従弟からの手紙
二月中旬。一時間後には出発するために、朝倉省吾は車の雪下ろしをしていた。
こっちはまだまだ冬の真最中と思っていたが、ルーフに積もった十五?ほどの雪はかなり重くなっている感じがした。
これまでの片栗粉みたいな粉雪とは明らかに質が違った。
昨年十一月の初雪が一度も融けずに根雪になってしまった。
地元の人がこれに吃驚していたので、この冬はさぞかし寒くなると覚悟したのだが、
想像していたほどの寒さはなかった。
これで例年にない寒さだと地元テレビも言っていたので、必要以上に心配する必要はなくなった。
案外春は早いのかもしれないと思ったとき、省吾は自分が春の到来を待ち侘びていることに気付いて少し驚いた。
嘗て経験のない気持だったからだ。
ぎりぎりまで着ていく服に悩んでいた妻の真希子が深い溜息をついたあと、苛立たしげに言った。
「孝之が離婚なんてしなければ今頃は耕介と遊んでいられたし、着ていくものでこんなに悩まなくてもよかったのに、ああ、もう・・・」
丁度部屋に戻った省吾に向けられた言葉にとれて、夫は呆れた様子で軽く舌打ちした。
息子の孝之がいわゆる出来ちゃった結婚をしてから僅か三年程で離婚し、それから三年が経過していた。
はじめの頃は現実がなかなか受け止められなくて、ふたりして嘆き合った。
ひとりきりの孫の耕介は母親が親権を持った。結果、ジージとあーちゃんは、その呼び名も使えなくなってしまった。
しかし、耕介に会いたい一心でという面も正直に言えばあったが、
耕介のおかあさんという存在に敬意を示し、感謝を表して行こうと話し合ったのだ。
心からそう思うことで、不思議と誠意は相手に通じるようになった。
その結果、向こうにお願いすれば、たまには孫に会えるようになったのだ。
肉まんと餡まんをチンしてひとつずつ食べると、真希子もかなり落ち着きを取り戻した。
「東京もまだ寒いよ」と省吾の掛けた一言がよかった。
「そうよね、あっちは今が一番寒いんだものね。じゃあ、あれに決めた」
真希子は天井を見ながら、指折り何かを数えて大きく息を吐いた。
自分で淹れたほうじ茶を一口すすったきり食卓を立つと、テレビで天気予報を確認しつつ省吾は歯を磨きだした。
雪のマークが今後一週間ずらりと並んでいた。
やはりまだ春は遠いのかと思いながら、
空港の青空駐車場に五日間、車を置きっぱなしにするのが気掛かりだった。
年明け早々、やはり東京へ行き戻って来た時には、車を出すまでに三十分以上を要した。
想像していたほど埋まっておらず、雪はすぐに撥ねられたのだが、
その下のフロントガラスにがちがちに貼りついた氷が視界を完全に塞いでいた。
ワイパーの根元もがっちり石みたいに凍りついており作動しなかった。
バッテリーは交換したばかりなのでエンジンはすぐ始動した。
ヒーターを最強にし、たっぷり解氷スプレーを掛けたが三十分以上その場でじっと待つ他なかった。
前回は七日間だったから、今度の方が多少ましかもしれないと省吾は腹を括った。
真希子が「さて」と言って立ちあがった。
ふたりが六十歳を迎えたのを機に、三十年営んで来た花屋を閉じて、北海道に移住してから半年が過ぎようとしていた。
いつかは孝之に跡を継がせられたらと、心の底ではずっとふたりとも考えて来た。
結婚して耕介という三代目が誕生して、店も地に足をつけてしっかり踏ん張り続けていけるという夢も見た。
身体を動かして目一杯働くことに骨身を惜しむふたりではなかったが、
仕入れに水揚げという仕込時間を入れれば朝は夜明け前から夜八時までの稼ぎは年々先細って、
孝之へのバトンタッチどころではなくなってしまった。
《失われた二十年》なんて多少ドラマティックだが、所詮作り物の薄情な言葉だ。
個人商店を営んで行くのは本当に肉を切り自らの骨を断つ荒行なのだ。
幸い負債はどうにか返済し終わっていたので、真希子が四月に省吾が七月に還暦を迎えたのを契機に、
長年の夢だった北海道移住を断行したのだ。
子どもたちや親族の反応よりも、三十年使い込んだ店が日に日に空っぽになって行く様を見る方が胸に応えた。
だが、そんな感傷はこれから先を見ると案外楽に吹っ飛んでしまった。
ふたりにとって一番辛かったのは、お得意様との訣別だった。これは想像以上に重く悲しかった。
大きな決断に励ましやら感嘆の声まで頂き、本当にありがたい存在であった。
「もうそろそろ出ないと・・・」
最後の最後まで服装のチェックに余念のない真希子を促して、雪の中を出発した。
車は仕入れにも配達にも使っていた気の好い相棒だ。空港までは雪道を恐る恐る走っても二十分は掛からなかった。
「暫くこの雪景色ともお別れね・・・」
結婚式は明後日の土曜日だ。その翌日、上手く条件が合えば耕介に会えることになっている。
習い事のスケジュールかなんかあるらしいのだが、
簡単なメールでの遣り取りしかできないので、本当のところは分からなかった。
いつもどこかに、ふたりには会わせたくないという気持が滲んでおり、屈折してそれが胸に刺さった。
一昨年耕介の母親も再婚していた。だから、その無理からぬ部分は理解できないわけではない。
寂しさと悔しさが綯い交ぜになって、ちょっと陰のある憎しみ色ができあがる。
昨年まだ夏の終わり切らない九月半ば、耕介には春花ちゃんという妹ができた。
ひと月ほど経過してから連絡を受けて、すぐにかわいい産着を何組か宅配便で送った。
ところでお嫁さんは、いや元お嫁さんは孝之との離婚で復氏しなかったばかりか、再婚後も朝倉の姓を使っている。
耕介の新しいお父さんがそれでいいと言って、妻の姓を選択したようだ。
これには少なからず驚き、事態を邪推した。しかし、抑えられないよろこびが湧きあがって、
ネガティブな気持はやがて置き去りにされた。だから、耕介の名前は生まれたときから変わっていない。
それらの情報を提供してくれるあちらの母上とは、真希子が率先してずっと交流を続けていた。
同じ孫のじじばばという申し分のない立場で。残念ながら、あちらのじじはもう天国に召されていた。
「君が戻るのはいつだっけ」
今回はばらばらに帰る予定になっていた。
結婚式の翌日に耕介と会って、その翌日には共通の友人を見舞い、省吾は再就職の面接があり、その翌日に帰る。
真希子は十日後のマラソン大会に出走し、その後短大時代の友人たちと会い、ちょっと落ち着いたら戻る。
「三月六日」
圧雪された道は意固地である。所々洗濯板みたいに細かく波打って、しかも鋼と勘違いするほど容赦なく凍てついているのだ。
此方の人はこれを「そろばん道路」と呼んでいる。
丁度その上を通過したために、真希子の声がびりびり震えておかしな音になったので、ふたりは大いに笑った。
空港に着くと、出発手続きカウンター入口付近で、真希子と荷物を下ろした。
省吾は駐車場まで車を走らせる。運よく到着ゲートに近い場所を確保できた。
そこにこれから五日間車を青空駐車するのである。ワイパーは両方撥ね上げた。ハザードランプは消した。ドアロックOK。省吾は指差し確認して車から離れた。
空港内に入ると、東京からの折返し便が遅れているとかで、出発も三十分遅れる見込みだというアナウンスが流れていた。
なにしろ、たった一機の飛行機で九州、東京、北海道を循環飛行しているのだから、遅れもある程度はやむを得ない。
かなりの降雪の中、飛んで来てくれるだけありがたい。以前の省吾なら、苛々してカウンター職員に詰め寄るところだ。
北海道へ来て彼は少しだけ変わった。
みやげものはちゃんと用意してあったが、余計な時間が出来た結果、あればなにかと助かるのよと言って、真希子は省吾から見れば余計なものを買っている。先月にも持って行っていることをすっかり忘れてしまったらしい。みやげ物なんて、もう勘弁してもらおうと話したではないか。
これからはほんの僅かな収入で暮らしていくのだから、東京の暮らし方をそのまま再現するのは止そうと。
やがて飛行機は予告通りおよそ三十分遅れで離陸し、三十分遅れで羽田に着陸した。
飛行中ずっとかわいらしい声で話していた、後部座席の活発そうな四、五歳に見える男の子が母親に驚きを表した。
「ねえ、おかあさん、ここ雪がないよ!」
省吾と真希子は顔を見合わせて思わず微笑んだ。この子とは逆に、耕介を雪の北海道に連れて来たい。
このときのふたりの想いは同じだったはずだ。
孝之の再婚が、その小さな希望を断ち切ってしまうのではないかと、省吾はふと思うときがある。
僅か数年で夫婦の何かも分からずに離婚して、それぞれ再婚したことに正直怒りのようなものを覚える。
若い夫婦ふたりだけならまだしも、耕介は父親との生活を失ったのだ。
しかも、ある日突然一方的に納得のいく説明もないままに。
そのうえ、新しい父親の出現と妹の誕生を、耕介にどのように受け止めろと言うのかー。
省吾には何処までも暗澹とした気分を掘り下げてしまう、被害者意識が強い傾向があった。
そんな夫に同調し過ぎてはいけないと、真希子にはセーブをかける余裕を見せる機会も多かったが、
内心同じ気持ちに支配されていた。
かわいい孫を見捨てて、北海道にさっさと移住してしまった自分たちが一番身勝手なのではないかと、
自らを叩きたい衝動に駆られるときがあった。
おとなの勝手に子どもはいつも振り回されているように見えた。
「子どもの方が親を選んで生まれて来るんですって」
何処かから聴いて来たのだろう、長女の瑞希が話したときがあった。
「たとえどんなに悪い親であっても、その子にとって悪い親というのはいないんだって」
頭では分かるその言葉も、気持は一生懸命に撥ね退けいてた。
しかし、時間の経過とともに、真希子もそして省吾も事態をありのまま受け容れられるようになった。
耕介の母、朝倉多恵を文字通り耕介の母として尊重しようと二人は決めたのだ。
羽田空港を出て、ふたりは真希子の実家へと向かう。その夜おそくから、東京も雪模様となった。
◆
「驚いたな、こっちへ来てまで雪だなんて」
「私たちが連れて来ちゃったんだんだね、きっと」
「玄関前、雪ハネしとくかね」
「こっちじゃ、雪かき」
「うん、そうか、雪かき・・・」
「無理しないでいいよ」
一気に降って、既に二〇センチは積もっている。大粒の湿った雪がまだまだ降っている。
これが東京の雪だ。けっこう寒い。北海道より寒く感じる。
それにしても、これでは明日の結婚式はお客さんに気の毒だ。
孝之の心掛けが悪いんだ、と省吾は思ってみたがすぐに打ち消した。誰が悪いという話しじゃない。
雪がたくさん積もって、生涯忘れられない結婚式になる。これでいいんだ。
「省吾さん、腰が痛くなるから、もういいのよ」
八十六歳を迎えた義母が、玄関扉を顔の幅に開けて声を掛けて来た。
頼りの娘が北海道へ行ってしまったのだ。どんなに心細いだろう。少なからず後ろめたさがあって、日頃省吾は盛んに義母に遊びに来るよう声を掛けていた。
飛行機はこわいから、と言って今のところ来ていない。以前一度乗ったときに耳が痛くなったから、と必ず付け加えた。
「もういいのよ、省吾さん」
義母が膝の痛みを押して外に出ようとするので、省吾は分かりました、もう止めておきますと答えた。
それを理解できたのかもしれないし、よく聞き取れなかったのかもしれない。義母は一瞬板のように硬く微笑んでから、入ってお茶を飲みなさいと言った。少し間をおいて雪を映した白い顔を引くと、ゆっくりというより寧ろ辿々しい動作で扉を閉めた。
そのとき覗いた額や鼻筋の生む表情が、真希子とそっくりだった。今更なにを驚いているのか。音もなく頬を伝う汗のひと粒が顎の先端まで達した。滴り落ちる前に手の甲で払った。ひとつ払うと、二つ三つと汗の粒が左右の頬を伝って来た。
いくらか腰の痛みを感じながら背筋を伸ばした後、省吾は大きく息を吐いた。
その白い塊は顔の前で一部を痙攣させながら暫く浮かんでいたが、大きな雪粒に打たれてあえなく消えてしまった。
傘を差した人々がいつもと勝手の違う足許に注意深く眼線を這わせながら、恐る恐る爪先立って狭い路地を駅に向かっていた。
まだ当分、省吾は仕事をしなければならなかった。長い老後のために。省吾は完全に無年金なのだ。遊び半分に生きて来たわけでは決してないが、保険料が納められなかった。何とか納めようと思えば、決して不可能ではなかったのに。悔しさは残るが、今更じたばたしても始まらない。役所からの通知によれば、勤め人生活が七年余りあった真希子には年に九万円ほど支給される見込みだという。
問題はあるにしても、それが社会の仕組みだ。その端っこを歩いたり走ったりして来て、何れは崖っ淵に立つのだと省吾は思う。負け惜しみではなく、覚悟と言うほどのものでもない。それも好いのではないかと寧ろ愉快な気分がちゃんと胸の片隅にあることに、人間の不思議を感じるのだ。
北海道へ移って間もなく、省吾はJAのコメ倉庫でアルバイトをした。各農家が納めたコメが入っていた空袋を種類別に整理するという単純作業だった。
やはりどうしても花に触りたくて選花作業を希望したのだが、女性の仕事だからと結局断られた。それでは仕方がないと、朝七時から夕方五時までのコメ袋整理作業は、十日も経たずに終了してしまった。もう一度選花作業へ回してほしいと頼んだが、返答は同じだった。その後今日まで、省吾は無職である。
「仕事の方はどうですか」
義母に悪意はないと分かっている。熱いほうじ茶が喉を焼いた。
「まあ、なんとかやってます。ところで、明日はやはりいらっしゃいませんか」
「行かないんだって。もう欠席で返事出しちゃったからって」
ダイニングの古い壁掛け時計を見ながら、真希子が大きな溜息をついた。
「そんなのなんとでもなるのよ。しかも新宿で近いし」
真希子は止まらない。
「ホテルのシャトルバスもあるから歩かなくていいのよって言ったのに、ほんと頑固よねえ」
大分紅潮してきていた。
「融通が利かないと言うか。まあ、もう二度目だからいいんだけど、でも、これじゃ、なんか孝之が可哀そう」
語尾が震え、眼は潤んでいた。
二度目だからという理由で招待しなかったので、朝倉家側は、孝之の伯父伯母などの親族はひとりも出席しない。
結局、列席者は自分たち両親と姉の瑞希の三人だけだ。なんだか情けない気がしてならない。先方には納得して頂いているとはいえ、これでは第一に、咲子さんと御両親に対する申し訳なさに頭を押さえつけられる。
次いで、御親族方を正面から見られないのではないかと、真希子はずっと不安を覚えていた。そんな世間体は別としても、親としてはとても残念な気持だ。腹立たしさも少なくない。勿論、省吾にも同じ気持ちは渦巻いていた。孝之さえ踏ん張って離婚を回避していれば、と今も腹の底にある。真希子には彼女なりの義母への根深い苛立ちが背景にある。
八十六歳と六十歳の母娘。真希子は夫に、母が生きているうちは北海道には行けない、とはっきり宣告していた。
彼女には母が遠足のお弁当を作ってくれなかった忘れられない思い出があった。中学一年のときだと、真希子は時折その話をした。
遠足の前日、持って行くお菓子を買いに行って友人とつい話し込んでしまって、約束の門限を破ったからだと言う。見たことのない物凄い形相で、父の執成しも無視して母は怒ったと言う。
果して、翌朝弁当はなかった。それ以来気持のどこかで母が好きになれなくなってしまったのだ、と。
その都度夫はただ聞いている他なかったが、母の存命中に移住を決めた真希子の想いの中にそんな遣り切れなさが紛れ込んでいると思うと、夫は後ろめたさに胸を突かれた。
真希子の実家には、六十三歳で独身の義兄がいる。
ここに耕介のような孫が加われば平均年齢をぐっと下げるのだが、難しいようだ。義兄がこれから結婚して父親になるのは、かなり現実的ではない。
醒めた眼で見れば現実というのは、思い通りにはいかないものなのだ。それを諦めの境地でぼやくのではなく、あるいは自我を剥きだして抵抗することもせずに目の前の試練をあるがまま謙虚に受け止められたら、最初は地獄を味わうかもしれない。だが、最終的には寧ろ苦痛のない世界に辿り着くのではないだろうかと省吾は思ってみたりする。
すると、もしや義兄は、それを実践中なのではないかと感じるのだ。
義兄は日々をこの義母と二人で過ごしている。何もかも放り出したくなるような、様々な苦労があると思う。義母は真希子に義兄と反りが合わないと盛んに嘆く。その気もないくせに一人になりたいと訴える。出来もしないのに一人になって気儘に暮らしてみたいと嘯く。きっといやな人がたくさんいるからデイサービスなんかには絶対行かないと吐き捨てる。うちには誰も遊びに来ないと涙を見せる。
腰が痛い、頭が痛い、お腹が痛い、口の中が痛い、耳が痛い、足が痛いと甘えん坊になる。あんたが遠くへ行ってしまって寂しいと語尾を伸ばす。
それでも一人娘の真希子は、今更摺り寄るなとつれない。
そんな母親を義兄が知らない筈はない。しかし、いつも義兄は黙っている。口には出さないが、義兄がいちばん苦しいはずだ。彼は遠くなってしまった妹に愚痴ひとつ溢さない。印刷工という職人気質のせいなのか、ひとつの無駄口も表面的な美辞麗句もまったく吐かない人だ。
その一徹さがよく似ているだけに義母には受け容れ難く、義弟の省吾にはそれが却って心苦しいのだ。
その点、自分は実の母親を簡単に見捨ててしまった。母親の荒々しい性格も嫁姑の確執も、省吾には噛み砕けなかった。胸の奥にはそれらの作用よって出来た塊が、青味泥的な不健康で陰鬱な光を今尚発していた。
北海道へ移住する三ヶ月前に、ひとりでいた母親が家の中で椅子から滑り落ちて、手足併せて十五針縫う怪我をして入院した。どうやら尻もちをつき腰も痛めた。それが母親の精一杯の抵抗だったのではないかと、省吾は思うときがある。
自分を見捨てないでくれ、と母親は叫んだのかもしれない。
一時は誰もが母親は寝たきりになるだろうと覚悟した。夫婦は逡巡した。しかし、人の意思とは無関係に刻々と事態は進行しており、結局移住計画は実行された。
まったく思いもよらぬ援軍が、突如として現れたのだ。ふたりの背中を押したのは、省吾の従弟だった。
従弟夫妻と言った方が正しい。
母親が九十五歳とは思えない回復力を存分に見せつけて、さて退院しようというときに、従弟夫妻から一通の手紙が省吾と真希子宛に突然届いた。
『叔母さんの面倒を、自分たちに見させてくれませんか』という主旨だった。省吾も真希子も眼を疑った。
『東京を離れたことがない叔母さんの齢で、北海道はあまりにも厳しい環境でしょう。我家は叔母さんの実家でもあるわけでして、実は先日叔母さんを見舞ったときに、叔母さんにこの話をさせて戴きました。叔母さんには・・・』
本心かどうかは分からなかったが、母親は従弟のところへ行くと言って喜んだ。
「ああ北海道なんて寒くていやだ、いやだ。まともな人間にはとても暮らせない」
枯れて皹の入った、しかし大きな声だった。
身内でも不快な気分に陥るのだが、ここは千載一遇の渡りに船だと割り切ってしまえばいい。ともかく、バス通りを挟んで向こう側は調布市という世田谷の閑静な従弟夫妻の住まいへ、ふたりは挨拶に向かった。
『・・・叔母さんには赤ん坊の頃から、長年何かとお世話になって来たから恩返しさせてほしい・・・』
笑顔の従弟夫妻は口を揃えて言う。
「御覧の通りそれほど広い家ではないですけど、叔母さんの部屋も用意させてもらってます。
賑やかな一人娘が九州みたいな遠くへ嫁いじゃって、ここにぽっかりと穴が開いてしまったでしょう。
叔母さんを我家に迎えるというのは、ぼくたちにはほんとに救いになる話なんです。それに・・・
無論叔母さんが育った頃の環境とは違うけど、お不動様の大きな欅やイチョウとかクヌギなんかの雑木林とか、周りの風景は意外に昔とそれほど変わっていないでしょう。だからきっと叔母さんにも抵抗なく住んで貰えると思うんです・・・」
従弟の手紙にも同様の、ふたりの決意と言える想いがしたためてあった。
子どもの自分がこうあらねばならないのに・・・。彼らの温かい眼差しに、省吾は頭を下げる他なかった。しかしここでは何故、とは訊かない。感謝があるのみだった。
母親の終の棲家として、これほど相応しい場所はないと率直に感じた。
このときから省吾の胸の中に、同じ量の罪の意識が急速に根を張り始めた。
この奇跡的な事態をもたらしたのは彼らの信仰心だ。それを省吾は認めないわけには行かなかった。省吾がずっと拒み続けて来た彼らの信仰だった。
今、彼らは一言もそれを口にしない。入信と引き換えに母親を預ける、という想像上の不条理に省吾だけが尻込みしている。
母親は自然の流れの中で、きっと入信するだろう。そうなれば省吾と母親との距離は一層広がるに違いない。そう考えると、他の誰でもない、自分が母親を見捨てたのだという思いに省吾は羽交い絞めにされた。
◆
結婚披露宴会場は、新郎新婦の職場関係者と友人たちで溢れ返っていた。
しかし、この場には耕介も無論多恵もいない。孝之の祖母ふたりの姿もない。世間体はともかく、なんとも寂しい構図だった。
省吾と真希子と瑞希がぽつんと小さなテーブルについている。周囲の喧騒が夢の出来事のように映っている。その喧噪も飲み込んでしまう大音量の音楽が鳴って、新郎新婦が入場して来た。
そこに今でも実父を慕っている耕介の姿が並んでいないのが、省吾には一番応えた。これまで親として見たことのない幸せそうな笑顔を、孝之が盛んに振り撒いているから尚更なのかもしれない。
孝之とほとんど同時期に離婚した瑞希も、こうやって二度目の結婚披露宴を挙行する日が訪れないとも限らない。
それについて親がとやかく口を挟むべきではない。母親を見捨てた格好で北海道へ移住してしまった身として、子どもに胸の蟠りを理解しろとは言えないではないか。
あと十年か二十年か、それ以下か以上かは分からないが、余命を生きるのは容易ではない。東京に踏みとどまって、もうひと踏ん張り出来たかもしれないという後悔に近いものも、正直胸の片隅にはある。
還暦を迎えた一事で、何もかもが変わって新しい人生が向こうから訪れるわけもない。自分から変わらなければ何も変わらないのだ。
移住したのは好いがやっぱり駄目でした、で帰って来るのでは格好がつかない、というこれまでの感覚も変えなければならない。
余命を生きてはいけないのだ。そのときそのときを、一日一生で生きていけたら素晴らしいじゃないか。思い患って生きるのだけは避けたいのだ。
「孝之、飲み過ぎー」
妻と娘が眉を顰めて笑う。
たしかに孝之はとても嬉しそうだ。離婚以来、見せなかった屈託のない表情だ。それで好い。今度こそ幸せな家庭を築いてくれ、と省吾は念じた。
店を継ぎたかった息子に、もしかしたら、今恩返しをされている最中なのかもしれない。あいつは父親として、耕介のことを忘れているわけではない。口に出さないだけで、ちゃんと背負っている。新しいルールのなかで懸命に生きようとしているのだ。
息子に継がせてやれなかったという僻みのようなものが、いや、間違いなく僻みが今も根強く省吾にはある。その呪縛から父親を解放しようと息子は拳を振り上げたのではないか。かなり酔った孝之の姿に、ふと省吾は思い至った。
こんなメッセージを受け取るのは、気恥かしい。従弟夫妻から、息子夫婦から。
この際、両方の母親を北海道に呼ぼう。そうすべきだ。無論、真希子の考えも尊重しなければならないが。
元気とはいえ、ふたりとも有り余るような時間を持っているわけではない。
一度は見捨てたかもしれないが、最後のメッセージは、感謝だ。どうしても伝えなければなるまい。結婚披露宴の最中の、ハイな気分がそう思わせているだけかもしれないが、省吾はそう思った。
◆
人であれ物であれ、それから物理的に離れてみると、気持というものは感心するほど優しくなるものだ。嫌いだった相手も息の詰まるような町の喧騒も、汚染された空気でさえ侮辱された言葉でさえ懐かしいから不思議だ。
眼を瞑っていても通って行ける町角に、今このとき自分が佇んでいない現実に小さな苛立ちといくらかの悲しみを覚える。たまに、道すがら挨拶する程度で名前も知らぬ人の姿がふと浮かんで、故郷とはそういうものなのだと今強く思う。
ずっと変わりなく、思惑や一時的な感情に支配されていた。長短様々な形態をとったとしても、その抗い難い支配力に翻弄されていたのが自分の人生だったのではないだろうか。ここで、その連続性を切断する必要がある。
白状すれば、困難苦難から逃れようと目の前の事態をしっかり見詰めて来なかった。
その還暦男が従弟からの手紙によって、今やっと変わろうとしている。
従弟からの手紙は、真正面から試煉と向き合って来たから書けたに違いない。
それは日々彼らが自らを変えるという意識を持って、たとえ日常的な瑣事に対しても実践しているからだと省吾は思う。
孝之だって、思いの外エネルギーを要する離婚という困難を乗り越えて今日を迎えたのだ。
その点、自分はどうだ。年齢には関係がなく、経験にも関係がなく、率直な《思い描き》が万事に於いて足らなかったのだと省吾は自分に判定を下した。
新郎の父親という一事で、列席者に謝辞を述べる頃合いになっていた。
スピーチが得意というわけではないが、こんな場合いつも省吾は原稿を用意しない。その場の雰囲気で案外素直に言葉は出た。上手い下手は別として、省吾は上がることもなくこの日も話し出した。短く簡潔に、心から感謝という思いだけをもって。
◆
スピーチしている省吾をもう一人の省吾が見下ろしているのが分かった。
遠く離れてしまったために、父親として省吾は息子を案じている。
まだ手を引いて歩いていた少年のころと変わらずに。
時間を止めてしまったのは、父親の方だったのだ。
職場の方々友人の皆さんの叱咤激励を受け、そして素晴らしい伴侶を得て、息子は親の知らぬ間に随分と遠い道を自力で歩んでいるのだと思い知った肩が、細かく震えているのがよく分かる。
母親もこうして自分を案じていたのだと省吾は痛感する。親は掛け値なしに子どもを思うものだ。
頭では分かっていたつもりだったが、これまでひとつも理解していなかったのだ。
息子の姿を眺めながら、父親は曇っていた眼が徐々に晴れて来るのを実感していた。
妻がいる。娘がいる。息子の生きる場所の人々が父親に視線を投げかけている最中だ。
「若いふたりを、どうぞ見守って遣って下さい。お足許の悪い中、本日はほんとうにありがとうございました」
と詞を結んだとき、不覚にも頬を熱い涙が伝った。
すると、さらさらと恰もせせらぎから立った音が鼓膜を震わせた。そればかりではない。会場の天井の更にそれを突き抜けた先から、きらきらと輝く粉雪のようなものが舞い降り始めた。
だが、人々の表情は穏やかだった。そわそわする人も驚きの声を上げる人もいない。父親もそれには気付いていないようだ。拍手が沸き起こった。
深く礼をしながら、省吾は従弟夫妻とよく話そうと決めた。
真希子の気持を第一に配慮しなければならない。それから、もう決してどんな事態からも眼を背けない生き方をしよう。
そうすれば、右へ行っても左へ行っても、間違った場所には出ないと思えるのだった。
〈了〉




