕によって強引に抑え込まれたのだ。圧倒的なまでの出力差だった。
「ちょっと屋上で話そうか」
ややチンピラじみた発言とともに大和は屋上目掛けて最短距離を違法ショートカット。
窓を開けて一歩を踏み出せば大和の矮躯がふわりと宙に浮き、風で作り出した足場を強く蹴って跳躍。文字通り一直線に屋上へ向かう。同時にガッチリと”白”を捕らえた巨人が屋上へ連行を始めた。
恋華の守りは禊のドローンと召喚した八咫烏に任せ、大和は黒幕と思しき”白”と対峙した……。




