第五話 焼きそば食べたい!
中学校の正門付近、歩道の幅が広がったところに、焼きそばを売る屋台が、でんと陣取っていた。
焼く作業は一段落したのか、調理の音や湯気はない。ただし、香ばしさが風に乗って広がっている。
(さっき、到着した時の、ソースの匂いはあれかー。おいしそう)
学校の門へと歩きながらも、恵萌は、つい横を向いて、それを眺めてしまう。
(へえー。よく、怒られないよなー)
ごつくて、派手な屋台である。
紅白しましま模様の屋根、立派な小屋のような外観、巨大な鉄板。
足もとの特大ガスボンベ、四角い発電機。
PTAの有志では、ここまで本格的な物は用意できまい。どう見ても、素人ではない。外部の業者であろう。
今だったら、学校行事に露天商が来るというのは、なかなかに難しいのではないか。大らかな時代だったということか。
「ママ、僕も焼きそば食べたーい」
「だめよ、持ってきたお弁当、あるんだから」
通行人の中から、親子連れらしき声が聞こえてきて、恵萌は、フフッと小さく噴き出す。
(分かる分かる。地味な手作り弁当より、屋台の焼きそばの方が、子供には魅惑的だよねえ)
体育祭を見に来た、家族だろうか。
例えば、生徒の、母と弟。今ごろ、「坊や」のお兄ちゃんか、あるいはお姉ちゃんが、中のグラウンドで、競技の準備中かもしれない。
(というか、私も焼きそば食べたいなあ!)
恵萌の口の中に、つばが溜まり、おなかがグーッと鳴る。
残念ながら、お金を持っていないため、買うことは出来ない。我慢するしかない。
あの謎の部屋――恵萌と龍輝は、あの部屋を「本部」と呼んでいた――「本部」にいる時は、食欲など一切ないというのに、
(タイムワープした途端に、いつもこれだもんなあ。やれやれ、まいっちゃう)
それは、汗も同じだった。
「本部」にいる間は、汗も、血も、鼻水も、おしっこも、全く出ない。体内からは、何も分泌されないのだ。
しかし、タイムワープして、外の世界へ出たら、がらりと状態は変わる。暑ければ汗もかく。飲み食いの後には、トイレにも行かねばならなくなる。
まるで、元通り、生き返ったかのように。
「ふうー」
ひたいの汗を指先でぬぐうと、湿った前髪も絡みついてきた。
首の後ろで、ポニーテールの毛束も、何だか、モタッと重たい。汗と湿気を含んでいるのだろう。
そうこうするうちに、立遠第二中学校の正門前にたどり着く。
腕章を付けた教師とかが、立ち番などをしているかと思いきや、
(あれっ? 誰もいないや)
正門は、あっさりと通過できてしまった。
ほかにも、私服姿の大人や親子連れが、当たり前のように出入りしている。
(えーっ、フリーパスなのー? 無防備すぎじゃね?)
どうやら、防犯カメラも設置されていないようだ。
(うわー。信じらんない!)
恵萌の中学時代は、つい最近である。交通事故に遭って「本部」に来る前は、高校二年生であったから。
恵萌が中学生の頃には、体育祭への保護者参観は、事前予約制であった。
当日は、正門に受付が設置され、予約証の提示と、簡易ではあるが、持ち物検査が必須であった。
あれに比べると、
「のどかな時代だったんだなあ……」
思わず、つぶやいてしまった。
かつて、大阪で、小学校に暴漢が乱入する痛ましい事件が起きた。たしか、恵萌が生まれる何年か前だったと思う。
(今いるのは1994年だから、あの事件はまだ起きてないのか。なるほどなー)
十代なりに、歴史と社会との関連性、平凡な日常を維持することの難しさを、考えさせられる。
駐車場、花壇のわき、自転車置き場を、さらに数歩、奥へ進む。すると……。
「おおー!」
いきなり、視界がひらけて、真っ正面にグラウンドが見えた。たくさんの生徒、保護者たちがいる。
左右の端から端まで、色とりどりの万国旗が、横並びに吊り下げられており、熱風にはためいている。
まさに、運動会の風景である。
しかし、今、恵萌が叫んだ理由は、全く別のことだ。
そこにあるはずの新校舎が建っていなかったから、驚いたのである。
本来なら、この場所は、眼前に四階建ての新校舎がそびえており、グラウンドは見えないはずなのだ。
グラウンドの横に、コの字型に、古ぼけた校舎があった。旧校舎である。――いや、「今」はまだ、その呼び名はないはずであった。新校舎の建設予定すら、たしか、数年先になるからだ。
「現時点」では、全員が、普段の学び舎として、この年季の入った建物を使っているわけである。
「――」
今さらではあるが、
(ちゃんと来れたんだなー。本当に、ここは1994年なんだね。平成時代。私が生まれる、何年も前……)
立遠第二中学校は、龍輝の母校である。
そして、偶然にも、実は恵萌の母校でもあるのだった。
卒業年度は、だいぶ離れているけれど。




