第1話 親友との登校
「……チ……ショー……イチ……ショーイチ」
ショーイチが目覚めると、母親の顔が飛び込んできた。先ほどまでの記憶があるが、なんとなく曖昧だ。
「早く起きて支度しないと、また遅刻するわよ」
母親はそれだけ云うと、部屋を出て行った。
起き上がってケータイの時計を見ると、すでに朝の七時を指している。
「今のは……?」
ショーイチは先ほどまでの記憶を思い出そうとした。しかし、曖昧な記憶は所々にしか思い出せない。大都会とガスマスクの兵隊……そして銀髪で青い目の少女。それ以上は思い出せなかった。この夢が一体何を意味しているのか全く分からない。どうやら夢を見ていたらしい。なんともおかしな夢を見たもんだ。
起き上がると、洗面所で顔を洗って髪を直す。ショーイチが朝起きて、まずやることといったらそれだった。それからトイレに行き、食卓に着く。
「あれ? 親父は?」
「もう仕事に行ったわよ」
母親はそう云いながらせかせかと動き、朝食の準備をしている。
「今日の帰りは早いの?」
母親がベーコンエッグを焼きながら訊いてくる。
「ん、たぶん早い」
ショーイチはそう返した。朝食は、トーストとベーコンエッグ、サラダにコーヒーだ。ショーイチはトーストにバターを塗りつけ、食べる。すると、バターの風味に混じって、若干の焦げた味が口の中に広がった。
「……ねぇ」
「ん?」
紅茶を飲んでいた母親がテレビを観ながら云う。
「あのさ、パン、ちょっと焦げてんだけど」
「えっ……あはは、ごめんごめん」
見せられたかじりかけのパンを見て、母親はころころと笑いながら謝る。母親がトーストを焦がすことは、須藤家ではよくあることだ。
「むぅー……」
ショーイチは若干の焦げた味をコーヒーで飲み下し、ベーコンエッグを食べる。幸いにも、ベーコンエッグは、卵もベーコンも焦げてはいない。しかし、卵の黄身はコチコチに固まっている。これもいつものことだ。
本当は半熟辺りが一番好きなんだけどなぁ。
ふとテレビに目をやると、ニュースがやっていた。最近、急に人があちこちで失踪する事件が相次いで起きているらしい。被害者に一貫性や共通性は全くなく、老若男女問わずで、警察も手を焼いているらしい。
食べ終えたころには、ちょうどいい時間になっていた。食器を片づけると、服を着替えて歯を磨き、鞄を持つ。
「じゃ、行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
母親に見送られて家を出ると、強い日差しがショーイチを照らした。朝ではあるが、すでに暑くなってきている。今日は雲一つない快晴だからか、普段よりも暑いように感じられる。
今日は湿気が少なく、ムシムシしていない。暑くても心地良い。
ショーイチはそんなことを思いながら、駅へと向かった。
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某県の地方都市T市――。
駅で電車を待っていると、後ろから声をかけられた。
「ショーイチ! おはよう!」
後ろを振り返ると、少し大人しそうな少年が立っていた。ショーイチと同じ高校の制服を着ている。彼の名は西澤吾郎。ゴローと呼ばれている。ショーイチとは幼馴染みだ。少し変わり者だが、いいヤツである。
「おー、ゴローじゃん。おはよー」
ショーイチはケータイをポケットにしまいながら云う。
「今日は割と早いね」
「まぁな。ゴローは相変わらずみたいだな」
「へへっ」
他愛もないやりとりをしていると、電車がやってきた。電車の中は、半袖シャツという典型的なクールビス姿のサラリーマンと、制服姿の高校生で溢れかえっている。
「さ、行こーぜ」
電車に乗り込んだ二人は、運よく開いている席を見つけ、そこに座る。電車が動き出すと、外の景色が流れ始めた。車内のサラリーマンたちは新聞を読み、高校生たちは参考書や問題集を読んだり、ケータイをいじったりしている。
「ん?」
ショーイチの鼻が、嗅いだ事のある臭いを感じ取る。臭いがした方に顔を向けると、中年の太ったサラリーマンが、電車の車内であるにもかかわらず、堂々とタバコをふかしていた。周りの人も嫌そうな顔をしているが、誰も口には出せないらしい。
「チッ……」
隣で舌打ちが聞こえた。見ると、ゴローが中年のサラリーマンを睨んでいる。ゴローが中年サラリーマンに向けている目線には、明らかに憎しみが込められていた。そういやゴローはタバコの臭いが嫌いだったな。ショーイチはそんなことを思い出した。
「迷惑だ。あのタバコ、どっかに飛んじまえばいいのに」
ゴローが云った、そのときだった。
どこからともなく風が吹いてきて、中年サラリーマンが吸っていたタバコの火を消してしまった。中年サラリーマンは狐につままれたような顔をしていたが、火が消えたことに気づいて、慌ててタバコを携帯灰皿の中に押し込んだ。
二人は目の前で起きたことに対して、唖然としていた。
「……お前、まさか」
「いや……何もしていないはず……」
ショーイチとゴローは、顔を見合わせる。
ショーイチとゴローの身の回りでは、こうした不思議なことが時々起きていた。ゴローのときは風が、ショーイチのときは火が起きていた。いつ頃からこんなことが起こるようになったのかは、本人たちにも分からなかった。そして、噂が立つのを恐れて、二人はそのことをできるだけ秘密にして隠していた。お互い幼馴染みでそんな過去があったからか、二人は今や親友同士だ。
電車が駅に停まると、中年サラリーマンは逃げるように電車を降りて行った。電車が再び動き出すと、二人はそっと胸をなでおろした。
「どうしてこんなところで……」
ゴローが小声で云った。
「とりあえず落ち着け。俺だって前、不良の髪を燃やしておばさんパーマ状態にしちまったから」
ショーイチがそう云うと、ゴローはその様子を想像し、一人で腹を抱えて必死になって笑いをこらえた。
「それでも、俺のせいだとは思われなかったんだ」
「くくく……」
ゴローは必死になって笑いを押し殺している。
「だから、大丈夫だ」
「そ……そうだね」
笑いを押し殺すことに成功したゴローは、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
二人が降りる駅に電車が到着すると、大勢の高校生も一緒に降りて行った。駅を出た二人は、学生でごった返す商店街を歩きながら、高校へと続く道を歩いて行った。