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ドラッグストアガールが行く!

作者: 遠野紗雪

 学校から十分ほどの距離にある、大きなクリーム色の建物。青色の看板の目立つ「ウキウキドラッグ」は、私のお気に入りの店だ。メイクコーナーが充実しているし、とにかく広い。全国チェーンのドラッグストアはやっぱり違う。


 まるで小屋のようなちっぽけな駅と、その周りにある寂れた本屋に古い喫茶店。それだけしかなかった山形の片田舎に、数年前にやっと出来たドラッグストア。大げさかもしれないけれど、女子高校生にとっては救世主のような存在だ。ドラッグストアなら、憧れの人のインスタに載っているものが大体買える。田舎でも、流行り(はやり)において行かれなくてすむ。


 私のお気に入りは、プチプラコスメのコーナーだ。百円ショップよりもちゃんとしていて、大人の女性が買う化粧品よりも大げさでないもの。「プチ」・プライスの文字通り、「小さな」「ちょっとした」コスメたち。カラフルな宝石箱のような売り場は、見ているだけで私を幸せな気持ちにしてくれる。


 ある日、私がプチプラコスメコーナーの前に立っていると、店員さんに声をかけられた。

「本当にメイクがお好きなんですね。いつも見ていらっしゃるから」


 その店員さんは、年齢は二十代前半ぐらいだろうか。長い髪を低い位置でまとめて、ばっちりメイクをしている。タイトスカートの黒の制服がよく似合っていた。

「は、はい。ニキビ肌なんで、メイクなんてガラじゃないんですけど」


 話しかけられるなんて思わなくて、つい慌ててしまった。こんなこと言われても困るだろうに。私はそっとうつむいた。

「そんなことはありませんよ」

 驚いて顔を上げる。店員さんは真剣な顔をしていた。

「良ければあちらのカウンターで少しお話しませんか? 新しく入荷した口紅もあるんです」

「……はい」

 新しい口紅につられて、私はそう返事をした。

 店員さんの後ろを歩いて、コスメカウンターまで行く。ずっと座ってみたかった、憧れの場所だ。

「どうぞおかけになってください」

 真向かいの女性は笑顔をくずさない。私は制服のスカートを気にしながら、ゆっくりとイスに腰を下ろした。


「マスク、外してもらってもいいですか?」

 店員さんが遠慮がちに私の目をのぞき込む。急いでマスクを外した。

「少し炎症をおこして赤くなっていますね。ニキビ用のスキンケア用品もあるので、良ければご紹介します。お気軽にご質問くださいね」

 店員さんがにっこり微笑む。大人の女性、という感じだ。名札を見ると、「狭山響子」と書いてあった。きれいな名前だ。


「新作の口紅をご紹介しますね」

 そう言って狭山さんはカウンターの引き出しの中からリップブラシを取り出した。リップブラシで口紅の表面をとり、器用に私の唇に塗っていく。

 新色の口紅は、ベージュ味がかったうすいピンク色だ。塗ってみると思ったよりも自然で、すごく可愛かった。

「かわいい」

 思わずつぶやいてしまった。

「そうでしょう。色の白い方には特にお似合いになると思います」

「あっ、でもすみません。今持ち合わせがそんなになくて」

 財布には二千円しか入ってない。そうでなくても、お小遣いが月五千円のわたしにとっては手痛い出費になる。口紅は大人の女性向けのものだ。三千円くらいはするだろう。


 それを見透かしたのか、狭山さんが話しはじめる。

「大丈夫ですよ。買いたいと思ったときにお声がけいただければ、商品をご案内します」

 言い方や表情に、人の良さがにじみ出ている。押しつけがましさがなくて、話していて心地良い。

「ニキビ用のスキンケア用品について教えて下さい。その、あんまり高いものは買えないんですけど」

 気がつくと、私は悩みを相談していた。狭山さんは一度目を大きく開き、にっこりと笑った。

「ニキビケアですね。ご案内します」


 コスメカウンターを離れ、スキンケア用品のコーナーへと向かう。狭山さんは千円くらいの洗顔フォームをすすめてくれた。ごちゃごちゃしていないシンプルなパッケージで、効き目がありそうだ。

「ニキビケアで特に重要なのは、肌を清潔に保つことなんです。こちらの洗顔フォームで余分な皮脂をしっかり洗い流してあげてください。続けることで、ニキビも大分落ち着くと思いますよ」

 なんだかこれを使ったら本当にニキビがなくなるような気がしてきた。

「買います」

 即決だった。

「ありがとうございます」

 狭山さんは上品なお辞儀をした。「それでは」と軽く会釈をしてコスメカウンターへと戻っていく。

 私はなんとなくその背を見つめていた。



 ウキウキドラッグですすめられた洗顔フォームを使いはじめてから二週間。ニキビがかなり減った。まず赤くて大きなニキビがなくなった。あとは触ると分かる程度のニキビがいくつか残っているだけだ。

「すごい、魔法みたい」

 洗面所の前で、私はひとり言をつぶやいた。

「水希、高校生にもなって魔法はないでしょ」

 そばにいた母親が、呆れ顔で言う。

「いつまでも鏡ばっかり見てないで、中間テストの勉強でもしなさい」

「はいはい」

 追い払われるようにして、私は洗面所を後にした。



 高校入学と同時に世界的な感染症が流行して、一年と少し。マスクをつけるのが当たり前になり、食事をするとき以外は皆マスクを外さない。窮屈だけれど、ニキビに悩んでいた私にとってマスクの存在はありがたかった。


 マスクを付けていればニキビも、カサつきがちな頬も隠せる。でも悩みが根本的に解決されたわけではないので、私は鏡の前でため息をつくことが多かった。


 それが、洗顔フォーム一本で解消された。スキンケアってすごい。もちろんあの狭山という店員さんも。今度ウキウキドラッグに行ったときに、お礼を伝えよう。



 テスト期間が終わり、私はウキウキドラッグへと向かった。黒い制服を探す。

狭山さんは化粧品の相談に乗っているところだった。相談が終わったころを見計らって話しかける。

「あの」

「はい、なんでしょう?」

 狭山さんは笑顔を絶やさない。それが仕事なのかもしれないけれど、すごいなあ。

「以前すすめていただいた洗顔フォームがすごく良くて。お礼を言いにきました」

 狭山さんが目を丸くする。

「それは良かったです。ご丁寧にありがとうございます」

「でも、どうして制服姿の私に声をかけてくれたんですか?」

 高校生が高い口紅は買うとも思えないだろうに、と言おうとしたがやめた。

狭山さんが困ったように笑う。


「私、あの日ビューティーアドバイザー、――お客さまの化粧品やスキンケア用品の相談にのる仕事なんですけど――として初めて出勤したんですよ。それで声をかけやすい人を選んでしまったんです。よく考えたら、先生に見つかったら注意されてしまうかもしれませんよね。すみません」

「いえ、それは全然大丈夫なんですけど」

 うちの学校はゆるいから、先生に見つかってもとがめられることはない。

「でも、熱心に見ていらっしゃるな、と思っていたのは本当ですよ。ありがとうございます」

 狭山さんが小さく頭を下げた。


 やっぱり感じの良い人だ。他にも聞いてみよう。

「それとあの、ニキビは大分良くなったんですけど、もっと肌をきれいにしたくて。おすすめのスキンケア用品を教えてください」

「かしこまりました」


 狭山さんは化粧水と乳液をすすめてくれた。どちらも六百円くらいの商品だ。私が高校生だからだろう。高い商品を売りつけようとはしない。本当にお客さんのことを考えているんだな。


「化粧水のあと少し時間を置いてから乳液をつけてくださいね」

「わかりました」

 化粧水と乳液を握りしめながら返事をする。

「他になにか、質問などはございますか?」


 アイラインをスッキリと引いた両の目が、私を見つめている。近づきたい、と思った。この人のようになりたい。それは静かな、けれど確信に満ちた憧れだった。


 黙ったままでいる私を、狭山さんは小首をかしげて不思議そうに見ている。

 私は小さく深呼吸をしてから言葉を発した。

「私をアルバイトとして雇ってはもらえませんか? ここで働きたいんです」

「えっ?」

 狭山さんが目を丸くして聞き返す。


「募集はしてないですか?」

「ちょうど募集中ですけど……。でも、どうしてそんな急に?」

 ちらりと名札を見る。

「あなたに、狭山さんのように、なりたくて」

「……」 

 狭山さんは照れていた。少し困惑してもいるようだ。

「店長に話してきます」

 狭山さんはそう言ってかけていった。


 言った後で心臓がバクバクしてきた。それでも、私は言ってみて良かった、と感じていた。倉庫のドアに入る、黒の制服の後ろ姿が目に入った。


 後日履歴書を持って行き、面接をしてもらった。

 松沢というウキウキドラッグの店長はやる気のなさそうな中年の男性で、面接も短時間で終わった。「高校生バイトなんて皆いっしょだからな」とも言っていた。


 

 今日はアルバイト初日だ。レジはおいおい教えるのでまずは品出しを、ということだった。私はトイレットペーパーやティッシュを汗だくになりながら補充した。半袖を着てくればよかった。まだ六月だけれど動くと熱い。


 スキンケアコーナーに二人組がいたので、わざとその通路を通って倉庫に向かった。そっと聞き耳を立てる。

「私、肌が油っぽいんだよね。スキンケアを変えようと思ってるんだけど、どれにしようかなあ」

「これは? 洗い上がりさっぱりって書いてあるよ」

「うーん。どうしよう」

 私は振り返って二人組を見た。二十歳ぐらいの女性が二人だ。

「肌が油っぽいのでしたらそちらおすすめですよ」

 狭山さんの真似をして接客してみる。緊張で少し声が震えた。

「そうなんですか? でも頬のあたりはカサつくんですよね。私混合肌で」

「コンゴウハダ……。えっと……」

 私は固まってしまった。


「混合肌でしたら、こちらの商品がおすすめです」

 声の方を見ると、そこには狭山さんが立っていた。

「洗顔フォームの他にも、化粧水や乳液で肌の状態を調節する方法がございます」

 狭山さんが上手に接客するのを、私は端で見ていることしか出来なかった。

 二人組の接客が終わり、狭山さんが私に向き直る。

「まだ早い!」

「はい、すみません」

「接客するには知識がいるの。佐野さん、混合肌も知らなかったでしょう?」

「はい……」

 私の落ち込んでいるようすを見て取ったらしい。狭山さんが提案をした。


「帰りに本屋さんによってみない? いろいろ教えるわ」

「はい! 行きます」

 私はすぐに返事をした。


 狭山さんはアイロンがしっかりかけられたシャツにきれいめのジーンズという、ラフだが清潔感のある服装をしていた。

 並んで本屋に向かう。駅の近くにある本屋のメイクコーナーで、狭山さんは私にいろいろ教えてくれた。


「この本は基礎がしっかり載っていているからすごくおすすめ。分からないことがあったら、この辞典みたいな本で調べるのも良いと思う」

「すごい。いろいろな本があるんですね」

 私は基礎的なことの載っている本を一冊買った。二人で本屋の近くの喫茶店に向かう。

「今日はありがとうございました。狭山さん」

 席につくと、私はぺこりと頭を下げた。

「店外では響子さんでいいよ。私も水希ちゃんでいい?」

「はい」

 なんだか嬉しくて、私は顔をほころばせた。

「私、あなたと同じくらいの年齢の妹がいるの。だからなんだかほうっておけなくて。それに、嬉しかったの。私みたいになりたい、って言ってくれたこと」

 響子さんが首を少し傾けて微笑む。営業用ではない、自然な笑みだった。


「響子さんは、どうしてドラッグストアで働こうと思ったんですか?」

「元々はメイクの仕事がしたかったんだけど、家の事情で専門学校には行けなくて。高校卒業後は事務職をしていたの。でも肌に合わなくてね」

 響子さんが苦笑いする。


「三年くらい働いた頃に、ドラッグストアに寄ったらビューティーアドバイザーとして働いている人を見て。これだって思ったの。ここなら専門学校を出ていなくてもメイクの仕事が出来るって。それで転職。あのドラッグストアには、実は入社したばかりなの。三ヶ月目で、やっとビューティーアドバイザーとして働いていいですよ、って言われたところ」

「そうなんですね」


 それから響子さんはいろいろな話をしてくれた。一生懸命勉強して知識を詰め込んだが、接客に生かすのは難しいこと、私たちが働いている店は売り上げが下がっている店舗で、閉店してしまうかもしれないこと、東京からやって来た松沢店長はやる気のない店長だということ、などなど。おしゃべりは止まらなかった。


 私には、今は都心に住んでいる姉がいる。響子さんと話していると、姉と一緒にいるようで楽しかった。なんだかもう一人お姉さんができたみたいだ。

 その日は遅くまでおしゃべりをして別れた。



 それからは、アルバイトに精を出す日々が続いた。力仕事もけっこうあるし、イヤなお客さんもいたけれど、働くことは楽しかった。


 一ヶ月ほど働いてみて、以前響子さんが言っていたことがなんとなく分かってきた。


 この店ではパートさんがよくおしゃべりをしているけれど、松沢店長はそれを注意しない。それどころか、松沢店長自身が休憩時間でもないのに休憩室でよく休んでいる。店内の空気はどんよりしていて、活気があるとは言いがたい。


 このままでは本当に閉店してしまうのかもしれない。それはいやだ。

 そのとき、店の連絡ファイルに綴じるよう言われたプリントが目に入った。


〈化粧水販売コンクール。達成賞あり〉


「これだ!」

 私はその場で声をあげた。このコンクールで一位をとれば、閉店の話は立ち消えになるかもしれない。近くにいた松沢店長に話しかける。

「店長!」

「なに?」

 松沢店長は不機嫌そうに振り返った。

「これ」

 コンクールの詳細が書かれたプリントを見せる。

「これがどうかした?」

「このコンクールで一位をとりましょう!」

「急になにを言い出すかと思えば。無理に決まってるだろ」

 松沢店長は鼻で笑った。

「そんなのやってみないと分からないじゃないですか!」

「うちみたいにお客さんの来ない店舗じゃ戦えないんだよ。そんなこと言ってる暇があるならとっとと品出しをして」

 いかにも面倒くさそうだ。

「なら勝手にやらせてもらいますから!」

 啖呵(たんか)を切って私はその場を後にした。



 次のアルバイトの帰り、私は響子さんにコンクールと松沢店長のことを話した。

「水希ちゃんって行動力がすごいよね」

 私が満更でもなさそうな顔をしていると、すかさずツッコミが入った。

「無鉄砲とも言えるけど」

「はい、そうかもしれません……」

 私は大人しくうなずく。

「でも言ってしまったものは仕方ないよね。やってやりましょ。私もここがなくなるのはいやなの」

 響子さんがにっこり笑う。

 強力な味方を得て、私はひとまずホッとした。


 それから私たちは、店の事務所で作戦を立てた。

「まずはおさらいね」

 響子さんがレクチャーする。

「はい! お願いします」

 私は居ずまいを正した。

「コンクールの対象になっている化粧水は、フレグランス化粧水っていう商品。スプレータイプの香りつきの化粧水で、香りは山桜、百合、柚子(ゆず)、新緑の四種類。パッケージも可愛いし、若い人も気に入りそうな商品ではあるんだけど、値段が少し高いの。一本一九八〇円」

 私は目の前に置かれたフレグランス化粧水を見た。和風のシンプルなパッケージで、幅広い年代の人に受け入れられそうだと思った。


「香りつきだけど、肌に優しい商品で敏感肌の人でも使えるの。霧みたいに吹きつけられるから、つけ心地もいい。顔だけでなく全身にも使えるし、暑い季節にはスプレーするだけでも気持ちいいし、使い勝手のいい商品よ」

「すごい、万能なんだ」

 私は感嘆とした声を上げる。

「うん、売り方によっては戦えるかもしれない。うちの店は目標値も低いし。販売コンクールは目標値に対して何パーセント売ったかで決まるの。期間は八月の一ヶ月間。短期決戦ね」

「はい!」

 なんだかワクワクしてきた。

「二千円出してもいいって思ってもらえるかどうか、っていうのがまずポイントだよね」

 響子さんが神妙な顔つきで語る。

「『何にでも効いて香りもいい化粧水です』って言うのはどうですか?」

「それは怪しいでしょ。危ない薬を売ってるみたいよ」

「そっかあ」

「でも、接客トークを考えるのは大事だよね。売り場にいつもいられるわけじゃないし、レジでも声をかけないと」

 私たちは考え込んだ。


 その結果、まずはお客さんに試してもらうことにした。レジで「ぜひお試しください。こんな感じです」と声をかけ、スプレーを一吹きするのだ。

「香りつきの化粧水なんです。スプレーすればいい気分転換になると思いますよ」

「肌に優しい化粧水です」

 などと重ねて言えればなお良い。


 私は上手く言えなくてとちってしまうことが多かったけれど、響子さんはその辺すごくスムーズだった。営業スマイルまで繰り出してくる。

「どうやったらそんなにきれいに出来るんですか?」

 私が尋ねると、響子さんはこう言った。

「こういうのは研修でよくやってるから。それに家でも練習しているのよ」

 すごいなあ。家で練習、なんて発想は私にはなかった。見習わなくちゃ。

私は家で上手く接客トークが言えるよう練習をした。家族からは不審がられた。


 それからというもの、私たちはレジをしているときにとにかくたくさんのお客さんに声をかけた。露骨に嫌がるお客さんもいて、心が折れそうになったこともあったけれど、響子さんが励ましてくれた。接客トークもスムーズに言えるようになった。タイミングや「間」みたいなのもつかめるようになった。


 ある日、中学校の制服を着た女の子と母親の二人連れが、レジに並んだので声をかけた。女の子の肌は少し荒れていた。

「すごく香りの良い化粧水なんです。ぜひ試していってください。肌に優しい商品で、敏感肌の方でも使えますよ」


 女の子は少しためらった後、化粧水を一吹きした。

「すごく良い香り」

「良い香りですよね、そのスプレーは山桜の香りなんです」

 まずは相手の言葉に同意を示すこと。響子さんから教わったテクニックの一つだ。


「どれどれ。私も一吹きしてみようかしら」

 母親の方も試してくれた。

「本当ね。良い香り」

「これ欲しいなあ。スプレーしてもかゆくならないし、肌に良さそう」

 女の子が母親にねだる。

「スキンケアで大事なのは、肌を清潔に保つことなんです。まめにスプレーすることで、肌を清潔にすることが出来ますよ」

 いつかの響子さんの真似をしてみた。

「うーん、でも中学生に二千円の化粧品はねえ」

 母親は渋い顔だ。

「スプレータイプですから衛生的です。ご家族でお使いになれますよ」

 私はニコッと微笑んだ。まだ響子さんのように上手くは出来ないけど、それでも精一杯の笑顔を作った。

「それなら買ってみようかしら。私も使うし」

「やった」


 女の子は顔をくしゃくしゃにして喜んでいる。よかった。肌悩みを抱えていた身として、私には女の子を応援したいような気持ちも生まれていた。少しは響子さんに近づけたのかな、とも思った。

「ありがとうございます!」

 自然と大きな声が出た。まずは一本。喜びと達成感で、胸はいっぱいだった。



 十日ぐらい経った頃、私と響子さん以外の人もお客さんに化粧水をすすめてくれるようになった。びっくりして、私はその人に尋ねた。


「どうして協力してくれるんですか?」

 宮下さんという四十代のパートさんは笑った。


「頑張っている若い人たちを見ていたら、私も負けていられないと思ってね。それに、このままじゃいけないって私も思ってたの。コンクール、頑張りましょ」

「はい!」

 私は勢いよく返事をした。



 それからたくさんお客さんに声をかけて、私たちはフレグランス化粧水を何本も売った。気がつくと、協力者は松沢店長を除いたスタッフ全員になっていた。


 コンクール期間の最終日、その日はすごく暑い日だった。暑い日にはスプレータイプの化粧水が売れやすいらしい。チャンスだと思った。


「今日は暑いですね。一吹きしますね」

 スプレーをかまえて、腕を出すジェスチャーをする。それに倣ってくれたお客さんに、私はシューッとスプレーした。

「フレグランス化粧水って言います。リラックスも出来ると思います」

 最後は営業スマイルだ。だいぶ板についてきた気がする。

 最終日は、結局四本売れた。結果が分かるのは三日後だという。私はドキドキしながら店を出た。



 結果発表の日はからりとした晴天だった。ウキウキドラッグのロッカールームに着くなり、響子さんが駆け寄ってきた。


「水希ちゃん! 聞いて。うちの店、なんとコンクールの結果三位だったのよ。すごいわよね」

「ホントですか!」

「うん、ここを見て」

 響子さんは店のタブレットを見せてきた。確かに三位にうちの店の店舗名が書いてある。

「でも三位かあ。どうせなら一位をとりたかったな」

「贅沢言わないの。三位だって充分すごいんだから」

 響子さんが笑う。本当に嬉しそうだ。


 そのとき、宮下さんがロッカールームに走ってやって来た。

「今、社長が来てる!」

「えっ、嘘」

「松沢店長と話しているところ。それが終わったら社員の狭山さんのところに来るんじゃないかな」

「分かりました、戻ります」

 響子さんはロッカールームから走って出て行った。


 私も制服に着替えて売り場に向かった。

 売り場では、六十代くらいの男性と狭山さんが話をしていた。きっとあの男性が社長なのだろう。恰幅がよくて、大らかそうな人だ。

 私に気づいた響子さんが、なぜか私の方を指した。なんだろう、と思うまもなく男性が近づいてきた。

「君が佐野さん?」

「は、はい」

「すごいね、よくやってくれた。すべての発端は君だという話じゃないか。高校生なのに素晴らしい。正直この店がここまでやるとは思っていなかったんだ。これからも頑張ってくれたまえ。期待しているよ」


 目を見てまっすぐ言われると、なんだかとても照れくさい気持ちになった。

「ありがとうございます、頑張ります!」

 それをごまかすように私はひときわ大きな声で返事をした。

「元気が良くていいねえ」

 社長は何度もうなずいた後、狭山さんの元に戻っていった。


 そのとき、背後で名前を呼ばれた。

「佐野さん、ちょっといい?」

 松沢店長だ。私は怪訝に思いながら振り返った。

「ちょっと、倉庫に来て」

 なんだろう、また嫌みを言われるのかな。そんなふうに考えながら倉庫に向かう。

「申し訳なかった!」

 倉庫に着くなり、松沢店長は私に頭を下げてきた。

 呆気にとられていると、松沢店長はつらつらと自分のことを語り出した。


「俺、前の店舗でデカい失敗をやらかしたんだ。それでここに左遷されてきて。すっかりやる気をなくしちまって。何やったって変わんないって、そう決めつけてたんだ。でもコンクールで結果が出て、社長に直々に褒められて。腐ってる場合じゃないなって思った」

「そうだったんですか……」

「大事なことに気づかせてくれてありがとう。俺、もっと一生懸命やるよ。佐野さんに負けないように」

 松沢店長がニッと笑う。今まで見たことがないほど、その表情は覇気に満ちていた。

「はい!」

 今日も頑張ろう。憧れの人に、少しでも近づけるように。肌トラブルで悩んでいる女の子の、力になれるように。

 私は売り場に足を一歩踏み出した。いつもの風景が、昨日よりも輝いて見えた。


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