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自分を見つめ直す

作者: 雪湊

   私は一体何ものなのだろうか


   ここ数年このような疑問が湧き上がる


   自己啓発本などというものを読んだわけでもないが疑問は尽きない   


   私という人間とは

  

   デカルトの言う考える葦だろうか


   リンネが定義したホモサピエンスとでもいうのか


   ホモルーデンス、ホモエレクトス、ホモエコノミクス…


   雄もしくは雌というのか


   女性、男性、中性、無性だとでも定義できるのだろうか


   毎日を惰性で過ごす


   生まれた時から親の引いたラインに沿って歩いている

 

   自分の意志で何かをしたことがあるだろうか


   小学校、中学校は義務教育のおかげで受験しなかった


   高等学校は自分のレベルに合ったところに進学した


   大学は高等高校の教師の勧めで推薦で自動で入った


   仕事も社会情勢を踏まえて特に興味もない職につく


   就職活動でさえ数多く受けたうちの一つのうち条件が最もいいところを選んだ


   周りに合わせて転職もした


   このように考えているからだろうか


   一日が終わり、布団に入ると自我が溶けてゆく


   私はなんだろうか、私は






   血が通っている生きている人間なのだろうか





   小説の世界に入ると、私が俺になったりワタクシになったりする


   小学生になる前に自我を目覚めさせ、保護者を説得してよりよい将来とするためにお受験なるものをする


   小学校ではリーダーシップを発揮し、幼馴染と協力して敵を倒す

   この時の敵は、教師であったり毒親であるかもしれない


   中学校では仮想敵を見据えて訓練をしたり、甘酸っぱい恋愛をする


   高校では運命の出会い、この世界との別れ、挫折を経験をしながら人間として成長する


   大学では課題に追われずにバイトに取り組み、留学をして教養を身につける


  社会人となって、パートナーと充実して生きる


  




  人は高校生ぐらいまでは夢を見ている


  大学生ぐらいになると現実を見始める


  社会人になると生きているだけで十分という気持ちになる


  私はどのように生きたいのか


  何者なのか


  夢を見続ける必要はない


  現実を歩き続け、最期に分かれば十分だ


  


  このように思えば気が楽になるだろう


  


   


   




  

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