未知との遭遇
志高く、生き方は大したことなく卑小な俺は、ダラダラと空中浮遊する円盤を眺めていた。やがてそいつが目の前に下降してきたから、俺は半歩後退りした。小さな扉が、小気味の良い電子音を発しながら上方へ滑るようにスライドしていくと、中から未知の生命体が現れた。それは銀色に輝く、いつしかグレイと呼ばれるようになっていた、あの今ではすっかり馴染み深い頭でっかちの小さなエイリアンだった。俺はひとまず怯んだ。当然だろう。宇宙人も円盤もナマで見るのは初めてだったのだから。しかもこんな至近距離でだ。それにグレイの後方は大量の光の束のような光源が無数に回転しながら俺を容赦なく射っていたのだ。俺は俺の生気を吸い取られてしまうのではないかと危惧するくらい、その眩しさに恐怖を感じてもいたのだ。目の前にいるメタルグレイのチビ助に対するのと同様にだ。するとチビ助が近付いて来たから俺は益々焦りながらも身構えた。地球人として、余り情けない行動は出来ないと、俺のDNAが命令を発したのかも知れない。チビ助はよちよち歩きを止めて、俺のすぐ前に止まると、ゆっくりと貧弱な右手を伸ばしたまま中空へ上げ、そして停めた。それから5本ある内の、人差し指らしい2本目の長い指を伸ばして俺を指し示した。すると指の先から、赤い光線が出てきて、俺の額に向かって差さっているではないか。それはまるで赤外線のように俺の額に焦点を合わせたまま、次に何が起こるのか考える間も無い内に俺はやられてしまうのだろうと思った瞬間から、そのままの状態で、身動き出来ないまま、だが実際に動こうと思えば出来たであろう可能性も十分に認識しながら、俺は暫く時が流れるがままに任せていた。またそれと同時に、結局は俺は何も出来ないままに、指の先から赤い光線を俺の額に向けて差してくるチビ助と対峙したまま、ただ頭が真っ白になっていくような感覚だけを感じるようになっていた。そうか、これが洗脳なのか。俺もこのみっともないチビ助の仲間になってしまうのか。それとも、俺は捕食されている最中なのか。もう真っ白いイメージしか浮かんでこなくなった。白。それがすべてだ。他には何も無かった。白、それだけがあるのみ。
この前俺は、珍しく、2日間、出張で大阪に行ってきた。東京のオフィスで週に平均して2度は、腰掛けている椅子の脚か背凭れを強か蹴っ飛ばされた後に、激詰めされるのが当たり前のようになっていたから、取り敢えずは胸を撫で下ろしたものだった。そんなのはもう数年前から慣れたもので、今では別に痛くも痒くもなかったが、夏に奇妙な夢を見て以来、メンタルが弱くなってしまったのか、結構憂鬱になることが多くなっていたのだった。この前も、オフィスで机に座ってパソコンに向かいタイピングしていると、後ろからいきなり、背凭れ目がけて蹴りが飛んで来たのだった。俺は不意を突かれたように、(実際に不意を突かれていた)後ろを向くと、上司Aが鬼の形相で俺を睨み付けているではないか。
「お前、何でここにいるの?」
上司Aが俺に問い掛けてきた。俺がどう返事をしていいか分からずにいると、上司Aが今度は俺の座る椅子の脚を蹴ってきた。
「聞こえてねぇのかこの野郎。あめえ何でここにいるんだっつってんの!」
「仕事の為です」
俺は咄嗟に答えた。彼から並々ならぬ殺意を感じ取ったからだ。
「仕事の為?」
上司Aは難解な外国語でも聞いたような反応をした後で、俺に詰問してきた。
「君の仕事は何ですか?」
「営業です」
俺は答えた。俺の仕事は営業職だ。間違いない。
「営業だよね?」
「はい」
「営業ってどういうことするのかわかってんの?」
「ものを売ることです」
俺は答えた。
「ここに居て、ものが売れるの?」
「売れません」
「売れないよね。じゃあどうするのかなあ?」
俺は鞄を手にしてそのままそそくさとオフィスを出た。客回りをする為だ。このようなやり取りは、俺が油断して机に向かって座っていると必ず起こるお約束事のようになっていた。いつもならこの程度のパワハラは屁でも無かった。だがあの奇妙な夢を前に見て以来というもの、最近は何かと弱気になっている自分にふと気付かされることが多くなっていたのだった。
そんな時に、滅多にない、出張の話しがきたのだ。聞いた途端、上司と同行という最悪のシナリオも覚悟していたが、どうやらそれは回避できた。どうやら一人で行くらしい。しかも二日間だ。息抜きが出来る。少し救われたような気になっても不思議ではない。東京にいれば、週6日、終電間際の時間まで帰れないのだ。同じ仕事とはいえ、出張と聞いただけで肩のおもりが軽くなるというものだ。
大阪では予想した通り、自由な時間を得ることができた。恥ずかしい話しだが、ブラック企業に勤めて早10年。旅行らしい旅行なんてしたことはない。週6日、或いは週7日、朝8時前から夜中の0時過ぎまで働き詰めで、その上大型連休など死語に等しい会社なのだ。大晦日にはオフィスや階段、便所等の大掃除をさせられ、正月は三が日のうち休めるのは一日間のみだ。勿論有給も取れない。取ると休んだ分の溜まった仕事を日曜日にする羽目に陥る。旅行する時間なんてあるわけがない。週に1日の休みの日は疲弊し切った心身を部屋で休める為にある。旅行なんてしたら次の週の後半には死んでいるだろう。
そういうわけで、忘れた頃にやってくる出張が、俺にとってのちょっとした旅行のようになっていた。勿論、そこに上司が加わると、それはハーデスのもとへ向かう地獄行きと化すのだが。
そういうわけだったから、いくら出張といっても、余った時間に何をしていいのか分からずに、取り敢えずは、たこ焼きを食べることにしたのだ。なんてことだろうか。たこ焼きなんてどこにでもあるではないか。だが俺は、まるでここでも、一匹の社畜として、洗脳され魂を引き裂かれたかつて何者かであった何かの残滓を引き摺っているつまらない記号のような、麻痺した感覚で、ホテルの近くにあった賑やかな通りにあったあるたこ焼き屋へと、何かにコントロールでもされているような体裁でひとりでとぼとぼと向かっていたのだった。そしてそこでたこ焼きを一人前購入した俺は、店のテーブルに着いてそれを食べ始めた。すると食べ始めた途端、俺の頭が急に痛くなったのだ。だがそれは一瞬のことであった。問題は、痛みが去ったそのすぐ後に、俺の頭の中から誰かの声が聞こえて来たことだった。それは次のようなことを言っていた。
「やめちまえ」
俺は周囲を見たが、俺に構う奴なんて誰もいない。土地勘も知り合いもいない、見知らぬ都会で、誰かが俺に話し掛けていることが不思議に思えた。だがそれは確かに俺に何かを言っていたのだ。それだけが確固たる真実だった。
「そんな会社、辞めちまえ」
それを聞いて、俺は漸く理解した。俺は自分でも知らない内に余程のストレスを抱え込んでいたということに。声が頭の中から聞こえてくるくらい、俺は参っていたのだ。やれやれ。するとまた声が聞こえてきた。
「俺様はグレイだ。グレイ様と呼びな。間違えてもチビ助なんて言うなよ」