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第三話 放浪

 追放宣告から十日余り。


 俺は北の山脈を越える街道を力なく歩いていた。


 最初は王族らしさがあった服も、今ではすっかり泥と土埃に汚れきっている。


 (ケイ)国から北の隣国へ移動する手段は、険しい山脈を越える経路(ルート)しか存在せず、どれも例外なく難所揃いだ。


 東の隣国への移動なら、西から東へ流れる大河を(くだ)るだけだったのに。


 父上はわざわざこんな経路(ルート)しか通れない手形を渡してきたのだ。


(きっと死んでもいいと思って……ひょっとしたら、むしろ死んでくれた方がいいって思われてるのかもな……正直、まだ生きてるのが不思議なくらいだ……)


 ここ数日、地面に這いつくばって夜を明かす日々が続いていた。


 旅路の前半、町や村が多い平地を移動している間は、俺を哀れんで心ばかりの援助をしてくれる人達がいた。


 食べ物を分けてくれたり、納屋を寝床として貸してくれたり、彼らのお陰で最低限の旅の体裁は整えることができた。


 しかし、こんな険しい山の中では、誰かと出会うことすら滅多にない。


(……たまにすれ違うのは、北の隣国から来た商隊くらい……当然だけど、不気味がって近付きもしてこなかったな……)


 普通ならとっくの昔に行き倒れ、獣に食われて白骨と化していたに違いない。


 だが皮肉にも、俺の肉体はこんな環境でも生き延びられるようになってしまっていた。


「……飢え死にだけは、避けないと……」


 名前も分からない果実や山菜。


 有毒か無毒か見当もつかない(きのこ)


 空腹の苦痛を紛らわすため、そういったものを見つけ次第むしり取り、生のまま口に押し込んでいく。


 もはや食事とすら呼べない補給行為だ。


 毒草だろうと毒茸だろうと、悪食の異能(スキル)の前では無力。


 まだ俺は試したことがなかったが、この異能は腐肉を生で食べても腹を壊すことがないのだという。


 とにかく飢えを凌ぐだけなら、まさしく右に出るものはない異能なのかもしれない。


 最大の問題は、それ以上の価値がないことなのだが。


「……こんなの続けてたら、人間らしい舌に戻れなくなるかもな……」


 生の草木や茸が美味いかと聞かれれば、決して美味くはない。


 だが、不味くて食べられない、ということもない。


 天命のせいで味覚まで変わり果ててしまったのかと思うと、何かを食べる度に軽い絶望を覚えてしまう。


「そういえば、最後に肉食ったの、いつだっけ……昨日の沢蟹は、数に入れないとして……生で噛み砕いただけだしな、あれ……人間らしく、火を通したのは……ああ、追い出される前の日か……」


 ぶつぶつと譫言(うわごと)のように呟きながら、夕暮れの近い山道を降りていく。


 こんなにも過酷で孤独な旅路なのだ。


 正気を保つために独り言くらい多くなる。


 ……独り言ばかりになってきた時点で、既に正気を失いつつあると言われたら、正直否定はできないのだが。


 不意に、足元を一匹の鼠が横切る。


 思わずそれを目で追ってしまい――しかも()()()()()と思ってしまったことに、激しい自己嫌悪を覚える。


 これまでどんなに腹が減っても、虫やら鼠やらに手を出すことだけは避けてきた。


 あんなものを生で貪り食うようになったら、いよいよ人間性を捨てたも同然だ。


 苦痛を堪えながら更に一つ山を越えたところで、小さな砦のような建物が視界に飛び込んでくる。


「やっと……やっと関所だ……!」


 感動のあまり、その場で崩れ落ちそうになる。


 (ケイ)国と北の隣国を隔てる北の関所。


 山越え経路(ルート)全体からすると中間地点に過ぎないのだが、生きてここまで辿り着けたという事実だけでも、泣きたくなるくらいに嬉しくなってしまう。


「止まれ! 通行手形を見せろ!」


 番兵に呼び止められたので、父から押し付けられた手形を渡す。


 それを見て、番兵が驚きに目を丸くした。


「れ、黎駿殿下! なんとお(いたわ)しい……どうぞお通りください」


 やはり見た目だけでは、俺だと分からなかったらしい。


 王都の外の人間は王子の顔なんて覚えていないだろうし、今の俺は見る影もなく薄汚れているので、手形を見るまで気が付かないのも無理はない。


「番兵としての立場がありますので、我々にはお手伝いをすることができません。ですからこれは独り言なのですが……関所を越えてしばらく進んだ先に、食事処と宿屋を兼ねた店があります。度量の広い店主ですから、あるいは……」

「……ありがとう」


 関所を抜けた瞬間、いきなり身体が軽くなる感覚に襲われた。


 もちろん心身の疲労が消えたわけではない。


 黎禅に掛けられていた命令の縛りが消えたのだ。


(よかった……やっと自由になれたんだな……)


 骨の髄まで疲れ果てた身体を、開放感に満ち溢れた心で引きずって歩き出す。


 やがてどこからともなく、食欲をそそる匂いが漂ってきた。


 ――肉の焼ける匂い。


 最後に食べたのが何日前なのかも思い出せない香りが、まるで誘蛾灯のように俺を惹き寄せていく。


 街道沿いの開けた場所に建てられた、瓦屋根のちょっとした規模の家屋。


 険しい山道とはいえ、国と国を繋ぐ街道の一部に変わりはないので、恐らく南北に往来する商隊のために建てられた店なのだろう。


 一文無しだから食事代も払えないとか、こんな汚い格好だと門前払いされるんじゃないかとか、そんなことを気にしている心の余裕は全くなかった。


 香ばしく焼けた肉の香り。


 動物と人間の最大の違いである『料理』の誘惑。


 過酷な旅ですっかり疲れ切った俺の精神は、匂いの発生源に向かってふらふらと歩き出す体を止めることができなかった。


 開けっ放しの出入り口から中に入ると、土間のような食堂にいた数人の客が、何も言わずに訝しげな視線を向けてきた。


 こういう目で見られるのも慣れてしまった。


 旅の途中ですれ違った商人も、不快なものを見た、できることなら関わりたくない、という感情を隠そうともせず、距離を取ってすれ違うばかりだったのだ。


「……手持ちがないんだ。水だけでも飲ませてくれ……」


 なんとか絞り出した言葉は、自分でも耳を塞ぎたくなるほどに掠れていた。


 本当なら、叩き出されたって文句は言えない。


 判決を待つ囚人のような気持ちで反応を待っていると、店の片隅にいた客が声を上げた。


「店主。彼に僕と同じものを」


 声変わりが終わっているかも怪しい、若々しい声だった。


 外套と一繋ぎになった頭巾(フード)を被っているので、こちらからは顔も見えなかったが、背丈からして俺よりも年下なのかもしれない。


 突然のことに呆然としていると、店主と思しき男が店の奥から出てきて、食欲をそそる香りに満たされた皿を勢いよく俺の前に置いた。


 骨付きの羊の胸肉が小さく切り分けられ、香ばしく焼き上げられた料理だ。


「お客さんに言われるまでもねぇっての。当店自慢の烤羊排(カオヤンパイ)だ。冷める前に食っちまいな。代金はどっちからも取らねぇよ」

「ほ、本当に、いいんですか……?」

「餓えてる奴に食わせるのが俺の天命だからな。腹いっぱい食って、来世のために徳を積む手伝いをしてくれや」

「……あ、ありがとう……ありがとう……!」


 心からの感謝の念と、猛烈な空腹が同時に湧き上がってくる。


 こんなに美味そうな料理を前に、我慢なんかできるわけがない。


 俺は周囲の視線を気にすることも忘れ、夢中になって目の前の羊肉を貪った。


 肉を噛みしめる感触も、頬を満たす脂の味も、肉と一緒に焼かれた骨の歯ごたえも、全てが言葉にできないくらいに心地よい。


 何かを食べて涙が滲んだことなんて、生まれて初めてじゃないだろうか。


 ただひたすら食べ続けて、最後の一切れに手を伸ばそうとした直後――


「テメェら! 全員動くな!」


 ――武器を手にした一団が、粗暴に叫び散らしながら乗り込んできた。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

 

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