第九十六話 石の道、白い気配
◆ ◆ ◆
【異世界・旧街道/森の切れ目】
石の道は、走りやすい。
だからこそ、怖い。
足音が揃う。息が揃う。
追う側も、同じ“走りやすさ”を使える。
王都イルダの外壁が、遠くに見えていた。
灰色の線。高い。人の街の輪郭。
そこまで辿り着ければ――ユナの器がある。
だが背後で、森が裂ける音がした。
シュッ。
金属でも、枝でもない。
“空気が切られる”音。
サキが反射で肩をすくめる。
次の瞬間、旧街道の石畳が一筋、白く焼けたように割れた。
石の欠片が跳び、頬をかすめる。
「……レアだ」
ハレルが歯を食いしばる。言葉が喉に引っかかる。
リオは振り返らないまま、短く言った。
「道を切って、転ばせに来てる。真っ直ぐ走ると危ない」
アデルが一歩だけ横に寄り、全員の“走り幅”を作る。
「左右に散らない。バラけると、狙われる」
サキの指がハレルの袖を掴んだ。
怖いのに、離さない。離れない。
背後の森から、薄い笑い声が混じった気がした。
耳ではなく、背中で聞く笑いだ。
次の刃が来る。
リオが掌を軽く上げる。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」
石畳の上に、細い光が走る。
鎖の形になって道の端へ伸び、木の根と石を巻き込むように“縛り”を作った。
罠というより、足を取らせるための線。
すぐ後ろの森が、ざわりと揺れた。
追跡の気配が、ほんの一拍だけ鈍る。
「今のうちに、道を切る」
リオが言う。
イヤーカフから、ノノの声が飛ぶ。
『旧街道、そのまま行くと正面で詰められる。
右に折れて、乾いた川筋に落ちて。石の壁がある。刃が通りにくい』
少しだけ息を吸う音。
『あと、今……空気の“白さ”が増えてる。変な重なり方。』
ハレルは眉を寄せた。
白い――という言葉だけで、あの廊下が浮かぶ。
でも今は、考える時間がない。
「右だ!」
リオが叫び、全員が同じ角度で道から外れる。
その瞬間――
シュッ、シュッ。
背後で連続して空気が裂け、旧街道の中央が縦に割れた。
まるで“走る線”を狙って、切り取るみたいに。
(真っ直ぐだったら……)
サキの背中が冷える。想像だけで足が止まりそうになる。
アデルが短く詠唱した。
「〈大結界・第一級〉――光よ、背後に“層”を」
剣先から淡い光が流れ、地面に円弧の線を描く。
透明な膜が一枚、二枚、三枚――重なって立った。
厚みのある“壁”。
次の光刃が、その壁に当たる。
パキン、と乾いた音。
刃が跳ね返され、森の枝をまとめて落とした。
「……効く」
アデルが小さく言う。声は落ち着いている。
けれど額には薄い汗がある。維持に力が要る。
「長くは持たない」
アデルは続けた。
「だから、進む」
乾いた川筋へ落ちる斜面は急だった。
石が転がり、足が滑る。
サキがバランスを崩した瞬間、ハレルが腕を掴んだ。
「大丈夫、見るな、足だけ!」
サキが頷き、涙が出そうな顔で踏ん張る。
転ばない。転べない。
川筋の底は、石と砂。
両側に低い崖があり、確かに“壁”になる。
その瞬間、バッグの中の青いカプセルが一度だけ強く脈打った。
ユナのコアが、熱を持ったみたいに。
リオが走りながら一瞬だけ手を伸ばし、バッグの上から触れた。
指先が、かすかに震える。
「……温かい」
リオの声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「生きてる。ちゃんと」
ハレルは息を飲んだ。
ただの“物”じゃないと、改めて胸に刺さる。
背後で、石が切れる音がした。
乾いた川筋の崖が、白く削れた。
追跡の刃は、ここにも届く。
『追いつくよ』
ノノの声が早口になる。
『刃、壁を“覚えてる”。同じ角度で切ってくる。
だから……崖の内側を走って。外側は危ない』
「分かった」
リオが答え、全員が崖の内側へ寄る。
ハレルは息を切らしながら、胸元の主観測鍵を握った。
熱い。
その熱が、前を指すのか、後ろを呼ぶのか、分からなくなる。
(セラ……)
呼びかけたいのに、言葉にすると“確定”しそうで怖い。
その時。
ほんの一瞬だけ、耳の奥がチリ、と鳴った。
“声になりかけた気配”。
セラ――かもしれない。
でも、すぐに途切れた。白いノイズだけが残る。
サキが小さく言う。
「……今、誰か……」
「今は走る」
ハレルが言い、サキは頷いた。
王都の外壁が、少しだけ近づいた。
それが希望であり、同時に、次の戦場の入口だった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/森・石造り建物地下階段】
石の階段は、冷たい。
ライトの光が揺れ、壁に長い影が伸びる。
上では狼が唸り、銃声が反響していた。
だが階段を降りるほど、音は遠ざかっていく。
代わりに聞こえるのは――
コツ。
コツ。
爪が石を叩く音が、下から返ってくる。
「……下にもいる」
隊員が低く言う。声が硬い。
城ヶ峰は指を立て、全員に速度を落とさせた。
ライトを前に向け過ぎない。相手に位置を教える。
木崎はカメラを構えたまま、歯を食いしばる。
(ここ、完全に“現場”だろ……)
冗談も出ない。
日下部はノートパソコンを抱え、階段の途中で立ち止まった。
画面の明かりが、頬を青く照らす。
「……変だ」
日下部が言う。
「電源が、残ってる。死んでない。……ここ、誰かが“触ってた”」
「触ってた?」
城ヶ峰が振り返る。
日下部は唇を噛む。
「機械のログみたいなものが、断片で残ってる。
完全じゃないけど……線がある」
「線?」
木崎が聞き返す。
日下部は階段下の暗闇を見た。
「座標の線。……重ねた線。俺、あれ、前にも見た。頭の中で」
その言い方が怖かった。
理屈じゃない。感覚の話なのに、確信だけが強い。
下の踊り場に着く。
そこから先は廊下だった。
石壁。鉄の扉。
そして床に、古い車輪の跡みたいな溝。
「……刑務所の形だな」
城ヶ峰が低く言う。
「だが、改造されてる」
壁には、金具の痕。
鎖を通すための穴。
それが途中で切り落とされ、代わりに配線の束が通っている。
木崎はカメラを向けながら呟いた。
「牢屋を……実験室に変えた、って顔してる」
その時、廊下の奥で――
コツ。
コツ。
爪音が、はっきり近づいた。
全員が止まる。銃口が上がる。
城ヶ峰は小さく手を振った。撃つな、まだだ。
ライトの輪に、影が滑り込む。
狼型の個体。
だが上の森で見たものより、毛並みが濡れて黒い。
目が、妙に光る。反射じゃない光。
「……来る」
城ヶ峰が低く言う。
狼が唸り、踏み込んだ。
――その瞬間、廊下の壁が、一拍だけ“白く”見えた。
光じゃない。
色が抜ける白。影が薄くなる白。
木崎の喉が鳴る。
「……何だ、今の」
日下部が息を呑み、ノートパソコンを抱え直した。
「……近い。ここ、近い。俺の“ずれ”が……引っ張られてる」
城ヶ峰は判断を切った。
「撃て。倒れなくても、押し返せ。――奥へ進む」
銃声が地下に裂け、石粉が舞う。
狼が跳ね、壁にぶつかり、しかしまた踏ん張る。
倒れない。
それでも、後退はした。
その隙に、隊列が廊下を滑るように進む。
鉄の扉がいくつも並ぶ奥へ。
“中心”の気配が濃くなる方へ。
木崎はカメラを構えたまま走り、心の中だけで呟いた。
(学園の消え方と……この白さが、繋がってるなら)
(もう、偶然じゃない)
廊下の奥で、また爪音が増えた。
数がいる。
追ってくる。
城ヶ峰の背中が硬い。
日下部の指が震えている。
木崎のカメラはぶれない。
彼らは地下へ進む。
そしてその地下は、世界の“裏側”に繋がっているみたいに冷たかった。
◆ ◆ ◆
【異世界・乾いた川筋/王都外縁】
川筋の先で、視界が開けた。
王都の外壁。
その足元に、警備局の外郭に似た高い塀が見える。
「……もう少し」
サキが息を吐く。
だが背後の崖が、白く光った。
レアが、壁ごと追ってくる。
リオが唇を噛み、手を上げた。
次の一手を選ぶ目だ。
アデルが小さく言う。
「医療棟の門まで届けば、守りがある。――届かせよう」
ハレルはバッグを抱え、頷いた。
「絶対、届かせる」
その言葉の直後、崖の上で白い刃が一度だけ弧を描いた。
追跡の影が、見えた気がした。
次の瞬間――風が冷えた。
背中に、ぞくりとした“見られている”感覚。
追跡は、もうすぐ背中に触れる距離まで来ている。
(間に合え)
今度の願いが何か、ハレルははっきり分かっていた。
医療棟へ。
ユナの器へ。
そして――追いつかれる前に。
彼らは走る。
石の街へ向かって。白い刃から逃げながら。




