主賓奪還作戦1
■主賓奪還作戦1
キム・ソギョン──。現在の朝鮮共和国の初代最高指導者である。
『神の鉄槌』の混乱に乗じて、中国の北方3省を奪い取り、更には朝鮮半島まで統一するという、かなりの曲者であった。
そんなソギョンの目は常に大陸に向いていたが、国連の旗手である日本がすぐ隣で睨みを利かせており、自由に動けない状況であった。
そのような折、近いうちに日本国内で紛争が発生するので、もし世界を盗る覚悟があるのであればその時がチャンスであると、ある筋から情報が入ってきた。
ソギョンは考えた。
東の最果てにある島国日本──。もし攻め滅ぼしたとしても困る国などあろうか。
むしろ、朝鮮共和国としては太平洋という広大な海まで手中に収める事が出来、台湾をけん制することで大陸へも進出しやすくなるのではないか……。野心家であるソギョンは、少なくとも世界に号令をかけるの日本ではなく朝鮮であるべきと考えていた。
数日後、情報通り日本国内で内戦が勃発した。しかも、日本はすでに超能力者を軍事利用しており実戦投入しているようだった。
その報告を聞いたソギョンは激しく机を叩いて悔しがったと言う。
実は朝鮮でも近年盛んに超能力の研究が行われていたが、まだまだ日本ほど研究が進んではいない状態であった。
そう言った意味で、日本の超能力者のサンプルと研究者がどうしても欲しかった。もしも入手できれば、朝鮮の超能力研究は飛躍的に進むだろうと考えたからだ。
研究者についてはどうにでもなるとして、超能力者は日本国内において存在すら認められておらず、公共施設のいたる所に感知センサーが設置されているため、秘密裡に日本国外へ連れ出すことは難しかった。
だが、内戦中となれば付け入る隙はいくらでもあるだろうと考えた。
ソギョンは党内で検討を重ねた結果、遂に日本と戦うことを決断し海軍へ出撃準備を指示した。合わせて中距離ミサイルの発射準備と航空機の発進準備も行った。
翌朝6時──先ずは朝鮮艦隊『ミサイル艇3、フリゲート2、高速艇15、揚陸艇1、潜水艦3』が清津<チョンジン>から出航した。
だが、対馬付近の接続水域で日本の海上自衛隊の艦船『ヘリコプター搭載護衛艦1、ミサイル護衛艦1、護衛艦4、潜水艦2』が円陣隊形で待ち構えていた。
日本側も朝鮮が動くことは予測しており、その動向は逐一報告されていた。
そもそも海上自衛隊はほとんど内戦には関与しておらず、朝鮮に動きがあった時点で、佐世保を拠点にしている護衛隊を集結させていたのだ。
時刻が9時を少し過ぎたころ、日本国内では政府側と同盟側で休戦協定が締結されたらしく、そのころから現場海域には日本の哨戒機が飛んでくるようになり、準備万端な日本に対して朝鮮は手も足も出ない状況であった。
キム・ソギョンはやむなく全軍に撤退を指示し、一先ず戦争は回避することになったが、これを機により一層、日本に対して敵意を抱くようになり、超能力開発に莫大な国家予算を投入して推し進め、更には日本にいるスパイに対して頻繁に連絡を取り、裏工作を行っていた。
そしてソギョンは知った。
もう少し待てば日本を奪う事ができると──。
◆
終戦協定が締結された日は夏休み最後の日だった。同時に正式に後任の防衛大臣が就任した日でもあった。
まぁ、終戦協定なんて俺には全く関係ない話しなのだが、一日戦争の時だけちょこっと係わったため、それ以降はこの手のニュースには興味を持つようになったのだ。
政府は防衛大臣がどさくさに紛れて交代となった理由を公式に発表せず、剣淵や榊原も首を傾げていたようだった。
俺はというと、あの後すぐに普通の生活に戻り、クリリンもいつも通り俺の監視役の生活に戻っていた。
クリリンによると楓はまだしばらくは入院生活らしい。あいつは超能力研究内の施設に入院しているため、俺のような一般人は立ち入り禁止なので見舞いにも行けないのだ。
ちなみに、山本兄もまだ入院しており、さゆりは付きっ切りで世話をしているらしい。
協定によって超能力者たちは普通の生活が約束された。だが、いきなり普通に生活しろと言われても簡単にはいかないようで、クリリンもこれからどうすれば良いのか悩んでいる一人だった。
『超能力者の軍事利用の禁止』
これは同盟側からの要望であったが、これまで戦いを宿命づけられ生きてきた彼らにとっては、能力を使わなければ一般人よりもひ弱なことが露呈し、最終的には自ら志願して戦いの中へ身を置こうとするものが続出しているようで、それは高ランクになるほど顕著に表れた。ある意味、当初から軍事目的で超能力開発を行ってきた内調にとっては、こうなることは想定通りであり、そのためにわざわざ完全に外界から切り離して生活させていたのだった。
俺はクリリンに軍隊に入るつもりなのか聞いてみた。
クリリンはそれには答えず、ただ雲が流れるのを黙って眺めているだけだった。
さらに一週間後──。
反政府同盟は解体され、内閣情報調査室が管轄する超能力研究室に統合された。
超能力者達は一般人として普通に生きるのではなく、自分の特殊能力を如何に世間のために活用できるかを考えるようになっていた。
警察の捜査協力、建築現場での資材運搬・解体作業、精神的なカウンセリング、裁判案件の検証、天候操作等、多岐に渡って活躍が期待できるはずだったが、一般人から見れば『心が読める』、『記憶を操作できる』、『証拠を残さず人を殺せる』、『速く移動できる』…等、数えればきりが無いほどの特殊能力を発揮できるため、どうしても不正や犯罪に巻き込まれるケースが増える傾向にあった。
一般人の貪欲なまでの腹黒さに直面し、一般人との共存は不可能と判断する超能力者が続出した。その結果、内調の諜報活動の延長線上にある特殊任務を実行する特殊部隊に志願するという、以前までとあまり変わらない所で落ち着くことになるのであった。
だが、内調としても超能力者を管理しやすく、超能力者としても一般人の犯罪に巻き込まれるのを防止できるため、最終的には『超能力者は内調で働くのがベスト』というのが最近の風潮であった。
そんな中でとある水曜日に俺は内調の研究室に呼出された。
超能力に関する検査や調査を行う場合は、違法性が無いか、非人道的ではないか等を調査・指導する機関が新たに設けられ、そこを通さないと検査を行う事が出来なくなったため、今までのような不透明な部分は改善されつつあった。だが、逆に言えば『役人仕事』であるため、業務時間は平日の9時から17時までとなり、平日だというのに学校を休んでまで検査を受けることになったのだ。
検査内容についてはクリリンにも話は行っているようで、迎えのヘリコプターに一緒に乗って研究所へ向かった。
その道中で、俺はどうしてもクリリンに聞きたい事があった。
「なぁ、クリリン」
「なんだ?」
クリリンはヘリの窓から外を眺めながら答える。
「お前、あの一日戦争の時、どこで何をしていた?」
クリリンは驚いたようにこっちを見て、苦笑しながら答えた。
「突然何を聞くのかと思えば……お前、そんな事を聞いてどうすんだよ?」
「いや、お前や楓はどこの部隊にも所属していないと聞いたんだが、あん時みたいな非常事態の時はどこに配属されるのかと思ってさ。いや、だって気になるだろ?普段は俺を守っていたせいでどこの部隊にも所属できなかったのだとしたら、ある意味俺のせいではみ出し者になったのかと思うだろ?」
それを聞いたクリリンは笑いながら俺の背中を叩いた。
「わははは。お前ごときが気にする必要はないし、当時、主賓を守るという使命は能力を認められた者だけが出来ると考えられていたので、俺もまんざらじゃなかったのさ」
「そうか」
「そうさ。で、最初の質問だが、あの時俺は……」
急に真面目な顔になるクリリン。俺も固唾をのんで聞き入る。
「寝てた」
「は!?」
クリリンは爆笑しながら話を続ける。
「わははは……寝てたんだよ。あの戦いの少し前に俺は403鈴木健太に敗れ、同僚である280が意識不明、姫……楓ちゃんも重体という中で、自身は傷らしい傷も無いまま誰も守れなかったという自責の中にいた。戦いが始まる直前、俺は山本兄と楓ちゃんの病室に行きそれぞれの容態を確認した。手術は成功しどちらも命に別状はないと知った。だが、その時の俺は、本来の任務である主賓の警備から外され代わって山本妹がその任に就いていたんだ。俺は一体何をやってるんだと思ったよ。弱く、情けなく、惨めで、一人では何一つ満足にできやしない……何もかもが嫌になったよ。するとどうだろう。何故か睡魔が襲ってきて、そのまま楓ちゃんの病室で眠ってしまったんだ。起きた時は全てが終ってたよ。どうだ可笑しいだろ!?」
また笑い始めるクリリンだったが、すぐに大人しくなり、再び窓の外を眺め始めた。
「そうか……余計な事を聞いてしまったな……」
俺はそう言うと、これ以上は何も言わず窓の外を眺めた。
ほどなくしてヘリは内閣府庁舎別館、超能力研究棟の屋上にあるヘリポートに着陸した。
この研究所という所は、超能力者にとっては普段生活する場所なのかもしれないが、一般人にとっては見たことが無い装置や白衣の人がたくさんいて、全く落ち着かないのであった。
研究所内は極秘事項が多いため行動がかなり制限される。
エレベーターを動かすにもIDカードが必要で、志郎の場合は1FとB3以外の階はボタン押しても無効であった。今回は検査という事でB3を押す。
5秒程度で目的階に到着しエレベーターの扉が開くと、そこには赤地に白の水玉模様のパジャマにウサギのスリッパを履いた楓の姿があった。
これだけを見ると、ただのかわいい女子高生のようだ。
「久しぶりだな!楓!もう大丈夫なのか?」
「心配かけたけど大丈夫。それよりもシロ……もう超能力の事やシロの過去について知っちゃったと聞いた」
「ああ。クリリンや剣淵さんだっけ?太った人……その人からある程度の事は教えてもらい、多少なりとも理解したつもりだ」
「そう……。今まで黙っててごめん」
そう言いながら楓はペコリと頭を下げる。
楓があまりにも素直に謝るので少し焦りながら答える俺。
「い、いやいや……別に何とも思ってねーよ。こっちこそ今まで俺の知らない所でずっと守ってくれてサンキューな」
「それは構わない。わたしも月曜日から復帰する予定」
「そ、そうか。でも、もう俺を守る必要は無いんじゃないか?」
別に何気なく言った言葉だったが、楓にとっては重要だったみたいで、一歩前に踏み出して無表情・無感情は相変わらずだがボリュームは一段階ほど大きくなった。
「いや必要。内調の誰が何と言おうとこれだけは譲れない!」
楓は更に一歩踏み出して続ける。もう楓との距離は60センチほどしか無い。
「…そもそも志郎は自分自身がどれほど危険なのかを正しく理解していない!」
楓は更に一歩踏み出し、もうほとんど密着状態となり、俺を見上げながら話を続ける。
「『ランクSの可能性』という事がどれほどの事なのか、そしてその能力を欲する者が……」
「だぁ!!わかったよ!わかったからちょっと離れろ!」
俺は楓の両肩に手をかけ体を引き離すと、そのままの体勢で一拍置いてから小さな声で話しかけた。
「もう、わかったよ……だから……月曜からよろしく頼む。楓」
「うん。頼まれた」
背中まであるストレートの黒髪を躍らせて、楓が輝くような微笑みを浮かべながら返事をする。
(ドキっ…)
普段は無表情の楓が珍しく微笑むと心臓がびっくりする。改めて美少女という言葉が、これほど当てはまる女性はいないんじゃないかと思う。
「じゃあ、検査に行ってくるわ」
俺は楓に軽く手を振り、心臓の高鳴りを隠すようにそそくさとこの場を立ち去った。
◆
反政府同盟が政府管理下へ統合されたことで、もう一つ政府にとって懸念事項があった。
それが同盟の超能力者たちが使用していた装備品である。
具体的には、特殊ボディスーツと情報端末ヘルメット、そしてレーザーガンだ。
これら装備を引き続き政府公認装備とするには、いくつもの安全基準や細かい性能評価表等を提出して初めて承認されるのだが、どんなに早くても承認まで半年はかかる見込みで、それまで特殊部隊の装備をどうするのか、といった問題であった。
元同盟の人間から見れば、今まで使っていた装備が使えないのはおかしいと言うのだが、政府から見れば、そんな何の保証も確証も認証も無い装備品なんて危なくて使えない、と言うのであった。
そこで代用品として支給されたのが、前回の一日戦争で政府側の超能力者が使っていた、ボディアーマーとマルチシステムゴーグルであったが、元同盟側の者達からは大不評で、こんなの使うくらいなら何も装備しない方がマシだ、とまで言われる始末であった。
更に細かい変更では、呼称時のコードネーム禁止というのもある。
これは超能力者を人間として扱うのであれば、本人を呼称する時はコードネームではなく名前を呼ぶべき、ということらしい。
これにより今まで使用されていたコードネームは廃止となり、新たに個人別にIDが付与され、館内にいるときは常にIDカードを首から下げる決まりとなった。
長い間、このような息苦しさから解放されていた元同盟側の人間にとっては、非常に居心地が悪い事この上ない状態であったが、それも半年も経てば慣れてくるだろう。
そう考えながらグレーのスーツに赤いネクタイをした剣淵が、全館禁煙であるため禁煙パイプを咥えながら、サーバに保存されている同盟側の超能力者の実戦記録を整理していた。
(全ての情報を政府に開示するのは仕方ないし、全ての超能力者が政府の監視下に入るのも異論はない。だが──)
剣淵には時間が無かった。
多分、今後超能力者にどのような未来が待っているのかを見届けることは叶わないだろうと感じていた。
(その前に後を任せられる人物を探さなければ…)
◆
検査から3日後の土曜日。
俺はクリリンに『見せたいものがある』と言われて、着いた場所は金沢だった。
どうしてこんな所に来たのかわからないが、初めての金沢を満喫するためにも兼六園や武家屋敷などを見て回った。クリリンは嫌な顔一つせずに俺の行きたい所に付き合ってくれた。
そして午後5時を回った頃、クリリンは海が見えるレストランで何か食おうと言うので、それに従って店に入った。
入った店はイタリアンレストランだったが、俺は貧乏学生なのであまり外食はしたことが無く、ましてイタリアンなんてナポリタン以外知らなかったので、注文は全てクリリンに任せることにした。
注文が来るまで、今日行った場所についていろいろ二人で感想を言い合う。だが、イマイチ話は盛り上がらず話題が尽きる。
外に目を向けると、オレンジの太陽が海に反射してキラキラ光っていた。
クリリンはそんな沈みゆく太陽を見ながら感慨深い表情で話し始めた。
「志郎。最近どうだ?」
「何だよ、そのアホっぽい質問は?」
俺の毒舌にクリリンは笑いながら「誰がアホだ!?」と返してくると、少し真面目な表情で話を続けた。
「俺は超能力者と言っても、それほど突出した能力はないし、一般人としてやりたい事がある訳でもない……今まではお前の警護という明確な使命が与えられていたが、それも明日で終わる…」
「え!?そうなのか?……まさか楓の復帰が?」
俺は驚いてクリリンを見入るが、クリリンは相変わらず夕日を眺めていた。
「ああ、そうだ。楓ちゃんと入れ替わりで警護の任から俺は外れる。今のご時世、お前の警護に二人も超能力者は要らないんだよ。優秀な者が一人いればいい…」
「クリリン…」
「前にも言ったが、俺はこれからどうすればいいのか悩んでいた。世間では俺を必要としていないし、今更改めて内調で特殊任務に就くのも気が進まない。そもそも俺は1日戦争の時は戦いが嫌で不貞寝してたくらいだからな」
そこまで話したタイミングで、店員が注文の品を乗せたワゴンを押して、俺たちのテーブルの横で止まる。
「お待たせいたしました。アマトリチャーナとサラダでございます」
店員は手際よく配膳を終えると頭を下げワゴンを押して帰って行った。
俺は初めて見るそのトマトソースのパスタを早く食べたくて仕方が無かった。それを見ていたクリリンが笑いながら「じゃあ、いただこうか」と言った瞬間、俺は食べ始めていた。
「これ超うまい!」
「そうか。それは良かったよ」
「夕日が見えるロケーションといい、この店最高だな!これで俺の対面がお前じゃなくて、可愛い女の子だったらもっと良かったんだが」
「それは俺も同じだよ」
二人で笑いながらパスタを食べるのだった。
そして食後のアイスティーを飲みながら俺は思い出したようにクリリンに聞いた。
「そう言えばお前、何か話してる最中だったよな?」
「いや……もう、いいんだ」
「そう…か」
話したくないのであれば、それ以上追及するのは野暮ってもんだ。
俺は何気なく腕時計を見ると、通信不可アイコンが表示されていた。
「あれ?ここって一切の通信が出来ないみたいだな」
「…」
クリリンはそれには答えず、残ったアイスティーを一気に飲むと「そろそろ行こうか」と言いながら立ち上がった。
俺もそれに続いて立ち上がる。
クリリンは無言で伝票を持つと会計に向った。財布から1万円を出し、おつりは要らないと言ってこちらに戻ってくる。
店を出るとクリリンが「砂浜に行ってみよう」と言うので、俺もクリリンに付いていく。
道路を渡り、砂浜に続く階段を降り、波打ち際を歩く。
「おい、クリリン」
俺は前を歩くクリリンの肩を掴んでこちらを向かせる。
「今日のお前、ちょっとおかしいぞ?」
「…」
クリリンは目を伏せたまま反応しないが、構わずに俺は続けた。
「突然金沢に行くと言い、まるで時間を潰すように観光をして、予定していた如くレストランで食事をして砂浜を歩く…その間のお金は全てお前が払ってくれたが、そんな気前よく使えるだけの資金はどこで得た?」
「…」
クリリンは答えなかった。
「そして、お前がここに俺を連れてきた理由は何だ!?」
そう言いながら腕時計を見ると、まだ通信不可のままであった。
「通信障害を起こしてるのもお前の仕業だな?」
俺は腕時計をクリリンに見せるように突き出した。
クリリンは目を閉じ、大きく深呼吸すると目を開け、俺の目をしっかり見ながら話し始めた。
「レストランでは話の途中で邪魔が入って大事な部分を言ってなかったが、俺は外国に渡ろうと思っているんだ」
「なに!?どうしてだ?」
「さっきも言ったが、もう日本には俺の居場所はない。だったら新天地で…俺を必要としている国で頑張りたいと思ったんだ」
「だが、超能力者は出国を禁じられているはずだ」
「そうだ志郎。その通りだ。日本は超能力という強大な力が国外に流出するのを恐れているんだ。しかし、逆に言えばだからこそ外国には超能力者を欲する国はたくさんあり、俺たちにとっては大きなチャンスが待っているんだ」
クリリンが右手の拳に力を入れながら力説する。
「そこで志郎!お前も俺と一緒に来て欲しい」
「は!?」
「絶対に後悔はさせない!」
「いやいや、そういう問題じゃない。俺は日本で普通に暮らせればそれでいいんだ。外国なんて興味はない」
その時、クリリンの眉毛がピクンと跳ね上がった。その直後クリリンは俺の手首を掴むと、突然すごいスピードで走り始めた。
文字通り飛ぶように走るクリリン。すると、前方の砂浜にエンジン付きの黄色のゴムボートがあった。
クリリンはそのゴムボートに辿り着くと、俺をボートの上に放り投げて、自らはゴムボートを沖合に向って押していく。
すると突然クリリンが耳を劈くような衝撃波によって4メートルほど吹き飛ばされ浅瀬に倒れ込む。
ふと反対の砂浜を見ると、そこには一人の黒髪の少女が立っていた。
「323…いや、栗林一。速やかに主賓を連れて投降せよ」
水色のブラウスにチェックのミニスカート。何故か真っ白なリングシューズを履いている。
そう。紛れもなく楓だ。
「随分お早い登場だね。楓ちゃん」
クリリンはそう言いながらゆっくりと立ち上がると、右手を前方に突き出す。
「もう一度言う、速やかに投降せよ。さもなくば…」
楓も右手を前方にゆっくりと突き出した。
「ちょ、ちょっと待て!二人とも!」
俺はゴムボートの上で両手を振って仲裁に入る。
「どうして二人が敵対してるんだ!?一体何が起きてるっていうんだよ!?」
俺は何が何だかわからず混乱していた。
そんな俺の姿を見た楓は、ゆっくりと状況を語り始めた。
「栗林はシロを手土産に、朝鮮共和国に亡命しようとしている」
「な、なんだと!?どうしてクリリンがそんな事を!?」
「ああ、その通りだ……」
クリリンはゆっくりとゴムボートに近づきながら話を続けた。
「朝鮮は俺を必要としてくれる。高待遇も約束してくれる…でも日本では何も得られないんだ!俺のように中途半端に能力を使える者は、特殊部隊でも活躍できず、一般社会にも馴染めず、日本という鳥かごに入れられたまま飼い殺しにされるのを待つだけだ!……俺は信じている…俺の行動が、俺と同じ悩みを持っている者の勇気となる事を」
クリリンはゴムボートまで来ると、再びゴムボートを押し始めた。
「言いたい事はそれだけ?」
楓の目がすっと細くなる。
(精神集中!?)
クリリンがそう思った瞬間、複数の水の塊が槍となって超高速でクリリンに襲い掛かった。
防御壁を展開していたとはいえ力の差は歴然であり、クリリンは水しぶきを上げながら吹き飛ばされた。
見ると、クリリンの服はズタズタに裂け、至る所から流血していた。
「ほんと…楓ちゃんはおっかないね……無策で敵に回したら確実に殺されるところだった」
クリリンは立ち上がると、よろよろと歩き始めた。
「…でも楓ちゃん、気を付けた方がいい。ゴムボートに仕掛けた爆弾が俺の脳波を監視している。もしも俺に何かあればゴムボートは大爆発するよ?」
「なに!?」
俺は叫んだが、楓は全く微動だにしない。
クリリンはなおも続ける。
「それだけじゃないよ。ゴムボートの周囲にも防御壁を展開していて、もしも破られることがあればやっぱり大爆発するって寸法だよ?」
「はあ!?お前、俺を殺す気か!?」
「それくらいしないと、こっちが殺されるんだ!」
「楓が本気でお前を殺すわけ…」
「やるんだよ。彼女は。お前を守るためなら何でも…例えそれが親兄妹であっても顔色一つ変えずに殺るだろう…それが楓ちゃんの怖さであり、弱点でもあるんだよ」
クリリンは2年半もの間、楓のパートナーとして一緒に志郎を守ってきた。だからこそ、楓のことは一番わかっているのだ。
本来、楓の立場では『超能力者を国外へ流出させない』ことが優先されるべき事案であるが、楓にとっての優先順位は『志郎を守る』ことが最上位である。
それを熟知しているクリリンだからこそ、これほどのリスクに立ち向かう事ができるのだ。
ふらふらになりながらもゴムボートにつかまると、超能力を使ってふわりとボムボートに飛び乗るクリリン。グリップを握り、ワイヤーを勢いよく引っ張りエンジンをかけると、楓に向って叫ぶ。
「楓ちゃん!志郎は必ず無事に日本に帰す。だから今回は退いてくれ!俺も志郎を殺したくはない!」
クリリンはボートをある程度まで沖合に出すと、エンジン全開で太陽が沈んだ沖合を目指して進んで行った。
やがて志郎を乗せたボートは見えなくなったが、楓は無表情でその場に立ち尽くしていた。
クリリンは一つ勘違いをしていた。
もしも楓が本気を出せば、クリリンは瞬殺され同時に志郎を救助できただろう。だが、それが出来なかったのは、何年も同じチームで過ごした自分に対して、どうしてクリリンは何の相談も無くこんな事をしたのかという悲しみと、そこまで彼を追い込んでしまったのは自分の責任もあるだろうという自責からくる悲しみのためだ。
結果的にクリリンを見逃した。
楓は無表情だったが、心では深い悲しみに囚われ動くことが出来なかったのだ。
そう──あの時と同じように──。