第十五話 こちとら、未来から来たんだぞ
取り残されていた。
グラウンドのコースには、既に誰もおらず、ゴールまでの一直線を、走っているのは恵萌たち二人のみ。
当然と言おうか、一緒にスタートした他の選手は、とっくに走り終えた後だったから。
それでも、龍輝・恵萌ペアは、優しい声援を受け、笑顔に出迎えられながら走った。
途中で、龍輝がハプニングに遭った場面を、みんなも見ていたからであろう。
あるいは、絵的に、「セーラー服の女の子に、手を引かれる体操服の少年」という構図が、面白かったのかもしれない。
かかとが、ソックスに滑って、右足の靴が後ろへ飛びそうになる。もともと、走るには適さないシューズなので、仕方ないけれど。
(おっと、ととと……。ローファー脱げそう)
つま先で土を蹴り、何とか、脱げないように踏ん張れた。
ラインパウダーで横に引かれた、太い白線。そこがゴールであった。
しかし、その線を踏む寸前、
パァンッ!
無情にも、号砲が鳴らされた。
(ゲッ、失格だ!)
ゴール付近に立つ男子生徒が、右腕を上げ、黒いスターターピストルを撃ったのだ。肩の近くに、腕章を付けている。
体育祭の実行委員だ。左手には、ストップウォッチ。
先ほどのアナウンスのとおり、借り物競走の制限時間は、一分である。
いずれにせよ、ゴールラインをちゃんと踏んでから、走りをやめた。
(よオォし! 完走ッ!)
つないでいた手を離す。
「んんッ!」
弾けるように、二人はそれぞれ、左右へ離散する。
急には止まれず、勢い余って、五メートルぐらい先まで、つんのめる。
止まった龍輝は、膝に両手を当てて、前かがみ。そのまま、よろよろと座り込む。
一方の恵萌は、「借り物」として途中から参加したので、少ししか走っていない。だから、疲れてはいても、立っていられた。
ひたいを、手首で横にグーッとこすったら、前髪が、汗ごと斜めに、指に絡んできた。
首の汗も、ひどい。周囲に、セーラー服のカラーが巻きついているので、蒸れるのだ。
別の実行委員女子が、恵萌へ片手を伸ばしつつ、
「御協力ありがとうございましたー。残念ながら、時間切れでしたけど」
ちらと、ブルマーを履いた脚に視線が行く。女同士でも、脚がむき出しというのは、やはり、ちょっと目を引く。
差し出された手は、カードの回収という意味だ。
恵萌は、ただではカードを返さない。嫌味の一つも、言ってやらねば。
大きなカードをわざと持ち上げ、体を左右に回し、その実行委員と、周囲の人たちにも見せつけ、
「何これ、『他校の女子生徒』って。中学の体育祭に、ひと目で分かる他校生なんて、滅多に来ないと思うんですけど。今回、たまたま、私がいたけどさ!」
カードを受け取りながら、実行委員は苦笑して、
「えっ……。ま、まあ、でも、結果的には、オ、オーライだったんで」
少しばかり困惑、いや、怖がっている。
龍輝本人ならともかく、部外者が詰め寄ってきたのが、想定外だったようだ。
(なーにが結果オーライだよ! 龍輝はずっとトラウマになってて、大人になった今でも、忘れられずにいるのに。私は、それをちょっとでも和らげたくて、わざわざ、遠い未来から来たんだよっ!)
叫び出したかったが、グッと飲み込む。
だが、飲み込んだその怒りに対しては、後ろから、
「……どっ、どうもあ、りが……とう。助かりま、した」
という一言が、しっかり受け止めてくれた。
驚いて振り向くと、龍輝であった。
いつの間にか立ち上がっていて、すぐそばまで寄ってきていたのだ。
自分の顔は自分では見えないけれど、恐らくは、今の恵萌よりもずっと、汗だくの顔面。
さっきは精神的にも疲れたのか、やつれて、龍輝の細い目はくぼんでいた。
しかし、眼光はまっすぐに恵萌を射抜いて来たし、口もとには、はっきりと笑みが浮かんでいる。
その口を、再び開いて、
「おかげで、一応、ゴ、ールは出来たから。ありがとう。あなたの、おかげです」
「――」
ぜいぜいと、まだ龍輝の呼吸は荒く、せりふも、途切れ途切れだ。
でも、龍輝の声は意外に大きかった。その場にいた生徒四、五人が、全員黙ったほどだったから。低くて太い、まさに男子の声である。
何か言いたそうな表情だったのに、皆、それを改めて、とりあえずは真顔になった。




