お題『さざなみ』 そのいち
わたしという器になみなみとつがれた感情の水は、もうずっと、今にもあふれそうな危うさのままこの体の奥底にあって。
零れ落ちそうな水面を揺らさないよう、わたしはいつも忍び足で生きる。
誰にも、この心を揺らされぬよう。
水浸しの部屋でひとり胸をかきむしることになどならないように。
静かに、息をひそめ、いっそ冷ややかなこの水が凍りついて溢れることなど叶わなくなるように。願いながら。祈りながら。
それなのに──
「でもさ、そうやって背伸びして頑張ってるの見ると、無理やり抱え上げてさらってやりたくなるヤツだっているよ」
強引で、ぶしつけで、大嫌いな男がそんなことを言う。
「泣かせたいし、怒らせたい。ほんとは優しくしたいのに許してくれないから、俺どんどんやなヤツになってるよね」
唇をとがらせる彼を見るわたしの顔は、いつも通り、変わらず冷たいままだ。そうでなくてはならない。無意味に吐き出される言葉なんかに、築き上げた砦を壊されるわけにいかない。
(お願い、わたしを殺さないで……)
「ねぇ、俺じゃだめ?」
声の響きにわたしの張りつめた水面が揺れる。
こぼれないで。あふれないで。
「俺のこと、好きになってよ」
ああ、どうしてこの人はこんなにもひどい。
わたしは知っているのに。あふれだした水はどこへも行き場所のないまま、ただそこで乾き失われていくのだと。どうせいたずらに掻きまわされて、そこら中に巻き散らかされて捨て置かれるのに。
揺らさないで。こぼさないで。
ひと言も返さずに背を向けたあとで、彼の呼吸の音を無意識が探す。
同じだけ息を止めて全てなかったことになればいいのに。
角を折れ、彼の視界から外れて崩れるように膝を抱える。
溢れそうな水を押さえつけるために、強く強く抱いて泣き出しそうな自分を守った。
母親と相性の悪かった女の子の初恋のはなし。