魔王城の庭師
魔王城には、世界で一番大きな庭がある。
城の周りを囲むように広がるその庭には、色とりどりの花や、不思議な形をした植物が植えられている。そして庭の中心には、空を突き抜けるほど大きな一本の木が立っていた。
世界樹。
この世界に魔力を与えているといわれる、特別な木だ。
僕――リーフは、魔王城で働く庭師だ。
毎朝、日の出とともに庭へ行き、花に水をやり、伸びすぎた枝を整え、植物の様子を確認する。それが僕の日課だった。
「今日も元気そうだな」
僕は小さな花に声をかけながら、水をやった。
植物は言葉を話さない。
けれど、毎日世話をしていると、なんとなく分かることがある。
葉の色、茎の傾き、土の湿り具合。
植物は、ちゃんと僕たちに何かを伝えている。
だからこそ、僕は庭師という仕事が好きだった。
「リーフ!」
突然、後ろから声がした。
振り返ると、同じ庭師仲間のミナが、息を切らして走ってくる。
「大変なの!」
「どうしたの?」
「世界樹が……!」
その言葉を聞いた瞬間、僕は水差しを置いて走り出した。
庭の中心にある世界樹。
そこへたどり着いた僕は、言葉を失った。
昨日まで青々としていた葉が、すべて落ちている。
太い枝は黒く変色し、根元に咲いていた花も枯れていた。
「……どうして」
僕は世界樹に近づき、幹に手を当てた。
いつもなら感じるはずの温かな魔力が、ほとんど感じられない。
「リーフ、どうしよう!」
「分からない……」
僕が答えた、そのときだった。
「私が説明しよう」
低い声が背後から響いた。
振り返ると、黒いマントをまとった大きな男が立っていた。
魔王、ヴァルド様だった。
「魔王様……」
僕とミナは慌てて頭を下げた。
魔王様は世界樹を見上げ、しばらく黙っていた。
「世界樹は突然枯れた。このままでは世界中に魔力が行き渡らなくなる。
……そこで、お前に頼みたい。世界樹を蘇らせてほしい」
「えっ?」
思わず聞き返してしまった。
「ぼ、僕がですか?」
「ああ」
「でも、僕はただの庭師です。世界樹なんて、どうやって……」
「分からない」
魔王様は静かに答えた。
「私にも方法は分からない」
意外な言葉だった。
魔王様なら、どんな魔法でも使えると思っていたからだ。
「だが、お前は誰よりも植物を見てきた。世界樹のことも、私よりよく分かっているはずだ」
「……」
「だから頼む。世界樹を救ってくれ」
魔王様はそう言って、深く頭を下げた。
僕は驚いた。
魔王が、庭師である僕に頭を下げている。
「……分かりました」
僕は世界樹を見上げた。
「やれるだけ、やってみます」
そこから、僕たちの挑戦が始まった。
庭師たちは土を入れ替え、毎日水を運んだ。
城の魔法使いたちは、世界樹に光の魔法を浴びせた。
錬金術師は特別な肥料を作り、騎士たちは遠くの泉から水を運んだ。
魔王様も毎日のように世界樹の様子を見に来た。
けれど、一週間たっても何も変わらなかった。
二週間たっても、葉は一枚も戻らない。
「やっぱり……無理なのかな」
ある夜、僕は一人で世界樹の前に座っていた。
みんなが頑張ってくれた。
それなのに、何もできていない。
「僕がもっと立派な庭師だったら……」
うつむいていると、ふと人の気配を感じた。
顔を上げると、そこには魔王様がいた。
しかし、いつものような堂々とした姿ではなかった。
魔王様は世界樹の幹に手を置いていた。
「……すまない」
小さな声だった。
「長い間、守ってやれなかった」
僕は何も言えず、その場に立っていた。
「この木は、私が魔王になる前からここにあった。何百年もの間、この世界を支えてきた」
魔王様は悲しそうに世界樹を見つめた。
「だから、枯れてしまったのは……私のせいなのだと思っている」
「魔王様……」
そのとき、僕は気づいた。
魔王様は、世界樹を救いたいのではない。
ずっと、大切にしていたのだ。
「……僕、もう一度考えてみます」
僕は立ち上がった。
「きっと、まだ何かできることがあります」
翌朝、僕は庭師たちを集めた。
「みんなにお願いがあります」
僕は世界樹を見上げた。
「もう一度、力を貸してください」
庭師だけじゃない。
魔法使いも、錬金術師も、騎士も、城で働くすべての人に声をかけた。
そして最後に、魔王様にもお願いした。
「魔王様の魔力を、少しだけ世界樹に分けてもらえませんか?」
「私の魔力を?」
「はい。世界樹は、この世界に住むみんなの力で育ってきたんじゃないでしょうか」
魔王様は少し驚いた顔をした。
そして、静かに笑った。
「……分かった」
みんなが世界樹を囲んだ。
水が根元に注がれる。
新しい土が運ばれる。
光の魔法が枝を照らす。
そして最後に、魔王様が両手を世界樹へ向けた。
黒い魔力が、ゆっくりと木へ流れ込んでいく。
けれど、何も起こらない。
十秒、二十秒……。
あるいは、一分だったろうか。
時間だけが過ぎてゆく。
僕は、ぎゅっと拳を握った。
その瞬間――
ぽつり。
世界樹の枝から、小さな緑色の葉が一枚開いた。
「……葉が!」
誰かが叫んだ。
次々と新しい葉が芽吹いていく。
黒かった枝は茶色に戻り、枯れていた花にも色が戻っていった。
そして――
世界樹は、光を放った。
まばゆい光が世界中へ広がっていく。
遠くの空に虹がかかり、城の庭には一斉に花が咲いた。
「蘇った……」
僕は呆然と世界樹を見上げた。
隣では、魔王様が静かに笑っていた。
「見事だな」
「僕だけじゃありません」
僕は周りを見渡した。
庭師も、魔法使いも、騎士も、みんな互いに顔を見合わせ、手を取り合い、嬉しそうに笑っている。
「みんなで蘇らせたんです」
「そうだな」
魔王様は満足そうにうなずいた。
その日の夕方。
僕はいつものように庭の手入れをしていた。
世界樹には、以前よりもたくさんの葉が茂っている。
その根元には、小さな白い花が咲いていた。
「きれいだな」
後ろから声がした。
振り返ると、魔王様が立っていた。
「魔王様も、花が好きなんですね」
僕が笑うと、魔王様は少し気まずそうに目をそらした。
「……悪いか?」
「いいえ」
僕は笑った。
「少し意外でした」
「そうか」
魔王様は花を見つめた。
その表情は、僕が初めて見るほど穏やかだった。
怖い魔王。
世界中からそう呼ばれている人。
けれど、僕はもう知っている。
この人は、花を大切にし、世界樹を誰よりも心配していた。
「魔王様」
「なんだ?」
「これからも、この庭を僕に任せてもらえますか?」
魔王様は少し笑って答えた。
「もちろんだ。これからも頼むぞ、庭師」
「はい!」
魔王城の庭には、その日からたくさんの花が咲くようになった。
そして世界樹は、今日も世界中へ温かな魔力を届けている。
僕はその木を見上げながら思う。
――この世界で一番優しい人が、魔王と呼ばれていることを、僕は少しだけ誇らしく思っていた。




