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あるお嬢様と従者の話。

作者: 6月

単語とかは好きなものを使っているので、時代はバラバラです。時代背景も適当です。

✳︎

 「女王様は怒って真っ赤になり、そして野獣みたいにしばらくアリスを睨みつけてから叫びました。『こやつの首をちょん切れ!こやつのーー』」


 僕がそこで言葉を切ったのは、お嬢様の反応が無くなっていたからです。さっきから僕の膝の上で前傾気味に本を見つめていたくせに、今は僕に体重を預けて俯いています。

 昼下がりのお嬢様の私室。大きな窓から陽光が差し込んで、部屋の中は明るく照らされています。あたたかな光が僕たちのいるベッドにも届いていました。優しい風にカーテンが揺れます。


「……お嬢様? 寝てしまわれたんですか?」


 返事はありません。寝てしまわれたようです。

 ベッドに僕が腰かけて、その僕の膝の上にお嬢様が座っている状態です。いくらお嬢様が十代の女の子とは思えないほど軽くても、このまま熟睡されると僕の足が酷い目に遭います。僕は読んでいた本を傍に置き、お嬢様を膝から降ろそうと試みました。


「……あれ」


 お嬢様が僕の上着の袖をしっかりと握っていて、なかなか離れませんでした。引っ張ったり振ってみたりしましたが全く取れる気配がしません。思わず苦笑が漏れます。

 諦めてこのまま椅子になっていようかと思いかけた僕ですが、良い考えが閃きました。空いている手でお嬢様を抱きしめるようにして、できるだけそっと、そのままベッドの方に倒れこみます。これでお嬢様はベッドで眠ることができ、僕は足が解放されます。我ながら素晴らしい思いつきでした。

 お嬢様の体にブランケットをかけます。頭の下に僕の腕を置いて枕の代わりにし、寝やすい姿勢を整えました。僕には枕がありませんが、我慢することにします。

 お嬢様は僕の腕の中ですやすやと寝息を立てています。可愛らしさに頬が緩みました。あどけない寝顔は子供のようです。まあ、普段から僕と同い年とは思えない、どこか幼い人ではありますが。その柔らかい金髪を手で梳いたり、頬をつついたりしてみました。


 「……ん」

「あ」


 悪戯が過ぎて、起こしてしまったようでした。瞼がゆっくり開いて、ガラス玉のような赤い瞳が露わになります。


「……あれ? ロイ?」

「おはようございます、お嬢様」


 寝ぼけ眼で僕の名前を呼ぶお嬢様に、僕は微笑みかけます。お嬢様は自分の置かれた状況がよくわかっていないようで、きょろきょろと周りを見回しました。


「……朝?」

「今は昼です」

「ん……」


お嬢様が僕の方にすり寄ってくるので、頭を撫でてやります。可愛らしい。


「ほら、さっき本を読んでいたでしょう。そのままお嬢様は寝ちゃったんですよ」

「そうだっけ」

「そうです」


 お嬢様が起きたので、僕は仕事をサボるわけにもいかず、起きることを決心しました。


「お嬢様、袖を離してください」


掴まれた袖を指差してそう言うと、お嬢様はぱっと手を離しました。僕が一緒に寝ていた理由を察したのでしょう。少し申し訳なさそうな顔をします。


「ごめんね」

「大丈夫ですよ。おかげで仕事中にごろごろできましたから」

「……じゃあ、私がもう一回寝るから、ロイも寝よう」

「それは流石に……」


他の人に見つかったら大目玉なので遠慮させてもらいました。





✳︎

 「今日のドレス、どうしよう……」


 お嬢様が、自室の衣装ダンスの前で困り果てていました。僕が部屋に入ってきたのを見て、救いを求めるように僕を見ます。無表情ですが。

 今日は彼女の婚約者の家で夜会があるのです。普段、自分の身支度に無頓着な彼女でも気にするようでした。

 夜会が始まるのはもちろん夜。正確には夕方の鐘が鳴る頃です。そろそろ身支度を整えなければ間に合いません。窓の外では太陽が傾き、だんだんと空が赤くなり始めていました。


 「こちらが良いと思いますよ」


 僕が推すのは、臙脂色のロングスリーブのドレスです。レースや花の模様の刺繍が豪華に施されています。重厚な雰囲気が美しいお嬢様によく似合います。僕のお気に入りの一着でした。


「じゃあ、それにする」


基本的に意志薄弱なお嬢様は僕の言うことに反対しません。あっさりと頷きます。僕はその様子にほのかな満足を覚えました。


「着替えをお手伝いしますよ」

「うん。お願い」


 お嬢様が両手を広げて案山子のように立ちます。僕はお嬢様のネグリジェと下着を脱がせて、濡らした布でお嬢様の体を優しく拭いました。光に照らされたお嬢様の白い肌は陶器のように滑らかで、思わずため息がこぼれるほどでした。彫像でも磨いているような気分になります。

 赤い陽が眩しいのか、お嬢様は目を細めます。僕はカーテンを少し閉めました。


「眩しいね」

「はい。でも、お嬢様の瞳と同じ色ですね」

「……そうだね。でも、ロイの目にも少し似てる」


 僕の目は黄色(お嬢様曰く、金色)なのですが、光の加減によっては橙色にも茶色にも見えます。お嬢様は僕の目がお気に入りのようで、よく覗き込んでは今日は何色に見える、と教えてくれます。

 お嬢様の体が冷えてしまう前に新しい下着を着せて、コルセットを締めます。食事にそれほど興味のないこの人はもともと痩せているので、苦しすぎない程度で止めました。お嬢様はそれでも不満そうでした。窮屈な服が好きではないのです。

 ドロワーズを履かせ、クリノリンを被せ、ペチコートを着せます。これでやっとドレスが着ることができます。なぜ女性はこんな複雑な服を好むのか、僕には理解できません。お嬢様にも理解できないようですが、流行なのだそうです。


 「なぜドレス一枚じゃいけないんでしょうね」

「分かんない」

「他の女性はともかく、お嬢様のように元が美しい方は下手に着飾らなくとも良いのでは?」

「家の恥になるから、笑われるような格好はできないよ」


良い家のお嬢様も大変です。

まあ、僕は流行は理解できませんが、この面倒な工程自体は嫌いではありません。お嬢様を整えるのは僕の仕事であり、趣味でもあります。

 数々の手順を踏んで美しくドレスを纏ったお嬢様を、今度は鏡台の前に座らせました。クリノリンが邪魔そうですが、我慢してもらいます。

 お嬢様の御髪は、相変わらず手のひらで溶けて消えてしまいそうなほど柔らかく艶めいていました。毎日の手入れの成果、と言いたいところですが、半分以上彼女の生来の物でした。櫛で丁寧に梳かします。毛先から解して、絡まらないように気をつけながら。それから髪に香油を馴染ませます。柔らかい花の香りがしました。きつすぎない、自然な甘い香りです。


「良い匂い。前の物より、こっちの方が良い」

「そうでしょう」

「……ロイが選んだの?」

「はい。お嬢様にはきつい香りは似合いませんからね」

「ロイはセンスが良いものね」


 ちなみに前回使った香油は彼女の婚約者から贈られたものだったりします。確かにああいったはっきりした香りを好む女性も多いことは事実ですが、僕は好きじゃありません。知り合いの侍女にあげてしまいました。

 髪に香油を塗り終わり、ヘアーアイロンで巻いていきます。全体ではなく、肩に掛かるくらいの部分を緩く巻きます。流石はお嬢様というか、彼女の使うヘアーアイロンは高価なものなのですぐに終わりました。熱が均等に伝わるので、髪の痛みも最小限で済むのです。

 巻き終わった髪を後ろで結い上げてバレッタを使って纏め上げ、一房ほど垂らしておきます。最近のお気に入りの髪型です。纏まりきらない部分はピンで抑えました。

 最後に、薄く化粧を施します。お嬢様はもともと肌が綺麗ですからそれを損なわないよう、薄く目元と唇に色を差す程度です。


「はい、可愛いですよ」

「ありがとう。全部ロイに任せてごめんね」

「いいんですよ。半分は趣味みたいなものですし、沢山の人間が部屋にいると、お嬢様も落ち着かないでしょう?」

「うん、そうだね」


 立ち上がったお嬢様が、僕の頬にキスをします。幼い頃からの習慣です。僕もお返しにと、お嬢様の額にキスを落としました。女の子らしい可愛げとは無縁なお嬢様は、特に動じることもなく、

「昔より背が高くなった」

と無機質な瞳を僕に向けて零しました。





✳︎

 「ヘルグラージュ家が三女、エリオネッタ=ヘルグラージュと申します。ヒューザー侯爵様はいつも父を助けてくださっていると、父から聞き及んでおりますわ。本日はお会いできて光栄です」


 お嬢様はそう言って、ふわりと微笑んで一礼しました。彼女の前に立つ男性は旦那様の仕事仲間だそうです。初めて会う大人にも動じることなく振る舞うお嬢様に、相手方は気を良くしたようでした。


「こちらが噂に聞くヘルグラージュ家のお嬢様ですか。いやはや、ヘルグラージュ家には優秀な方が多くて本当に羨ましい!」

「確かに兄や姉は優秀ですけれど、私なんてまだまだですわ。でも、侯爵様にそう言っていただけて嬉しいです」


その後、二言三言交わしてお嬢様はその場を離れます。顔には優雅な微笑みを貼り付けたままです。


 「次はエルマン子爵にご挨拶しましょう。あちらにいらっしゃいます」

「うん、ありがとう」

「子爵には最近女の子がお生まれになったそうですよ」

「そうなんだ……」


 お嬢様はジュースを取りながら自然に子爵に近づき、美しい微笑みを浮かべて声をかけます。僕もその後ろについていきます。薄黄色のドレスを着たお嬢様は、花から花へ舞い踊る蝶のようにも見えました。

 今日は王城で開かれるパーティーに参加していました。この前あった夜会のようなものとは違い、王家に招かれた様々な貴族が出席します。現在ヘルグラージュ家にいる娘として、お嬢様は挨拶回りに大忙しです。彼女の上の姉たちは結婚して家にいませんし、ご兄弟は仕事関係の方との交流が主なので、顔を広げるのはお嬢様の役目です。


 「あの女の人には、挨拶しなくていいの?」

「あれは……シルヴェンナ子爵夫人ですね。最近は悪い噂が多いので、関わる必要はないと思います」

「そっか」

「あ、セルマリー夫人ですよ」

「本当だ」


 次のターゲットを見つけたお嬢様はまたもやそちらへ移動します。僕もその後ろに続きます。お嬢様は体力がないので、そろそろバテてて来る頃でしょう。立食形式のパーティーです。近くのテーブルからケーキを一つ拝借してきました。

 しばらくして、挨拶ラッシュが終わったので、お嬢様と僕は会場の端のテーブルに移動しました。柱に寄りかかるお嬢様からはさっきまでの笑顔は完全に消えていました。僕は周りの人が見ていないことを確認します。急に気を抜きすぎです、お嬢様。


 「お嬢様、ケーキがありますよ」

「……私の好きなやつだ」

「はい、ラズベリーのケーキです。これで疲れを癒してください」

「ありがとう。ロイはよく気がつくね」


お嬢様はケーキを小さくフォークで切り分けると、一口ぱくりと食べました。無表情が若干嬉しそうに見えます。彼女は甘いものを特別好むわけではないですが、やはり疲れた時には甘いものです。


「はい、あーん」

「くれるんですか?」

「うん、美味しいから」

「ありがとうございます、お嬢様」


僕はお嬢様ににっこりと微笑みかけて、フォークの先のケーキに食いつきました。ほのかな酸味と柔らかな甘みが、舌の上で広がります。僕は甘いもの、というか菓子をほとんど食べませんが、お嬢様に食べさせてもらうケーキは格別に美味しいと思いました。これからはこの遊び、おやつの時間に取り入れていきましょう。


 「何をやっているんだ、お前たち」

「……あら、リーンハルト。姿が見えなかったから来ていないのかと思ったわ。探したのよ」

「殿下と少しお話ししていてね。そう言うエリオネッタこそ、こんなところで何をしているんだ?」

「見ての通り、ケーキを食べているの。王城で出るお菓子はおいしいわ」


 お嬢様は余所行きの笑顔で、公爵令嬢らしく婚約者殿と歓談します。婚約者のリーンハルト=オーディアンはオーディアン公爵家の次男です。整った顔立ちと柔らかい物腰で、女性からの人気が高い方です。

 ヘルグラージュもオーディアンも古くからある名家で、彼らの婚約は両家の結びつきを強め、本格的に協力関係を持ち力を蓄えていくことに繋がるでしょう。お嬢様はこの婚約で家の役に立てることを本当に心から喜んでいます。意志薄弱なお嬢様の、唯一の執着です。僕としては少々気に入らないものがあります。僕がオーディアン様を見ていると、彼の視線がこちら向きました。相変わらず僕のことを虫でも見るように見下してきます。彼は僕のことが嫌いなのです。


「食べている、というより食べさせているように見えたが?」

「そうかしら? リーンハルトは面白いことを言うのね」


お嬢様はふふふ、と笑いました。外向きのお嬢様の印象は、穏やかで美しい公爵令嬢と言ったところでしょうか。


「……まあ、今はそれはいい。そろそろダンスが始まる。婚約者殿を誘いたいんだが、良いかな?」

「もちろん、喜んでお受けしますわ」


お嬢様は食べかけのケーキの皿を僕に預け、婚約者の手を取ってホールの中央へ歩いて行きました。僕は留守番です。

 少しすると曲が始まって、いくつものカップルが踊り出します。その中心では、お嬢様とオーディアン様が手を取り合って踊っていました。いつ見ても絵になる二人です。

 二人は音楽に合わせてステップを踏んで、くるくると回ります。その度にお嬢様のドレスがふわりと舞いました。途中、何か話しているのか、度々二人は微笑み合いました。美しい人形劇でも見ているようで、僕は贅沢な気分でそれを鑑賞しました。







✳︎

 今日はお嬢様とショッピングをしに来ました。あからさまに豪華なドレスを纏ったお嬢様と、後ろを付いてくる護衛。町の人々の目は釘付けです。お嬢様に日傘をさしている僕も、その原因の一端を担っている気がしてなりません。


「お嬢様、今日はどうなさいますか?」

「……ロイはどこに行きたい?」

「そうですね、取り敢えず服でも見ませんか?」

「じゃあそうする」


 ここは王城のお膝元、城下町です。普通のお店が大半を占めますが、探せば、お嬢様のような方も利用する高級なお店もたくさん並んでいるのです。


 「あ、これ良いですね。お嬢様に似合いますよ」

「どれ?」


移動の途中、店先に並んでいたアクセサリーを一つ手に取ります。小花をあしらった髪飾りでした。


「ちょっとだけじっとしていてくださいね」

「商品をつけて良いの?」

「良いんですよ」


お嬢様は、言われた通り身動きせずに僕に髪飾りをつけられます。後ろに結い上げた髪に挿してみました。うん、可愛い。


「やっぱり、とても似合います」

「そっか、じゃあ買おうかな」

「……使うんですか? これ普通の安物ですよ?」


平民の子供が、お小遣いを貯めて買う程度の値段です。お嬢様のような方からすれば、おもちゃ同然でしょう。


「……部屋で使う。ロイが似合うって言ったし」

「では、僕にプレゼントさせてください」

「ロイが買うってこと?」

「はい。良いですか?」

「……うん。ありがとう」


お会計の時に、店員に頼んでラッピングしてもらいました。紙袋にリボンをつけただけの簡素な代物ですが、お嬢様は珍しくうっすらと微笑んで、

「嬉しい」

と言いました。その様子が可愛らしいので、僕は思わずお嬢様の頭を撫でます。お嬢様はされるがままでした。

 目当ての店に着くと、新作のドレスが出ていました。しかし、あまり色が良くありません。今日この店でドレスを買うのは諦めましょう。


「あ、この靴良いと思いますよ」

「そうかな」

「はい。お嬢様が先日買ったドレスに合います」

「じゃあ買う」

「この帽子はどうですか?」

「可愛いと思う」

「こっちの手袋も可愛いですね」

「……ロイが良いと思うもの、全部買って」


お嬢様は服にあまり興味がないので、大抵僕に丸投げです。流行も取り入れつつ、半分以上僕の好みで選んでいきます。

 他にも何件か店を回り、服や小物を買い込で行きました。昼過ぎに来たのでそろそろ太陽の位置も低く、帰る時間です。

馬車を待たせている所に向かう途中、気になるお店を見つけました。


 「あ……」

「ロイ?」


 それはドールショップでした。道に面したガラスケースに、何体もの可愛らしいビスクドールが置かれています。様々なドールが並んでいますが、皆一様に、無垢なガラス玉の瞳でこちらを見つめています。


「お人形が好きなの?」

「……ええ、まあ。男の癖におかしいとは思うんですけどね……」

「別に良いと思うけど……私がプレゼントしてあげようか?」

「いいえ、いいですよ。もっと素敵なものを持ってますから」

「そうなの?」

「はい」


お嬢様が、夕日よりも真っ赤な瞳で僕を見つめています。一点の濁りもない、無垢な瞳でした。


「もう行きましょうか」

「うん」


 屋敷に戻ってお嬢様と夕食の時間まで本を読んでいた時に、お嬢様の部屋を訪ねてくる人間がいました。お嬢様の従者として僕が応対したのですが、目的は僕だったようです。お嬢様に断りを入れて、相手の男について行きました。腰に帯刀しているところをみると、騎士のようです。そういえば、今日の護衛にいた顔のような気もします。何の用なのでしょうか。

 連れてこられたのは屋敷の端、あまり人のこない倉庫の前でした。


 「君がロイ=クレメンだな?」

「そうですが……失礼ですが、貴方は?」

「申し遅れたが、俺はダミアン=ジーランズだ。よろしく頼む」

「……えーと、はい、こちらこそよろしくお願いします。して、ジーランズ殿は、僕に一体何のご用でしょう」


年は僕より上、二十代前半ほどでしょうか。真面目そうな人でした。

 というか、帯刀した人間と人気のない場所で二人きりなんて、緊張します。 早く終わらせて欲しいところです。


 「なあ、初対面でこんなことを聞くのは不躾だとは思うんだが、聞いてもいいだろうか」

「そのために僕を呼んだのでしょう? どうぞ、お聞きになってください」

「……では聞くが、君はエリオネッタ様のことをどう思っている?」

「……はい?」


 何かと思えばお嬢様の話でしたか。そういえば、最近めっきり減っていましたが、昔は良くありました。僕は少し懐かしい気分でジーランズ殿に笑いかけます。


「どう、と言われましても、僕にとってお嬢様は仕えるべき主人ですよ」

「それだけか?」

「それ以外に何か?」


ジーランズ殿はなにやら悩むような素振りをしてから、何度か視線を彷徨わせた後、僕の方をまっすぐ見据えました。何かしらの結論が出たようです。


「今日、俺は護衛として君とエリオネッタ様を見ていた」

「…………」

「エリオネッタ様が自分の従者をいたく気に入っているということは聞いていた。だが、あれは噂以上だ。良いか悪いかで言えばそれが悪いことだというのは、君にも分かるだろう」

「まあ、そうですね」


 婚約者のいる人間が他の異性と仲良くすることはあまり歓迎されません。当たり前のことです。しかし、貴族たちは使用人を調度品のように扱うのが普通なので、それほど性別を意識されません。だから僕は目溢しを受けているわけですが、過ぎた接触は良くないものであることは事実です。


「君はもう少し、従者としての立場をわきまえて行動すべきだ。貴族社会というものは、どんなところで、何が原因で足を引っ張られるか分からない。君はエリオネッタ様と必要以上に親密に付き合うべきではない」

「なぜ、ジーランズ殿がそんなことを?」

「……この家に仕える騎士として、主人の幸せを願うのは当然のことだ」


 まるで、僕がお嬢様を不幸にするような言い草です。そもそも僕は5歳の時からお嬢様と一緒だったのです。婚約という形で途中から割り込んできたのはオーディアン様の方だというのに。まあ、そんなことを言っても仕方がありませんが。


「……ジーランズ殿は、なにか勘違いしておいでですよ。僕とお嬢様は貴方が考えるような関係じゃありません。お嬢様は人見知りの気があるので、付き合いの長い僕に対しては親密に見えることもあるのでしょう。しかしそれが誤解を生むというなら、控えるようにお嬢様に言っておきましょう」

「……そうしてくれ」

「分かりました。では、これで貴方が心配されるようなことは何もありませんね」


僕はにっこりと微笑みます。


「もうお話はよろしいですか?」




 ジーランズ殿と別れて、僕は少し早足でお嬢様の部屋に戻りました。少し乱暴にドアを開けて、お嬢様のいるベッドにどかっと腰掛けます。お嬢様もベッドの縁に座って本を読んでいました。お嬢様が顔を上げてこちらを見ます。いつもより乱暴な僕の動作に驚いているようです。


 「何か、怒ってるの?」

「怒ってるというか、苛立っています」

「……私、なにか駄目なこと、した?」

「お嬢様にではありません」


 僕はお嬢様の薄い体に腕を回して、ぎゅうっと彼女を抱きしめました。香油の匂いとは別に、お嬢様の肌からは優しい甘い香りがしました。ささくれ立った気持ちが和らぐのを感じます。


「……僕は、僕のものを奪い取ろうとする奴らが大嫌いです」

「誰かに意地悪されたの?」

「…………」


お嬢様の手がするりと背中に回りました。ぽん、ぽん、となだめるように一定のリズムで僕の背中を叩きます。


「よしよし」

「…………」

「大丈夫?」

「……大丈夫です」


 その日は久しぶりにお嬢様と一緒に眠ることで、なんとか機嫌を持ち直しました。






✳︎

 「確か、お嬢様は今日は一日お暇でしたよね?」

「うん、そうだよ」


 朝食を終えて紅茶で一息つくお嬢様に、僕は今日の予定を尋ねます。お嬢様はティーカップを置いて小さく頷きました。


「……それが、どうしたの?」


 お嬢様は基本的に無気力なので、暇な日は自室で読書をしたり窓際で微睡んだりして過ごすことがほとんどです。たまに僕と遊びに出たりもしますが、自発的に出掛けることはほぼありません。


「いいえ。ただ、今日はお嬢様とずっと一緒にいられるなと思っただけですよ」

「そうだね」

「お嬢様はなにかしたいことはありますか?」

「うーん……ロイがしたいことでいいよ」

「じゃあ、普段通りでいいですね」

「うん」


僕が笑いかけると、お嬢様は小さく頷きました。




 お嬢様の小さな手を取って、その爪を整えます。軽く爪やすりをかけて、その手に手袋をしました。


「お嬢様……」


あまりにも美しい光景に、僕は思わず溜息を吐きました。

 椅子に腰掛けるお嬢様は、レースがふんだんに使われた真っ白なドレスを着ています。そのドレスのボリュームは、お嬢様の細い手足がフリルに埋もれてしまうほどでした。頭には、これまた真っ白な、花を模したレースがあしらわれたボンネットを頭に被り、髪は緩くまとめて髪飾りを編み込んであります。そして白い手袋をして、白い靴下と底の厚い白のフラットシューズを履いていました。


「やっぱり、よくお似合いです」

「…………」


 服も靴も、僕がお嬢様に似合うだろうと誂えた物でした。化粧はしません。お嬢様はもとが綺麗ですから。その完成度に、僕は頬が緩むのを止められませんでした。

 僕はお嬢様の肩に垂らされた髪を撫でました。お嬢様は椅子に体を預けたままでぴくりとも動きません。僕はそのままお嬢様の頬に触れ、柔らかな瞼に触れました。お嬢様の赤い瞳が、僕をじっと見つめています。


「本当にお人形みたいですよ、お嬢様」


 そろそろ正午になる時間帯。南から射す明るい陽光が美しいお嬢様を照らしています。暖かい光が浮き彫りにする、冷たい瞳。僕は熱に浮かされたような気分で彼女の頬にキスをしました。お嬢様はきょと、と瞳を僕の方に向け、緩慢な動作で僕の手を取ってその掌にキスをくれました。

 美しい僕のお嬢様。陶器のような白い肌。ガラスのような瞳。アクリル繊維のように細くて艶やかな髪。ハリボテのように軽い体。偽物みたいに美しい僕のお嬢様。僕だけのお人形。


「今日も本を読みましょうか。お嬢様は本がお好きですからね」

「うん」


 お嬢様を僕の膝の上に呼んで、本を開きます。お嬢様が僕に体重を預けてくるのを感じながら、僕は本の音読を始めました。






✳︎

 「ねえロイ。この間もらった香油、すごく香りが良いわ!」


 夜。目が覚めてしまったお嬢様のために厨房から水差しをもらってくると、廊下で一人の侍女に呼び止められました。僕は微笑んで対応します。


「そうですか。気に入ってもらえて良かったです」

「今つけてるのよ、分かる?」


そう言って侍女は髪を僕の方に向けました。名前は確か、アンと言ったはずです。くすんだ茶髪の、ぱっとしない顔立ちの女性です。この屋敷で奥様の部屋の掃除をしている僕の使用人仲間でした。


「本当ですね。やっぱりこの香りは貴女に似合います」

「でしょう?」


アンは満足そうに笑いました。そして、媚びるように視線を僕に向けて言います。


「ねえロイ、今夜、また私の部屋に来ない? この間に来たっきり、一度も遊びに来てくれないでしょう? そんなに忙しいの?」

「すみません……お嬢様から頼まれた仕事があるので」

「そう……」


 こういう時、仕事という言い訳ほど便利なものはないと常々思います。水のたっぷり入った水差しの重さにそろそろ腕が耐えられなくなってきました。僕はさっさと話を切り上げてお嬢様の部屋に戻りました。


 「おかえり、ロイ。遅かったね」

「すみません。面倒なのに捕まってしまいまして」

「別に良いけど、喉が乾いたな」

「はい、今お注ぎします」


僕は水差しからコップに水を注いで、お嬢様に手渡しました。お嬢様はそれを受け取ってこくりと飲み下します。


「そういえば、騎士が一人、クビになったって聞いたよ」

「ああ、僕も聞きましたよ。なんでも奥様の宝石を盗んだんでしたっけ?」

「うん。お母様が言ってた」


 奥様の部屋から宝石がなくなり、その騎士がそれを持っていたそうです。ほぼ間違いないとかで、奥様の温情でお咎めなしにはなりましたが、すぐさま屋敷を追い出されたそうです。二日前の話です。


「どうして泥棒なんて、したんだろうね。うち、結構お給金は良いのに……」

「そうですね……やっぱり、魔が差したんじゃありませんか?」

「……そっか」

「あ」


 いきなり声を上げた僕を、お嬢様が不思議そうに見ます。なんでもないという意味をこめて首を振りました。なんでもないのです。ただ、処分しようと思っていた鍵がまだポケットに入っていたというだけで。明日、街に用事があるので捨ててくるとしましょう。


「ほら、お嬢様。もうお休みになってください」

「……うん、おやすみ」


 僕がお嬢様の額にキスをして、お嬢様は僕の頬にキスを返します。特に決まっているわけではありませんが、キスをされたら返すのが僕たちのルールでした。

 お嬢様が毛布に潜ったのを確認して、部屋を出ました。閉じた扉を背にして、僕は小さく笑います。

 鬱陶しい騎士は排除できました。面倒な侍女に好かれてしまったりと弊害は残りましたが、目的は果たしました。

 簡単な話です。アンの部屋に泊まった時に写し取った奥様の部屋の合鍵で部屋から宝石を持ち出し、あの騎士の持ち物に混ぜておくだけで良いのですから。


「僕の邪魔をするからですよ」


 あの騎士は、確かジーランズとかいったでしょうか。盗みを働いて屋敷をクビになったとなれば、次の勤め先など無いに等しいでしょう。当然の報いです。

 僕は、僕に「おやすみ」と言って小さく手を振ったお嬢様を思い出します。僕の可愛いお嬢様。手放すつもりはありません。





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