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1.「構ってやって損した」


 射抜かれたのは私の心臓だったのかもしれない。


 かんっ、と何かがぶつかる音と、ずば、と矢が刺さる音がした。それ以外は蝉の声と、遠くの野球部の声、小さく響く吹奏楽部の音しかしない。見ているこっちが手に汗を握るような、息を呑むような、静謐な空間だ。

 彼の姿には、純粋な美しさだけが存在している。


 ――きれい。描かなきゃ。描きたい。クロッキーじゃだめだ。ちゃんと、ちゃんと描きたい。


 胸元に抱えていたクロッキー帳の真っ白なページは、手のひらの汗でじんわり濡れていた。



 次のコンクールまで、まだ日にちの余裕はあるが、私は描くべきものが見つからず、困り果てていた。

 何をどう描くべきなのか、そもそもモチーフが見つからない。クロッキーをするのも飽きてしまった。そう言って何日も頭を抱えていた私に「校内探検してみたら? いいものが見つかるかもよ。いろんな部活を見に行ってみるとか」とありがたいお言葉をくれたのは、同級生で美術部員のたけちゃんだった。

 一緒に行こうと誘ったが、たけちゃんは頭に感覚が浮かんでいるそうで、「一人でいってら」と断られてしまった。


 真面目な美術部員は五人の先輩と私とたけちゃんほどで、本当は十五人くらい居ることになっているらしいが、みんな幽霊部員で顔すら知らない。同級生がお互いしかいないということもあって、私とたけちゃんはそこそこ仲がいい。


 たけちゃんに断られたのは少しショックだったが、今日は描くのをサボるんだから、何かしらの収穫を得なければいけない。そう思った私は、全く馴染みのない部活から見てみようと弓道部の道場へ赴いた。

 持ってきたのは、いつも使っているクロッキー帳と一本の鉛筆だけである。あちこち見て回るためには身軽さが必須だと思ったのだ。


 弓道部は歴史のある部活なので、練習場所もじゅうぶんに確保されている。中にずかずか入る勇気はさすがにないので、フェンス越しにこっそり眺めようと決めて、木と木の間にしゃがみ込んで隠れた。

 準備に時間がかかるらしく、私が座り込んでから五分ほどして、ようやく弓道部の部員たちがぞろぞろと弓を持ち出した。皆、Tシャツにジャージの服装で、非常にラフだ。袴を着るのは大会付近とか、時期が決められているのかもしれない。


 弓を持った五人が決められた場所らしきところに立つと――すっと音が消えた。それまで雑談をしていた他の部員たちもぴたりとお喋りをやめて、静かに五人を見る。私の目には、異様な光景に映った。


 かんっ、ずば、と連続でいくつか鳴ったあと、ふっと空気が緩む。

 勝手に詰めていた息を、は、と吐いた。何、これ。何これ何これ何これ。


 これを――描かなきゃ。


 走って美術室に戻る。今日は描くのをサボると決めていたけど、そんなこと関係ない。今、あれを描かなくては、きっとずっと後悔する。


「たけちゃんただいま! 描くもの見つかった!」

「おー」


 いそいそと机を引っ張って、下書き用の紙にさっきまで見ていた光景を描いてみようと鉛筆を持った。


 ……しかし、いつまで経っても「こう描こう」という構図が全く頭に浮かばない。


「……うー」


 ばたりと机に突っ伏した私に気づいたのか、たけちゃんがこちらを向いた。


小柴(こしば)、さっきからうるさいんだけど」

「ご、ごめん……」

「何? 描きたいの見つけてきたんじゃなかったわけ?」


 見た目はうるさいだけの男子高校生そのものだが、たけちゃんは意外と優しく、意外と構ってくれる。

 描きかけのはずなのに筆とパレットを置いて、私の前の席に腰を下ろした。私の話に付き合ってくれるらしい。


「見つかったと思ったんだけど……何も浮かばず……」

「どうせ描きたくなって走って戻ってきたんだろ」

「なぜそれを!?」

「そんなもん、そのぼさぼさ具合でわかるわ」


 お見通しだったらしい。起き上がって髪の毛を結び直す。


「ちゃんと近くで見てきたか〜?」

「……フェンス越しに」

「そんなんで描けるか! 明日も行って近くで見てこい!」

「は、はい!」


 たけちゃんは「構ってやって損した」と言いながら自分の制作に戻っていった。


 彼は圧倒的なセンスの持ち主で、ひょいっと描いたものがコンクールで内閣総理大臣賞を獲って帰ってくる、なんてことをよく起こす。

 隣で見ていれば「ひょいっ」でないことはさすがに分かるのだけれど、たけちゃんが私のように「どう描くか」「何を描くか」で迷っているところは見たことがないので、才能があることに違いはない。

 彼が一度筆を取れば止まることはない。絵が勝手に頭の中に浮かんできて、それを紙に書き写しているイメージなんだそうだ。


 描き方も塗り方もその作品ごとにばらばらだけれど、絵の中には「彼らしさ」がしっかり存在する。出品するとなるたびにうんうん唸って、生み出すものはことごとく凡庸な私とは大違いである。


 たけちゃんは凡人の私の絵でも「小柴の描く絵、やっぱりいいな」といつも褒めてくれるのだから、優しさが服を着て歩いているのではないかとその度に疑ってしまう。お世辞じゃなく、本気で言っているみたいなのだ。


 高校最初の夏休みは、たけちゃんと絵ばかり描いて過ごした。課題にも追い詰められたが、なかなか楽しかった。


 今は二学期に入って少し経ち、次のコンクールに出す作品を描き始めないといけない、という時期である。まだまだ暑さが残って過ごしにくい。

 たけちゃんはハイペースに描けるので色々なコンクールに広く出しているらしいが、私がとりあえず目標としているのは十一月下旬が締め切りのコンクールだった。


 明日も弓道部の道場へ行ってみて、どう描くかじっくり考えよう。植木の間に埋もれていればバレないだろう。たけちゃんには「近くに行けよ」と言われていたが、お願いなど図々しくてできるわけがなかった。



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