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第三十一話 狂風

 窮奇――本来の名は(カン)珀月(ハクゲツ)


 西方守護獣・白虎の眷属にして、天狐・桃花(トウカ)の友人だったはずの霊獣。


 そして雪那から宝珠の欠片を奪った最有力容疑者。


 俺達がここまでやってきた理由そのものが、不敵な笑顔を浮かべて俺達を見下ろしている。


「雪那、宝珠の気配は?」

「間違いない。奴は宝珠を持っている。けれどまさか、こんなに早く対峙することになるなんてね……」


 この状況、どう動くべきか。


 逃走して仕切り直す。桃花達が状況に気付くまで時間を稼ぐ。交渉で戦闘を回避する。あるいはこのまま交戦する。


 どれを選んでも、事態が確実に好転するという保証はない。


 だが何より(タチ)が悪いのは、この場の主導権を握っているのは俺達ではなく、窮奇の方だということだ。


「窮奇! あれはお前の仕業か!」

「あれ? ……ああ、甲人共と玄武の片割れか。もちろん私が潰してやったぞ。私を雇おうとか言い出したんで、身の程を教えてやったんだ」

「雇おうと言われたから? それだけであんなことを……!」

「お前なぁ。窮奇がどういう悪神か、それくらい知ってるだろ? 悪しきを助け正しきを挫く。それが私、それが窮奇だ。真っ当な理由で仲間にしようとした時点で、ぶっ潰してくれと言ってるようなもんだったんだよ」


 理解しがたい理屈で笑う窮奇。


 これが悪神と呼ばれる存在の価値観ということなのか。


「さてと、次はあんたらだ。どうせ私を殺しに来たんだろ? だったら返り討ちに遭っても文句はないよなぁ!」


 窮奇が大蛇の巨体から飛び降り、その勢いのまま踵を振り下ろす。


「黎駿!」


 雪那に押されて回避した直後、踵を叩き込まれた地面がまるで爆発するかのように崩壊し、雑草混じりの土砂を噴水の如く撒き散らす。


 なんて馬鹿力だ。直撃していたら頭が真っ二つに割られていたに違いない。


「君は後ろに! ここは僕が!」


 雪那は素早く間合いを取り、周囲の空間に無数の金属片を、いや、薄く尖った氷の断片を出現させた。


 窮奇めがけて突風が吹き抜ける。


 その勢いで射出された無数の氷片は、直線上の物体を無差別に砕き、貫き、切り刻み、巻き込まれた兵舎跡を粉々の残骸へと変えてしまった。


 ところが、それすらも窮奇を傷つけるには至らない。


「ふー、宝珠が欠けてるとはいえ、龍は龍。やっぱり油断は禁物だな」

「くっ……風を纏って受け流したのか」

「目には目を、風には風を。今度はこっちの番だ!」


 まるで遊戯(ゲーム)でも楽しんでいるかのような余裕ぶりで、窮奇は両手に凄まじい旋風の塊を発生させた。


「そらっ! まず一発!」


 横倒しの竜巻じみた暴風が襲い掛かる。


 雪那の起こした逆風が正面からそれを受け止め、とてつもない風圧を炸裂させる。


 もしも戦場が街中だったとしたら、周囲一帯の建造物は根こそぎ薙ぎ払われ、残骸すら残らぬ荒野と化していたに違いない。


「二発目っ!」


 窮奇が牙を剥いて笑い、もう片方の手に収束させていた烈風を解放する。


 だが、雪那の対応は――間に合わない。


 宝珠を砕かれて失った霊力の分だけ、風の生成が僅かに遅い。


「――くそっ!」


 俺はほとんど反射的に前へ飛び出していた。


 雪那が驚愕に目を丸くする。


 食べることしか能のない俺が、災害の具現も同然の猛威に立ち向かったところで、紙屑と何も変わりはしない。


「黎駿!」


 暴風という名の死が肌に触れたその瞬間、俺は不可視の風に()()()()()()


 風だろうと空気だろうと喰ってやる。


 悪食なんて天命を背負わせておきながら、蓋を開ければそこら中にある空気(もの)すら喰えないなんて、そんな道理があってたまるか。


 虚空を噛み砕くように(あぎと)を閉じる。


 直後、俺と雪那の周囲に静寂が訪れた。


 荒れ狂う風が地表の残骸を吹き飛ばしていく中、俺達の周りだけは()ぎ渡った無風状態で、雪那の髪をそよ風が撫でることすらなかった。


 ――()()()


 心臓が今更のように早鐘を打つ。


 あまりにも無茶苦茶な賭けだった。


 成功する保証など一切なく、一か八かの覚悟で飛び出しただけだ。


「は……はははっ! アハハハハハッ!」


 窮奇の顔に驚愕の色が浮かんだのは、ほんの一瞬。


 俺が呼吸を整え終えた頃には、窮奇は心の底から楽しそうに笑っていた。


「信じられない! 私の風を消した……いいや、喰ったのか! とんでもないな! まるで饕餮(トウテツ)みたいじゃないか!」

「すまない! 助かった!」


 雪那が前に出て身構える。


 対する窮奇は戦闘態勢を整える素振りも見せず、牙を剥いて笑い続けている。


「いいねぇ、いいねぇ。そうこなくっちゃ。こっちだって暴れ甲斐がないってもんだ」


 窮奇の肉体が変貌していく。


 人間的な姿を起点とし、耳と尾が生え、前腕部が毛皮に覆われ、鋭い爪を生やし、両脚が関節構造から獣のそれへと変化する。


 それはさながら獣と獣人の中間点。


 霊獣だからこそ成し得る異形の姿であった。

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