第5話〜物事は勝手に動くもの〜
少年は一人歩いていた。
ここが何処なのか、この先に何があるのかも解らず、ただ闇雲に足跡を残していくだけだった。
『―――ハァ、―――、さむ――い、――ハァ、ハァ―――』
自分の手足の輪郭も見えないほど暗く、一寸先は恐怖心を掻き立てる深い夜陰。
だが時折見せる微かな月明かりに照らされる白い吐息。
吹雪混じりの風が、鋭く頬を削り寒さをより際立たせた。
雪でぬかるんだ地面に足を取られながら、不確かな足取りで少年は森の中を彷徨っていた。
『(――ボクは、どこに――)』
手足の感覚はとうに消えていた。
雪道に血の滲んだ足跡を残してひたすらに歩く。
だが身体を動かす気力をかき消すかのように、倦怠感と共に冷気が襲いかかってくる。
もう何の為に歩いているのか、歩を進める目的を見失いかけていた。
その時。
『(――あれ、――は――)』
奪われていく体力と霞んでいく視界の中、暗闇に微かな光が入り込んできた。
それはまるで手のなる方へと、こっちだよと指し示すように思えた灯る光源だった。
気付けば少年は、まるで吸い寄せられるように、若しくは縋るように光源へと目指していた。
進むにつれてその光は、幾つも点在する町の灯りへと変わっていく。
そして次第に耳に届いてくる喧騒を頼りに、少年は気力を振り絞り歩を進めていった。
町の裏側にある門まで辿り着く。するとそれまで針つめていた糸が切れた人形のように、四肢が力尽きその場に倒れ伏した。
それまで非情なまでに吹き付けていた筈の吹雪は、まるで嘲笑うかの様に今はピタリと収まっていた。
静に降り積もる雪が、音もなく少年の身体に降り積もっていく。
『―ァ――ハァッ―――ハァ―――』
何もかもが寒かった。
吐き出してはまた戻ってくる吐息も、ただただ冷たかった。
もう指一本動かすこともできない。
地面に突っ伏した体に伝わる、雪で湿った土の凍て付いた感触。
寒さで悴んでいた体の震えも、酷い衰弱のせいか気が付けば止まっていた。
片目に映る切れかかった魔石灯の光が生み出す、ぼやけた光の輪郭がやけに目に刺さってくる。
『(――しぬの――か、な――)』
自身の状態、そしてこの先迎えるであろう末路も残った思考だけでも安易に想像ができた。
ここが自分の死に場所なのだと。
『―――うっ――くぅ、―』
それを理解した途端、それまで忘れていた様々な感情が込み上げて来る。
鼻がしらが熱くなって、余計に視界がぼやけるだけだった。
もうここまでだと少年悟った。
それまで重く伸し掛かっていた瞼を、今は抵抗なく閉じて最後に思う。
今見た景色がもう最後なのだと。
そう思っていた。
『―――ウィック!―――飲み過ぎ――たぁーなっととっ―――』
だが。
ふと聞こえてきた酔っ払った女性の声は単に空耳か、はたまた死の間際に聞こえた幻聴か何かだろうか。
『――ったく、あやつは手加減っつーものを、母親の腹の中にでも置いてきたのか――お陰でボロ負けだわ――』
だがそのどちらでもなく、声は次第に少年へと近づいていきて鮮明に聞こえてくる。
閉じたはずの瞼がうっすらと開けて、声の鳴る方へと目を向ける。
そこには長い黒髪の魔女のようであり、女神にも思えるとても美しい女性が、一人歩いていた。
けれど手を差し伸べてくれる訳でもなく、少年へは目もくれず酔った足取りで目の前を通りすぎて行くだけだった。
『(―――………だよ、ね――――)』
その光景にもはや絶望は感じず、あるのは諦観だけだった。
だが、その女性は徐ろに目の前まで戻って来る。
『―――…………(ジーー)―――』
そして無言でこちらを見下ろしてくる。
『(―――なん、なんだろう?―――)』
何の用で戻って来たのだろうか。
まさか少年を嘲笑うつもりだろうか。
それとも慰めの言葉でも投げかけてくるのだろうか。
だがどの道、見ず知らずの、それも死体と大して変わらない自分を看取ってくれる筈もないだろう。
『―――うぷっ――――』
そう、いたとしてもきっと何か裏があるはずだ。
わざわざ暖かい言葉を投げ掛けてくれるお人好しなんてそういる筈が――――。
『……ヴォェエッ!!おろろろろろっ!!!』
―――びちゃビチャびちゃビチャアっ!!!
『(…………………………………)』
よりによって目の前で嘔吐された。
もの凄い悪臭が鼻をついてくる。
彼女はゼーゼー言いながら、吐瀉物の前で倒れている少年と目が合った。
『―――ありゃ、誰かいたのか?―――てっきり木の根っ子に張り付いたぼろ雑巾か何かと思って、遠慮なく吐いたんだが―――』
まさに弱り目に祟り目とはこのことを言うようだ。
しばらくして息を整えた彼女は少しの間少年を見つめたあと、大体の状況を察したように呟いた。
『―――……んー、よく見ると死にかけのようだのう―――』
『――――ふー、――ふー、――――』
けれど軽い返事も出来ず、浅い呼吸でしか生きている事を伝えられなかった。
『――……余程弱ってるようだな――』
すると彼女は唐突に聞いてきた。
『ときに坊よ、お主は〝死にたくない〟のか?それとも〝生きていたい〟のか、どっちだ?』
なぜ、彼女はそんな質問を投げかけたのか分からなかった。
けれど意識が朦朧として、深く考えることが出来ない。
だから少年は、最後の最後に気力を振り絞って、思ったままのことを口にする事にした。
『――ボク、は』
その時その少年は、何を思ったのだろうか。
けれどその先の続きを見る事はなかった。
「パンパカパーン♪パンパンパンッ♪パンパカパッパッパーンッ‼♪」
「うぐぉわああああっ!?」
突然の歌声と腹部に重くのしかかる衝撃で、強制的に夢から覚まされる。
慌てて声のする方を見る。すると目の前には見知らぬ小柄な少女が俺の腹に跨ってこちらを見下ろしていた。
明るい栗色の長髪を二つに別けた三つ編み、その上からゴーグル付きのベレー帽を被っている。
帽子の鍔の下から見える、クリクリとした人懐っこい印象を与える、髪と同じ色の瞳。
触れればモチモチと柔らかそうな頬に、童顔な顔つきからおっとりとした雰囲気が漂っていた。
多分、歳は自分より3つほど下ぐらいだと思えた。
そして彼女は手を伸ばせば余裕で届くくらいに近かった、体温が伝わってくるほどに。
「こんにちわ〜って、まだ朝なんですけどね〜」
「なになになに、誰ですかあんた!?」
片手をヒラヒラと振りながら、のほほんと挨拶してくる。
だが、突然叩き起こされて、夢から覚めると目の前にいきなり見知らぬ少女が現れれば慌てふためくのも無理はないと思う。
「あたしですか〜?あたしはですねぇ、よっと!」
しかしそれと相反するように目の前の少女はおっとりと自分のペースのままだった。
俺の腹から、そしてベッドからぴょんと飛び降りた後にこちらを振り向いてから続きの言葉を言い放った。
「びんわん運び屋さん、マール・マロンちゃんなのです!いぇいっ」
おっとりとした口調で、それでいてなぜか謎の体制で素性を明かした。
服装を見れば、白いカッターシャツの上に若干大きめの茶色のジャケットにホットパンツ、最後に焦げ茶色のブーツと全体的に茶色が目立っていた。そして斜め掛けの鞄から少し中身が溢れている。
「運び屋さん?なんでここに、というか何で俺の腹に跨ってたんですか!?」
「いや~、転送魔法陣にちょっとした不具合もどきが起きちゃいまして、たまたま貴方のお腹の上にたどり着いちゃったりしちゃったりみたいなんです〜」
本人の性格を物語るように、まるでふわふわと何とも要領を得ない説明だった。
「ええぇ……それってどんな確率なんですか、て言うかそれが本当だったら何気に一大事じゃないんですか?」
「……てへ~☆」
可愛い反応が帰ってくるだけで否定しない所が、余計に笑い事じゃないと語っていた。
「けれど、これがまた何から何まであたしが原因って言う訳でもないんですよ〜?」
彼女は人差し指を立ててざっくばらんに説明した。
要約するとこんな話だ。
元々、些細な失敗は幾つかあったが、それとは別の不具合が重なって起きてしまった不慮の事故。
つまり、言ってしまえば自分も被害者なんじゃないのか、と。
「まぁ〜でも何事も失敗は付きもの。それを帳消しにできるのは、やはり仕事をこなして任務を達成させるに限るのですよ〜♪」
「はぁ、そうですか」
反省の色が皆無な反応からして、もう素で返事するしかなかった。
「まぁ〜、この程度で済んで良かったですよ〜……死んでなくて」
「あの、今なんて言いました?」
今、ボソリと聞き捨てならない台詞が聞こえた気がしたのだが、その後の言葉によって強制的に話題を変えられる事になった。
「それよりも、貴方はフィルベルト・レインズ様でお間違いないでしょうか〜?」
本当はまだ色々と追求したかったが、唐突に自分の名を言い当てられてしまい、別の意味で疑問を口にするしかなかった。
「っ、なんで」
「名前を知っているのか、ですか?それは企業秘密なのです〜」
だがそれも先回りされた答えに遮られてしまう。
「なので、この仕事の情報網は伊達じゃないゾ?とだけ伝えておきますね〜」
ニコ、と口の端を上げるだけの微笑と意味深な台詞から、底知れない何かを感じた。
……のだが。
「フィルベルト・レインズ、魚屋さんで働いている冒険者歴2ヶ月目の駆け出しさんなんですよね?」
「いや、酒場で働いてて、今月で半年になるんですけど……」
ドヤ顔で言ってきてる中で言うのも心苦しいのだが、間違いを訂正しない訳にもいかなかった。
「あれっ、違います?そんな筈は……」
そう言ってくるりと背を向けて、ガサゴソと鞄からメモ帳らしき物を取り出して。
「今年で15才を迎えて」
「今年で17です」
「ウソあたしの一個下!?」
「え!年上!?」
「」
「違います」
「うぅぅーっ」
かああっと耳まで赤く羞恥の色に染まっていく。
「まぁそう、ですけど……なんですか?」
仕事優先、仕事に忠実だよとでも言うようで華麗な無視からの問い掛けに、胡散臭ささを感じながらも答えた。
「そうですか〜、それでしたら一つ、依頼をお受けして頂けませんでしょうか?」
今度は上目遣いでニンマリと、何か裏が有ると言いたげな笑顔で申し出てきた。
「依頼?何の?」
「それはですね〜」
「それより、そろそろどいてもらえませんか?あともう一人冒険者の人がいるからその人にもその依頼の事を伝えないといけないので」
「これは失敬です〜」
「おはようー、眠れた?ってありゃりゃ、なんかまた人が増えてない?また『あの子』に飛ばされてきたの?」
「『あの子』ってなんです?」
「ん、それはね……話すより会ったほうが早いかもね」
「どういうことですか?」