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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

女領主、復讐す!

作者: 夢神 蒼茫

 怒号と共に剣が振り下ろされ、槍が交差する。爆発音とともに銃弾が飛び交い、そして、兵士達が倒れていく。死体が転がり、踏み荒らされ、手入れが行き届いた庭園も、もはや見る影もない。

 そして、その光景を屋敷の窓から眺める一人の女性がいた。


(まったくもって忌々しい連中だこと!)


 この女性の名前はリーナ。モラ城の城主であるリオ伯の妻だ。

 リオ伯はやり手の政治家であり、軍人としても名声を得ており、王の右腕と称されていた。そのような立場であるため、方々を飛び回る多忙な身の上である。領地を空けることも多く、その留守をリーナに任せていた。滅多に帰宅せぬ夫に何一つ文句を言わず、リーナは領地を守り、そして、息子であるディランを育ててきた。

 そんな平穏で裕福な暮らしは、王の急死と共に一変した。王の跡継ぎはまだ若く、誰が後見人として国政を取り仕切るかで宮中は揉めており、リオ伯はそれを鎮めるべく方々を駆け回っていた。そんな最中、リオ伯が何者かの手によって暗殺された。

 この企ての首謀者はレーザ公であった。レーザ公は自身の派閥を全面に押し出して国政を壟断し、反対派を次々と粛正していった。リオ伯は中立の立場を貫き、あくまで混乱の収拾に務めていたのだが、誘いに乗らないリオ伯を邪険に思い、殺害したのだ。

 この暗殺の件はすぐにモラ城にて留守を預かるリーナの下に早馬で伝わったが、それに対して対処する手段を持っていなかった。兵を集め、籠城するにしても、時間があまりにもなかったのだ。

 実際、レーザ公の手は長く、そして、早かった。

 今、眼下で繰り広げられている殺戮劇も、リーナが抱えていたなけなしの兵士達であり、それを蹂躙するのはレーザ公の手の者達だ。じきに兵はことごとくを討たれ、自分にも危機が迫るであろうことは疑いようのない事実であった。


(夫を殺した連中め、今に見ていなさいよ!)


 リーナは心の中で復讐を誓った。私欲を持って国を乗っ取ろうとする輩に、裁きを下すこと神はお許しになるだろう。愛する夫を殺し、豊かな領地を踏みにじり、自分にまで危害を加えようとする者共に、何の遠慮があるのであろうか。

 リーナの心は復讐という炎が燃え盛っており、それを鎮めるには敵対者の血飛沫を以て成さねばならないと感じていた。


「母上……」


 リーナの息子ディランは彼女のスカートにしがみつき、ガタガタと震えていた。齢にしてまだ六つを数えた子供である。窓の外に見える血だまりと、兵士達の叫び声に、恐れ震えない方がおかしいのだ。

 小刻みに震えるその体は、不安で不安で仕方なく、その心情は痛いほどにリーナに伝わって来ていた。


「ああ、ディラン、怯えなくていいのよ。泣かなくていいのよ。大丈夫、この母が付いていますから。何も心配はいりません」


 リーナは微笑みながら息子の頭を撫でた。

 それでも、ディランの震えは止まらなかった。迫りくる恐怖に対してもそうであったが、それ以上に怖いと感じたのは母親の目であった。顔は心配を掛けさせまいと笑っている。だが、目は笑っていない。得体の知れない何かで満たされていた。

 程なくして、敵方の兵士が屋敷になだれ込み、目当ての二人を探し出すために、部屋という部屋を片っ端から調べて回った。そして、母子は捕まった。

 だが、ディランは見た。部屋の扉がこじ開けられ、敵兵が入ってくるその瞬間、母親が僅かに笑っていたことを。

 そして、敵兵は勝利に沸き返り、その笑みを見逃した。



                ***



 母子はそのまま屋敷に留め置かれ、その一室に軟禁された。昼夜を問わず見張りが付き、部屋を出ることが許されぬまま数日が過ぎた。

 その間、リーナは小さな息子をしっかりと抱き、怖がる我が子を落ち着かせることに終始した。さも従順に、大人しく振る舞い、全てを失った哀れな未亡人としての姿を晒した。

 そして、その部屋に一人の男が訪れた。リーナにとって、この世で一番顔を合わせたくもない相手、すなわち、レーザ公である。

 夫を殺し、自分と息子にもこの仕打ちである。それを指図した目の前の男に、どうして会わねばならぬのかと内心では怒りに燃えていたが、そんな感情など毛先ほども見せず、あくまで従順に振舞った。

 やりたくもないが、心の内を偽るために頭を下げ、息子にもそれに倣うように促した。


「これはこれは、レーザ公、よくぞおいでくださいました。このような散らかった場所でお出迎えせねばならぬのが、心苦しくて仕方がありませんわ。御足労願わずとも、お呼びしていただければ、こちらから参りましたのに」


 リーナの態度はレーザ公の意表を突いた。一連の騒動などまるで他人事と言わんばかりの態度だ。

 レーザ公はこの哀れな未亡人の態度に、いささか拍子抜けした思いであった。なにしろ、目の前の貴婦人の夫を殺すよう命じたのは、他でもない自分自身である。そして、そのこともすでに承知のはずだ。有らん限りの罵声でこちらをなじって来るか、あるいは恐怖に打ち震えて無様を晒すか、どちらかだと考えていたのだ。

 それだというのに、慇懃で従順な態度で出迎えられたのである。


「ん、あ、ああ、そうだな。それには及ばんよ。ハッハッハッ!」


 レーザ公は少し慌てながらも尊大な態度で取り繕い、そして、大声で笑った。

 リーナにとっては、その笑い声を耳にするだけでも怒りで発狂しそうであったが、それでも堪えた。あくまで、機を窺わねばならなかったからだ。

 そして、そこからがレーザ公の独壇場であった。今回の騒動がいかに自分に正当性があるかを一方的に語り始めた。王という後ろ盾がるのをいいことにリオ伯がいかに専横を極め、諸侯の反発を買うような真似をしてきたかを得々と語り、自身にとって都合のいいことだけを述べた。

 その言葉たるや、自己満足と自己弁護の融合物であり、ここまで醜悪な自己正当化の態度もないであろうと、リーナは怒りに打ち震えた。


(よくもまあ、これだけのことが言えるわね。蒙昧この上ない、豚野郎め・・・!)


 とにかく、リーナは平静を装うのに必死であった。目の前の無礼極まる男に平手打ちのニ、三発でもお見舞いしてやりたい気分であったが、そういうわけにもいかない。そんなことをすれば、自分も息子も刑場に引っ立てられ、命を散らすことは明白であったからだ。

 だが、今はまだ大丈夫であった。リーナの心は激情よりも、理性の方が勝っている。軽はずみな行動は厳に慎んでいた。


「それで、レーザ公。わざわざこのようなむさくるしい場所へお越しになられたのは、何用があってのことでありましょうか?」


「おお、そうであったな。実はルリ城のことなのだ」


 やはりそう来たか、リーナは内心で喝采を上げた。今、この瞬間こそ、策を実行に移し、反撃の一打を加えるべき“機”が訪れたのだと考えた。

 ちなみに、ルリ城はリーナが保有する城だ。かなり辺鄙な場所にある城と領地であり、普段は代官にそこの管理を任せ、自分は息子と共に夫の持つモラ城で生活をしていたのだ。


「実はな、ルリ城が一向に開城しようとしないのだ。リーナ殿の身柄を押さえ、抵抗は無駄な努力だと何度も使者を出したのだが、まったく門を開く素振りを見せん。話し合いの場を設けることもできん。攻め取るにしても、あんな辺鄙な場所まで兵を動かすのも難儀でな」


 隙が生じた、リーナはレーザ公の言葉を聞いてそう感じた。レーザ公とて、国の全てを掌握できたわけではない。反対勢力もまだまだ存在する。それが田舎城一つに手こずったとあっては、反対派を勢いづかせることにもなりかねない。ここに付け込まなくてはならないと、リーナは考えた。


「それで、私に開城を迫れというわけでしょうか?」


「そうだ。そもそも、あの城はあなたの城だろう? 城主の開城命令ならば拒めまい」


 事も無げに言うレーザ公であったが、リーナの怒りはいよいよ頂点に達しようとしていた。


(夫を殺した上に、その妻である私に、此度の暴挙に与しろというのか、この男は!)


 辺境の小城に手間取るのは問題であるが、すんなり開城できればその手際のよさを称されるだろう。国内の掌握も進むというものだ。しかも、リオ伯の夫人がそれを成したとなれば、リオ伯の一派が与したと見られ、反対派の士気を挫く一助にもなろうというものだ。

 二重三重の効果を狙った、実に嫌らしい手口であった。

 もちろん、リーナはそんな企みに乗るつもりなどなかった。たが、そうしないことには自分も息子も危うい立場になることを重々承知しているので、少なくとも表向きは従順に従っておかねばならなかった。


「留守を預かるのは、ジャゴンという代官でございます。彼はとても頑固者でして、何か起こった際には誰であろうと油断なく当たれ、と命じておりました」


「まあ、そうでしょうな。でなければ、留守を預ける訳には参りますまい。であるから、城の持ち主である、あなたに説得してほしいというわけです」


「分かりました。お引き受けいたします。ですが……」


 逸らす視線の先には幼子が一人。これの処遇が決さぬことには、動くわけにはいかなかった。


「ああ、それならばご心配には及ばぬ。本来ならば・・・、そう、子供の鼻先に刃物でもちらつかせて、無理にでもご協力願うつもりでしたが、あなたが話の分かる方で良かったですよ。子供の安全は保証しましょう。あくまで、あなたの態度次第ではありますが」


 レーザ公の視線がリーナの体をなぞった。一児の母とはいえ、リーナの体は豊満なる乳房を持ち、程よい肉感を纏わせた、実に魅力的な肢体を備えていた。男であればしゃぶりつきたくなるほどの。

 レーザ公もその例にもれず、目の前の美女を体を味わいつくそうと、邪な考えを抱いていた。無論、リーナはそれをすぐに理解し、吐き気を催した。

 このままレーザ公の思惑通りに進めば、自分の身は夫殺しの男の妾となり、息子もどれほどの冷遇を受けるか分かったものではない。二人揃って苦渋に満ちた生活を強いられるだろう。

 無論、そんなものを甘んじて受け入れるつもりはなかった。だからこそ、リーナはあらん限りの知恵を絞り、状況の打開を目論んだ。


「レーザ公、我らの身の安全を保証していただけるのでしたら、ご協力いたしましょう。私の領地も、亡き夫の領地も、あなた様の物でございます」


「よかろう。大人しく従う者に対して、無下に扱うつもりはない」


「では、手紙を書きますので、紙と筆をご用意ください」


 レーザ公は頷いて応じ、部下に命じて紙と筆を用意させた。

 リーナはレーザ公が見守る中、代官のジャゴンに対して開城するように促す文言を書き記した。


「これにて、いかがでありましょうか?」


「うむ、これでよい。二人の安全は保証いたすが、城が明け渡されるまでは、しばしこの場にてお待ちいただこう」


「致し方ございませんわね。自由な身に一日でも早くなれることを祈っておりますわ」


 リーナの態度はどこまでもへりくだったものであった。レーザ公の自尊心を満足させるために、従順に頭を垂れた。

 しかし、レーザ公は二人を自由にするつもりは初めからなかった。領地は奪うし、本来の相続人であるヴィランも時機を見て消すつもりでいた。そして、目の前の美女を心ゆくまで貪り、辱め、蹂躙してやる心づもりでいた。

 レーザ公のそんな考えなど、リーナは見抜いていたが、今はまだ動けないことも承知していた。機はまだだ。まずは動ける自由を得なくてはならない。書いた手紙もそのための布石だ。

 そして、レーザ公は手紙を握り締め、意気揚々と部屋を出ていった。彼は気付かなかったが、リーナの下げた顔は歪んだ笑顔を浮かべていた。



                 ***



 さらに数日後、軟禁されていたリーナの下へ、再びレーザ公がやって来た。その顔色からは明らかな焦りが感じ取れるほどに態度が乱れていた。


「おい、どうなっているのだ!? 例の手紙を届けたというのに、城の連中、一向に開城する気配を見せんぞ!?」


 リーナに詰め寄り、語気荒く問い質してきた。小城一つに手間取っていては、別の場所で騒乱を呼び起こすことにもなりかねず、とにかく早く片付けたいという態度が丸見えであった。

 リーナは策が動き始めたことに内心喜びつつ、顔には出さずに応じた。


「代官のジャゴンは頑固な上に疑り深い者でございますからね。もしかすると、届けた手紙が偽手紙であると判断したのかもしれません」


 もちろん、それは嘘であった。ジャゴンはリーナが嫁ぐ前から従者として仕えており、主人の筆跡など見慣れたもので、字の癖で当人だとすぐに判断がつくのだ。


「うぬぅ……、どうしてくれようか」


 レーザ公の焦りはさらに高まっていき、もはや体裁を取り繕う余裕すら失われつつあった。

 そもそも、レーザ公はかなり強引に事を進めた上に、本来なら中立であったはずのリオ伯まで暗殺してしまったのだ。手にした権力は急ごしらえのもので、下手なつまずきはそのまま破滅を意味する。田舎の城一つに時間を費やしていては、見限る連中が出てくる危険すらあった。 


「でしたらば、私が直接城に赴き、開城を申し付けて参りましょう」


 相手の焦りを見透かして、リーナはそう提案した。

 レーザ公は即答しかね、腕を組んで悩んだ。リーナの提案も尤もなのだが、どこか信用の置けない相手なのであった。何しろ、今までの言動が余りにも従順過ぎて、却って違和感を覚えていたからだ。

 当然、リーナもそれは理解していたので、あえて踏み込み、挑発してみることとした。


「まさか、レーザ公は私が説得するフリをして城に逃げ込み、そのまま帰ってこないのではと、お疑いなのでしょうか?」


 実際、レーザ公はそう考えていた。目の前の女を自由にするのは、余りにも危険であったからだ。もし、ルリ城に逃げられるようなことがあれば、城兵は活気づいて、落とすのがますます難しくなりかねないからだ。

 しかし、なるべく短期で落とさねばならないのも事実であり、リーナの提案に乗らねばならないのも思案のしどころであった。

 今一つ煮え切らないレーザ公に対して、リーナは最後の一押しを入れた。


「お疑いあらば、こういたしましょう」


 リーナは部屋の隅にいたディランを招き寄せ、その両肩に手を置き、レーザ公と向き合った。


「私が出掛けている間、この子を公にお預けいたしましょう。これでいかがでしょうか?」


 我が子を人質に差し出す。自由の対価としては、妥当であった。もし裏切るようなことをすれば、我が子があの世へ旅立つこととなる。時間もなかったことであるし、レーザ公はその提案を受けた。


「よかろう。あなたの行動は保証する。早く城を明け渡すよう、城兵に言い付けてくるがいい」


 今までの従順な態度は本気で降参したから、そうレーザ公は判断した。ならば、さっさと城を開けるよう説得してもらった方がいい。何より、子供が手元に有る限りは裏切らない、という保険もあるのだ。

 リーナは見張られながらとは言え、行動の自由を得ると、厩舎に入れてある愛馬に跨がり、ルリ城に向かった。



           ***



 ルリ城は門扉を閉ざし、何人も近づけまいと立てこもっていた。そんな中に、城主であるリーナが姿を現したのだ。城兵はその姿を確認すると直ちに門を開き、主人の帰還を歓迎した。


「リーナ様、よくぞご無事で!」


 真っ先に声をかけて駆け寄ってきたのは、代官のジャゴンであった。それにつられて城兵らも歓声を上げ、城内の士気は否応もなく沸き上がった。リーナを取り囲み、口々に喜びようを伝えた。


「ジャゴンよ、よくぞ城を守り通した。もちろん、城兵の皆もですよ。事が落ち着きましたら、十分な恩賞を約束いたしましょう」


 リーナは留守を守り通した全員を労い、その功を讃え、賞することを宣言した。これによりさらに士気は高まり、歓声が場外まで飛び出すほどであった。

 事後策を検討したいからと、ジャゴンに人払いを命じ、二人で城内の一室に入った。飲み物と食事を用意させ、飢えと渇きをまず癒し、一息ついてからリーナはジャゴンに語り掛けた。


「まずは改めて礼を言うわ。本当のことを言うと、私の出した手紙で、あなたが開城してしまわないかと心配していたのですよ」


「滅相もございません。何があろうと門を開けるなという命に従っただけでございます」


 ジャゴンは恐縮して頭を下げ、リーナはそれに対して笑顔で応じた。


「結構なことですわ。では、ジャゴン、改めて命じます。籠城します。徹底抗戦ですわよ」


「え?」


 主人からの意外な命令に、ジャゴンは目を丸くして驚いた。


「よ、よろしいのですか? それでは敵中にあるディラン様が危険ではありませんか?」


「あなたと兵士は、私の手足となって動いてくれればいいわ。何も考えてはいけない。とにかく、私の命に従いなさい」


 先程見せた笑顔から一転、その顔からは一切の表情が消えた。ただ口を動かし、命を伝えるだけ。それゆえに、ジャゴンは不気味に感じた。

 ジャゴンはリーナが嫁ぐ前からの従者であり、幼いころから側近くに仕えていた。「信頼できる者を少しくらいは連れていきたい」と輿入れの際に述べ、それにジャゴンを選んだ。ジャゴンはそれを最大の誉れと感じ、リーナに対してはいつでも命を投げ出す覚悟で仕え続けた。

 その功臣の労に報いるべく、代官に任じて領地の一切を任せ、ジャゴンもまた主人の期待に応えるべく、身を粉にして働いた。

 そうした長い付き合いがあるだけに、今目の前にいる主人の変わりように、ジャゴンは怖く感じた。笑いもすれば、泣きもするし、とにかく感情をそのまま露わにするのが主人であり、それだけに無表情なリーナが不気味であったのだ。


「命令であれば従いますが、その、若様の身が心配で……」


「お黙り」


 静かだが、迫力のある声に、ジャゴンは無意識にビクついた。

 リーナは席を立つと、机を挟んだ反対側にいるジャゴンのすぐ横まで歩み寄った。そして、慌てて立ち上がったジャゴンに向かって右手の人差し指を突き出し、心臓の有る左胸に突き立てた。徐々に力が加えられ、その心臓を圧迫した。


「つい先程、言われた通りに動けばいいと申し付けたのに、もう命令違反かしら?」


「い、いえ、そういうつもりではございません」


 気圧されたジャゴンは無意識に足が後ろに下がり、リーナもそれに合わせて前に進み出た。そして、気が付けば背中に壁が当たり、もう下がれなくなった。


「り、リーナ様、本当にディラン様のことはよろしいのですか? 見殺しになりますぞ」


 どうにか震えながらも声を絞り出して尋ねたジャゴンであったが、途端に目の前の主人から怒りの感情が放たれた。胸に突き刺していた指は、今度はジャゴンの胸倉を掴み、怒りのままに睨みつけた。


「見殺し? ええ、そうなるでしょうね。でも、何の問題もないわ」


 今度は一転して、満面の笑みをリーナは浮かべた。喜びではない、狂気に満ちた笑みであると、ジャゴンは感じたが、あまりにころころ変わる主人の感情に付いていけず、何も声を発することができなかった。

 そして、リーナは自分を腹をさすり、平然と言い放った。


「だって、考えてごらんなさい。私が生きてさえいれば、私の子供はまた作れます。畑が無事なら、種さえまけば、実りは期待できるというもの。ええ、その通りだわ。後で子供くらい、いくらでも作ってあげるわよ」


 正気を失われたかとジャゴンは感じたが、リーナは至って冷静であった。机まで戻ると、先程の飲みかけであった葡萄酒ワインの注がれたグラスを手に取り、それをグイっと飲み干した。


「ジャゴン、三度は言うつもりがないから、今度こそよくお聞き。私に言われた通りに動きなさい。それが命令よ。意に反する行動は許しません」


「は、はい」


 ジャゴンは恭しく頭を下げ、主人の次なる命令を待った。

 だが、部屋に響き渡ったのは主人の声ではなく、ガラスの砕け散る音であった。リーナが手にしたグラスを床に叩きつけ、さらに空いた酒瓶を手に取って壁に向かって投げつけた。ジャゴンのすぐ横の壁に命中し、これまた粉々に砕け散った。

 ジャゴンは恐怖のあまり、頭を下げたまま震え、そして、恐る恐る顔を上げた。


「ジャゴン、お聞き! 私の望み、それはレーザ公の破滅!」


 リーナは再びジャゴンに歩み寄った。ジャリジャリというガラスの破片を踏みつける音が耳に刺さるたびに、ジャゴンの体から汗が噴き出した。


「そう、私の望みはレーザ公の破滅。私を破滅させたあいつを、今度は私が破滅させてあげるのよ。私は生き永らえた。命だけは残った。でも、私はあいつから何もかも奪ってやるわ。地位も、名誉も、財産も、そして、家族と自らの命も奪ってやるわ。そう決めたの」


「本気……、なのですね」


「ええ、もちろん。それが成せるなら、他のことはどうでもいい」


 睨みつけてくる主人に対して、ジャゴンは首を縦に振る事しかできなかった。下手なことを口にしては、今度は自身の身が危うくなるのではと思ったからだ。

 従ってくれる部下の姿に満足したのか、リーナはまた表情を変え、笑顔を見せた。指をジャゴンの顔や首筋をなぞり、部下のビクつく反応を楽しんだ。

 ジャゴンにしてみれば、まるで毒蛇に体を這われているような感覚に襲われ、指一本すら動かせぬほどに恐怖に心を支配された。

 それを打ち消したのは、リーナの大きなあくびであった。


「あら、失礼。さすがに急ぎで馬を駆ってきたから、疲れてしまっていたみたいね」


「お、お部屋はすでに準備できておりますので、いつでもお休みになれます」


「手際の良さは相変わらずね。これからもよろしくお願いするわ」


 リーナはパチンと軽くジャゴンの頬を叩き、クルリと身を翻して、扉に向かって歩き始めた。


「お腹が空いたから、食事を摂った。眠たくなったから、寝台に向かった。ただそれだけ。後のことは任せたわ」


 手をヒラヒラさせながらそう言うと、リーナは部屋を出ていき、扉を閉めた。

 部屋に一人取り残されたジャゴンは、ようやく恐怖から解放されたのか、そのまましりもちを突き、そのまま座り込んで安どのため息を吐いた。

 だが、不意に扉が開き、ひょこっとリーナが顔を出した。ジャゴンはビクリと肩を震わせたが、リーナは気にもかけずに話しかけてきた。


「そうそう、言い忘れていたわ。ぐっすり寝たいから、敵襲でも起こさないでね。違反したら、命令違反の廉で斬首よ、斬首。レーザ公が現れたら呼びに来てね」


 そして、扉は再び閉じた。

 ああいう無邪気な態度は、少女時代の彼女を知るジャゴンを安堵させるが、その多感のままに復讐に燃える危うさも同時に感じた。

 ともあれ、命を投げ出して仕えると決めていた以上、自身の成すべきことはただ一つであると言い聞かせ、ジャゴンはゆっくりと立ち上がった。



                ***



 城に戻ってからというもの、リーナは実にのんびりと過ごした。すぐ近くに敵が陣を構えているというのに、まるで何も起こっていない日常のようにしていた。

 朝日が昇れば目を覚まし、それから読書に勤しむか、兵士の詰め所を回って談笑し、籠城戦という状況下にあって平静さを皆に見せつけた。主人の豪胆ぶりに安堵してか、城兵は一人としてこの息苦しい状況にあって取り乱す者はなかった。

 ああも冷静なのは、きっと何かしらの秘策があるのだろう、誰しもがそう考えた。

 その中にあって、唯一の例外はジャゴンであった。場内でただ一人リーナの狂気に触れたため、どうにも落ち着かないのだ。迷いや恐れが心にこびりつき、兵士の前で平静を装うのに苦労したほどだ。

 そんな日が数日続き、とうとうしびれを切らした敵陣が動き始めた。リーナの口車にまんまと乗せられたレーザ公は怒り狂い、数十騎の部下と共に城門近くまでやって来た。

 そして、その一団の中には、縄で縛られたディランの姿も確認された。


「やい、この淫売めが! 私を(たばか)りおったな!」


 有らん限りの怒声が響き渡った。顔を真っ赤にして怒り狂ったレーザ公は、思い付くままにリーナに対しての罵詈雑言を捲し立て、さっさと城門を開くように叫んだ。

 一通り聞き終わってから、リーナは城壁に設けられた見張り櫓に姿を現し、公の姿を見下ろした。


「あらあら、レーザ公、お久しぶりでございます。ご機嫌はいかがでありましょうか?」


「お前の面を見て、急に悪くなったわ!」


「あら、そうでございますか。残念ですわ」


 こうしたふてぶてしい態度が、レーザ公の更なる怒りを買った。帯びていた剣を抜き、縛り上げていたディランの鼻先にそれを向けた。

 ディランは何がどうなっているのかが分からず、ただ泣き叫ぶだけだ。


「こいつがどうなってもいいのか!? 父親のところへ送り付けてやってもいいんだぞ! いいんだな、こ、殺すぞ!」


「声が震えてましてよ、レーザ公。我が夫も含め、数多の人々を殺しておきながら、子供一人殺すのを躊躇われますか?」


 リーナは大声で笑い飛ばし、そして、侮辱した。

 

「レーザ公、いいこと? あなたは毒薬と暴力を以て権力を手に入れたのですから、毒薬と暴力を以てそれを守らないといけませんわよ。あなたは寝首をかいた人間なのですから、同じく寝首をかかれる心配をしなくてはなりませんわよ。そうでなければ、今に全てを失いますわ」


 これでもかと言う程に相手を罵倒してから、リーナは側に控えていたジャゴンに合図を送った。

 それを受け、ジャゴンは数名の部下と共に、“それ”を前に押し出して、城壁の周りを取り囲む敵兵に見せつけた。車輪付きの台座に乗せられた大きな円筒形の物体、すなわち“大筒”である。


「な、しょ、正気か!?」


 レーザ公は戦慄した。大筒はまだ戦場でたまに見かける程度の真新しい兵器である。それがこんな田舎城に配備されているなど、予想の範囲外であった。しかも、二門も配備されていた。

 それ以上に驚愕したのは、目の前にいる女が、自身の息子に筒の先を向けていることであった。


「お、おい、こいつが見えないのか!? お前の息子だぞ! そんなものをぶっ放してみろ。お前の息子も一緒に吹き飛ぶぞ!」


「それがどうかなさいましたか?」


 リーナの口調は至って冷静。たとえ息子が吹き飛ぶことになろうとも、容赦なく砲弾を放ってきそうな雰囲気があった。

 慌てふためく眼下の敵を後目に、リーナはジャゴンに視線を向けた。ジャゴンは準備ができたことを手で知らせ、いつでも砲撃できることを伝えた。


「さて、こちらも準備が整いましたし、その醜い面を拝まなくていいように、一切合財を吹き飛ばして差し上げましょう」


「母上ぇ!」


 ディランはあらん限りの声で叫んだが、母には届いていなかった。というより、耳には入っていても、心には響いていなかった。

 何が何だか分からないうちに縛られ、引き立てられてみれば、今度は母親が砲口を向けてくる。狂気に満たされているこの空間が、誰も彼もに混乱を呼び込んだ。


「砲手、しっかり狙いなさい! 撃て!」


 リーナの合図とともに導火線に火が着けられ、そして、砲口から爆炎と砲弾が飛び出した。

 レーザ公には当たらなかったが、地面に命中した衝撃や爆音で馬が驚き、何人もが暴れる馬を御しきれずに地面に投げ出された。

 レーザ公はどうにか馬を落ち着かせたが、焦りの色は隠しようがなかった。


「くそ、本気で撃ってきたぞ! 貴様、正気か!?」


「どうでしょうか、私自身、自分が正気かどうか自信がございませんわね。砲手、もう一発、撃ち込んでやりなさい!」


 リーナの命に従い、もう一つの大砲が火を噴いた。今度はレーザ公の近くに命中し、側にいた騎兵と馬がグチャグチャの肉の塊と化した。

 血と肉片を浴びたレーザ公とその手勢は戦意を喪失し、大慌てで逃げ出した。


「ア~ッハッハッハッ! 見なさい、城兵の皆さん、敵が無様にも敗走していきますわよ! レーザ公もみっともないですわね!」


 リーナは腹を抱えて大笑いをし、まるで息子の事など頭にないかのような態度だ。

 一方、ジャゴンは逃げる敵兵の中に、縛られたままのディランの姿を確認し、ホッと胸を撫で下ろした。いくら主君の命とはいえ、主君の息子を砲撃で吹き飛ばすようなことはしたくなかったのだ。とにかく無事でよかった、そう安堵した。


「さて、これで今少しは時間を稼げましたか」


「はぁ?」


「ジャゴン、私が何の勝算や策もなしに、こんな狂人を“演じて”いるとでも思うてか?」


 リーナは呆けたジャゴンに歩み寄り、そして、ニヤリと笑った。


「援軍のない籠城戦に勝ち目なし。ならば、援軍を呼べばいいだけの事。あなたも、私が帰って来ると信じていたからこそ、門扉を閉ざして抵抗を続けていたのでしょう?」


「無論です。主よ、では、すでに援軍を呼ばれていたのですか?」


「ええ。夫の死を知った直後に、実家の方に早馬を走らせておきました。援軍の要請がそちらに届き、軍隊を編成して、さらにここまでの行軍となると、あと二、三日といったところでしょうか」


 すべては計算の上での行動。勝利を確信しているからこその余裕。ジャゴンは改めて主君の思慮深さに敬服した。


「あれだけ派手にやってやったのですから、もうレーザ公の目にはこの城の事しか頭にはないでしょう。優先度の低いこの城に固執し、大局を失う。無視して、他の要衝を押さえることに労力を割けばよろしいのにね。こちらはこのまま援軍の到着を待ち、城の内と外から相手を挟み込む。これですべてがひっくり返るわ」


「は、その通りです。……では、ディラン様の件も何かお考えあってのことで?」


「それは賭けになる」


 笑顔が崩れ、少し苦しそうになったのを、ジャゴンは見逃さなかった。


「賭け……、でございますか!?」


「ええ、賭けよ。もし、あの子のことを第一に考えるのであれば、さっさと降伏していたでしょう。でも、それは嫌。あんな豚野郎に頭を垂れ、体を差し出して、それで得られるのは魂の尊厳を失った肉体と言う抜け殻のみ。そんなの生きているとは言わないでしょう? だから、レーザ公を破滅させることを決めたんですから」


 どう転んでもあいつは殺す、そうリーナは改めて宣言した。


「ああ、残念だわ。先程の砲弾がレーザ公に直撃していれば、混乱に乗じて城から撃って出て、ディランを取り戻せたでしょうに、さすがにそれは虫が良すぎましたわ」


「はい。これでは今度こそ、ディラン様は殺されてしまいます」 

 

「私は殺されないと踏んでいる。人質っていうのは、生かしてこそ価値が生まれるのですから。子供一人殺して状況が好転するでもなく、殺すかどうかで迷いが生じる。レーザ公は権勢欲で目が曇っていても、頭の方はまだ思慮と言う言葉が僅かに残っている。それに賭けるしかない」


 この期に及んで、敵方の思慮に期待するなど、策としては愚も愚であるが、他に手立てがなかったので、リーナはそれに賭けることにしたのだ。

 どちらが全てを失うのか、もう時間との勝負だ。レーザ公が激発する前に、援軍が到着してくれることを祈るしかなかった。


「相手が自棄を起こす前に決しますか。援軍が到着した直後、そこが唯一の機会。どさくさ紛れの奪還でございますな。とても正気の沙汰とは思えません」


「同感だわ。先程、私自身が口にしたけど、私が正気だという自信がないわ」


 リーナはどこか気落ちした声を漏らし、逃げるレーザ公と縛られた息子の背中をジッと見送った。



                ***



 援軍が到着したのは、翌日明け方近くであった。密かに先行していた伝令がそれを伝え、城内が静かに、それでいて士気も否応なく上がっていった。

 リーナは自室で寝入っていたのだが、報告を受けた途端に寝台から跳び上がり、寝巻き姿のまま部屋を飛び出して、厩舎へと駆け込んだ。援軍が予想より早くに到着して気が逸り、居ても立ってもいられなくなったのだ。


「厩舎番、すぐに私の馬に馬具を取り付けないさい。出陣よ!」


 厩舎番も驚いたが、それ以上に寝巻きのままの主人に慌てたのはジャゴンであった。


「リーナ様、落ち着いてください! そのような姿で敵に姿を晒しては、後世まで物笑いの種になりますぞ。お召し替え下さい!」


「時間が惜しい。そのような些事に気を回しているくらいならば、急いで兵を招集してきなさい。なにより、寝巻き姿の女子に斬られる方が、物笑いの種よ!」


 どうやら言っても聞かぬと観念し、ジャゴンは兵を集めるべく詰所の方へ駆け出した。

 リーナは自身の剣を確認すると、さっさと馬に乗り、城門前へと進み出た。

 ジャゴンの指示によって大慌てで兵士が城門前に集まり、寝巻き姿ではあるが馬上の主君の言葉を待った。そして、リーナは剣を天に向かって掲げ、号令を発した。


「皆、今の今までよくぞ耐えた! 難渋の日々ではあったが、城は見事に持ちこたえた! まずはそのことについて、礼を述べたい。そして、今より撃って出る。近くには援軍が到着し、こちらと連携して、相手を挟み討つことになっている。旗印を見間違えないように注意なさい!」


 普段ならここで鬨の声でも上げるところであるが、奇襲をかけるので、それは控えた。全員が全員、何をすべきか理解しているので、わざわざ揃って大声を上げるような愚は犯さなかった。


「私からの命令は二つ。捕虜はいらない。敵兵は残らず塵殺しなさい。奪った物はすべて懐に入れていいわ。御褒美の約束ですからね。そして、最も重要なのは、レーザ公を見つけること。生きていようが死んでいようがどちらでも構いませんが、必ず私の前に引きずり出してくること。これを叶えた者には、この城の城主にして差し上げましょう。代官ではなく、城主ですよ!」


 敵将を討ち取れば城を貰える。常識では考えられぬほどの破格の報酬であった。一城の主となる夢が、いきなり目の前に現れた。当然、本来ならば望みえぬ事案に皆が色めき立ち、士気は最高潮に達した。

 そして、皆が閉まっている門扉を睨みつける。早く開け、早く出撃させろ、我こそが城主となる、そうギラついた欲望のままに開く瞬間を待った。


「では、行きますよ!」


 リーナの掛け声と共に固く閉ざされていた城門は開き、雪崩を打って城兵が外へと飛び出した。

 黎明の奇襲攻撃は完全に決まった。なにしろ、今の今まで撃って出る気配すらなかった城から、いきなりの出撃である。しかも、皆が寝入っているはずの明け方直前の攻撃で、混乱が広がった。

 地元であるため夜であろうとも地形は把握しているため、敵本陣に向かってまっしぐらに突き進むことができた。

 だが、これでは不十分であった。なにしろ、お互いの兵数が違い過ぎるからだ。混乱があったとしても、数が数である。途中で息切れして、敵本陣まで斬り込むのは不可能であった。

 だが、それは不可能ではなかった。計ったように側面から別の部隊が現れ、敵陣を更に乱したのだ。もちろん、リーナが実家に要請していた援軍であり、奇襲に加えて側面攻撃にも晒され、レーザ公の軍勢は大混乱に陥った。

 そんな混乱の渦中を、リーナはひたすらに突き進んだ。寝巻き姿の女性が馬に跨がって疾走する様はなんとも奇妙であったが、そんなことに気を回せる余裕のある者はいなかった。どこもかしこも混乱して指揮統率が出来ず、ひどいところでは同士討ちすら起こっていた。

 兵達はリーナの指示をよく守り、手に届く範囲の敵兵は片端から殺して回り、きっちりと殺していった。

 散らばる物資は魅力的であった。なにしろ、押収品は懐に入れていいとのお墨付きを貰っているが、それよりも何よりも欲しい報奨があった。

 敵将の命、それに付随した城の所有権である。どこだどこだと探して回り、怪しい天幕は次々と調べあげられた。

 リーナは何かしらの勘が働き、物資が集積されていた天幕の一つが目についた。馬を降り、その中に入ると、そこにはレーザ公がいた。しかも、ディランの姿まで確認できた。


「見つけましたよ、レーザ公!」


 リーナの姿は見る者に恐怖を与えるほどに乱れていた。純白の寝巻きはすでに返り血と跳ねた泥であちこち汚れており、握った剣は血が滴っていた。

 当然、そんな姿を見せつけられたのである。レーザ公は大いに恐怖したが、虚勢を張って強気な笑みでこれに応じた。


「ヘッヘッ、ようやく現れやがったか、このクソアマめがぁ!」


 レーザ公は短剣を握っており、それをディランの首筋に押し当てていた。


「レーザ公、ディランをお放し!」


「今更、息子の命が惜しくなったか? 大筒で吹き飛ばそうとしたくせにな!」


 レーザ公は取り乱していた。勝って全てを手にするはずだった今回の騒動。ところが、目の前の女一人、小城一つに狂わされ、そして危機的な状況を迎えている。

 どうしてこうなったのか、そう、全てはこの女の狂気だ、そうレーザ公は感じた。


「と、取引だ! 私を逃がせ! そうすれば、息子は返してやるぞ」


 早く決断しろと言わんばかりに、レーザ公はディランの頬を軽く切った。頬から赤い血が滴り、同時に泣き叫ぶ子供の涙も落ちていった。


「……いいでしょう。まずはディランを放しなさい」


「安全を確保するまではダメだ! なにしろ、お前は約束を破る女だからな」


「あなたもね。私の夫を殺したのは、どこのどちら様でございましょうかねぇ?」


 そう言うと、リーナはおもむろに足下に転がっていた短剣を手に取った。


「交渉決裂。滅びなさい。そして、あの世で今回の騒動で迷惑をかけた全員に、詫びてきなさい」


 リーナはそう言うなり、短剣を投げつけた。レーザ公はディランを盾にしていたので、飛んだ短剣はヴィランに突き刺さった。刺さった脇腹からは血がにじみ出し、着ている服を赤で染め上げた。


「んな!?」


 まさか本気で息子を刺そうとは考えてもいなかったレーザ公は驚き、思わずディランから手を放してしまった。力なくディランは崩れ落ちた。

 その状況にあって、動ける者がいた。ジャゴンだ。

 ジャゴンは狼狽するレーザ公目掛けて突進し、跳躍しながら大上段から剣を振り下ろした。狙い違わずレーザ公の頭部に直撃し、割られたスイカのようにグチャグチャに弾けとんだ。

 どうにか仕留めたとジャゴンは深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、その側ではリーナが至って冷静にディランを介抱しているところであった。着ている寝巻きの綺麗な箇所を切り裂き、それを巻いて止血するのに必死になっていた。


「医者だ! 誰か医者を呼んでくれ!」


 まだあちこちで喧騒が響く中、ジャゴンの声は妙に響き渡った。



               ***



 激しい戦いから数か月後、ジャゴンはとある教会に訪れていた。散っていった者達へ冥福を祈るため、幾人もの人を殺した罪を贖うため、時折、足を運んでいるのだ。

 あれからジャゴンは忙しい日々を送っていた。リーナが行った宣言通り、ジャゴンはルリ城の所有権を与えられ、女主人の従者兼留守居の代官という肩書きから、一城の主へと変わっていた。激戦の中、レーザ公を討ち取った功績からである。

 さらには、どうにか一命を取り留めたディランの後見人になるよう勧められもしたが、それは頑なに断った。なぜなら、リオ伯の家中においては、ジャゴンは確実に浮いた存在になっており、それが後見人になっては混乱を招く元だと、拒絶したからだ。

 ジャゴンが浮いた存在となった最大の理由、それはリーナの隠棲であった。

 リーナはあの後、蹂躙された夫リオ伯の領地を取り戻したのみならず、レーザ公に与した他の貴族の領地も報復とばかりに荒らし回り、莫大な財貨を得ることとなった。

 レーザ公の討ち死にに加え、それに与した貴族も没落し、旧リオ伯を中心とした派閥が国政を取り仕切るようになり、そのどさくさに紛れて、幼いディランに家督と領地を相続させることに成功した。

 だが、そこからが問題であった。新領主となったディランが母を恐れて、引き籠る日々が続いたのだ。何しろ、母親から見捨てられ、大筒を撃ち込まれ、挙句に刃物で刺されたのである。これで恐れを抱かぬ方が無理というものであった。

 これに対して動きを見せたのが、昔からリオ伯家に仕えていた者達であった。“よそ者”リーナに対して反発し、隠棲を迫ってきたのだ。

 リーナを恐れて当主が引き籠りになってしまっては領内が不安定になるだけであり、伯家のことは我々に任せて静かに引っ込んでいてくれ、というわけだ。

 リーナはこれに対して反発することもできたが、周囲が驚くほどに従順にそれに従い、息子のことは任せたと置手紙をして、教会に身を寄せたのだ。

 まるで憑き物が落ちたかのように大人しくなり、ただ神に祈るだけの日々を過ごしていた。

 ジャゴンはそんな主人に対して、受け取った城を返上し、また自分の主人になってくれるよう懇願したが、リーナはそれを拒否した。


「だって、そんなことをすれば、返り咲こうとしていると警戒されるではありませんか」


「それはそうでしょうが、それでよろしいのですか?」


「よろしくはありませんよ。そのうち、皆殺しにしますから」


 神に祈りを捧げた後の穏やかな微笑み、それを崩すことなくリーナは言ってのけた。表情と発言の不一致にジャゴンは戦慄し、全身から汗が噴き出した。


「よいですか、あのまま意固地になって反発したとて、互いに潰し合って、領内がめちゃくちゃになるだけ。やるなら一撃の下に仕留めねばなりません。そのために諸手を挙げて降参し、大人しくしているフリをしているのですから」


「では、始めからそのように」


「ええ。他領からくすねた金品はこの教会に隠しておりますから、いずれ軍資金が必要なときに役立つでしょう。寝返らせる工作資金、傭兵を雇い入れる雇用賃、お金はいくらあってもよいですから」


 リーナは右手を突き出してジャゴンの胸を掴み、その中にある心臓の鼓動を感じた。まるで走った後のように、鼓動が早鐘を鳴らしていた。


「だから、ジャゴン、あなたもその時が来るまでは大人しくしていなさい。人畜無害を装い、何の野心も企てもない、平凡な城主のままでいなさい。時来たらば、動いてもらいますけどね。なんでしたら、私に種でも蒔いて、未来のリオ伯でもこしらえておきますか?」


「そ、そのようなことは……。それにディラン様はどうなさるおつもりで?」


「ああ、もう割とどうでもいい。“あの程度”で恐れおののいて泣き喚く程度の愚息なら、いっそのことまとめて消してもいいかもしれませんわ。ああ、夫のことは今でももちろん愛しておりますが、残した家臣と子供は低俗でありますわね」


 不気味な笑みであり、ジャゴンは震えた。まだ、復讐は終わってない。夫であったリオ伯を殺した連中は死に絶えたが、残ったリオ伯の遺臣達の自身への仕打ちを許してはいなかった。だから、報復する。復讐する。皆殺しにする。そうリーナは宣言したのだ。


「領主たるもの、家臣や領民には愛されなくてはならない。それ以上に恐れられなくてはならない。人は時として愛する者にひどい仕打ちをしてしまうものですが、恐れる者には手を出しません。だから、ジャゴン、あなたも私を愛しておくれ。そして、恐れておくれ。よいな?」


 ジャゴンは主人の圧に抗しきれず、ただ頷くしかできなかった。

 話はこれまでとばかりに、リーナは踵を返して神像と十字架が飾られた祭壇の前に立ち、そして、跪いて祈りを捧げ始めた。

 ジャゴンは一礼をして教会より退出し、空を眺めた。来るときは曇天の薄暗い空であったが、今は雲の隙間から光が差し込み、徐々に明るくなってきた。

 ああ、まるでリーナ様の感情を表しているかのようだ、とジャゴンは思った。暗い影がありつつも、光の差し込む余地はある。

 いつかその心が晴れ渡る日が来ることを願いつつ、ジャゴンは教会を立ち去った。



                  ~ 終 ~

この作品は学生時代に書いた物を、このサイトの文体に合わせて書き直したものです。


あの当時はマキァヴェリの思想にどっぷり浸かってて、作風にもろに影響出てるなと、今更ながら感じている次第です。


短篇物でしたが、見ていただきありがとうございました。


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感想等も大歓迎でございます。


ヾ(*´∀`*)ノ

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良い復讐でした。 息子への教育はどうだったのかは気になりますね。
[一言] 良かった。 芯があってブレないキャラクターが好きなんですが、リーナ様は一直線で百点満点です。 もしレーザ公の言いなりになって体も部下も差し出すようなら(自分にとっては)魅力的な人物にはならな…
[良い点] 引き込まれる復讐譚でした。 他の人がすでに書いてますがリーナは本当にとんでもない女ですね…「私に種でも蒔いて、」とか言い出した当たりであ、この人もう息子はおろか夫ももう愛してないな、と分…
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