第三十五話 風蘭
突然の闖入者を前に困惑する雪那とシュリンガに、俺は彼女のことを簡潔に紹介した。
衛風蘭。
俺の故郷である渓国の将軍の娘であり、武将の一人にして優れた法術士。
父親共々、追放騒動が起きる前から俺の王位継承を支持し、弟の黎禅は国王に向かない人格だと主張していた、心強い味方の一人。
敵ではないどころか、むしろ積極的に協力してもらいたい相手である。
「ふぅん、なるほど。つまるところ、黎駿の部下になるはずだった人間というわけか」
雪那が風蘭の顔を覗き込む。
ただし人の姿には戻らず、龍人の形態のままで。
『うわぁ!? で、殿下! これは一体! 明らかに人では……!?』
ここで初めて、風蘭は目の前にいる少女達が人間ではないと気付いたようだ。
今の雪那は、誰が見ても風蘭と同じ反応をするだろう姿をしている。
一対の角に口の端から覗く牙、肌の一部を覆う鱗に指先の鋭い爪、そして背後に揺れる純白の龍の尻尾。
さすがにこれは適当な誤魔化し方ができる状況ではなさそうだ。
「渓国というと、白虎領の東の人間国家だろう? ずいぶん離れているはずだが、よくここが分かったな」
シュリンガは警戒を解くことなく口を開いた。
発言内容自体は風蘭に対する詰問だが、横目で視線を俺に向けている辺り、俺からの説明も求めているようだ。
『渓国の宮仕えの法術士は、様々な不測の事態に備え、王族の居場所を知ることができるようになっております。今回は法術寮の目を盗んで秘密裏に捜索いたしましたので、少々時間が掛かってしまいましたが』
「そうか……レイシュン、君は本当に王族だったんだな」
「驚くのそこか!? ていうか説明したよな? 信じてなかったのかよ」
「すまないが話半分で受け止めていた。あまりにも荒唐無稽だったものだからな」
悪びれる様子もなく槍を収めるシュリンガ。
まぁ俺自身、これが他人事だったら信じられるか怪しいので、あまり強くは言えないのだが。
そんなシュリンガと俺の間で視線を左右させながら、風蘭が心配そうに囁く。
『……殿下、この方々は一体……特に白髪の御方は、ただの獣人ではないとお見受けしましたが……』
「大丈夫、二人とも俺の仲間だよ。事情は後で説明する。まずはそっちの用事を聞かせてくれないか? 俺が心配で様子を見に来た……なんてわけじゃないんだろ?」
『畏まりました。殿下、どうか落ち着いてお聞きください』
風蘭は深呼吸を一つしてから、耳を疑うようなことを口にした。
『国王陛下がお倒れになられました。原因は正体不明の呪いである、とされております』
言葉の意味を理解するのに数秒を要してしまう。
「……呪いだって?」
「はい。ご存知なかったのも無理はありません。陛下が呪いを受けていたという事実は、ごく最近まで伏せられておりましたから。殿下の追放後、呪いが深まり執務に支障を来すようになったため、一部の廷臣に限って明かされた次第です」
とてつもなく嫌な予感が脳裏を過る。
『筆頭法術士の孔法士曰く、殿下が追放先の穹国において同種の呪いを祓ったとのこと。私には真偽を測りかねますが、陛下はこれを受け、殿下に招集令状を送るも、殿下は応じられなかった……ここまでは相違ありませんか?』
「ああ……確かに令状は送りつけられた。用件までは書いてなかったし、何を今更としか思わなかったから無視したけど……まさかその呪いって、真っ黒な異物が植物の根みたいに身体を蝕むような……」
『孔法士はそのように報告しております』
決まりだ。
父上が倒れた原因の呪いとやらは、雪那を蝕み、穹国の尊い身分の少年を苦しめ、そして珀月の身体から溢れ出した漆黒の呪詛に違いない。
単なる偶然だと思いたかったが、それにしてはいくら何でも出来すぎている。
「待て、黎駿。招集令状とやらはいつ受け取ったんだ」
雪那が眉をひそめて口を挟む。
「それ次第では、君の異能を知られていることに矛盾が生じるぞ」
「清河下りの最中だ。多分、周法士が孔雅に報告したんだろう。兄弟弟子っていう話だったし、そもそも孔雅経由で紹介されたわけだからな」
仮面の法術士、孔雅。
風蘭が口にした『孔法士』も、公的な立場で孔雅を呼ぶ際の言い回しだ。
筆頭法術士になっていたというのは初耳だったが、察するに俺が国を追われた後の人事で昇進したのだろう。
黎禅に批判的だった前任者が罷免され、その後釜に据えられたというのは、いかにもありそうな話である。
あの胡散臭さの塊のような法術士は、俺が追放を宣告された現場に居合わせ、追放先の穹国で弟弟子の周伯恩を俺達に紹介した。
結果、俺は穹国で解呪の大役を果たすことになり、報奨として清河下りの船の一等客室を充てがわれたわけだ。
弟弟子から孔雅に連絡が行っていたとしても、何ら不思議なことはない。
『よろしいでしょうか、殿下。ここまでは経緯の説明に過ぎません。本当に重要な報告はこれからです』
風蘭の声色の深刻さが深みを増す。
『国王陛下は穹国に対する派兵を計画しておられます』
「……は?」
耳を疑うなどという言葉すらも生温い。
俺だけでなく、雪那とシュリンガも驚きに目を見開いている。
「ちょっと待った! 話がまるで繋がってないぞ! どうして軍隊を送り込むってことになるんだ!」
『殿下の身柄を確保するためです。国王陛下の焦りはそれほどまでに大きい。現状唯一の解呪手段を手に入れるためならば、多くの血を流すことすらも厭わないほどに』
絶句。その一言しか思い浮かばなかった。
我が父親ながら、よもやそこまで堕ちるとは。
こんな愚行に思い至る前に、頭を下げて誠心誠意頼み込んでみようという発想すらできなかったのか。
それとも俺ごときに下手に出るくらいなら、屍の山を築いた方がマシだと考えたのか。
どちらにせよ論外だ。正気を疑わざるを得ない。
『衛将軍は……父上は殿下の御帰還を望んでいます。ですが国王陛下に屈服しろという意味ではありません。父上が先んじて殿下の身柄を確保し、それを材料に国王陛下と交渉して妥協を引き出すという計画です。上手く行けば追放処分の取り消しも……』
「……少し考えさせてくれ」
俺にはまだやるべきことが残っている。
雪那との約束もまだ道半ばだ。
途中で投げ出したくはなかったが、父上を放っておいたら本当に戦争が起きかねない。
この板挟みも返答を躊躇う理由の一つだ。
しかし、これよりも更に大きな――もっと根本的で決定的な理由がある。
(何もかも繋がりすぎてる! これが全部偶然だっていうつもりか? 冗談じゃない!)
悪食の異能を授かり、生まれ故郷を追放され、雪那と出会って漆黒の呪詛を喰った。
それから間もなく孔雅の接触を受け、一息入れる暇もなく二度目の解呪をすることになり、報奨の船旅の最中に宝珠の欠片の一つを手に入れた。
この過程で桃花達を仲間に加え、窮奇の追跡に協力した結果、守護獣玄武を巻き込んだ戦いの末に二つ目の欠片の回収に成功した。
しかも漆黒の呪詛は、窮奇こと珀月や父上までも蝕んでいたというのだ。
あまりにも連鎖が繰り返され続けている。
もはや偶然で片付けられるような話ではない。
全てがそうだとは言わないが、何者かの意図が反映されていると考える方が納得できる。
仮に偶然が重なったに過ぎなかったのだとしたら、それこそ奇跡も同然の出来事だ。
(もしかしたら、父上の乱心も計画のうちなのかも……いや、まだ根拠はない。さすがに決めつけるのは早計だ。何かしらの物的証拠を見つけるか、あるいは……)
あるいは連鎖が更に繰り返され、状況証拠が積み上がるか。
(……よし、決めた!)
俺は覚悟を固めて、霊体の状態の風蘭に向き直った。
「一日だけ時間をくれ。まだこの国で確かめておきたいことがあるんだ」
まずは玄武と珀月に話を聞こう。
そしてこれ以上の偶然が重なるようなら、そのときこそ確信を持って断言しよう。
一連の出来事の背景には、裏で糸を引く何者かの意図があるに違いない、と。




