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第十六話 桃花

 楼船に乗り込んだ俺は、改めてその巨大さに圧倒されることになった。


 軍用の楼船は軽く百人以上が乗り込めるとは聞いていたが、現物を目にすれば誰でも納得せざるを得ないだろう。


「船旅は初めてだけど、思いのほか心が弾むものだね。僕達の部屋は楼閣の三階部分だったかな?」

「ああ。一階が三等船室、二階が二等船室で、用意してもらったのは最上階だ。後は甲板より下が貨物室だったかな。そんなことより、今更だとは思うんだけど……」


 続々とやってくる他の乗客には聞こえないよう、雪那の耳に口元を近付けて小声で話しかける。


「わざわざ船旅にしてもよかったのか? 飛んだ方が手っ取り早かったんじゃ」

「そうしたいのは山々なんだけどね。前にも言った通り、宝珠を取り戻して力を回復させるまでは、龍の姿で目立つのはなるべく避けたいんだ」

「了解。当面は最初の方針を継続ってことで」


 そうこうしている間にも、乗客と積み荷がどんどん船に載せられていく。


 出向の時間までもう少しといったところだ。


「とりあえず客室でも見て来るよ。黎駿(レイシュン)、君はどうする?」

「俺は……そうだな、軽く船内を回ってみようかな。万が一の避難経路も確かめておきたいし」

「それじゃ、出港時間に客室で合流ということで」


 一等船室は警備も厳重だと聞いている。


 雪那を一人にしても問題はないだろう……なんてことを考えてから、自分よりも雪那の方が普通に強いことを思い出す。


 何せ雪那は白龍(げんじゅう)なのだから。


 愛らしい少女の姿をしているので忘れがちだが、あの姿はあくまで変装のようなものに過ぎない。


 本気を出せば並大抵の人間では触れることすらできないだろう。


「……さてと、まずは……」


 第一階層の乗客は、見るからに庶民的な背格好ばかりだ。


 農村から首都に来ていた人々が、麦の収穫を手伝うために故郷へ里帰りしようとしている、といったところか。


 国によっては農民の出稼ぎを認めていないところもあるが、どうやら(キュウ)国ではその手の制約が緩いようだ。


 一方、それなり以上に豊かな階級の乗客は、早々に階段を上って二階に移動している。


 まるで、一階の乗客と同じ場所にはいたくないとでも言うように。


(……別に珍しいことじゃないな。治安やら衛生状態やら、あれこれ理由をつけて避けたがるもんだ)


 この手の扱いは俺にも覚えがある。


 ただし()()()()ではなく、()()()()()()として、だが。


 以前雪那に話した通り、幼少期の俺は一般人に偽装して育てられた。


 事情を知っている人間はほんの一握りで、上流階級の連中の冷たい視線に晒されたことも一度や二度ではなかった。


 そういった経験もあって、庶民派と呼ばれるような性格に育ってきたわけだ。


 なので、第一階層の雑多で賑やかな雰囲気は、正直嫌いじゃない。


 むしろ豪勢な部屋よりも落ち着くくらいだ。


 ……ちなみに、俺が実は王族だったと明らかにされたとき、一部の上流階級はこの世の終わりのように激しく動揺していた。


 それを見て面白おかしく感じなかったのかと言われたら、まぁ、嘘になる。


(でも正直……仲の良かった奴まで平伏し始めたのは、かなり堪えたんだよな……ああいうのは二度と経験したくないっていうか……)


 甲板を囲む転落防止の欄干に寄りかかり、広大な清河(セイガ)の流れに目を向ける。


 しばらくそうしていると、いつの間にか周囲から人気(ひとけ)が消えていることに気がついた。


 船の一階から人がいなくなったわけではない。


 ただ単に、俺の周囲十歩分くらいの範囲が無人になっているだけで、その外は相変わらずの人混みだ。


 何かやらかしてしまったのだろうか。


 不安になって周りに目をやると、すぐにその原因が視界に入った。


「ふわぁ、すっごい……」


 いつの間にか、俺のすぐ隣に年若い少女やってきていて、目を輝かせ清河(セイガ)を眺めていた。


 俺の胸くらいの高さの欄干に対し、軽くつま先立ちをしなければ向こうが見えないくらいの背丈で、まだ天命を授かる年齢にすら達していないように思える。


 服装は一階だと不釣り合いに整っていて、二階なら違和感なく溶け込める程度。


 確かに浮いてはいるが、遠巻きにされるほどの異物ではない――ただ一点、いや、二点を除いて。


「獣人!?」


 思わず驚きを言葉にしてしまう。


 少女の頭からは狐のように尖った耳が生え、服の裾からは触り心地良さそうに膨らんだ尻尾が垂れ下がって揺れていた。


 なるほど、乗客達が揃って距離を取った理由が分かった。


 こんなところで獣人に出くわすとは夢にも思わず、思わずこういう対応を取ってしまったのだろう。


 彼らが獣人に対して抱いている感情は、十人十色だと思う。


 単に不慣れだから近寄りがたく思っている者もいれば、恐怖心を覚えている者もいるだろうし、獣人を見下したり嫌悪したりしている者もいるかもしれない。


 いずれにせよ、肯定的な感情ではないことだけは確かだった。


「えっ!?」


 少女も俺の声に驚いた様子で、大きな目を丸くしてこちらを見上げる。


「あの、えっと、こんにちは!」

「ど……どうも……?」


 無邪気な挨拶に思わず返事をしてしまう。


 愛らしい顔立ちも、俺にとっては扱いにくさを加速させる要因でしかない。


 見ず知らずの可愛い子供に話しかけられて、何も考えずに頬を緩められる価値観はしていないのだ。


「私、桃花(トウカ)って言います。お兄さんも誰かと東に行くんですか?」

「そういうことになる……のかな?」

「わあっ! 私と同じですね! 私もパーラやシュリンガと一緒に旅してるんです!」


 まずい、完全にお喋りが始まる空気だ。


(……これ、どうするのが正解なんだ?)


 俺は別に獣人を嫌ったりしていない。


 だけど、今すぐこの場を離れたら『獣人の少女を嫌悪した』と思われそうだ。


 かといって、ずっと一緒にいるのも道徳的にどうなのか。


 気まずい。物凄く気まずい。どうすればいいんだ、この状況。


 雪那か少女の保護者でも来てくれたら、ごく自然な流れで立ち去ることができそうなのだが。


「お嬢! こんなところにいたのかよ! 探したぞ!」


 救いの声が響き渡ったのは、まさにそのときだった。


 俺達を遠巻きに囲んでいた人垣の一部が割れ、大柄な獣人の女が駆け寄ってきた。


 筋肉質な長身。(たてがみ)のような髪。薄い褐色の肌。


 どこかで見たことある顔だと思っていると、偶然にもあちらの方から答え合わせをしてくれた。


「ん……? あんた、どこかで……ああ! 思い出した! 白龍の従者やってる人間だろ! いやぁ、偶然ってあるもんだ!」

「パーラ、お知り合い?」

「知り合いってほどじゃないな。ちょっと前に会ったことがあるだけだよ。だろ?」


 人間と変わらない顔をした獅子の獣人――パーラと呼ばれたその女に同意を求められたので、素直に頷いておく。


 こちらがパーラだということは、シュリンガというのは額から(つの)を生やしたもう一人の獣人の方なのだろうか。


 中原(ちゅうげん)の基準だと、どちらも人名とは思えない響きの名前だ。


「そんなことより、シュリンガが呼んでるぞ。荷物くらい片付けてから行けってな」

「あっ、いけない! ごめんなさい!」


 桃花(トウカ)は尻尾を揺らしながら駆け出して、素早く階段の上に姿を消してしまった。


 なにはともあれ助かった。


 内心で安堵の吐息を漏らしていると、今度はパーラが親しげに話しかけてきた。


「人間のくせに白龍のお供とか、凄いじゃないか。あいつもどっかのおえらいさんの娘だろ? 一体どういう関係なんだよ」


 そうか、パーラは雪那が西海龍王の娘だと知らないのか。


「報酬に釣られて雇われて、あれこれと手伝ってるだけだよ。知り合った経緯は秘密ってことで。雇い主の許可なく喋っていいもんじゃないからな」


 俺と雪那の関係は、つまるところその程度のはずだ。


 一文無しで他国に追放され、真っ当な生活を取り戻したいと思っていた俺を、雪那が道中の生活の充実と多額の成功報酬で雇用した――純然たる利害の一致。


 そのはずなのに、パーラから尋ねられるまで、すっかり意識からこぼれ落ちてしまっていた。忘れてしまっていたのだ。


「ふぅん。お互い大変だな。まっ、せいぜい頑張ろうぜ!」

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