朝鮮共和国、侵攻7
■朝鮮共和国、侵攻7
榊原はしばらく進むと軍用トラックを止め、荷台で小野寺可憐の容態を確認していた。
「どうだ?厳しそうか?」
「……少なくとも肋骨数本はやられていると思われます」
可憐は弱弱しく答える。
ただでさえ色白で虚弱体質のような体なので、より一層弱っているように見えた。
「不味いな。一刻も早く日本に帰って治療しなければ……。だが、どうやって帰国するか……」
「吸血姫め……手加減ってもんを知らんな」
斎藤が楓に対して毒づいたが、それを聞いて榊原が口を開く。
「副長。可憐さんが日本に帰って治療を受けると、その情報は倉本に届けられるだろう。その時に『実は怪我は大したことが無かった』では、花橘が倉本に報告するはずの内容と食い違う可能性がある。それに彼女はこれでも十分手加減したはずだ」
「私もそうだと思います……」
「隊長!」
可憐が榊原の意見に同意すると、一斉に可憐の方へ全員が顔を向ける。
それを見て可憐はニコリと笑うと先を続けた。
「花橘はあの時、体術だけで私を攻撃しました。もしも超能力を上乗せされていたら、私はこうしてしゃべることも出来なかったでしょう……悔しいですが、彼女は私よりも能力が上のようです」
「まさか!ランクAの隊長よりも上だなんて……!」
斎藤は信じたくなかった。だが、あの最初の火球攻撃を目の当たりにした時から、花橘には敵わないと感じていたのも事実だった。それを隊長である可憐から聞かされたことで、改めて現実のものとして受け入れる必要が出てくるのだ。
「とにかく今は日本へ帰ることを優先しよう」
榊原が全員に宣言する。
「……本当にいいのですか?上海で倉本の野望を挫く必要があるのではないですか?」
可憐が榊原を見ながら聞いてきた。
榊原は可憐の手を取ると、はっきりした口調で答えた。
「可憐さん。私たちは超能力者を戦争の道具として扱う倉本のやり方に反発しています。それなのに、今ここで強行して戦いに臨んでは倉本と同じじゃないですか。可憐さん、あなたは人間なんです。その命は尊重されて当然なのですよ。それに……花橘にあれほどのダメージを与えたのだから、彼女もしばらくは戦いの場に出て来るとも思えません。そう言った意味では目的は達成しています。だから安心して下さい」
榊原の言葉を聞き、可憐は「ありがとうございます」と言って涙を流した。
「何が何でも日本に帰って、一刻も早く隊長を医者に診せなければ!」
「でもどうやって!?」
「さすがに来た道を引き返してヘリの場所まで戻るのも困難だろうからな」
「こんな場所に味方なんていないだろうし……」
第4特殊部隊のメンバーが意見を出し合う。
それを聞いていた榊原が「あっ!」と小さい声を出して顔を上げた。
「どうしました?」
斎藤が榊原に声をかけるが、全くその声は届いていないようだった。
「いる……味方がいるぞ!」
「「えっ!?」」
全員が榊原に注目する。
「いるじゃないか!海上に!俺達を送り出してくれた奴らが!」
どよめく声がトラック中にこだました。
「すぐに第2護衛隊『こうき』艦長へ救援要請!重傷患者がいることも伝えろ!」
「了解!」
榊原の指示にすぐに斎藤が答えた。
問題は第2護衛隊が今どこで何をしているのかだ。戦闘中の場合はヘリの派遣は無理だし、上海から距離が離れていても難しいだろう。
それに、倉本の息がかかった第2護衛隊が、はたして俺達を助けに来てくれるだろうか?
榊原は不安の面持ちでいると、それを察した可憐が榊原の手を強く握ってきた。
「榊原さん。大丈夫です。きっと大丈夫ですよ」
可憐は痛む素振りを見せず、気丈に微笑んでみせる。
そんな可憐の姿に心を打たれる榊原。
そうだ。指揮官である俺が弱気になってどうする!?こんな姿は味方を不安にさせるだけだ!
榊原は強く頷くと、可憐の手を強く握り返した。その時──。
「『こうき』艦長と連絡が取れました!只今本艦は上海沖40キロの地点を南に向って航海中。これよりヘリコプターによる救出作戦を開始する。超低空にて杭州湾に強行突入し貴殿達をサルベージ後、南の寧波を抜けて帰投する。サルベージ予定時刻は0610!」
これを聞いた榊原と第4特殊部隊は大歓声を上げて喜んだ。これで誰もが帰れると思った。
しかし、検問や封鎖中のバリケードを突破したことが露見したようで、中国軍がにわかに動き始めていた。
今ここで戦った場合、日本と中国の関係に影響を及ぼす可能性があり、更に倉本への良い口実を与えることになりかねなかった。
幸い、まだ中国側はこちらの正体には気付いていないはずだ。
「超能力およびレーザーガンの使用は禁止する」
榊原はとにかく見つからないように逃げの一手を選択した。
日はまだ登っておらず、どんよりとした曇天の空が月の明かりも遮っていた。
上海市内は厳戒態勢であり、とても市内には入れそうも無かった。
幸い、中国軍のトラックであるため、変に動き回るよりは、どこかで大人しく止まっている方が目立たないと判断した榊原は、港の外れにある倉庫群の道路脇にトラックを停めた。
「ここからサルベージポイントまでは何分かかる?」
「およそ10分」
トラックの助手席には斎藤が座り、榊原をサポートしていた。
上海市内へと繋がる幹線道路は、中国軍の自走砲や補給トラックが列を作って移動しており、その脇を小型車両が周囲の警戒にあたっているのが見える。
それとは別に、荷台に機銃が固定された小型車両が頻繁に巡回警備しているのも確認でき、杭州湾内には哨戒ヘリが飛び、明らかに何かを探しているもしくは、警戒しているように見える。
「これは俺たちの件とは違う別の何かがあったようだな」
榊原はこの時点ではまだ第2護衛隊が中国連合艦隊を攻撃した事実を知らなかった。
「本当にこんな警戒態勢の中、杭州湾を突破して俺達を助けに来れるのかな?」
「どうだろうな……ただ、命がけという事だけは確かだろう」
トラックの荷台で話す第4特殊部隊のメンバーの会話が運転席まで聞こえてくる。
榊原自身も本当にヘリが来るのか疑問であった。
「時間です!」
「よし!これよりサルベージポイントへ向かう!」
斎藤の報告を受けると、榊原はすぐに全員に命令した。
榊原はエンジンを始動すると、急ぐ気持ちを抑えつつ、あまり目立った動きを見せないように走り始めた。
サルベージポイントは杭州湾北部の漁港にあるトラックステーションであった。
戦争中である今は、その広い敷地にはほとんどトラックの姿は無く、ヘリが着陸するにはもってこいであった。
榊原はゆっくりとトラックステーションに侵入する。
すると、部外者が勝手にステーション内に入れないように、遮断機のような黄色のポールが行く手を阻んでいた。
榊原はトラックの速度を落とさすに突入し、ポールを破壊するとそのまま奥の広いスペースまで進んだ。
ここからは港の様子が良く見えるが、ヘリが近づいて来る気配はなかった。
「ヘリはまだ到着していないようです」
「その様だな」
榊原はそう答えると港の先を凝視する。
海は霧が立ち込め、雲も低いため視界は悪い。
斎藤が意識を集中し、ヘリの位置を確認しようとしたその時。
突然、霧の中から白いヘリが姿を現した。
その機体には日の丸が描かれており、超低空で侵入してくる。
「サルベージ用意!」
榊原の声に全員が一斉にトラックから降りると、担架に固定された楓を荷台から下し、ヘリに位置を知らせるために発煙筒が焚かれた。
日本海軍の哨戒ヘリSH-80Jはこちらを発見すると、悪天候を顧みず発煙筒の位置に滑り込むように強行着陸した。
ローターによる強風の中、全員がヘリに向って走る。
ヘリの胴体にある開閉ハッチが横にスライドし開け放たれると、第4特殊部隊は可憐を担架ごと運び込み、その後は順次搭乗していく。
最後に榊原が乗り込むとハッチを閉める。それと同時にヘリは急速発進し霧の中に姿を消す。
着陸から発進まで20秒ほどの早業であった。
ヘリは予定通り寧波を抜けて東シナ海へ出ると、1時間後に第2護衛隊のミサイル護衛艦『こうき』の後方ヘリポートに着艦した。すると可憐はすぐに医務室に運ばれた。
有事を想定した航海であったため医官(医師免許を持った自衛官)が乗艦しており、艦内で簡単な手術も可能であったため一先ず全員が安堵した。
残りの第4特殊部隊隊員は食堂に通されたが、食堂とトイレ以外の場所は行動制限を受けた。しかし、このまま日本まで乗せてもらえるとの事だった。
悪天候の中、海自の航空部隊の操縦技術の高さに舌を巻いた榊原は、操縦士たちにお礼の言葉をかけてからヘリを降りると、瀬川艦長と共に艦長室へ向かった。
艦長室に入ると、榊原は頭を下げ感謝の言葉を述べた。
瀬川は厳しい表情のまま、応接セットの真っ白の布で覆われたソファーに座るように促すと、自らは二人分のコーヒーを淹れてから榊原の対面のソファーに座った。
「現状をどこまでご存知ですかな?」
瀬川はそう言いながらコーヒーカップを榊原の前のテーブルに置く。
榊原は軽く頭を下げると、カップを手に取りコーヒーを一すすりしてからテーブルに戻す。
「……正直、ほとんど何もわかっていません。上海の中国軍が慌ただしく、かなり警戒しているようでしたが……」
「なるほど、では最初からお話しましょう……」
瀬川艦長は榊原が国際指名手配されたこと、その容疑は超能力者の国外流出であること、第2護衛隊が中国連合軍に対してミサイル攻撃を行ったこと、中国連合軍が全滅したこと、その後朝鮮艦隊が上海沖まで南下していること、榊原一行を救助したのは完全に瀬川の独断であること、現在補給のため佐世保に向っていること、などが語られた。
「つまり、このまま私が佐世保に入港すれば……」
「指名手配犯として捕まるでしょう」
艦長の言葉に肩をすぼめると榊原は話を続けた。
「なるほど、まぁ、私たちは途中で下船させてもらうとして……第2護衛隊が中国連合軍を攻撃した以上、日本は世界を敵に回したことになります。中国連合艦隊が全滅してからかなり経ちますが、日本政府から正式にコメント発表はありましたか?」
「いえ、たぶんまだありません」
「それでは朝鮮艦隊の動きは?」
「海戦に勝ったとはいえ、中国連合軍の攻撃を受けかなり損害を出しています。上海沖で中国側に睨みを利かせているように見えますが、実際は補給や修理をしないと使い物にならないでしょう」
「そうですか……」
榊原は渋い表情で無精髭を撫でると、おもむろにコーヒーを一気に飲み干す。
「瀬川艦長。気を付けて下さい」
「はい?私が何を気を付けなければならないのですか?」
瀬川は驚きの声を上げる。
「……本来であれば、宣戦布告を行ってから開戦に踏み切るのが国際社会において最低限の手続きですし、国連に加盟している以上、国連安全保障理事会にも開戦の理由を報告する必要があるはずです。また、国民に対してもそれ相応の説明が必要です。それなのに、まだ日本政府として全く説明が無いのはあまりにも不自然です」
「確かに、そうかもしれません。でも、それがどうして私が気をつけなくてはならないのでしょう?」
瀬川艦長は話の流れから考えても、自分が危険に晒される意味がわからなかった。
榊原は更に続ける。
「多分、日本は……いえ、倉本は、上海の動向を見守っていると思われます。もしも朝鮮軍がすぐに上海を落とすことが出来れば、台湾攻略の道筋が出来るので心置きなく中国へ宣戦布告し、時間がかかるようだと朝鮮を切り捨て、中国側につく算段だと思われます。そして、そうなった場合……中国連合軍への攻撃は手違いだったと言う必要があります。具体的には、第2護衛隊が独断で攻撃した事にします。しかも、指名手配犯をおめおめと取り逃がし、更に中国からの脱出の手引きまでした……つまり、第2護衛隊は犯罪者である榊原の共謀者であると宣言すればどうでしょう?」
「ば、馬鹿な…!」
「全ての罪を私とあなたに負わせようとしている……かもしれないのです。わはは。まぁこれはあくまでも私の勝手な推測ですがね!」
榊原は手を広げておどけて見せたが、瀬川艦長の額には汗が滲み、肩が震えているのが傍目からでも確認出来た。
「さあ、日本はどう動く?どちらにしても時間は無いぞ!?」
榊原は無精髭を撫でながら、まるで他人事のようにつぶやいた。
◆
すでに朝の10時を回っているが、灰色の厚い雲が辺りを覆っているため、室内まで光が届かず電気をつけなければならなかった。
倉本は朝食を済ませ紅茶を楽しんだ後、おもむろに立ち上がると花橘楓の部屋をノックするのと同時に返事も聞かずにドアを開ける。
ベッドには楓が横たわっていた。
倉本はベッドの脇まで歩いていくと、そこにあった椅子に座りゆっくり話始めた。
「かなりやられたようだが気分はどうだね?」
楓は体を起こそうとするが、倉本は「そのままで結構」と言うと更に続けた。
「やはり高ランカー同士の戦いでは、さすがの君でもタダでは済まないという事か……相手の小野寺可憐はどうなった?」
「……掌底に超能力の衝撃波を乗せて叩きこんだ……が、同時にこちらも衝撃波をもらった。多分、わたしよりもダメージはある……と思う」
「第4特殊部隊6名が相手では、さすがに1人では厳しかったか……直前に命令を変更した私の判断ミスということか……」
楓はそれには答えず、窓の外へ視線を移した。
倉本は独りごとのように話を続けた。
「お前のその様子だとしばらくは作戦行動は無理だな……それは小野寺可憐にも言えることか……今後の上海攻略は朝鮮側の超能力者の質次第という事か」
倉本は今後どうするべきか悩んでいた。
自分の判断ミスとはいえ、楓がこのような状態になる事は想定外であり、楓を実戦投入出来ないのであれば中国に滞在している意味もない。また、超能力者を日本の研究所以外の場所で検査・入院させることはセキュリティ的にも絶対に出来ないことである。それは榊原も理解しているはずであり、小野寺可憐も医者に診せることが出来ずに苦しんでいるはずだ。ランクAの小野寺可憐を討つことは出来なかったが、しばらくは動くことが出来ないのであれば、ここは一度日本へ戻り、反乱分子の鎮圧に集中すべきか。
「よし、花橘楓。これより日本へ戻るぞ」
倉本は外務省に杭州へ政府専用機を回すように手配した。
だが、現在中国全土に飛行制限が発令されおり、簡単には準備が出来ないと回答があった。そこで、中国連合軍を打ち破った第2護衛隊が杭州湾沖に待機しているはずなので、そのヘリコプターに迎えに来てもらい第2護衛隊とともに日本へ帰還しようと考えたが、第2護衛隊はすでに日本の排他的経済水域に入っており、補給のため佐世保に向っていると連絡があった。
ここは杭州。中国の支配下だ。
日本が中国連合艦隊を攻撃した今となっては完全に敵国の真っ只中である。
このままでは中国当局にこのホテルが発見されるのも時間の問題だが、脱出方法も無く花橘もまともに動けないこの状態では、倉本にもどうすることもできなかった。
倉本は急ぎ電話で田中次官および外務大臣と今後の対策を打ち合わせた。
すると、朝鮮艦隊が上海沖まで南下していると報告があった。
直ちにキム・ソギョンに連絡し、救援ヘリを差し向けてもらうよう交渉に入るが、相手もさすがにしたたかである。
正式に日本が中国に対して宣戦布告するのが条件として提示してきた。
倉本はこのままでは埒が明かないため、ソギョンと直接通信回線を繋げて話し合いを行った。
「……私を救出するのは中国へ宣戦布告するのが条件と聞いたが?」
執務室のスクリーンに映し出された倉本がソギョンに問いかける。
ソギョンは葉巻をふかしながら「如何にも」と答えると、更に話を続けた。
「日本は確かに中国連合艦隊を攻撃した。だが、日本政府から何の発表も無いのは、まだどちらに着くか悩んでいる証拠だ。もしも朝鮮に救援を要請するのであれば、我々と運命を共にすることを覚悟してもらわねばならん。そして、その覚悟の現れが中国に対する宣戦布告なのだ」
ソギョンは椅子に踏ん反り返って葉巻を楽しんでいる。
今まで倉本に主導権を握られ、操り人形のように扱われてきたソギョンにとっては、立場が逆転した今この時ほど痛快な事は無いだろう。そして、すぐにまた元の立場に戻るのであれば、尚更この儚い一瞬の美酒に酔いしれたいと思うのは当然かもしれなかった。
倉本もそれは承知しているのか、ソギョンの振る舞いはあまり気にしていない素振りで話を続けた。
「そちらの言いたい事はわかった。よかろう……この会談が終了次第、中国に対して宣戦布告しようじゃないか。救出方法は別途救助隊と話すとして……話は変わるが上海攻略はどうなっている?」
「な、なに!?」
ソギョンは突然の話題に驚き、葉巻を落としそうになる。
そんな姿を尻目に倉本は冷静に話を続ける。
「何を驚いている、今後の話をするのは当たり前だろう?私は朝鮮と心中するのだぞ!?」
「ああ、確かに……えー、上海だったな。現在超能力者10名を現場に派遣中で、あと12時間ほどで現場に到着する予定だ。攻撃開始は翌朝で、上海を明日中には落とす計画となっている。だが、我が海上兵力がかなり消耗したため、台湾攻撃はちょっと先になりそうだ」
「わかった。ちょっと待て……」
倉本は考える。
アメリカは虎の子である太平洋艦隊が全滅したため、太平洋上の影響力は無いに等しくなった。また、中国としてもほぼ抵抗できる力は残されていないはずだ……台湾も消耗が激しく、戦うのは厳しいだろうが、オーストラリアとフィリピンが加勢するはずだ。
オーストラリアは『神の鉄槌』からまだ復興していないはずだが、東南アジアの平和が脅かされるのは自分達にとっても脅威に感じるはずなので、必ず艦隊を派遣してくるだろう。フィリピンは中国で使わなくなった兵器を払下げて使用しているため、2世代前くらいのものがほとんどだ。それほど脅威にはならないだろう。
では朝鮮はどうか?
超能力者によって上海は取れるだろうが、陸海軍の消耗は激しく、朝鮮半島にあるミサイルも撃ちつくしたため、本土防衛もままならず、今まで奪ってきた都市を保持するのがやっとだろう。
つまり、今回の戦争ではほとんどダメージが無く、超能力者と最新兵器を保持した日本が独り勝ちするというシナリオに揺るぎは無いことが確信できたのだった。
倉本はニヤリと笑うと話を再開した。
「ソギョン党首。必ず明日中に上海を落としてくれ。そしてその後は国力の回復に努めることをお勧めする」
ソギョンは異変を悟ったらしく、前のめりになり聞き返した。
「国力を回復しろだと?……それで日本は……日本はどうするつもりなのだ!?」
ソギョンの問いに、倉本は目を伏せて答えた。
「それはこちらの問題だ。後は任せてくれたまえ。救援に感謝する」
そう言うと倉本は一方的に回線を切断すると、すぐに日本に連絡を取り、今後の対応について検討に入った。
日本政府が正式に中国に対して宣戦布告をしたのは、それから3時間後……まさに、榊原が朝鮮のヘリコプターに救出された時刻であった。
◆
「ちょっと聞いた?日本が中国に宣戦布告したせいで、国中がパニックになってるってさ」
旧反政府同盟本部の食堂で、山本さゆりが額の絆創膏を触りながら月光院花子に話しかけていた。
「貴女は私に監視されている身。気安く話しかけないでもらいたいわね」
「いやいや花……麗子さん!大人しく指示に従っているんだから、話すくらいは別にいいでしょう?」
また危なく『花子』と言いそうになって、慌てて訂正して話すさゆり。
実は額の絆創膏は、先ほどうっかり『花子』と本名を言ってしまい、思いっきりどつかれたためだった。さすがにもう痛い思いをするのは嫌なので、言動には気を付けているのであった。
麗子(仮)はギロリをさゆりを睨んだ後に口を開いた。
「…そんな事より、貴女の体の具合はもうよろしいのかしら?」
その言葉を聞いたさゆりは、また『そんな事より』で話を打ち切られたという思いが込み上げ、周囲の者の自分への扱いが不当ではないかと思い始めていた。
「ま、まだ体中痛いけど、日常生活には支障が無いって感じかな」
「あら、そう」
麗子はたいして興味が無いような素振りで立ち上がると、つかつかとこの場から立ち去って行った。
正直、20歳の麗子にとっては反政府同盟なんてどうでも良かった。次期当主となるお兄様の元でお手伝いが出来ればそれで良かった……それなのに、今は仕方ない事とはいえ離れ離れとなっている。
そんな不安な気持ちに追い打ちをかけるように日本の宣戦布告だ。これから世界情勢はどうなって行くのか、自分はどうすべきなのか……本当はすぐにでもお兄様の所に赴いて、お話しを聞きたい衝動を必死に我慢しているのだ。
去りゆく麗子を見届けたさゆりは研究室に向う。
すると、警備をしている第3特殊部隊の一人に掴まった。
「どこへ行くつもりだ!?」
さゆりはうんざりしながら答える。
「豊富博士の所に行って、他のメンバーの容態を聞いてくるだけよ!」
どこに行くにしても警備の者に行先を伝えなくてはならない……まぁ、監視されている身なので仕方ないのだが、さすがに毎回このやり取りをするのはうんざりだ。
だが、今は我慢するしかない。
時が来たら必ず兄貴から連絡が入るはずだ。だから、今は隙を見てこちらの状況を一日一回、テレパシーで伝えていればいいのだ。
イライラを我慢して研究室に入るさゆり。
研究室には様々な機械が置かれていたが、その奥のデスクに豊富博士が座っていた。
「博士……他のメンバーの容態はどうですか?」
さゆりは豊臣の元に歩きながら話しかける。
豊富は古風な物理キーボードを操作しながらモニターとにらめっこしていた。
「…ん?ああ、さゆり君か」
キーボードの手を止めると、博士はデスクにあった何かのキャラクター物のマグカップを手に取ると、ズズズと何かの液体を啜った。
「特殊部隊の連中はあと2日もあれば元通り動けるはずだが、月光院の奴らには『あと一週間は絶対安静』と言ってある」
うししと笑いながら話す豊富博士。
「でも、個人データも内調へ送る必要があるはずですよね?」
さゆりが不安そうに尋ねると、豊富は胸を張って答えた。
「私を誰だと思っているのかね?そんなデータいくらでも改ざんできるわ!わっははは」
不正をして何を威張っているのだろう?とさゆりは思ったが、今回だけはファインプレーと言わざるを得ない。
これで何か行動に移すのであれば、3日後から7日後の間であれば不意をつく事が出来る…はずだ。
「博士も心の準備をしておいて下さい」
「わかっておる」
何の説明も無く言ったのだが、さすがに豊富博士はこちらの意図をわかっている。まぁ、だからこそ虚偽のデータを内調へ送っているのか……。
さゆりは「お願いします」とだけ言って、研究室を後にすると、再び食堂に向う廊下を歩きながら考えた。
今回の宣戦布告で平和ボケした日本国内は荒れるだろう。それに乗じて行動に移れば成功の可能性が高くなるかも……。
そう考えたさゆりであったが、日本が戦争状態となったら、特殊部隊が海外へ派遣される可能性は大きい。つまり、兄貴たちと行動するのは困難であるという事だ。
(今ここに居るメンバーだけでやるしかない……!)
さゆりは密かに決意するのであった。
一方、花子(本)も日本の宣戦布告に翻弄されていた。
本来であれば、月光院家を通じて防衛大臣に自衛隊の協力を要請し、この旧同盟本部の警備および監視をサポートしてもらう手筈となっていたのだが、日本が戦争状態に入ったことで、自衛隊は正式に国の軍隊として敵対国と戦う事になった為、こちらに兵力を融通するほどの余裕は無くなったのであった。
「お兄様、私を含めて第3特殊部隊の4名だけでは対応しきれません!」
花子(本)は訴えたが、兄は静かな声で答えた。
「月光院家の長女である者がこれくらいの事で取り乱すのはよしなさい。大丈夫だ麗子(仮)。さゆり以外の者達はあと一週間は動くことが出来ないだろう。それまでには増援を送るので待っていなさい」
「私の名前をお呼びになった時に何か含みがあったような気がしましたが、とりあえずは承知しましたわ。お兄様」
麗子(仮)は画面越しに頭を下げると通信を切った。
尊人はあのように言っていたが、麗子の心から不安を拭い去る事は出来なかった。
だが、今は尊人を信じて待つしかなかった。
◆
2月12日、日本は中国に宣戦布告すると、先発して第5護衛隊を上海へ、第8護衛隊を台湾へ向けて佐世保から出港させるとともに、国連からの脱退を正式に表明。日本国内の各国大使には24時間以内に退去するよう通達し、それ以降は出入国に規制を掛けると発表があった。
更に、今回の宣戦布告までに至る経緯として、中国連合軍の日本に対する態度に問題があったと説明があり、今後は非難声明を発表する準備があると、内閣総理大臣が臨時記者会見で発言した。
だが、実際には中国連合軍に落ち度は無く、完全に日本側の言いがかりであったが、日本としてはこの宣戦布告に正当な理由が必要だったのだ。そうじゃなければ、先ず国民が納得しないだろう。
2月13日、朝鮮共和国は遂に上海を攻略する事に成功。戦いは杭州湾の争奪戦へと移行して行く。
このタイミングで日本は朝鮮共和国と同盟関係を結ぶと発表。民主主義国と社会主義国が同盟関係になるのは異例とも言えたが、倉本にとってはどうでも良かった。とにかく台湾を奪う事が急ぎの課題であったのだ。
沖縄には陸海空軍が集結しつつあり、台湾への攻撃開始が時間の問題であることは誰の目からも明らかだった。
第3特殊部隊(月光院隊)にも沖縄へ入るように命令があったのは、宣戦布告の二日後のことだった。
ランクA2名、ランクB2名という、高ランカーで構成された月光院隊は、台湾攻略では絶大の力を発揮するだろうと、政府からも高い期待を掛けられていた。
命令が下ったその日の内にプライベートジェットで沖縄入りした月光院隊は、何故かリゾートホテルにチェックインしていた。
尊人曰く「このホテルは我が月光院グループが経営しているものです。今回の出撃時の条件として、宿泊は全て我が月光院家が所有するホテルに泊まる事を政府に了解してもらいました」との事だった。
命令を受けるのに条件を出すというのが月光院ならではだが、そもそも特殊部隊は自衛隊とは違い法律に縛られた軍隊ではないので、その辺は融通が利くようだった。
出撃は明日以降であると月光院尊人から話があったので、千佳、黒田、山本兄の3人はホテルのプールでリゾートを満喫していた。
佐藤千佳はハイビスカス柄のビキニ姿でプールサイドのデッキチェアに横になり、警備員の仕事で変に日焼けした体を万遍なく焼いていた。
「あたし達、戦争に来たんだよね?」
あまりの極楽状態に、つい自分達が何をしに沖縄に来たのかわからなくなる。
「あ?…ああ、その通りだ」
地味な紺色の海パンに麦わら帽子とサングラスという姿で、千佳の隣りのデッキチェアで落ち着かないように座っている黒田が答える。
超能力者の生活は基本的には研究所内で過ごすため、外界との関わりは少ない。
千佳のように積極的に一般人の生活を知ろうとする超能力者はまだそれほど多く無いので、普通の超能力者がこのようなホテルに泊まっても黒田のようにリラックスできないのは仕方ないと言える。そして、もう一人……山本真一も同様だった。
「ちょ……ここで一体何をすればいいのだ?命令はまだか!?」
ホテルのプールサイドで、特殊ボディスーツを着た山本兄がヘルメットを持ってうろうろしていた。
「あはは!あんたそこで何やってんの!?超ウケる!あれヤバくない!?」
千佳が山本兄を指差しながらキャッキャと笑う。
黒田はそんな山本兄の気持ちが理解できるのか、苦笑しかできなかった。
山本真一は笑われながら思った。
「誰が早く俺に命令を!」