001 入学
朝倉ひなたが最初に思ったのは、思っていたより普通の学校だな、ということだった。
校門は少し大きく、警備員が二人立っている。門の脇には金属探知ゲートのようなものまで設置されていて、入校証をかざさなければ中に入れないが、それ以外は拍子抜けするくらい普通だった。春の朝に桜が咲き、真新しい制服を着た新入生たちが少し緊張した顔で行き交っている。その光景から妙に浮いているのは、校舎の壁に掲げられた学校名だけだった。
『国立東都対異形高等専門学校』
「やっぱ長いなあ」
ひなたは校門の前で立ち止まり、看板を見上げた。周りでは保護者が写真を撮ったり、新入生同士で声を掛け合ったりしているが、ひなたは一人だった。両親は来てもいいと言っていたものの、本人が断ったのだ。高校の入学式くらい一人で行ける。それに、普通の高校ならともかく、ここで親と記念撮影をするのは、なんとなく気恥ずかしかった。
「東異高でいいじゃん」
誰に言うでもなく呟き、ひなたは門をくぐった。正式名称を全部口にする人間など、そのうち誰もいなくなるだろう。実際、案内表示にも普通に『東異高』と書かれている。
校舎へ向かう途中、右手に巨大な体育館のような建物が見えた。だが、壁には窓が少なく、入口には黄色い警告表示が並んでいる。
『第一実技棟』
『訓練弾使用区域』
『実弾訓練時立入禁止』
「おお」
ひなたは思わず足を止めた。ここだけは、さすがに普通の高校ではなかった。入学案内で知ってはいたが、実物を見ると少しテンションが上がる。
「本当に撃てるんだ」
「入学初日に撃たせてもらえるとは思わないけど」
すぐ横から声がしたので、ひなたが振り向くと、黒髪の女子生徒が立っていた。自分より少し背が高く、肩より下まで伸びた髪はきちんと整えられている。制服にも皺ひとつなく、手には校内案内の冊子を持っていた。見るからに真面目そうな子だった。
「あ、聞こえてた?」
「かなり」
「そっか」
ひなたは笑った。
「楽しみじゃない?」
「何が?」
「銃」
「……それを聞かれて即答できる人、あんまりいないと思う」
「えー」
女子生徒は少しだけ呆れたようにひなたを見た。その胸元には、新入生用の仮学生証が下がっている。
久世澪。
そう書いてあった。
「久世さん?」
「そうだけど」
「私、朝倉ひなた」
「見れば分かる」
澪がひなたの胸元を指した。
「あ」
自分にも同じものが下がっていることに気づき、ひなたは笑った。
「ほんとだ」
「……大丈夫かな、この学校」
「何が?」
「なんでもない」
二人はそのまま校舎へ向かった。別に約束したわけではなく、ただ進む方向が同じだっただけだ。
「久世さんも一年?」
「この状況で上級生だったら、逆に怖くない?」
「確かに。朝倉さんは何組?」
「えーっと」
ひなたは学生証の裏をひっくり返した。
「一年三組」
澪が足を止めた。
「私も」
「お、じゃあ一緒じゃん」
ひなたは素直に喜んだ。澪は一瞬だけ何か言いたそうにしたが、結局何も言わなかった。
◇
一年三組は二十四人で、一般の高校より少し人数が少なかった。教室自体もそれに合わせてやや小さく、黒板の隣には大型モニター、後方には防災装備用の収納棚、窓際には見慣れない赤いランプが設置されている。入学案内によれば、それは避難警報灯で、異形災害警報が発令された場合には校内の全区画で点灯するらしい。ただし、入学式の日に鳴るようなものではない。たぶん。
「席、隣だ」
ひなたが言うと、澪は「出席番号順だから」と答えた。
「運命?」
「五十音順」
「現実的だなあ」
澪は返事をせず、鞄から筆箱とノートを取り出した。
「入学式でノート使う?」
「使わないとは思うけど、一応」
「一応で持ってくるんだ」
「普通持ってくるでしょ」
ひなたは自分の鞄の中を覗き込んだ。財布、スマホ、飲み物、菓子、入学案内。入っているのはそれだけだった。
「……教科書って今日だっけ?」
「配布があるって書いてあった」
「重そう」
「今、心配するところそこ?」
澪がため息をついたので、ひなたは机に頬杖をつきながら教室を見回した。緊張している生徒が多く、近くの席同士で話している者もいるが、まだ声は小さい。全員が何となく周囲を探っているような雰囲気だった。普通の高校と同じように見えるが、ここにいる全員が選抜を受けている。筆記、適性、運動能力、反応速度、空間認識、心理検査。ひなたにとっては、最後の面接が一番面倒だった。
『なぜ本校を志望しましたか』
『向いてるって言われたので』
その答えを聞いた面接官の顔は、今でも覚えている。結局受かったのだから、問題はなかったらしい。
「朝倉さん」
「ん?」
「適性、何だった?」
「適性?」
「募集時の判定」
「ああ」
ひなたは少し考えてから答えた。
「射撃と運動と、なんかいっぱい高かった」
「なんかいっぱい」
「細かいの覚えてない」
澪の眉がわずかに寄った。
「久世さんは?」
「射撃適性B、戦術適性A、情報処理A、運動B」
「覚えてるんだ」
「結果表に書いてあったから」
「私も書いてあった」
「でしょうね」
ひなたは笑った。この子、面白いな。まだ会って三十分も経っていないが、そう思った。澪の方はたぶん、そう思っていない。
そのとき、教室の前扉が開いた。全員の声が止まり、担任らしい女性教師が入ってくる。三十代くらいの教師で、その後ろにはもう一人、背の高い男が続いていた。黒い制服ではなく、学校職員用のジャケットでもない。濃い灰色の現場服を着ており、腰にはホルスターがある。銃は入っていなかったが、そこに何かを収めるためのものだと分かる形だけが残っていた。
教室の空気が一瞬で変わり、ひなたも机から身体を起こした。
「おはようございます」
女性教師が教壇に立った。
「今日から一年三組の担任を務めます、三崎です。専門は異形災害法規と基礎戦術」
続いて、横に立つ男を見る。
「それからこちらは――」
「榊省吾だ」
男が先に言った。低い声だった。
「対異形即応局所属。今日から実地教導を担当する」
教室が静まり返る。榊省吾という名前を聞いた瞬間、隣に座る澪がわずかに反応した。ほんの少し肩が動いただけだったが、ひなたはそれを見逃さなかった。
榊は生徒たちを見回した。鋭い目というほどではなく、むしろ落ち着いた視線だった。ただ、その視線が止まるたび、見られた側が自然と姿勢を正す。そういう目だった。
「先に言っておく」
榊は続けた。
「ここは戦闘員を育てる学校だ」
誰かが息を呑む音がした。
「ただし、死ぬ練習をする場所じゃない」
榊は淡々と話した。
「三年間で覚えることは多い。撃ち方、動き方、判断、救助、撤退、報告。異形を倒す方法も当然教える」
そこで少し間を置き、榊は教室を見渡した。
「だが、一番先に覚えろ」
その視線が、ひなたたちの前を通り過ぎる。
「帰ることだ」
ひなたは瞬きをした。
「倒したかどうかは二番目でいい。任務を終えて、自分の足で帰ってこい。それができない奴に、次の任務はない」
入学式前の教室で聞くには、少し重い言葉だった。ひなたが横を見ると、澪は真っ直ぐ榊を見ていた。先ほどまでの少し呆れたような表情ではなく、真剣な顔をしている。それも、ただ教師の話を聞いているというより、知っている人を見る目だった。
ひなたは小声で尋ねた。
「知ってる人?」
澪の肩が跳ねた。
「え?」
「榊教官」
「……静かにして」
「知ってるんだ」
「朝倉さん」
「はい」
前から声がしたので、ひなたが顔を上げると、榊がこちらを見ていた。
「初日から余裕あるな」
「そう見えます?」
「見える」
教室のあちこちで小さく笑いが起き、ひなたも笑った。
「大丈夫です」
榊の眉が、ほんの少しだけ動いた。
「何がだ」
「え」
「大丈夫ってのは、何が大丈夫なんだ」
「……なんとなく?」
「そうか」
榊は一度だけ頷いた。
「朝倉」
「はい」
「お前のその『大丈夫』は、今後信用しないことにする」
また笑いが起きた。
「えー」
「不服か」
「ちょっと」
「なら信用できるようにしろ」
榊はそれだけ言うと、三崎に場所を譲った。澪が横で口元を押さえている。
「笑ってる?」
「笑ってない」
「絶対笑った」
「入学初日で教官に目をつけられる人、初めて見た」
「でも名前覚えてもらったよ」
「前向きすぎるでしょ」
ひなたは机に頬杖をついた。前では担任が入学式後の予定について説明を始めている。制服採寸の確認、教科書配布、施設案内、午後には基礎適性の再測定があり、実技授業は来週から、実地訓練はまだずっと先で、銃を持つのも少し先らしい。
ひなたは少し残念に思った。けれど、隣にはなんだか面白そうな子がいて、前にはちょっと変な教官がいる。普通とは少し違う高校生活だが、今のひなたにとっては、それくらいの認識だった。
この時のひなたはまだ知らない。三年間のうちに何度も異形へ銃を向けることも、自分より澪の声を先に聞いて動くようになることも、そして、あの教官の言った「帰る」という言葉が、自分たちにとって何より重い言葉になることも。
「朝倉さん」
「ん?」
「説明、聞いた方がいいよ」
「聞いてる聞いてる」
「今、何の説明してる?」
ひなたは前を見た。三秒ほど考えてから答える。
「……教科書?」
「施設案内」
「あれ?」
澪がため息をついたので、ひなたはその顔を見て笑った。
高校生活一日目。少なくとも、退屈はしなさそうだった。
第1話お読みいただき、本当にありがとうございます
本作はしばらく水土更新となります。
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