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解答篇


 その後も、奇怪な自転車乗りに関する議論は続いた。「後頭部に人間のお面をつけていたため、後ろ向きで自転車を漕いでいるように錯覚した」「実は二人乗りをしていて、後方の人物が何を思ってか後ろ向きに座っていた」「大道芸人の幽霊が彷徨っていた」――等々。だが、いずれの仮説も満場一致は得られず、会話は次第に尻すぼみになっていった。

 蒲生が手洗いのために席を離れ、追加で注文した珈琲三杯をウエイトレスが置いていったところで、碓氷はおもむろに口を開いた。

「綿貫さん。今ならチャンスですよ」

「は? あの、一体何のことでしょう」

 老人はきょとんとした顔を碓氷に向ける。蒲生の友人は淡く微笑むと、

「今なら、蒲生もいないし二人だけです。それとも僕からお話しするほうがいいですか」

「おっしゃっている意味が、よく分かりません」

 戸惑うように眉を寄せる老人。碓氷はテーブルに両肘をつくと、昔話を語るようにゆったりとした口調で切り出した。

「蒲生と三人で、バックライドの動画を見ましたね。あのとき、蒲生はこう説明しました。バックライドでは、サドルではなくステムに尻をのせて漕ぐのだと」

「はあ、確かにそうおっしゃっていました」

「ここで、僕はおやと思いました。ステムは、左右のハンドルを繋ぐ中央のパイプ部分を指します。しかし、普段自転車に乗る者でも、あの部分をステムということを知らない人も多い。なのに、あなたはステムについて何も訊ねませんでした。ステムが何のことか知っていたのですね」

「は、はあ。確かに分かっていました。ですが、それが何かおかしいでしょうか」

「綿貫さん。あなたはよく自転車を使われているのではないですか」

 驚いたように目を丸くする老人。碓氷はにっこりと微笑むと、

「蒲生と喫茶店に入ってきたとき、あなたの足取りがしっかりしていることが印象的でした。聞けば、来月が八十回目の誕生日だというではないですか。動きも話しぶりも矍鑠としていらっしゃるので驚きました」

「いやいや、お褒めに預かり光栄ですな」

「それに加え、ステムについてもご存知だった。ですから、きっと普段から自転車を使いこなしているのだろうと推察したわけです。半ば当てずっぽうですがね」

「いやはや、なるほど。しかし、それと自転車乗りの話は何か関係があるのでしょうか」

「蒲生は、こんなことも話していました。あなたは等身大の人形を操って腹話術の芸ができると。時々、町内会のイベントでもお披露目しているそうですね」

「まあ、そうですね」

「そのイベントは、たとえば公民館なんかで行われるのですか」

「ええ。町内に一つ、比較的大きい公民館がありましてね。定期会合や交流会などで使っています」

「では、芸を披露する前には公民館で練習することもあるのでは」

 綿貫老人は不意に口を噤む。喉に異物がつっかえたときのように、軽く何度か咳き込んだ。碓氷は老人に視線を固定させたまま、

「たとえば、あなたはある日の夜に公民館で一人腹話術の練習をしていた。例の等身大の人形を相棒にね。そして、練習が終わり公民館を去る。自転車が移動手段のあなたは、()()()()()()()()()()()()()()紐の類で固定させ、自宅へ向かって自転車を走らせていた。そんなあなたの姿を、もし後ろから目撃したらどのように見えるでしょう。暗がりで視界が悪いことも相まって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ように見間違えても、不思議ではないと思いませんか」

 綿貫老人は、検察官の起訴状朗読を聞く被告人のように黙りこくったまま頭を垂れていた。

「そう考えると、これで謎はすべて解けます。いくらバックライドの達人でも、坂道を後ろ向きで漕ぐというのはあまりに手間のかかる乗り方だ。しかし、当人は普通に進行方向に向かって座り自転車を漕いでいた。これなら、坂道だろうと砂利道だろうと問題ないわけです。

 Aさんは、仕事の行きがけに公民館帰りのあなたを偶然二度も目撃してしまった。人間そっくりに作られた人形を背負い自転車を運転するあなたをね。だが、練習のことを住民に知られたくないあなたとしては、Aさんの見間違いかあるいは不審者として仕立て上げるよりほかなかった――これが、奇妙な自転車乗りの謎に関する僕の推察です。いかがですか」



 老人は、やがて永い眠りから覚めた動物のようにむくりと頭を起こした。

「自転車乗りの不審人物が町内会の会長だったなんて、とんだ結末ですな――しかし、私はこれからどうすればいいのでしょう」

 力なく碓氷に笑いかける綿貫会長。安楽椅子探偵の男は首をほんの少しだけ横に傾けると、

「別に、どうもしなくていいのでは?」

 両目をぱちくりさせる老人に、碓氷はあっけらかんと告げた。

「だって、自転車乗りの人物は結果として怪しくも何ともなかったわけでしょう。であれば、何も問題ないではありませんか。あなたがすべきことは、念には念を入れて一ヶ月前から町内を彷徨する不審人物について警察に届け出ること。蒲生が助言してくれたようにね。それだけだと僕は思います」

 そう言って、碓氷は珈琲カップに口をつける。手洗いから帰ってきた蒲生が、

「先客を待っていたら時間がかかってしまいました」

 愚痴を溢しながら席についた。

「ところで、自転車乗りについてはどうですか。何か碓氷から妙案が出ましたか」

 ハンカチをポケットに仕舞う蒲生に、老人は振り切ったような笑みで答えた。

「はい。もう、いいんですよ。もう、謎でも何でもなくなりましたから」



 数日後。碓氷の暮らすアパートの共同ポストに、一枚のチラシが放り込まれていた。綿貫会長ら町内会が主催する地域イベントに関する知らせだ。プログラムの出演者覧には、綿貫老人の名前も上がっている。腹話術芸の演目名で目を止めた碓氷は、思わず「え」と短く叫んだ。そこにはこう書かれていたからである。


『ある奇妙な自転車乗りにまつわる謎』と。

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