少ない男の過ごし方
ある日、世界は突然一変した。
魔法が使えるわけではない。科学技術はそのままだ。獣人が出てきたわけでも、エイリアンが攻めてきたわけでもない。
男だけが少なくなった。
理由は解明されていないが、突然変異したウイルスだろうという意見が主流である。そのウイルスのせいで、対抗できた男性以外、全ての男性が死んでしまったのだ。
その結果生まれたのが、男女比なんと1対100という驚愕の世界である。もちろんこれは平均であって、とある国では男女比1対1000ということになっていたりする。
しかし、さすが人類と言うべきか、そんな状況でも人類が絶滅することはなかった。
子孫を残すために倫理観を後回しにした結果、女性同士でも子どもを作る方法を確立。人類が絶滅する可能性はほぼなくなったと言っていいだろう。
ただし、その弊害なのか、その技術で生まれた子どもで男が生まれることはない。更に技術が進めばこの問題も解決すると考えられているが、現在では不可能である。
もっとも、今では男性には精子提供が義務付けられている。女性同士で子どもを作らなくても、そもそも冷凍保存された精子を使うことで人工授精することも可能であるため、子どもを生むとすれば現在はそちらが主流である。
さて、人類が絶滅することはまずなくなった。しかし、ウイルスの脅威が去ったわけではないため、男が生まれてもすぐに死亡してしまうことがほとんどである。
では、その数少ない貴重な男は、一体何をしているのか?
男は保護されていた。
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男というだけで、この世界は生きていける。
つまり、男に生まれるだけで圧倒的な勝ち組であって、これからの将来を心配することはないのだ。
ああ、素晴らしき男という性別。ありがとう神様、ありがとう両親。僕を男にしてくれて。
そう考えられないと、やってられない。
「私の隆史のほうが優れているわ。龍平、さん? 確かにかっこいいけれど、それ以外は隆史のほうが断然上ね」
「優しそうで、誠実そうで、確か料理も上手だったかしら? 素晴らしい男性だわ。でも、それは女性でも満たせる要件よ。龍平のほうが100倍かっこいいじゃない」
僕を保護してくれている佳奈さんと、龍平という男性を保護している麗華さんの言い合う声が周囲に響く。更に僕と龍平さんの後ろには10人単位で女性が控えている。
ここは駅前、街の中央。休日である今日は、数多くの人たちで賑わっている。
でも、この周囲だけは人の姿が少ない。僕たちのトラブルに巻き込まれないように、そそくさをこの場を立ち去っている。
チラリと龍平さんを見ると、龍平さんは疲れた顔でボーッとしていた。何も考えないようにしているらしい。確かに佳奈さんと麗華さんの言い合いは長くなりそうだ。そうやって嵐が過ぎ去るのを待つのも、いいかもしれない。
佳奈さんと麗華さんは、若くして成功した実業家だ。だから、男性を保護するための資金は十分にあるし、国に男性保護資格ありと認められている。
そう、男性は保護されている。
ほとんどの男性は、女性に保護されることで生きている。稀に保護されずに生きていこうとする剛の者もいるけれど、そういった人は大抵女性不信になった姿で発見される。
男性に人権がない? いや、十分に尊重されている。住居、衣服、食事、全て不自由なく揃っているし、働きたいならば働く権利も保証されている。男性の残業禁止という法律もあるため、過労死という心配もない。
週に一度の健康診断と精液提供の義務はあるけれど、このやりすぎなくらいに恵まれた環境を思えば、安い代金だ。
この環境の代償は、男性の私物化だ。
あるいは、アクセサリーと言ってもいいかもしれない。
男性は女性に保護されることで生きている。保護資格を持つ女性は、男性を保護するための環境や資金を十分に用意できる一部の女性に限られる。
つまり、ほとんどが社会的地位のある女性ということだ。
たとえば、政治家であったり、大企業の社長であったり、あるいは芸能人であったりだ。
そして、得てしてそういう人たちは、自己顕示欲の強い女性が多い。
彼女たちは、人前に出て活動することが多い。政治家であれば街頭演説をしたり、国会で議論をする。
芸能人は最たる例だ。テレビに出ない日などないだろう。もしくは、大勢のファンを前にして歌っているかもしれない。
では、そういった彼女たちの隣に、貴重な男性がいればどうだろうか。スキャンダルになるだろうか? 週刊誌で叩かれるだろうか?
否、だ。男性が隣にいるということは、男性を保護しているということである。それは自らの資金や権力を示しているのと同時に、社会的強者として立派に義務を果たしているということを示している。
つまり、羨望の眼差しで見られるのだ。立派な女性だと、尊敬されるのだ。
そして、その男性が健全であり、健康であるほど、素晴らしい女性であると賞賛されるようになる。
気持ちのいいことだろう。男性が隣にいるだけで、賞賛を浴びることができるのだ。かっこよく、そしてしっかりとした男性であれば尚の事だ。
そのために、女性は男性を磨くようになる。
健康的な料理を与えるようになり、適度な運動をさせるようになる。ストレスのない生活のために趣味をさせるようになり、生活リズムを整えさせる。
まるでペットだ。男性は、女性の装飾品として存在しているかのようである。
嫌にならないわけではないが、まあ、それは仕方ないかもしれない。男性が貴重な社会であるから、男性を保護するのは必要なのだ。
しかし、問題がないわけではない。
保護されている男性のほとんどは、健康的な男性である。健康的な生活をして、病気一つすることがない。長生きする人も多いだろう。
なら、後はどこで差をつければいい? 相手よりも賞賛を得るために、果たして何が必要だろうか。
相手よりもかっこいい男性であれば、より賞賛を得ることができる。
残っているのは、男性個人が持っている資質の差だろう。身長だったり、肌の色だったり、そして顔の造形などだ。この中で何が一番わかりやすいかというと、当然顔の造形だろう。男性が綺麗な女性に惹かれるように、女性もかっこいい男性に惹かれるのは自然なことである。
近年、男性を無理やり整形させる女性が多くなっていると、大々的に報じられている。最近では、アフロヘアーで有名な国民的歌手である『アフロな理恵』も、保護している男性を無理やり整形させたとして、批判を浴びている。もしかしたら、逮捕されるかもしれないとニュースで言っていた。
この事件が意味するもの。それはつまり、自らの理想とする男性を、自らの手で作り出そうとしている女性もいるということだ。
ここまで来ると、完全に男性はアクセサリーである。女性は、自らを彩る装飾品として、男性を見ているのだ。
もちろん、そんな女性は数少ない例外だ。大多数の女性は男性の意思を尊重し、円滑な関係を築こうと努力する。男性も女性に歩み寄り、パートナーとして支えようと努力する。
だけど、今の佳奈さんを見ていると、他人事ではないと心配になってくる。佳奈さんは欲の強い女性だ。自分が中心でないと気がすまない性格をしている。
そして、きっと麗華さんも同じような人なのだろう。だから、こんな往来の多い場所で、言い合いになるのだ。
ああ、たぶん、龍平さんも僕と同じことを考えているのだろう。先程よりも少しだけ顔色が悪い。
僕には、佳奈さんが行き過ぎないように祈ることしかできなかった。




