お題『まくら』
「だからね、それを絶対に離しちゃいけないんだ」
そう言って本気とも嘘ともつかないにんまりした笑みを、ササメは僕に投げかけてきた。
細めた目もあわせてまるでいたずら好きの猫のようだと思う。
ササメのこのいつも悪巧みしているような表情が、僕はあまり好きではない。年はひとつしか変わらないはずなのに、どこまでもからかわれてるみたいな気持ちになるから。
「でもさ、それって夢とどこが違うの? この枕を使って眠ると不思議な世界へ行ける。それは分かったけど、結局普段見てる夢がちょっとクリアになるってだけじゃないか、くだらない」
言いながら先ほどササメに手渡された枕をためすがめつする。
あらためて見ても何の変哲もない、いたって普通の一人用の枕だ。表には白とパステルブルーのストライプのカバーがかかっていて、硬めの枕が好きな僕にはちょっとふわふわしすぎに感じる。
だけど、ササメはこの枕が『特別』だと言うんだ。
「馬鹿だなあ、いつもただ見てる夢とは全然違うよ。いいかい、ひとつめにその世界は『枕』を持っている人間にしか行くことができない。
ふたつめに、夢と違ってその世界で経験したことを、起きた後もはっきりと覚えていられる。
みっつめに、『枕』を持つもの同士なら同じ世界へいける。つまり僕と君がその世界で会えるってことだ。
もっとも、夢と同じくその世界でいくら無茶をして怪我をしたり最悪死んでしまったりしても、この世界の僕らの体が損なわれることはないけど、それだって悪いどころかむしろ僥倖だろう? 子供のころ願った財宝探しの冒険だって思うがままさ!」
言葉の終わりの音量をあげて、ササメが大仰に両手をひろげる。
ササメが真剣に語れば語るほど胡散臭さがましていくのはどうしてなんだろう。
「僕は別に、財宝探しの冒険なんてしたいと思ったことはないけどね。それに、その世界で仮に財宝を見つけられたとしても、こっちの世界に持って帰ってくることができないなら意味ないじゃないか。財宝だけじゃない、その世界で何かを買っても、何かを食べてもこの世界の僕には何の変化もない。ならやっぱり夢と変わらないと思うな」
「持って帰れるものだってあるぞ?」
どこか期待するような目に顔をのぞきこまれる。
「持って帰れるって……なにをだよ」
ぼそりと訊くと、ササメがしてやったりの表情に変わった。
「それを知りたければ今夜、その『枕』を使って寝てみるといい。僕は寝るのが早いからね、先に行って君を待つことにするよ」
「僕はまだ、使うとは言ってないぞ?」
「君は使うよ。なぜなら、君は親友を待ちぼうけにするほどひどいやつじゃないから」
「親友とかこういう都合のいい時だけ……分かったよ」
呆れたふりでため息をつく。
本音のところは、ササメが何かやろうとするなら乗ってやってもいいって思ってるけど。
僕は敢えて口になんか出さないけど、やっぱり僕もササメのこと親友だと思っているし。今のところは。
じゃあ、と気取って手をあげて歩き出したササメが、言い忘れたとでもいうように首だけこちらを振り向く。
「ああ、でも絶対に忘れちゃいけないよ。その世界に持ち込めるのは『枕』だけ。逆に言えば、『枕』が世界を繋いでいるんだ。無くしたらもう戻ってこれない。それだけは、忘れないで──」
「すごい、なんだこれ、すごい…!」
ひたすら透明度の高い真っ青な大地の上で、持っていた『枕』に抱きついて僕は悲鳴に近い声をあげた。
いつもと枕が違うからなかなか寝付けなくて、僕が意識を失ったのはベッドに入ってからかなり経ってからのことだった。
かくり、と体が沈むような感触がしてから少し経ち、唐突に僕は目を覚ました。まったく見知らぬ世界の中で。
それはそうと底の分からないクリアな地面というのは怖い。
透明度の高すぎる氷の上にでも立っているみたいだ。かなり下のほうに光を発しているなにかの物体があるらしく、地面はどこも微かに青く発光している。
動いて割れたりしないだろうかと怯えて動けない僕の頭上から、高らかなササメの声が届いた。
「おーそーいー! さすがの僕も待ちくたびれたよ───とうっ!」
「とうっ!」ってなに? なんて疑問を感じる暇もなく、くるくると回転しながらどこかからササメが降ってくる。
ドスン、と大きな音を立ててどこぞのヒーローばりの登場をかましたササメは、「ところで何でしゃがみ込んでるの?」と不思議そうな顔で首を傾げた。
パジャマを着ている僕と同じく、パジャマに枕を抱えた姿。言っちゃなんだけどひどくまぬけだ。
しゃがんでいたのは足元の強度が不安だったからだけど、あの勢いで降ってきたササメを受け止めるくらいだ、歩いたって走ったって強度に問題はないんだろう。怯えていた自分を少し恥ずかしく思いながら、何食わぬ顔で立ち上がりササメに並んだ。
「何でササメは上から降ってくるの? もっとましな登場できなかったの? っていうか、いきなり落ちてきて怪我とかしてないの?」
質問に質問を三つ重ねて返すと「だーいじょうぶ、僕この世界では最強。なんだってできちゃう。っていうかそれは君も他の誰かも一緒」なんてふざけた答えが返る。
僕のこういう小さな見栄を、そのまま受け取ってくれるなんてササメは意外といい奴なのかもしれない。
あらためて見渡すとなんとも不思議な世界だった。
クリアブルーの大地に、絵の具で塗ったみたいなマットな質感の暗い紺の空。遠くにはまばらに建物があるように見えるけど、それよりもごつごつとした岩肌の丘や山のほうが目立っている。
目立つ理由は色だ。どの山も、丘も、子供がふざけて作ったマーブル模様のような色をしていて、その表面には白と黒だけで構成された植物と、なぜかやけくそのように開いたり閉じたりしたカラフルな傘が突き刺さっている。
視線をササメに戻して僕はため息をつく。
「何だってできるのはいいけど、こりゃまたずいぶん目に痛い場所だね。やりすぎ感強すぎると素直に喜べないや」
「まあまあ、そう言わないでよ」
とりなすように言ってから何気なく、という感じでササメが歩き出す。
隣の僕もとりあえずは逆らわずにササメについていくことにする。一人で動きまわるのは嫌だけど、ササメが一緒ならまあいいかな、と思って。
歩き出した僕を見て、ササメが嬉しそうに笑った。
「本当はもっと僕らの街に似た場所もあるんだけどさ、今日は面白いものが見れるはずだからここに呼んだんだ。損はさせないから少し付き合ってよ」
「呼んだってなんだよ、ササメが呼ばなかったら僕は別の場所に出てたかもしれないっての?」
「そういうこと。あ、だめだ、時間ないからちょっと急ごうか。手、つないでくれる?」
訊きたいことはまだたくさんあったけど、こういう時にササメに質問したって時間の無駄だ。
諦めてササメが出してきた手に自分の手を重ねると、ぐっと強く力がかかって、ササメの手の熱が伝わってきた。
ササメの目が輝く。
「よし、じゃあ飛ぶよ!」
「え、飛ぶって、う、……わあぁああ!!」
飛ぶ、という言葉が比喩じゃなく、本当に空を飛ぶみたいに体が浮き上がる。
正確に言えば浮遊じゃなく飛翔で、ササメが足で地面を蹴ると重力を1/10にでもしたみたいに体が空へ持ち上がった。
「枕、落とさないでね!」
言いながら山の上のパラソルを蹴ってササメの再ジャンプ。勢いあまって二人でくるくると回転しながら地面へ降下した。
三回目のジャンプはやけくそになって、僕も一緒に地面を蹴った。ぐん、と体を持って行かれる感覚と、風を切って鼻先が冷えていく感触。動悸があがってうまく呼吸が出来ないような、何だか意味もなく笑いだしそうな不思議な気分だ。
怖いのか、楽しいのか、泣きそうなのか分からない。
「さいっこう!」
「ササメは、いつも、やることがムチャクチャ!」
文句は言っても嫌がってる訳じゃないのは、きっとササメにも伝わっている。
しょうがないよ、いつもどんなに頑張ったって、ササメには驚かされるし感心させられてしまう。
「ムチャクチャに付き合ってくれる君が、最高!」
「言ってろよ、やだって言ったってどうせ強制するくせに!」
そのまま笑いながら世界を飛んで跳ねて、突然ぴたり、とササメが着地する。
真っ青だった大地が透明度を増して、その分青色を減らして足元にある。
ここまでと違って表面もひどく平らかで、静かな湖の上に紙一枚隔てて立っているように錯覚する。
「ここが、目的地?」
なんとなく大きな声は出しづらくて、呟くようにしてササメに訊いた。
青い青い大地とマットな空の他は何も見えないような場所で、ひどく静かなことに緊張してしまう。
「そう。そろそろ始まるから、足元をよく見ていてごらん」
そう言うとササメは手を放して少し僕から離れた。
2Mくらいの間を空けて、二人で向き合って足元を眺める。
始まりは本当に小さな音だった。
コーン、と厚いガラスを叩くような透明な音がして、地面の奥の方で何かが光った。
「え……今の音……、え、……う、わあ……!」
始まりは些細だったのに、変化は徐々に大きくなっていった。
キン、コン、と楽器のような音をたてながら、足元に光が漂いはじめる。
この現象を何と呼ぶのかは知らない。だけど僕の拙い言葉で表現するのなら、足元でいまや周囲を取り巻くほどの動きを見せているこれは、光のカーテン、地の底に生まれたオーロラだ。
「なにか…泳いでる……」
ダイナミックに動く光の渦に圧倒されていた僕が、それに気づくのには少し時間がかかったと思う。
始めはオーロラの光とは別の、チカチカした反射として視界に入り込んできた。
不思議に思って目をこらしてみると、たなびく光の合間を縫って、何か小さな生き物が体をひらめかせているのが分かった。
一匹の尾をもう一匹が追って、そんな運動がそこかしこで起きている。
生き物の体は桃色がかったプラチナ色で、オーロラの光をそこかしこにキラキラと乱反射する。
「すごいな……綺麗すぎて、ちょっと怖いくらいだ……」
ゆらゆらと揺らめく光は二度と同じ色には変わらないように思えた。
夢中で動きを追いかけていると、ふ、と息だけでササメが笑う気配がした。
ササメの存在を忘れそうなほど夢中だった僕を、ササメはずっと見ていたようだった。
「初めにこの世界を創った時から決めていたんだ。伝えるなら、絶対にこの景色の中でにしようって」
足元のオーロラに照らされながら、ササメが囁くような声で言う。
パジャマ姿に枕を抱いて、間抜けな恰好が幻想の中で優しく微笑む。
遮るもののない広い大地に、声はほとんど響かずに吸い込まれていった。
それがなにか恐ろしいような、さみしいような、美しいような気がして僕は息を飲む。
──この世界を創った
その言葉の意味を上手く計りきれずに、さらに何か伝えようとしてくるササメをただ無言で見つめた。
だけど。
「君が好きなんだ」
渡された言葉が、なんだか全く場違いで困った。
こんな途方もない景色の中で、そんな俗な感情を伝えられても困るよ。
──感動と混同して、僕も好きかも知れないなんて思いそうで困る
「……なんだよ、この世界から持って帰れるものを教えてくれるって約束だったのに」
反応に困って無意味にそんなことを言うと、めずらしく困り顔のササメと視線が絡んだ。
「うん、だからこれ。言葉と記憶は持って帰れるでしょ、今、君の中で生まれた気持ちも」
「…………」
「……あれ? 伝わらない? なんか日本語間違ったかな?」
なんとも返せない僕をどう思うのか、ササメの困り顔はますます深まっていく。
その顔がなんだか可愛らしく見えてきて、ますます僕も言葉が出なくなってしまう。
もう少しだけ、その顔を見ていたいな、なんて。
「おかしいな、計画と違う。ちゃんと言えたら何か変わるはずだったのに」
だんだん拗ねたような口調になるササメに、動揺してた気持ちが落ち着きはじめる。
何もかもが大げさに演出された今夜に、ようやくいつもの調子に戻れた気がする。
ササメは調子を戻して欲しかったんじゃないかもだけど、知らない。
いつもの仕返しみたいな気持ちになってしまうのは許して欲しいな。いつも僕を驚かしすぎるのがいけない。
まあでも、嫌ではないんだけどね。
だから明日にはきっと、君の思い通りになってあげるから。
「言ってすぐ変わるものなんてないでしょ。それに、返事も待てない人は嫌われちゃうよ?」
「……じゃあ返事って、いつになるのさー」
足元のオーロラはまだ幻想的な輝きのままたゆたっている。
とりあえずはもう少し眺めていたいな。この誰かさんが創ったらしい夢のような美しい景色を。
「また明日、この『枕』でここにくるから。今日は──ね?」
ぶーたれた顔のササメは諦めたのか肩をすくめた。
僕の提案で二人して枕を並べうつぶせになる。
このまま二人でこの下にもぐりこんで、あの魚たちと一緒に泳げたらいいのにと思いながら。
見惚れている間にいつの間にか眠ってしまい、朝になって目覚めた時は、僕はいつもの部屋で枕を抱きしめていた。
もう一度この枕で眠る前に考えなくちゃいけないな。
なぜならパジャマはないと思うんだ。何を着るかについてはよく考えておきたいと思う。
夜まではまだ、時間がたっぷりあるから。
夢の世界でみんなで枕もってうろうろしてたら面白いかなーという思いつきから。途中で楽しくなってきたからあえて恋愛オチにしたとかなんとか。どっちが男の子でもいいリバーシブル仕様~。