愛すべき日常
建国際から数日、デュークにとって平穏な毎日が戻ってきた。
相変わらず部下たちは汗臭いし、男むさい。見ていて何の楽しみも感じないが、この風景が自分にとっての平穏だと感じる。友人のヴァンは相変わらずだが、社交場の人々の目線や、おしろいを塗りたくり香水のにおいをばらまく女たち、心のない表情に比べればこんな華やかでもなんでもないただくさいだけの日常が愛おしい。
リティエラに感じた狂おしいほどの思いも、王妃アンリエットの姿を見て我に返った。
まるで冷や水を被せられたようだった。
この国の異物が、なにを熱病に浮かされていたのだろう。
リティエラは公爵家という大貴族の家系に生まれた、この国の貴族だ。自分のような異端な存在とは違う。
それをアンリエットに言われた気分だった。
「おいおい、すっかり腑抜けたな。建国際から様子がおかしいぞ?」
老人のような遠い目をしてかすかに微笑んでいたデュークを訝しげに眺めてヴァンはたずねた。なにを愛おしげに漢たちを見ているのか、疑問でならない。
「日常がこんなにも素晴らしいなんて、今まで思わなかったよ。この臭いだけの訓練場も、俺にとってはかけがえのない場所なんだなって・・・」
表情を変えずにのたまうデューク。
「なにを言ってるんだ、何を。リティシアが愛らしすぎて頭がおかしくなったのか?」
もちろん、ヴァンは冗談のつもりでそう言ったが、「そうかもなあー」という気のない返事が返ってくるばかりである。これはいよいよおかしい。
「リティエラがな、久しぶりにお前と会えて嬉しかったと言っていたよ。できればまた会ってやってくれ。あの子はお前に懐いている。」
デュークがおかしくなった原因であろう少女の名前を出して反応を見てみるが、
「リティエラ嬢はもう適齢期の娘だろう。俺が会えば良くない噂になる。適当に断っておいてくれよ」
とあまり取り合おうとしない。
「建国際以来、婚約を申し込むやつが多くてな・・・」
といって気を引こうとしても、
「すっかり美しくなっていたからな。よい相手を選べるだろう。」
すっかり隠居した老人が、孫の話をしているようだ。
「お前は、私のリティがどこの馬の骨とくっついても構わんというのか。」
妹についた虫はすべて叩き潰して回る。そう断言できるヴァンは、妹がデュークを慕っていることを知っている。悔しいが、デュークなら、妹を共有することを許してもいいとさえ思っていたのに、この反応は裏切りとしか考えられなかった。
「俺はさ、リティエラを大事に思ってるよ。だから、俺が近くにいてリティエラの人生を狂わせてしまうことが嫌だ。俺は敵国の女の子供だから」
すっかり自分の殻に閉じこもっているデュークには、リティエラの思いなどは関係ないらしい。
「俺は、お前ならいいと思っていたんだがな。そんな腑抜けたことでは、リティを幸せにはできんだろうな。」
(やれやれ、面倒な男を好きになったものだ。我が妹、これは一筋縄ではいかないぞ)
今は何を言っても無意味だと結論し、ヴァンは「仕事がある」といって副官に指示を出して訓練場を去った。
残されたヴァンとデュークの部下たちは、なんだか生暖かいデュークの視線を不審に思いながらも、訓練を続けたのだった。