お題『ツナマヨ』
「さて、どうしよう……」
万年床ならぬ万年こたつの前にきちんと正座して、彼女は小さな缶詰を見つめる。
これは重要かつ非常にデリケートな問題だ。
なにせ次のバイト代が入るまであと二週間。財布の中身は小銭で千円とちょっとで、実家から送られた援助物資はすでに底をつきかけている。
助けを求めるのは不可能ではないが、心配しすぎると怒る母の小言と年末の帰省がセットになるので、できればここは踏みとどまりたいと彼女は思う。すいている時期を狙うからとのらりくらりでかわしていれば、年一の帰省でも何とか許されるとここ数年で学んできたのだ。実家が嫌いな訳ではないが、往復三万と帰省の間のバイトの欠勤は貧乏学生の懐を直撃する。ワガママを言って東京に出てきたのだから、見栄をはりたいのも正直なところ。
(やっぱりあの画集は余計だったかぁあああーー、いやでも買える場所で! 買わないと! 手に入んないもん将来への出資……!)
正座のまま、膝の上で拳を握って、天井をあおいでの脳内独白。
こうしてかれこれ一時間近く、彼女は孤独な戦いを続けているのだ。
大学院で西洋美術史を学ぶ彼女は、忙しい合間を縫って得たバイト代をつぎ込んでは、海外の美術館に弾丸ツアーを決め込んでいる。彼女の担当教官のモットーが『現物を見ずに研究なし』なので彼女の周囲に渡航経験者は珍しくないが、それでも彼女ほど生活費を削り、がむしゃらに飛び出して行く者は少ない。
一年を通してほぼ変わらない、細いジーンズに襟のあるシャツという服装。黒髪はアップで簡単にまとめて、トレードマークは祖母から貰った、漆塗りのあまり目立たない黒の簪。
(例えば、100均でトマト缶とパスタを買えば……)
再び缶詰に視線を戻して、彼女は真剣にシミュレーションを始めた。
円筒の横面にはイ○バライトツナのロゴ。その下には小さくまぐろ油漬と書いてある。これはそう、ツナ缶と彼女の一対一の対決なのだ。
すばやい試算。冷蔵庫に残っているのは半分の玉ねぎ、3cmほどの人参。コンソメもまだ一つ確保していたし、ケチャップで水増しして最後はスープパスタにすれば最低でも三食はいける。
でなければじゃがいも。
残り三つのじゃがいもに、さらし玉ねぎ、人参。卵がないのが残念ではあるが、塩胡椒マヨネーズで濃い目に作ればご飯にもパンにもよく合うおかずができる。余った分は小麦粉を入れて、おやきにして食べるのも結構いける。
同じ材料で肉じゃがならぬツナじゃがもいい。白菜かキャベツを買ってきて蒸し煮にしたって、ひと玉148円で四食分のおかずにできる。
はっきり言って、ひとり暮らしにおけるツナ缶は救世主である。
なかなかお肉を買えない懐事情でも、切なくならない程度に食卓に豊かさをくれる。
だから大事に使わなきゃいけない。
だからよく考えて使わなきゃいけない。
(だけど……!)
ばたり、と彼女は床に寝転ぶ。挿しておいただけの簪が外れて、絨毯の上で柔らかな髪がほどけた。かまわずにその場でごろごろと転がる。きかん気の強い子供がやるような、日本古来正統派の駄々っ子ムーヴ。
「だってもー、食べたくなっちゃったもん止まんないんだもん。しょーがないよ明日のことは明日考える、イエス!」
ピピーと色気のない電子音がした。
と、今までの悩みをどこへやら、すっくと立ち上がって彼女は髪をまとめる。
実際、悩んでいたというよりこれからする贅沢への背徳心を高めていただけなのだ。パートナーのいない彼女は年々この手の遊びが上手くなっている。
息を吸い込むと炊き立てご飯の優しい香り。お腹はぺこぺこ。時間は深夜。
「さー、食べよっと。つなまよご飯~」
記念すべき?初参戦の一本。