表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

プロト中国人

 古代の動きを考えているとどうしても中国人とはどんな系統なのか?にぶち当たる。人種と民族は違う。これがおかしな根本になってる。多くの人は父系の血族集団が民族だという思い込みがある。別に母系でもMDNAで探れるが、父系と母系がころころ変わると系統が全く追えない。日本のややこしさはここにある。


 そもそも親戚って概念って、どの人も父系母系なんて意識し無い。父母どっちでも血族だと思う。それが無視されるなら、戦国時代の婚姻による結びつきというのが全くの無意味になるし、それはハプスブルク家のように東洋西洋で違いがあるわけじゃない。イギリスがこの典型で、あそこは血族として繋がっていれば王族って考えがあって、父系のつながりだと切れてるが、父母の血族集団ならあそこの王族には連続性がある。前の王朝の子孫などを権威として新しい王が配偶者として選んでるケースが多々ある。


 これに文化の継承と言う全く血統とは関係ない概念も関わってくるので、ハプロと民族を同一視するのはとても危険で、かつ海外では当たり前なんだ。日本があまりに民族=人種が分かり安すぎる。これは外の血の影響をあまり受けないのでそのせいで感覚が麻痺してるから。海外でも同じ偏見はあるが、人間は感情が理性を上回るのが常なのでそのせいで、根本的に日本人のようにずれてるのとは違う。


 中国の場合は難しいかもしれない。その辺り出鱈目にしておくと漢民族としてのまとまった団結力が生まれるから。ナチ的になるほど強固な感情を生みやすいようだ。


 民族と文化の移動はイコールであると言う考えは間違っては無い。ただそれが絶対だというようは発想はおかしくなる。細切器について再度書くが、バイカル湖と言ったが、あそこにC系など居ない。実はとなる。以前書いたが、あそこからアムール川に移ったQ系がアメリカに行く途中にC集団と混血したのがその因果になる。根拠は?バイカル湖に居たQ集団には無いMDNAがアメリカ大陸で発生してるからだ。この原因は一緒に行ったC系から得たと考えればすぐ解ける。


 Q系がモンゴロイドなのは混血による所がものすごく大きい。元々中国付近にも住んでいたらしいが、Qはルートがごちゃごちゃに入り乱れていて、3方向ぐらいルートがあった可能性がある。マンモスハンターとしてヒマラヤからウラル山脈へのルート。ひょっとしたら、これは分かってないが、ウイグルを見ているとシルクロードからの中国内陸部の流入が考えられる。このルートだけが怪しいのだが、皆同じスンダランドルート。これ否定派出来ない。


 かなり早くから中国大陸で生活していた証拠として人骨の遺跡が残っており、この集団がどこから来たか?でスンダランド以外考えにくい。それと言うのも単独じゃなくて他の系統と見つかってるのがその理由になる。Q系に特徴的な部分で、歯の大きさが明らかに中国系だって点。これはスンダランドの古いモンゴロイドとは全く違う。むしろO系にとても近い。これはO系との混血がどこかであったと考えられるから。C系はどの系統でもと無条件に言えるほどはこれほど歯が大きく無いらしい。


 プロト中国人においてQはものすごく重要。後NとQがプロト中国人に深く関わっている。牧畜、遊牧、騎馬民族。基本的にはこの流れで、ツングースだけが狩猟や漁労から騎馬民族になる特殊ケースといえる。Qはおそらくこの典型的なモデルケースの系統だと見てる。Nは後世の時代にはさっさと小集団になってしまってる。


 プロト中国人はこういった先進性の高い系統ではない。O2a2b1これがおそらくプロト中国人になる。中国東北部の騎馬民族がややこしいのは、プロト中国人が騎馬民族化してるから。これは古代中国が牧畜から農耕に移ったが、多分この流れで遊牧、騎馬民族に行ってしまった系統があるからだと見てる。


 系統的には中国が異民族と言ってるグループはプロト中国人と全く同じ系統だとなる。これが問題を巻き起こしてる。漢民族は入れ替わったとの説があるが、これは私は間違ってると見てる。理由は民族と系統は別だからだ。同じ系統の中での文化の違いによる戦いでしか無い。


 O2a1cこれが劉邦の系統になる。実は漢民族という概念は正しくない。本来中国人は華夏人と自分達を呼んでいて、その中心ハプロはプロト中国人であるO2a2b1となる。4つめの1と2が大きな系統の違いを見せてる。漢民族と言うのはこの劉邦の系統と言えなくも無い。でも構成民族としてその大半はプロト中国人であるO2a2b1となる。それゆえ漢民族は劉邦の系統+華夏人の集合体となる。むしろ劉邦の系統がどこの馬の骨とも分からないとんでもなく外れた系統なんだ。


 さすが農民からのし上がっただけの事はある。多分それが原因だろう。プロト中国人として取り残された負け組みからのし上がったからこうなったと見ている。中国は一貫して、プロト中国人の構成は変わってない。変わったのは、それらの中で分岐した騎馬民族の文化をもった連中だとなる。鮮卑の王より、劉邦の方が実は異色の系統なんだ。


 元と清以外は子孫のデータからプロト中国人の系統から大きくは外れてない。民族的には大きな変化をしてるが、ハプロ的には中国人はまるで変わってない。


 曹操は信頼できるが、後は怪しいが、明の皇帝も異色の系統で曹操と同じ華南に多いO1B1の系統になる。コレは子孫からのでーたじゃない。朱と言う名字から朱と言う名家の子孫から取ったデータで決め付けただけになる。曹操はかんがんの養子で、明の皇帝も劉邦の様に成り上がり。こういった異色の経歴が無いと大体はプロト中国人の系統で納まってしまう。


 ただ名家だと思うのだが司馬家はC2C系だったと思う。大江家もそうだが文官からのし上がった武家は異色の系統になりやすい。大江の場合はハプロは分からないが、天皇家ではない。


 良くあることだが、国境や文化の違いが同じ系統を勝手に別物だと思い込む意識のせいだと見てる。ただし、ここで母系が出てくる。母系の繋がりで父が中国人と同じ系統になっただけじゃないか?の可能性はある。それはハプロが民族にとってあまり重要じゃない一つの根拠になる。


 文化の典型的なのがトルコ人だろう。通常支配された民族は独立しやすいが、稀にそれを逆に誇りにする系統が世界史では多々ある。それがトルコ系の中のJ1、R1BやR1Aの多さになる。騎馬民族ですらなかった満州が最終的にモンゴルのハーンとして認められるというのが文化的なつながりだと見てる。これに関しては当時モンゴルの方が狩猟生活をしてて後れていたと言える。当初は金の下でチンギスハンは働いていた時期があるらしい。その金を滅ぼしたのはチンギスの息子達なのだが。まさに下克上。随分後になるが、その流れでモンゴルを上回りハーンになったのがヌルハチになる。


 藤原家と何の関係があるんだ?となる。これがあるんだ。江南=O1B2説の根拠は今の中国と過去の中国にハプロ的に全くつながりが無いって理屈があるからだ。確かにO1B2はインドネシアベトナムの高さから、江南で生まれたものだろう。ただその移動は先史時代の事じゃないか?と見てる。


 ハプロを激変させるには時間が足りない。おそらく6000から7000年前に何か急激な変化が起きていて、これにもう1つ歴史時代からはNとQが大きな変化したとなる。そのNとQもきちんと痕跡は残してる。


 よってO1B2は小集団が先史時代に移動したと見るのが妥当だと見てるんだ。時間が長すぎて、かつ小規模すぎて完全に消えてしまったんだ。これは大きな理由となり、稲作の北限が大きな枷になるため、水田稲作を持ってきた民族と言う理屈は間違ってるとなる。


 プロト中国人ってのがものすごく重要になる。近親のハプロの中でごちゃごちゃ中国はやってるだけだ。それが大きく変わっただけだ。基本的には何も変わってない。おそらくその問いに答えるには先史時代のハプロが必要になる。


 中国のコーカソイドと言うのが多分かなり大きな変化の一つだと見てる。秋田美人の話しになるが、この原因が高い満州のR1Bの率じゃないか?と見てる。モンゴルにR1Aは普通に残ってる。それはスキタイだ。すぐに説明が付く。


 中国東北部は何度も騎馬民族が国を起こしてる。それゆえ中央アジアまで及ぶ大帝国を創る事になる。これによってコーカソイドが流入してるのではないか?と見てる。決定的な系統の移動ってのはこれぐらいのものが必要だと見てる。これは遊牧民特有じゃないか?


 他にもある。ドルメンの存在。実は朝鮮半島にもR系統が発見される。これは遊牧民だけじゃなくて、極東に何か得体の知れないR系統の集団の流入があったのじゃないか?となる。巨石文明って話しになる。N系統が持ち込んだ遺伝子じゃないか?は言われてる。東北日本海側で異様に高いN系統の分布があるから。


 私は3系統で見てる。一番の候補は歴史黎明期のN系統の活躍。Qは日本で低すぎるので置いておこう。ここにコーカソイド遺伝子が絡んでるのは無いか?トルコ、ロシアを作った基底民族はN系統になる。フィンランドもそう。N系統はコーカソイドと深く関わってる。後は、契丹、遼と呼ばれた民族がモンゴロイドだが、モンゴル人から色目人と呼ばれていた点。これは帝国が大きくて中央アジアまで進出していたため国民としてはコーカソイドを含んでいたためと思われる。


 古代のアジアはちょうどモンゴルがツングースに属していたように東にズレル形の勢力範囲になってて、コーカソイドが思ったより東まで進出している。これがモンゴルに残ってるRの理由になる。満州にR系統が大量にきていてもなんら不思議は無い。そもそも匈奴からずっとコーカソイドが伝統的に混血して入り込んでいる。最後が巨石文明だ。世界ドルメンにはR1Bが関わってる。


 でも半島で多い理由をそれにするのは強引だからそうしてないだけだ。でも半島に実際来ていたとしたらどうなる?Rがしっかり残っている。かつ満州で遊牧民として古代東アジアに多いR1AではなくR1Bだという点、これについて、中央アジアにはR1Bの遊牧民も同様に多い。スキタイがR1Aに偏ってるだけで。それゆえ遼や匈奴が原因じゃないか?となったが、それでもR1AじゃなくてR1Bが多いってのが不思議だ。データが間違ってるのも十分に考えられるほどだ。モンゴルはわずかだがR1Aの方が多いので違和感がある。


 R1Bだけが多い理由として巨石文明は説明がしやすい。同時多発的に異論は無いが、説明が付くR1Bがやってきたのならそれはそれで良いのじゃないか?と。


 コーカソイドの移動だけが現代のハプロから消えた大きな歴史の謎が隠されてると見てる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ