第三話 同じ時空間に存在できる「自分」は一人だけ
恵萌は、座席の上に置いていたスマホを、再び、拾い上げる。
画面をのぞき込み、タイムワープの最終調整を始める。
「借り物競走は、午後だったって言ってたよね?」
画面から、ちらりと目をそらしてきた。大きな瞳と視線が合う。
龍輝は、首を縦に振り、
「ああ。さすがに、何時からとかは覚えてないけど、昼飯は食った後だったよ。それは間違いない」
「――じゃあ、タイムワープは、午後一時にセットしよっかな」
「うん。それぐらいが、いいんじゃないか?」
恵萌も、強めにうなずいて、
「ね。現地にいられるのが、三時間以内だから……」
「四時には終わってるだろ。多分、体育祭そのものが」
「逆に、一時じゃ遅すぎる可能性は?」
「えっ……」
聞かれて、今度は、龍輝が腕組みをする。垂らしたネクタイの先端が、手首の袖に乗っかる。
「うーん。普通、昼休みは十二時以降だろ。まして、体育祭だからなア。外からの客も来るんだから、基本的には、十二時台はお弁当の時間だと思うんだが。午後一時で、間に合うはずだよ。借り物競走が、終わってるってことはないだろ」
「あんまり早く着きすぎてもねえ」
「そうなんだよな。行った先の人と、大きなトラブルでも起こそうものなら、強制終了だからなア」
と、龍輝が同意する。
これも、二人でタイムワープを繰り返すうちに、徐々に判明したルールであった。
過去へタイムワープをして、もし、その場の人たちを不自然に驚愕させたり、物を大きく破損させたりした場合には、たちまち、景色が歪んで、この部屋へ戻ってきてしまうのである。
要は、それぞれの時代、場所ごとに、調和を乱す言動を取ってはならないということらしい。
つまり、イベントなど、何か明確な目的がある場合には、なるべく、それが始まる直前へとタイムワープした方が、無難なのであった。
余計なトラブルを起こして、リセットされたら、台なしである。二度と、同じ日へは行かれないのだから。
こうして、恵萌も決心がついたようで、
「――よォし、分かった。やっぱり、午後一時に決めたっ」
すっきりとした笑顔。
細い指先で、スマホをタップする。
向き合う龍輝からは、画面を見ることは出来ないが、どうやら、最終確認のメッセージが出たようだ。
恵萌は、ぺこりと龍輝に会釈してから、
「じゃ、行ってくるね。――タイムワープ、セット。日時は1994年9月18日、場所は日本国、立遠第二中学校付近、時刻は13時、と。OK!」
言い始めと終わりの、「行ってくるね」と「OK」のところで、スマホから顔を上げ、上目使いに龍輝を見てきた。細めた瞳が、楽しげだ。
直立したまま、龍輝は片手を上げ、
「行ってらっしゃい。気をつけて」
「龍輝の青春の未練、晴らしてくるからね!」
白い歯を見せ、そう答える恵萌の全身は、早くも、青い光に包まれ、姿が薄れ始めている。タイムワープが始まったのだ。
ジュイッ、ジュイッ、ジュイッと、電子音と風の中間のような、独特の音も響く。
「ああ、よろしく。どうもありがとな」
龍輝のお礼の言葉は、聞こえなかったかもしれぬ。言い終わる前に、恵萌の姿は消えていたから。
「――」
あとには、スマホだけが残った。
と言って、いきなり落っこちることはない。
恵萌が持っていたスマホは、浮かんで、そのまま、ふわふわと空中をゆっくり下りて、床にそっと着地をする。何らかの力が、作用しているのだった。
龍輝が、それを拾い上げる。
スマホ下部に取り付けられたストラップが、ジャラジャラと鳴った。
こけしとミノムシを合成したような、奇妙なマスコットも付いている。つい最近、恵萌が中学三年の頃、修学旅行で買ってきた民芸品だそうだ。東北地方のお土産。女子高生にしては、渋いチョイスである。
スマホ画面には、スクリーンセーバーのようなロックがかかり、一面、真っ青だ。いつものこと。
タイムワープ中は、ずっと、こうなっているようだ。
「ようだ」というのは、二人で一緒にタイムワープする場合は、確かめようがないためである。
タイムワープ先には、スマホを含め、物は持ち込めない。持って行かれるのは、身に着けている衣服、靴だけである。
「――で、俺は、今回は、お留守番、と。まあ、しょうがないけどな」
龍輝の独り言。
今まで自分が生きていた・存在していた期間へは、タイムワープ出来ないのだ。
恐らく、「同じ時空間に、同一人物が二人以上は存在し得ない」といった法則が働いているのだろう。
先ほどの会話のとおり、1994年には、恵萌はまだ生まれていない。しかし、龍輝は既に生まれている。したがって、行かれるのは恵萌だけだ。
「青春の未練、か……」
今、去り際に恵萌が告げた言葉を、龍輝は繰り返す。
(そんな大げさなものでもないけどな)
静かに笑う。
だが、中学二年生の体育祭だけは、未だに、日付けまでしっかり覚えている。それだけ、思い出深いのだ。悪い意味で、だが。
ボロボロ泣いた、あの借り物競走。軽いトラウマである。
恵萌が、今から、それを晴らしてきてくれるという。
(期待してるぜ、恵萌!)
土産話を、楽しみに待ちたい。




