人生の評価値
人が努力を語る姿が嫌いだった。
そんなものは当たり前だからだ。
才能に溢れる人を見るのが嫌いだった。
自分ではどうにもできないからだ。
僕は天才になりたかった。
いや、あくまで僕は天才だと必死に言い聞かせてきた。
そうしないと僕が僕でいられなくなるような気がしていた。
教科書にあった臆病な自尊心、それが僕だ。
僕の残り時間は45分、相手は1時間。
この一局に負けると、将棋のプロへの道は絶たれる。
26歳。年齢制限。将棋界の鉄の掟。
局面は優勢なはずだ。混沌とした中盤から抜け出し、確かに前に出た。
あとはそのままリードを広げ着地するだけ。
だが将棋はそう単純ではない。
そんなに甘いものなら、将棋が人の人生を狂わせたりしない。
わからない。手が見えない。
次の一手が勝負なのは嫌というほどわかる。
もし踏み込んで、上手くいっていれば一気に勝ちになる。
もはや理屈ではない。
何万局と積み上げてきた経験が、僕の人生がそう語り掛けている。
だが無難にいっても悪くはない。
もし上手くいっていなければ、即、敗着になりかねない一手だ。
むしろ残り時間や読みの蓄積などの要素を踏まえると、リスクを冒すべきではないのかもしれない。
将棋は残酷なゲームだ。
全てが指した本人の責任である。
将棋に、宇宙よりも広い可能性を持つその世界に、確立や運などという甘えた要素は存在しない。
これは僕の決断だ。
問いかけられているのだ。
僕の資質が、僕の才能が。
これまでだって、何度も繰り返されてきた営み。
ずっとさらされてきたじゃないか、このプレッシャーに、恐怖に。
だがそれでもこの一局だけは違う。
この一局に負けると、奨励会の三段リーグに残留できない。
あれほど人生をささげてきたはずの将棋の方から、僕という存在が拒絶される。
この一局に勝てばプロになれるわけでもない。
無事今期の三段リーグに残留し、来期も血反吐を吐きながら将棋を指すだけだ。
もう楽になれよと、僕にそう話す人もいる。
それは優しさなのだ。
14歳の最年少記録はともかく、ほとんどのトップ棋士が10代のうちにプロになる。
将棋の世界はそういう世界だ。
若さが才能の証明書だ。
26歳。この年齢でこの将棋を指している時点で、もう答えは既に出ている。
僕の残り時間が30分を切った。
手は決まらない。
踏み込む順だけを読んでいるが、やはり確かな手順が見えない。
光は見えている。その光につながっている感覚もある。
だが具体的な道が分からない。
落とし穴があって、本当はつながっていない可能性もある。
そもそも、自分の感覚が無条件に信じられるほど優れているなら、僕は今ここにはいない。
上手くいかなかったことなんて、それこそ山のようにある。
局面を無難に収め、勝負所を後半に伸ばすべきか。
それならこの時間が無駄だ。
後半の1分は前半とは比べ物にならないほど貴重だ。
ここで踏み込まないと、決め手にはかけ、難解な終盤戦が待っている。
ただでさえ後半の読みが弱い僕だ。
時間はいくらあっても足りない。
このタイミングが潮時だ。
勝負の局面を先延ばしにするべきだ。
それでもだ。
それでも僕は僕をあきらめきれない。
この一手で絶対によくなる。
決定的な決め手となる。
そう心の中が叫んでいる。
僕は対局場から離れトイレに来ていた。
誰にも見られていないのを確認し、個室に入る。
用を足すためではない。
おもむろにスーツの特性のポケットからスマホを取り出す。
普段は決して使わない2台目。
1台目は将棋会館のロッカーに預けてある。
今日のために特別に用意した、絶対に使いたくなかった最後の手段。
薄暗いトイレの個室に、スマホの明かりが灯る。
画面は将棋盤。無数の記号と数字が表示される。
今の僕が渇望していた数字。
それは評価値と呼ばれるもので、現在の局面の候補手とその手の評価が示されている。
数字はプラス1252、僕の明確な優勢。
その候補手は僕がずっと読んでいた手だ。
やはりこの手で踏み込んだら勝てる。
僕の感覚の正しさが、ちっぽけな機械によって証明された瞬間だった。
だが同時に、僕が禁忌を犯した瞬間だった。
事前にどれだけコンピューターで研究していても、公式の対局では己の頭脳ひとつで戦う。
自分の決断の責任は自分ひとりで負う。
それが将棋指しであった。
ましてや僕は、プロとして将棋で生きていこうと決めたはずの人間だ。
鼓動が早くなる。息が苦しい。
心を落ち着かせるために絞り出したルーティーンも全く機能しない。
スマホの画面は自分の明確な優勢を示している。
だが喜びはない。
ついにやってしまった。ここからバレずに対局を終えねばならない。
そのことで頭が占められる。
しばらくして、僕は少しだけ落ち着きを取り戻した。
残っていた将棋指しの習性が、僕に現在の局面の後を考えさせる。
頭に嫌な変化が浮かんだのだ。
自分の優勢は動かないはずだが、それでも気になる変化である。
僕は視線をスマホの画面の将棋盤に戻す。
手で将棋盤を動かし、スマホの中のAIに、予想される相手の対応を聞いた。
さらに相手の対応に対する自分側の正解手順も覚えた。
今や将棋は、どんなトッププロよりも家庭用のパソコンで起動するコンピュータソフトが強い。
答えは全て手のひらの小さな機械の中にあった。
スマホを秘密のポケットに戻し、トイレから対局場に戻る。
僕の残り時間は17分。10分以上も席を離れていたことになる。
この大事な局面で、そんな長時間の離席は前代未聞である。
対戦相手に怪しまれて当然だ。
だが正気を失っていた僕はそこまで考える余裕がなかった。
スマホを動かす手が止まらなくなったのだ。
時間感覚なんていう脆弱なものは、あの時のトイレの中の僕には消し飛んでいた。
僕の運命を決める一世一代の将棋は、あっけなく幕を閉じようとしている。
大勢は決した。あとは相手の投了のタイミングだけだ。
難解な中盤が嘘だったように、終盤の見どころがない将棋だった。
スマホで教わった通りに指した僕が順当に勝つ。
あれほど恐れた相手の対応は、こちらにとって1番目か2番目に都合がいいものだった。
その時、最後の秒に追われ、「参りました」の一言を言うだけだったはずの対戦相手が盤面から顔をあげた。
その目が僕を睨みつける。
鬼気迫る表情で立ちあがり、足早にどこかへ向かった。
僕の目の前には、時間が切れているのに対戦相手がいない。
対局場が騒然となる。
しばらくして、対戦相手が幹事の棋士を連れて戻ってきた。
対戦相手は、変わらずあの目だ。僕は睨みつけるあの目。
連れられてきた棋士は、困惑の表情を浮かべていた。
何も言わず僕の身体調査が行われた。
全ての証拠が揃ったところで、正式に僕の反則負けが決まった。
その直後のことは、覚えていない。
あまりに辛すぎる情報は、脳が勝手に消すらしい。
僕の記憶がはっきりしているのは、電車の中の光景からだ。
僕の耳に聞いたこともない駅名が届いた。
終点の名前は知っていた。千葉駅だ。
どうせ東京にも帰れないし、終点までその電車に乗っていた。
僕のほかに乗客がいない空っぽの電車は、まるで僕の心のようだった。
終点の駅にひとり放り出された僕。
季節は3月。
寒空の下、行く当てなんてあるはずがなかった。
その時の僕は生と死の中間にいた。
このまま人知れず死に場所を求めて歩き出そうかとも思った。
だが自分の命すらどうでもよかった。
結局何もないまま夜が明けた。
始発で東京の自宅に戻り、着替えもせずそのまま丸一日寝て過ごした。
将棋連盟から永久追放の通知が来たのはそれから3日後。
中に目を通すと、大層厳しい言葉が丁寧すぎる文章で綴られていた。
将棋界という僕が人生を過ごしてきた村は、掟を破った住人には冷酷だった。
だが僕が犯した行為を考えれば、その言葉たちですら優しく見えた。
時代が時代なら命すらなかった行為である。
必要最低限の栄養も取っていない僕は、1か月以上ただ家の中にいた。
僕の家の中は、生命維持と将棋しかない。
この家にいる間は、ずっとパソコンの前でコンピューター相手に将棋の研究をしていたのだ。
本棚には溢れんばかりの将棋の本と数冊の小説だけ。
将棋に関するすべてのものが僕を笑っていた。
だがすべてを捨て去る気分ではなかった。
それは将棋を必死に否定しているようで、結局将棋に囚われていることになると思った。
あの日以来誰とも連絡を取っていない僕には、社会の状況が入ってこない。
そもそも、将棋以外で僕に社会とのつながりなどない。
26歳の僕は親の仕送りと将棋の記録係で生活していたのだ。
高校を卒業以来、バイト経験すら一度もない。
僕は将棋以外の生き方を知らない。
普通の人からしたら、僕は異常者にしか見えないだろう。
自分が変わっているという自覚はある。
だが僕みたいな人種は、将棋界では対して珍しくもない。
棋士とは異常な生き物だ。
どうして異常にすらなれない人間が棋士を目指せるのか。
異常な将棋モンスターが、僕の周りには溢れていたのだ。
だから元奨励会で、全てをかけてもプロになれなかった人の悲劇なんて、将棋界にはごまんとある。
いつの世だって、夢破れてもなお、人々は生きていかねばならない。
その方法はさまざまだ。
働きながら将棋の大会に、アマチュアとして参加する人も多い。
中には完全に将棋そのものを止めてしまう人もいる。
僕の中で一番印象に残っている話は、年齢制限でプロを諦め絶望の中にいた男が、大自然の海を見て己の小ささを実感するというものだ。
今の僕は、この人たちとは違う。
この人たちは最後まで将棋に真摯だった。
夢破れてもなお将棋指しであった。
だが僕はもう将棋指しではない。
そんな権利などない。
犯した罪の重さがこの1か月ずっと僕にのしかかってくる。
なんでこんなことになってしまったのか。
こんなはずではなかった。
自分は天才だったはずだ。
他の人とは違う。
どんな狭き道も自分には関係のない話ではなかったのか。
僕がプロ棋士になれないという恐怖に襲われだしたのは、今から3年前だ。
当時20台も幾年がたち、プロ棋士への最後の関門である三段リーグで全然結果出せなかった。
すると突然、それまで漠然とあった自信と楽観が吹き飛んだ。
もしかしたら自分は持っていない人間なのかもしれない。
決して認められない思いが初めて顔を出した。
そこからの期間に楽しい瞬間なんて一度もなかった。
そこには、子供の頃夢中になって指した将棋はどこにもなかった。
いつかは自分の名前の付いた戦法を残したい。
そんな純朴な少年の憧れなんて泡となって消えた。
この頃からコンピューターを使っての将棋研究にのめりこんだ。
何かを変えることに必死だった。
自分の感性よりもコンピューターの評価値を妄信するようになった。
あれだけ拘っていた、他の人から真似されない独自の棋風なんてもはやどうでもよかった。
全てを失った日から3か月が過ぎた。
僕はまだ生きている。
もう死ぬ気なんてさらさらない。
将棋のために死んでなどやるものか。
そんな気持ちだった。
絶対社会で成功して、将棋を見返してやる。
そんな気持ちだった。
僕の気持ちの整理がつき、新たな目的が決まった。
僕は再び外に出ることを決めた。
これまでの将棋しかなかった僕には、内も外もなかった。
だが、将棋界から永久追放された今の僕に戻る場所はない。
もう外の世界、すなわち社会しか僕には残されていない。
これからだ。全てこれからなのだ。
社会がどんなに複雑怪奇なものであろうと、所詮将棋に比べたらどうってことはないはずだ。
生まれて初めて社会に吞み込まれた僕には、不思議な出来事が起きていた。
人の上に評価値が見えるのである。
その光景は、まさにコンピューター上の将棋盤と一緒だった。
その原因が、反則負けになった日の強烈な体験か、3年間片時も休まずコンピューターで1人将棋の研究に打ち込んでいた日々なのかは僕にはわからない。
おそらく両方だろう。
どちらにせよ、どこまでいっても僕の人生は将棋の手のひらの上のようだ。
僕は将棋から逃れられない。
あの日以来、僕は一局たりとも将棋を指してはいない。
それでも僕の世界は確実に将棋でできている。
僕はそう諦めるとふっと一息つき、空を見上げた。
そこには青空だけが広がっていて、評価値はどこにもなかった。
空の青さを前に、僕は再び覚悟を決める。
改めて社会を見据えた僕の目には、人の数だけの数値と、無数の可能性が広がっていた。
全てはこれからなのだ。




