オトシヨリは大切に
Sはやり手の営業マンである。
今日は、新人社員のNを引き連れて、最初の得意先に向かっていた。
Sの仕事ぶりをNに見学させてやってくれと、上司に無理やり頼まれたのであった。
「だがね、N君、私は誰かに教えるなんて本当は苦手なんだよ。これっきりにして貰いたいものだね」
「すいません、ご迷惑をかけて。お礼に肩でも揉みましょうか?」
「いや、いいよ」
「それぐらい、やらせて下さいよ。お礼がしたいんです」
「君は、そればっかりだな。お礼とやらは、少しでも会社に貢献できてからにしてくれよ」
二人は○×会社の受付でアポを取り、L社長を呼び出し貰った。
ここの社長は嫌われ者で有名なので、Sは立ち上がり挨拶した。
「どうもL社長、ご無沙汰しております。それと、こちら同僚のNです」
「そうか、こんにちは」
会釈をすませたSは、L社長が横に振り向いた時、首元に灰色の紙が付いていることに気が付いた。
「あれ、首の後ろにゴミが付いてますよ」
L社長は首を触るが、何も掴めなかったらしい。
「はーい、お茶とお菓子をお持ちしましたー」
二人の会話を邪魔するように様に、○×会社の女性社員が飲み物を3つ持ってきた。
彼女は、まずL社長からゆっくりと湯飲みを手渡していた。
「おお、そうか、ありがとう。ついでに、お尻にもお礼を言っておこうかな」
「もうダメですよー」
L社長がセクハラするも、女性社員もまんざらではない様に、仕事に戻っていった。
彼女はL社長から見えない位置まで行くと、手にした1万円札を財布に入れていた。
「ふふ、よく気が回る子だろ。この会社は社員が家族ぐるみの様に接するというのが強みだからね」
L社長が気分を良くしていると、今度は別の男性社員が近寄ってきた。
「ちわ、肩でも揉みましょうか?」
「おいおい、お客様が来ているのに、ちわは無いだろう」
怒ってはいるものの、L社長は気持ちよさそうに肩を揉まれていた。
「まいどー」
やり終えた男性社員は、仕事に戻っていった。
その時、彼はいつの間にか手にしいた1万円札を、ポケットに突っ込んでいた。
Sは二人の行動を全て見ていた。
「……L社長は色々と人気があるようですね」
「ははは、まあな。やっと若い世代とも会話できる様になったよ」
「なるほど。私も一つ肩を揉んでも宜しいでしょうか?」
「いやいや、もう結構だよ。やり過ぎると、心臓の方が痛くてね。君とは同い年だが、私の方が先にガタがきたのかもな。昔はこんなに心臓が締め付けられなかったんだが」
「でしたら尚のこと、肩もみをさせてください。私も日頃お世話になっているL社長の健康が心配なんですよ」
Sは社長の背後に回ると、まず彼の首元を見た。
そこには皮膚の隙間から灰色の紙が突き出ていた。
好奇心に駆られたSが軽い気持ちで引っ張り出すと、ニュルッと新しい一万円札が出てきたのである。
「どうかしたかい、S君」
「……いえ、何でもありません。しかし、この会社は本当に素晴らしいですね。普通でしたら、社内に多少のギスギスした空気が流れるものですが、ここは全くそれがない。気軽に社長とスキンシップをする、それが大事なんですよ」
SはL社長から隠す様に、一万円札をポケットに入れていた。
○×会社を出た二人は、次の会社に顔を出す前に、近くのお店で昼飯をすませることにした。
「N君、一緒の営業が上手くいったお祝いだ。今日は私がご飯を奢るよ。好きなものを食べてくれたまえ」
「ありがとうございます。しかし、お返しに何もしない、という訳にも行かないですよね」
Nは爽やかに笑い、Sの背後に回り込んだのである。
「おいおい、一体何をするつもりだ?」
「軽く、肩を揉むだけですよ。S先輩も言ってたじゃないですか、スキンシップが大事だと。それこそが、会社で成功する秘訣だったんですね。僕は、そういう当たり前の常識が欠けていたようです。先輩には毎日でもスキンシップしたいぐらい感謝しています」
「そうか、分かってくれたのなら、それで良いんだ」
二人は会計を済ませ、店の外に出た。
だが、後輩のNが一人で何処かに行こうとしているので、Sは呼び止めた。
「おい、そっちは次の訪問先じゃないぞ」
「ちょっと、先に行ってて下さい。銀行にお金を預けてから、追いかけます」
そう言うNのポケットは一万円札の束でパンパンに膨らんでいたのである。