第二十四話 異郷
清河での幽霊船事件から数日後の朝。
俺は見慣れない大きな天幕の中で目を覚ました。
天幕といっても、軍隊が野営で使うような野宿に毛が生えたものではない。
ちょっとした小屋くらいの規模がある本格的な住居だ。
全体的な形状は円形で、広さは寝室と居間を合わせた程度。
山なりになった天井は放射状の骨組みでしっかりと固定され、床も木の足場を組んだ上で厚い絨毯が敷かれていて、すぐ下が地面であるという感覚が全くしない。
「ここは……ああ、そうだったな……」
寝台から起き上がって軽く伸びをする。
部屋の反対側に設けられたもう一つの寝台では、人の姿の雪那が健やかな寝息を立てている。
もちろん服はちゃんと着込んだ上で。
(最初はどうかと思ったけど、案外普通に眠れるもんだな)
意外なまでの過ごしやすさに感心しながら、天幕の外に出て朝の日差しを浴びる。
――見渡す限りの広大な草原。
――密集して建てられた幾つもの天幕。
――草を食む家畜の群れ。
――どこからか聞こえる馬の嘶き。
そう、ここは遊牧民の集落なのだ。
とりあえず朝の挨拶くらいは済ませておこうと思い、近くで家畜の世話の準備をしていた男女に声を掛ける。
「おはようございます」
「あら、よく眠れたかしら?」
一人は何の変哲もない中年女性。
見るからに穏やかで物腰も穏やかな人物だ。
「まだ眠そうな面してんな。朝飯用意してやるから、他の奴らも起こしてきな」
だがもう一人は、二足歩行で人間大の『亀』であった。
それはこの男だけではない。
集落で働く遊牧民達の姿を見渡せば、そのうちの八割ほどは人間の男女だが、残りの二割は彼のような亀型の異種族だった。
「今日中には長が戻ってくる。小難しい話はそれからだ。腹ごしらえが済んだら、暇つぶしがてら手伝ってくれや」
◆ ◆ ◆
――事の起こりは昨日の夜に遡る。
桃花達三人と行動を共にすることにした俺と雪那は、地元の村人達の目撃証言を拾い集めながら、窮奇の足取りを辿って陸路で北上を続けた。
どうやら窮奇は派手に暴れながら北へ進んでいたらしく、目撃者を見つけるのは割と簡単だった。
しかも破壊の痕跡がそこかしこに残されていたものだから、窮奇の後を追うこと自体はさほど難しくはなかった。
けれど、さすがに空を飛べる幻獣が相手となると、一朝一夕で追いつけるわけもなく。
俺達は道中で見つけた遊牧民の集落で、一晩世話になることにしたのだが――
「まさか甲人が人間と一緒に暮らしてるとはなぁ。びっくりだぜ」
朝食の席で、パーラが俺達全員の感想を代弁してくれた。
食卓を囲んでいるのは、俺と雪那、桃花とパーラとシュリンガの五人。
遊牧民達は既にそれぞれの仕事を始めているので、客人だけの遅い朝食といったところである。
「甲人っていうと、亀の獣人みたいなものなのか?」
「亀とは限らねぇな。硬い外殻を持つ生物全般だ。昆虫とか蝦や蟹とかもいるらしいぞ。見たことねぇけど」
「……あんまり想像したくないな」
人に近い姿形をした甲殻類は、さすがに想像力の限界を越えている。
意思疎通ができるか不安になってしまうくらいだ。
「そこは安心するといい。主要部族は亀の甲人だからね。北方守護獣の玄武は亀の霊獣で、その眷属が覇権を握っているそうだ」
雪那がパーラの説明に補足を加える。
西海龍王の娘という立場もあって、霊獣と異種族に関する雪那の知識は本当に頼りになる。
せっかくだから、よく分からないことを聞けるだけ聞いておくとしよう。
「人間と一緒に暮らしてるのが驚きってことは、この集落の様子は普通じゃないのか」
「ここはまだ中原の一部だろう? 獣人と同じく、甲人も中原の外に暮らしている種族だ。一時的な滞在ならまだしも、まとまった人数が定住しているというのは普通とは言えないな」
「その辺りも長とやらに聞くしかないか」
「窮奇についての情報も一緒にね」
皿に盛られた白い塊を口に運びつつ、初日のやり取りを思い返す。
ここに到着してすぐ、俺達は一晩の宿を求めるのと同時に、窮奇についての情報収集も行っていた。
虎の獣人か虎型の霊獣について心当たりはないか。
風を操ったり空を飛んだりする異能を持った人間を知らないか。
原因不明の突風や大規模な破壊が起きたりしていないか。
残念ながら、今ここにいる住人達からは有力な証言を得られなかったが、遠出中の長なら行き先で何か目撃しているかもしれない、という情報は得ることができた。
集落の長が戻ってくるのを待ち、窮奇について何か知らないか尋ねる。
それが現時点の活動方針だ。
仮に長の帰りが一月後とかだとしたら、さすがに待とうとは思わず先を急いでいたところだが、一日やそこらなら充分に許容範囲内である。
「うーん、何だろこれ」
俺達があれこれ話し込む傍ら、白い塊を食べて小首を傾げる桃花。
シュリンガは優しく微笑みながらその相手をする。
「お嫌いですか?」
「えっ? ううん、美味しいよ? でも何なのかなって。お肉じゃないし、野菜でもないし……」
「牛か羊の乳を固めたものでしょう。北方ではよく食べられていると聞いています」
せっかくの異郷なのだ。
小難しいことに頭を悩ませるばかりでなく、少しは新鮮な体験を楽しんでも罰は当たらないだろう。
◆ ◆ ◆
朝食を終えた俺達は、予定通りに遊牧民の仕事を手伝うことにした。
元々、ここに宿屋なんてものはない。
普通に住居として使われていた建物を融通してもらった形なので、その辺りの礼くらいはしておくべきだろう。
とはいったものの、遊牧民でも何でもない俺達に専門的なことはできないので、仕事内容は至って単純なものばかりだ。
例えばパーラは恵まれた体格と、獅子の獣人としての腕力体力を活かし、集落内での力仕事に励んでいる。
そして俺は、家畜用の柵の修理を任されていた。
家畜用の柵といっても、夜間に繋いでおくための場所らしく、家畜は一頭も見当たらない。
今頃は遠くで放牧されて、腹いっぱいに草を食べているのだろう。
「……これでよし、と」
割れた柵の修理を済ませて一息つく。
この手の作業は子供の頃――王宮外で育てられていた時期によく手伝わされたものだ。
王宮で生まれ育った黎禅辺りなら、釘をまっすぐ打つことすら難しかったに違いない。
何気なく遠くを見やると、桃花が遊牧民の子供達と遊んでいる姿が目に入った。
こうして見ると本当に見た目相応の子供だ。
いくら法術らしき狐火を使いこなして戦えても、内面は普通の子供と変わらな――
「――あれ?」
ふと脳裏に疑問が過る。
それも一つや二つではない。
今まで意識して考える暇もなかったが、よくよく考えれば桃花の周りは不可解なことが多すぎる。
すぐに確かめないといけない疑問ではないけれど、いつまでも謎のまま放置していていいことでもない気がする。
かといって、せっかく楽しそうに遊んでいる桃花を呼びつけるわけにもいかない。
どうしたものかと考え込んでいると、都合のいいことに保護者の一人がやってきた。
「よぉ、そっちは終わったか? 終わってんなら一休みしようぜ。一人で休憩すんの退屈なんだよ」
「パーラか。ちょうどよかった。聞きたいことがあったんだ」
「あん? 別にいいけど。んじゃ、適当に間食でも貰ってくるか。その面見る限り、どうも長話になりそうだしな」




