お題『水玉模様』
「雨が降るとさ、いっつも、陽ちゃんまた慌ててカーテン閉めてんのかなーって、思ってた」
わたしが勢いよく部屋のカーテンをひくと、後ろから太一ののんびりした声が届いた。
それがなんだか、全部わかってるんだよって言ってるみたいで、恥ずかしくて腹が立って、わたしは膨れ面になる。
「こっちだって、また太一が雨の中でぼーっと突っ立ってんじゃないかって思ってたわよ」
「あれ、陽ちゃん心配してくれてたんだ? 俺のことなんてずっと忘れてたって言ってたくせに」
図星をつかれてまた顔に温度があがった。
「う、うるさいなっ、たまに、ほんとにごく稀に思い出した時もあったってだけの話じゃない!」
「ひどいよなぁ、俺は陽ちゃんのこと忘れたことなんてなかったのに。でもさ、やっぱりまだ駄目だったんだねー、大人になったら平気になるって涙目で宣言してたのに」
からかうみたいな話し方は太一の昔からの癖だ。
六年前、高校を卒業するまで、わたしと太一はずっと同じ時間を過ごしてた。
都市型高層マンションの、幼馴染。
同じ敷地に三百戸以上の家庭が押し込まれてる環境で、家族ぐるみのお付き合いなんてむしろ珍しかったんじゃないかと思う。
高校まで同じだなんてアンタたち本当に仲いいのねって親にまで呆れられてた。
「大丈夫にはなったわよ。ただちょっと、開けっ放しだと寒くなってやだなって思っただけじゃない……」
「もー、そうやってすぐ意固地になんだから。いいじゃん、そういうの群衆恐怖っていうんでしょ? 陽ちゃんだけじゃないんだし、苦手な物くらい誰にだってあるよ」
「だから! 今はそこまでひどくないんだってば。太一こそ、なんかぼーっと考えごとする癖治ったの? また雨に降られて風邪ひいたりするんじゃない?」
「だからそれは誤解だってずっと言ってんじゃんかー」
ベッドに座ってあぐらをかいて、太一が拗ねたみたいに口を尖らせる。
作る表情は昔のままなのに、雰囲気や体つきが今はもう大人の男の人になってて、なんとなくじっと見られなくてわたしは視線をそらした。
「陽ちゃんが、泣きながらどうしてもダメなんだって言ってたじゃん?」
「……それがなによ」
太一が言うのは、わたしの昔からのよくない癖みたいなもののことだ。
ほとんど同じ形の、でもよくみると微妙に違う小さいものが、不規則に密集しているのを見るのがわたしは怖い。
例えば、乾いてひび割れた水たまり。
窓やボンネットにびっしりと張り付いた雨の水滴。
床にこぼれたゴマとか、密集したアリとか──ああ、ダメ、想像しただけで全身に鳥肌が立つ…!
その、大人になってから「群衆恐怖」と呼び名のある症状だと知ったわたしのよくない癖が、小学生のわたしに大事件を起こした。
優しくて大好きだった先生が、図工の時間にだした課題は、『雨のしずくを描いてみましょう』。
ちょうど雨降りだったその日、野外学習が出来なくなった代わりにと、先生は窓についた水滴をみんなで描こうと提案したのだ。
水玉が怖いなんてバカみたいなこと言い出せなくて、我慢して我慢して、わたしは吐いた。
小学校という閉鎖的な集団で、女の子が吐くというのは本当に本気の大事件だった。
パニックになって泣いているわたしを、保健室まで手を引いてくれて、水玉が怖いなんてバカみたいな話をずっと聞いてくれたのは席が隣だった太一だった。
ずっと落ち着くまで傍にいてくれて、じゃあ陽ちゃんの嫌いなものは俺が退治してやるからね、なんて言って──
「雨のしずくをさ、こう、指で一個ずつつなげてくと、大きな塊になるからさ」
「? なに?」
ぼんやりと昔を回想していたら、いきなり太一が変なことを言い出す。
急に訳の分からないことを言い出すのもこいつの悪い癖だから、またか、と呆れながらわたしは続きを促す。
「そうやってくっつけちゃえば、陽ちゃんは怖がらなくてすむかなーって」
「え……それってまさか、雨の中遊びほうけて40度出して怒られた時の話してんの?」
そう、わたしにとっての大事件が起きた何日かあと、ずぶぬれで遊んでいた太一が熱を出したことがあった。
わたしは、ずっと対等だと思ってた太一に弱みを見せた気がしてずっとそれが恥ずかしかったから、熱を出した太一をずいぶん馬鹿にして溜飲を下げた。
太一の熱は三日も下がらなくて、わたしはあの日以来もっとずっと雨の日が嫌いになった。
「退治の方法をね、ずっと考えてたんだけどねー」
太一の言葉にまぎれてる、あの頃から今までずっとだよ、の響き。
「だからね、陽ちゃんは昨日から全然信じてくれなかったけど、小学生のガキの頃から俺は陽ちゃんのこと好きだったんだよ。ウソじゃなかったでしょ? そろそろ信じてくれてもいいじゃん」
「…………」
何も言えず固まる。昨日、六年ぶりに再会した幼馴染は、どうしたって本気に取れない、冗談みたいな口調でしつこくわたしを口説きまくってきた。
十年以上の片思いを必死で殺してきたわたしは、最後にはやけっぱちになって、なるようになれで彼を部屋に招いた。
「よーうちゃーん」
間が抜けて、笑い混じりの、にくたらしい太一の声が近づいてくる。
さっきまで、人のベッドの上にぽたぽたと汗のしずくを落として、小さな水玉模様を作っていた男だ。
陽ちゃん、陽ちゃん、大好きって。何度も。馬鹿みたい。恥ずかしい。死ね。
「ねー陽ちゃん。雨やんで、外乾くまで俺一緒にいるからさ。全然だいじょーぶだから」
「なにが大丈夫か全然わかんないわよ……」
「だからさ、やっとわかったんだよね。退治できなくても、見えないように陽ちゃんに目隠ししちゃえばいいじゃーんって」
「知らない。馬鹿じゃない。もうやだ、疲れたからもっかい寝る」
「えー、俺も俺も、一緒。……なんかさあ、こういう朝に疲れたって言うのやらしいよね?」
「だから知らないってば、バカ太一っ」
二人の関係が変わった朝は、大嫌いな雨がいつまでもいつまでも降り続いていた。
二回目にしてすでに、追い詰まると恋愛モノに逃げる悪い癖を自覚しました…。