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シニガイ文化とO1B2

 ちょっと問題だという点でミクロネシアの問題がある。ミクロネシアにもO1b2が存在する。さらに問題はインドネシアのデータは細かくとられていて、日本に特に多い後から生まれた系統のものが存在する。そうなると東北アジアで誕生したと言うのはありえないとなる。ただ移動経路を見てすぐに思うのは船を使うのに長けた民族なんだろうなと想像できる点。ミクロネシアが移住先にあるので、得意じゃないと説明が付かない。江南からの移動はそれなりに弥生に近い時期の事としないと分岐時期から考えて説明できない。


 ただし弥生時代に重ねる必然性は全く無い。


 刻目突帯文土器の発祥の地と言われるシニ・ガイ文化について調べてみると、南西部と言っても海岸沿いになる。そっちより問題は漁労文化についてかかれてない。この民族については、畑作文化だとなってる。以前の予想どおりになる。縄文時代に北方作物を輸入したのがこの付近じゃないか?って点。ソバとヒエが代表的な作物になる。


 この点南方の焼畑農業では説明がつかない部分。それゆえ原始的畑作と言っても中身の作物は南方の焼畑がそのまま広がったというのは怪しい。元を辿れば南方の民族だとは見てるけど、後漁労は全く無関係とはいえない朝鮮の文化と似てて海岸漁労から内陸畑作も広がったのを考えると多分同じだと見てるし、基本東北沿岸部は漁労文化が根付いていた地域。後に畑作になっても海との関わりを一切無くしたというのも変な話しだし、日本にやってきたのはどう考えても船だと思われる。


 ここはかなり怪しい。


 見方を変えて神話に言及したい。これを編纂したのは藤原氏だと多くの人が知ってると思う。半島の神話に酷似している。この点だが、どうだろうか?これは一点だけで後は無視したい。何故なら他の様々な神話の雑多な寄せ集めで統一性が無い。その点神話先進国の神話をすべてぱくったってのが正解だと見てる。


 学者の批判として半島に共通する卵生の事柄が皆無な点。日本なら桃太郎に近い感じ。私もコレは思う。なんかしらの敬意から神話を模倣したならこれを省略は考えにくい。どっちかと言えばぱくったのを誤魔化したパターンがある。固有名詞だけやたらと日本特有に拘ってる点。ここが私が日本の宗教観は縄文と弥生の混血だと見てる点。


 これが天皇家のハプロと重なってる。じゃ縄文政権だったのか?と言うとそう単純じゃない。そこに藤原氏が入り込む余地があった点。良く言われる、大化の改新で渡来人が中臣家に入り込んだって説があるけど、これがかなり問題になる。これが真実じゃないか?と疑念を持ってしまう部分で、ハプロの調査は藤原家の系列しかしてない点。鹿島の中臣家の家系についてやればまた違った結果になる可能性がある。


 藤原家の唯一の問題として違和感があるのは、たけみかずちとアメノコヤネと言う2つの神を祭ってる点。日本書紀において藤原氏はアメノコヤネと言う祖先神をでっちあげたという疑念がある。その根拠としてたけみかづちを同格のように祭ってる問題がある。ただし日本は、多数の神を祭る事が多いので決定打ってわけでもない。それでも李下に冠を正さずとなる、疑わしい行動なのは確か。複数祭ってない神社も多いのだから。


 何故でっちあげたのかは、アマテラスとともにいる神って位置づけているから。それもこれも作ってるのが藤原氏なので疑わしいのは確か。


 今更ちゃぶ台ひっくり返すようだが、今回の一点だけ重要って点と重なるから。日本書紀古事記は天皇の成り立ちって部分だけはやたらと酷似してる点。ただわいはくは置いておいて、ふよ?といわれる種族はおそらくC2系だと見てる。高句麗(当初高麗と勘違いして文章を書いてしまいました。前後がおかしくなるのでそのまま残します)の王族の子孫といわれる人達がC2系がちらほらいるから。ただし日本には皆無。日本に子孫が渡ってきたのでこれはおかしい。百済や新羅も同種族だといわれてるけど、多分違う。百済や新羅の日本に来た子孫のあっちの末裔の大半はO1B2系だから。基本百済の王族が多いので高句麗の方が今残ってない可能性が高い。


 O1B2が江南系じゃないって理由はこれもある。O1B2がツングース語族だと思えば納得できる。何かしらの理由で稲作を生業と変えたO1B2達が居て、このせいでルーツが分からなくなってるだけと見ている。


 中国東北部のツングースはO1かO2系が大半である。ただし、満州族の様に有名になったヌルハチなどはC2系なのでC2系のツングースが居ないわけじゃない。元は中国人黄河人が土着化して遊牧民化したのが多い。これは系統からチベット族と深く結びついた系統が多いので多分そのせいだと見ている。


 元々チベット族と結びついたO2系は、遊牧と定住農業の2形態に周の時代に別れつつあったとあり、語族で後から分けてしまったが、元々はシナチベット語族だった可能性は十分にある。そうするとハプロの説明が尽くし、かつ、多くのツングース系の中華王朝の皇帝が元は漢民族だったと言う話も繋がってくる。


 もちろんでっち上げだと思われていたが、ハプロが何よりそれを物語っている。(直系の子孫からデータ集計による)


 O1B2は黄河人じゃなくて長江人だって違いなだけで、こういった土着した中国人の南方系だと見てる。何故こんな所までやってきたか?は私は漁労だと見てる。船なら魚場を求めて沿岸沿いに移動すればそれほど大移動ではない。むしろ過去の人類はそやって移動してきたから。


 高句麗が起こる頃にC2系は支配民族として台頭してきたんじゃないか?と見てる。

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