6話
「マリちゃん、今日カフェに行かない?新作のケーキが美味しいらしいよ~」
「あー・・・、ローラごめん!今日は図書室に用事があるんだ」
本日、最後の実技の授業が終わり、使った道具を片付けながらローラはマリアを誘ってきた。マリアは2日前に先輩であるゼフィサスと約束したため、カフェへのお誘いはとても魅力的ではあったが、今日はお断り一択だ。
「図書委員?」
「違うよ。ちょっと先輩と待ち合わせ」
「はっ!もしかして文通ヤローかよ・・・」
低く機嫌の悪そうな声でアルフレッドが急に会話に割り込んで来くる。
その声にマリアは大きくため息をついた。
「違う。今日返却される読みかけの本を読みにいくだけ。てか、なに?もしかしてアルフ、文通でなんか嫌な事でもあったの?最近、ウザいんだけど。私何かした?」
最近のアルフレッドはやたらとマリアの文通の事で不機嫌そうに声をかけてくる。
一昨日、勝手に手紙を奪われ読まれた事でマリアはアルフレッドに対して怒り不信感を抱いている。
人のプライベートな手紙を無許可で開封し、今でも謝罪はない。
同じ授業に出ていても顔を合わさないよう過ごしていたが、アルフレッドから近づいてきたら回避するのは難しい。
しかも、またトゲのある言い方である。
マリアは幼馴染のよしみではっきりとした言葉で気持ちを伝えた。
「・・・あらら」
「うざい!?お、俺はマリが嫌な思いしなけりゃな・・・と思って・・・」
「あー、気持ちだけありがとう。ローラ、私そろそろ行かないといけないから。これだけ先に片付けとくから!カフェまた行こうね」
「またね〜」
マリアは持っていた道具を所定の位置に戻して終えると、自分の鞄を掴みそのまま早足で図書室へと向かった。
図書室はいつも通り静かで穏やかな時間が流れているようである。
マリアは中をさっと確認してみたが、ゼフィサスの姿は見当たらない。
ゼフィサスが来るまで、面白そうな本がないか探すことにした。
本棚の最も奥の一列手前に来た時、本棚の向こうで囁くような男女の声が聞こえて来た。
(あ、これは・・・)
時々、図書館を逢瀬の場に選ぶ、ちょっと頭の緩いカップルがいる。
運悪くその日のそのタイミングに当たったようだ。
マリアは気づかれないように引き返そうと足を一歩引いたところ、背後にちょうど人がいたらしくぶつかってしまった。
「あっ!!
マリアは思わず声が漏れ出てしまい、思わず手で口を覆う。
ぶつかってしまった相手に謝罪もしたいが、今はあまり逢引しているカップルとは関わり合いたくない。
幸運な事によほど盛り上がっているのか、カップルはまだマリア達の存在に気づいていないようである。
マリアはそっと、相手を確認するために後ろを振り向くと、目の前にはシャツから覗く鎖骨に、見覚えのあるチェーン。
ゆっくり顔を上げれば、冷たく死んだ魚のような紫の瞳がマリアの方を見下ろしていた。
「せ・・・」
思わず、マリアは「先輩」と声を出そうとすると、ゼフィサスの人差し指が優しく唇に触れ、喋る事を止められた。
下から見上げても、ゼフィサスの顔は整っている。
薄暗い空間だが、これだけ近いとはっきりとゼフィサスの顔のパーツが確認できる。
切れ長の瞳、鼻筋の通った鼻、薄すぎず厚過ぎない唇。
しかし、その整ったどのパーツよりも、マリアの目に一番近い顎の辺りに視線が集中する。
皮膚が少し赤くなっている。
その赤みが気になり、マリアはその部分を親指で触れてみる。
撫でる様に左右に親指を動かしてみると、少しチクチクとしていて親指がこそばゆい。
「ぁ・・・」
マリアの無意識のうちの行動は、ゼフィサスと目がバッチリあった事で止まった。
(何してた?私)
思わずマリアは手を背後へと引っ込め、冷や汗が出てくる。
恐る恐る窺うゼフィサスの表情はいつも通り無表情ではあるが、怒ったり気持ち悪がられているようには感じず、マリアは胸をなでおろした。
ゼフィサスは先ほど唇に触れた指で‘‘あっちへ行こう‘‘とジェスチャーで伝えてきたため、マリアも頷きゆっくりとその場から離れた。
比較的人がいない場所の机に向かいあって2人は腰掛けた。
「先輩、すみませんでした」
ぶつかった事、勝手に触った事、声を出しそうになった事。
諸々含めての謝罪のため頭を下げる。
「別に・・・」
会話は最低限で声量も聞こえるギリギリまで下げる。
図書室のため私語は慎むべきだろうが、最低限の配慮があれば会話も問題ないだろう。
顔を上げれば、先程触れてしまった顎の赤い部分に嫌でも目がいってしまう。
(あんな所ぶつけたりするの?)
「これは・・・剃刀負けしただけ」
その部分を2本の指で隠すようにして、顔を逸らす。
黒いネイルも相まって色っぽいな、などと考えていたらゼフィサスの耳が赤くなっている。
(えー、照れてる!かわいい!!)
ゼフィサスとの関わりがマリアには今までほぼ無かったが、鉄仮面で無口なイメージか完全に固着していた。
それが正解ではあるのだが、マリアはここで盛大な勘違いをしてしまう。
「先輩、思ったよりも表情豊かですよね。てか、先輩も髭剃るのか・・・」
「表情・・・豊か・・・」
「無表情に見えても、感情が微かに漏れ出てますよ」
こんな短期でここまでゼフィサスと関わる事があるとは思わず、少しだけ嬉しくてなっていた。そして、思っていたよりも喋りやすく、わかりやすいゼフィサスにマリアはついつい喋り過ぎてしまった。
「・・・」
「先輩、そんなに困った様な顔しないでください。色気が出て危険ですよ」
微かに困った表情を見せて、神秘的な美しさを見せるゼフィサスに困った顔は、人々を魅了する凶器だ。
食虫植物のように甘い香りで虫を引き寄せる。
ゼフィサスの場合は顔なのだろうが。
「わかった」
ゼフィサスは少しだけ、頬を緩めて頷いた。
(うわぁ・・・先輩の笑顔を見てしまった。やばっ!神々しい)
ゼフィサスは何故かふたたび耳を赤く染め軽く咳払いして、鞄から見覚えのある表紙の本を取り出してきた。
「ありがとう」
「返却は?」
「しといた。棚に戻しとくって、持ってきた」
「ありがとうございます」
そっと差し出されていた本をマリアは受け取る。
ペラペラと捲り、前回読み終えた辺りを探し、読むのを再開するページを探した。
読んだ覚えのあるページを飛ばして、すぐに目的のページを見つける事に成功した。
向かいに座る、ゼフィサスに視線を向けると目線がぱっちりと合う。
「先輩、私ここで読んで行こうと思うので・・・」
「俺もせっかく来たしなんか読んでく」
そのままゼフィサスは一度席を離れた。
マリアはそのまま本に視線を落とし本の内容へと思考を集中させる。
だから、ゼフィサスがいつ戻って来たのかをマリアは知らない。
本を読み終え顔を上げた時には、膝を組み少し眠そうにページを捲るゼフィサスの姿があった。