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O1B2と稲作

 ハプロから考える藤原家の正体。ハプロから数多くの古代王朝の名家がD系の縄文系であるのが分かってきた。まだ推測の段階だが、これまでの常識が間違っていたんだと思う。稲作を武器に増えた渡来弥生人。多分この発想が違うと見てる。先住縄文VS渡来弥生って視点から天皇VS蝦夷って構図で見たけど、実際は稲作文化を軸とした大陸の新しい文化を受け入れるか?って縄文同士の戦いだと見てる。戦後流行した征服王朝の流れでステレオタイプになってしまってると見てる。


 民族人種=文化って見方になりすぎてる。どうやら縄文人は日本人の土台になったのが良く分かる。縄文人は基本新しい外来文化をすぐ取り入れてジャパナイズしてしまう。この日本人の特性は縄文人が作ったようだ。蝦夷はそれに拒絶した縄文人に過ぎない。


 さてD系ばかりの古代王朝で一際目立つのが藤原家のO1b2の系統に成る。これに関しては他の豪族のハプロが出てないのが大きい。藤原家に近い系統のハプロがまだ調査されてない。おそらくそこにO1b2の系統が固まってると見てる。


 渡来系倭人は江南の末裔なのか?これが多分違うと見てる。一部江南の末裔が居ただけで、土着の民族だと見てる。おそらくO2系統が日本に入ってきてるのは確かで、その人達が独立していたか?または混血していた民族が居たのじゃないか?と見てる。江南から直接来たのはO2系統で、O1b2の系統は中国全土に広がっていたO1b1の系統から日本を含む東北部で分岐した系統じゃないか?と見てる。


 水田稲作を江南から持ってきたO1b2。多分これが間違っている。倭人と言うのは漁猟民の総称ではないか?と見てる。縄文系がどうだったか?は知らないが、O1b2が水田をやる前に生業としてたのは漁業だと見てる。水田稲作=日本人と捕らえているが、日本人と言えば魚食の民族だというのを忘れてはいけない。もう1つの日本人らしさを忘れているからおかしな理屈を作ってしまったと見てる。


 江南から北上したO2が水田稲作の起源だと見てる。O1b2がその担い手だというのは証拠が無い。それどころかここ最近はO1b2は中国北東部土着の系統じゃないか?といわれ始めている。問題は水田をやる前に何やっていたか?になる。漁業だとすればすぐ答えは出る。後からどうして江南人達の文化をすぐ受け入れたか?でこれなら説明が付く。漁業で繋がったグループになっていたからだと見ている。


 ここに漁業系D系も絡んで大きな集団を形成していたのではないか?と予想してる。


 単純に朝鮮からやってきたって見方じゃないのは、満州朝鮮土着のC系が全く日本には入ってない。日本のC系は対馬海流によって分断するまえに入ってきたC系なので、同じ系統だが、東北アジアの系統の古い系統に辺りすぐに区別が付く。O1b2だけが偏って朝鮮から入ってきたことになる。これがおかしい。おそらく海岸部分に住んでいたO1b2だけが日本に入ってきたと見てて、それは元々日本と交流が合った倭人グループだと見てる。


 習俗が江南人とおそらく似てると見てる。元々は明らかに江南から広がった系統であるため。ただし、江南から北上した系統はO1b1だと見ている。これなら江南にO1b2が全く残ってない理由が簡単に説明が出来る。O1b1なら無茶苦茶居るからだ。突然変異を見てるだけなので、O1b1に対してO1b2は全く同系の子孫系に過ぎない。O1b2が江南から移動してきたとなるからおかしな話しになる。


 じゃ何故こんな勘違いが起きたか?で実際に江南から人が直接移動してきてるからだ。これは小数だろうと見てる。移動してきた事実と、その数を絡めたデータが取れてるわけじゃないから。それに実際今のハプロと重なるO2のグループが日本にきちんと入ってきてる。


 何故彼らは水田を捨てたか?これが謎だろう。これは漁業が中心だったと思えば不自然ではない。その答えが陸稲だったのではないか?と見ている。水田とともに移動できる文化はあったが、稲作の北限がこれに引っかかる。稲作の北限が広がる前に漁業を中心に広がってしまったために、水田を伴って移動しなかったと見ている。


 米だけはもっていった可能性は、陸稲文化が満州に早くから根付いているから。彼らがその担い手だった可能性は高い。この辺り陸稲と水稲だと北限に違いがあるのか?は私は知らない。ただ、水田の前に陸稲なら早くから満州に根付いているのが朝鮮半島の稲の遺伝の調査で分かっているから。


 陸稲の担い手だったのか?は分からない。ただ可能性は高い。朝鮮半島の稲の起源になった満州の陸稲がどこから来たのか?これを考えると自然と江南から来た事という結論しか思い浮かばないから。米をもっていったか?はあまり重要じゃない。大事なのは漁業を中心に広がった民族ではないか?と見てるから。やがて彼らが水田稲作をやり始めるのが、ここが難しい点だ。稲の北限とともにそれを担ったのはO2の江南人や土着のO2の海岸部の系統になる。


 彼らと何故融合したのか?この2つのを繋ぐのが同じ漁業民では無いか?と見てる。同業種は敵対関係に逆になりやすい。習俗が似てたのじゃないか?と見てる。だから内陸の中国人は彼らを倭人として勝手に同一視してしまったのじゃないか?と。


 そもそも日本の稲作を担ったのは縄文人だ。これと同じように外来のものを取り入れた半島日本の土着の漁労民がO1b2ではないか?と見てて、彼らが元々陸稲を通じて稲作に触れていたか?は、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないとしておく。大事なのは彼らは漁業によって江南のO2人と繋がっていたと見てる。おそらく混血などがあったのでは?と見てる。


 船と稲が密接に繋がってるのは、古代近畿の水田跡の多くは船着場の近くに作られてる点。朝鮮の水田跡も大半海岸部でO1b2のハプロが見つかる地域と密接な関係がある点。日本の水田の広がりは早すぎると指摘されてるが、その答えが海路による飛び地的な広がりにあったのではないか?と見てる。


 O1b2が江南から水田稲作を持ってきた証拠はどこにもない。ハプロとして規模が大きいので勝手に想像されてるだけである。日本の稲作を担ったけど、それは江南O2人から吸収したものだと私は見てる。


 何故O1b2が江南で見つからないのか?それは中国東北部O1b1が変異したものだとすれば納得できる。華南に較べて小数ではあるが、O1b2よりはO1b1ならごろごろ中国全土に分布する。水田稲作を持ってきたに違いないって思い込みがすべての問題の原因にあると見てる。


 過去の江南の人骨を調べてMDNAじゃなくYDNAを調査できればスグに解決する問題なので、それによってすべて決定すると思う。今の所、江南の古代のYDNAの特定は調査できてない。


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