貴女は私の鳥籠の中
「ふふ……シズク。これであなたは、もう一生ここから出られないわ」
白鳥グループの次期社長にして社長令嬢である白鳥麗華は、陶酔しきった溜息をつきながら、豪奢なキングサイズのベッドに横たわる女性を見つめた。
彼女の白く細い手には、鈍く光る特注のチタン合金製チェーンが握られている。その先端の拘束具で、ベッドの上の女性——シズクのふくよかな足首を、ガチャリと冷たい音を立てて厳重に施錠した。
ここは地下五十メートルに建造された、核攻撃すら耐えうるプライベート・シェルターだ。しかしその内装は、最高級ホテルのスイートルームもかくやというほどに絢爛豪華である。ペルシャ絨毯が敷かれ、アンティークの家具が並び、空調は常に最適な温度と湿度を保っている。
麗華が莫大な私財と権力を投じて作り上げた、愛する人を永遠に閉じ込めるためだけの「完璧な鳥籠」。
「誰の目にも触れさせない。外界の薄汚い空気なんて吸わなくていいの。貴女は一生、私の庇護下で、私だけを見て生きていくのよ……」
麗華は頬を紅潮させ、恐ろしいほどの執着を込めた瞳でシズクを見つめる。
幼い頃から、彼女の周囲にはいつも人だかりができていた。けれど、その誰もが麗華自身を見ているわけではなかった。
白鳥家の娘。 莫大な財産を継ぐ者。 将来の社長。そんな肩書きに群がる人間ばかりだった。
そんな中で、シズクだけは違った。
麗華が何を持っているかなど気にも留めず、ただ笑って言ったのだ。
「麗華のご飯、美味しい」
たったそれだけだった。だからこそ、麗華はシズクを失いたくなかった。誰にも渡したくなかった。永遠に自分だけのものにしたかった。
しかし、当のシズクはといえば。
「ん……わかってる。それより麗華、あそこのポテチ取って」
体重100キログラム。豊満で柔らかく、マットレスにすっかり沈み込んだシズクは、大きな欠伸をしながら怠惰に呟いた。
「もう、仕方ないわね。お昼前にあまり食べると、せっかくのランチが入らなくなってしまうわよ?」
甘い声でたしなめながらも、麗華はいそいそとワゴンからポテトチップスの袋を取ろうと背を向けた。
——カチャリ。
麗華が今しがた施錠したばかりの拘束具が、ひとりでに外れる音がした。
振り返らなくても分かる。シズクが念動力を使って鍵を開けて一番楽な体勢に整えているのだろう。そして、彼女は再び自らの足首に拘束具をガチャリと装着し直して、麗華がポテトチップスの袋を開けて振り返る頃には、完全な「囚われの身」のポーズに戻っていた。
「はい、シズク。あーんして?」
「あーん。……んー、サワークリームオニオン味、最高」
シズクは、地球でさえ割れるほどの念動力とテレパシー、そしてテレポート能力までも使いこなす、最強のエスパーである。
その気になれば、このチェーンや拘束具、分厚いシェルターの壁でさえ粉砕せずとも一瞬で地上の世界へと出られる。
だけど、彼女は絶対にそうしない。自分で動くのが面倒くさいという怠惰と、麗華の手料理への執着。ただそれだけの理由で、彼女はこの脆い鎖に繋がれ、麗華の所有物になることを「選んで」くれているのだ。
「外に出たいなんて、絶対に言わせないわ。今日のランチはね、私が昨晩から仕込んだ特製のビーフシチューよ。お肉がホロホロになるまで煮込んだの」
『ビーフシチュー……! 一生ここから出ないから、お肉は多めでお願い』
シズクは声帯を震わせるのすら億劫になり、麗華の脳内に直接テレパシーで語りかけた。
「ええ、もちろんよ」と、脳内に響く声にも全く動じず、麗華は幸せそうに微笑む。
そんな歪で平和な共依存生活は、ある日突然、無惨に破られた。
警報音がシェルター内にけたたましく鳴り響き、エマージェンシーランプが禍々しく真っ赤に発光する。
「な、何事……!?」
『んー……うるさい。テレビの音が聞こえない』
麗華が慌てて防犯モニターを確認すると、そこには重武装した十数人の男たちの姿があった。父である白鳥社長に恨みを持つ過激派の企業テロリストたちが、麗華を人質にしようと、この極秘の隠しシェルターまで嗅ぎつけてきたのだ。すでに地上の警備は突破されている。
「いけない……! シズク、安心して。私が必ずあなたを守るわ!」
麗華はドレスの裾から護身用の小型拳銃を取り出し、震える手で構えた。
シズクに護衛など必要ないことは、痛いほど理解している。指先一つで彼らを殲滅させられる彼女を庇うなんて滑稽な茶番だ。
それでも、麗華は彼女の「ご主人様」でありたかった。この完璧な鳥籠の平穏を脅かす害虫は排除しなければならない。それが、彼女に養ってもらっている——いや、彼女を「監禁」している麗華にとっての、愛の証明なのだから。
爆音とともに、頑丈なはずのチタン合金の扉が吹き飛ばされ、土足の男たちが雪崩れ込んできた。
「いたぞ! 白鳥の娘だ!」
「抵抗するな! 殺されてえか!」
「おい、後ろのベッドにいるあのデブは何だ? 奴隷か?」
無骨なアサルトライフルの銃口が、麗華とシズクに向けられる。下卑た笑い声が、麗華の神聖な鳥籠を汚していく。
麗華が覚悟を決めて、震える指で引き金を引こうとした、その時。
——ピキッ……。
室内の空気が凍りついたように重くなった。
男たちの動きが完全に止まる。いや、動けないのだ。目に見えない、圧倒的で濃密な力が、彼らの全身を四方八方から押さえつけていた。
『……今、クライマックスのすっごく良いところだったんだけど』
直接脳髄を鷲掴みにするような、重低音のテレパシーが響く。
男たちが恐怖に目を見開くと、ベッドの上で寝そべったままのシズクが、ひどく不機嫌そうに右手の指先を、ほんの数ミリだけ持ち上げた。
「「「ぐはあぁぁっ!?」」」
次の瞬間、屈強な武装集団の男たちは、軽々と天井へ叩きつけられ、そのまま見えない力で磔にされてしまった。
彼らが持っていた銃火器は空中でねじ切れ、ボロボロのスクラップとなって床に降り注ぐ。
『私の快適な監禁生活を邪魔するな。……それと、誰がデブだ。これは愛嬌と幸せの詰まった100キロだ。麗華の手料理への冒涜として、万死に値する』
シズクが少しだけ眉を寄せると、圧力を強められた男たちは声にならない悲鳴を上げ、次々と白目を剥いて気絶していった。
指先をわずかに動かしただけで、ベッドから一歩も降りることなく。わずか数秒で、襲撃は完全に鎮圧された。
「シズク……」
麗華は構えていた拳銃を力なく落とし、天井の男たちと、再びポテトチップスをかじり始めたシズクを交互に見つめた。
背筋が凍るほどの畏怖と、それを遥かに凌駕する狂おしいほどの愛執。
こんなにも恐ろしくて強大な彼女が、今、自身の手によって鎖に繋がれているという事実。生殺与奪の権を完全に握られながら、それでも麗華は彼女の「ご主人様」としてここに立っている。
これ以上の快楽が、世界のどこにあるというのだろうか。
「ごめんなさいね、騒がしくして。……怪我はない?」
麗華は熱っぽい吐息を漏らしながら、ベッドへ歩み寄った。
「ん。大丈夫」
「ふふ、良かったわ。一生、私に養われてね」
「ん。……あ、麗華。ビーフシチューの前にお腹空いた。おやつのプリン食べたい」
「ええ、喜んで。すぐにお持ちするわね。カラメルは多めにかけておくわ」
天井に張り付いて気絶していた男たちはいつの間にか消えていた。きっとシズクがどこかに飛ばしてくれたのだろうが、そんなのは些細なこと。
(嬉しい! シズクが私のことを守ってくれた。あの男たちをここまで『ご招待』した甲斐があったわね)
麗華は、チタンの鎖に繋がれた100キロの超能力者に、今日も嬉々として極上のスイーツを運ぶのだった。




