第九十三話 再会と潜入
【異世界・転移した学園/高等部・廊下】
「バッグ。渡して」
葛原レアの掌で、白い光の刃が薄く鳴っていた。
刃先が動くたび、壁の影が切れて、廊下の空気がひゅっと冷える。
ハレルはバッグを胸に抱えたまま、一歩も引かない。
引いたら、奪われる。奪われたら――終わる。
「……生徒を盾にする気か」
声が震えた。怒りと、怖さと、ぜんぶ混ざっている。
レアは肩をすくめるだけだった。
「盾? 違うよ。材料」
その言い方が、教室にいた“教師”の言葉じゃなかった。
廊下にいた生徒たちが、遅れて理解していく。
目が見開かれ、足がもつれる。
「な、なに言って――」
「材料って……」
担任が前に出ようとした。だが、別の男の先生が先に動いた。
体育教師か、生活指導か。
大柄で、いつも声が大きい男だ。
手には授業用の長い定規――メートル定規を握っている。
「やめろ!!」
男の先生は後ろからレアへ飛び込み、定規を振り下ろした。
ガン、と鈍い音。肩口に当たった……はずだった。
レアは、振り返りもしない。
光刃が、ふっと横へ滑った。
次の瞬間、空気が裂ける音。
「――っ!」
男の先生の腕が、真っ赤に弾けた。
袖が裂け、血が飛び、定規が床に落ちて転がる。
「先生!!」
「うそ……!」
男の先生は膝をつき、押さえた腕の隙間から血が溢れた。
顔が真っ青になる。
でも、倒れない。歯を食いしばって、立とうとする。
レアはその先生を見下ろし、淡々と言った。
「邪魔」
光刃が、もう一度持ち上がる。
今度は腕じゃない。首の位置へ――。
「やめろ!!」
ハレルが飛び出しかけた、その時。
廊下の窓ガラスが、外側から弾けた。
パリン! という破裂音と一緒に、冷たい森の風が吹き込む。
割れた窓枠の向こうに、異世界の森と、正門前の結界の光が見えた。
「お兄ちゃん!!」
サキが叫び、割れた窓へ走った。
そして、その外へ向けて声を張り上げる。
「こっち!! こっちにいる!!」
次の瞬間、廊下の空気が“噛み合う”。
森の匂いの中に、鉄と魔力の匂いが混ざった。
窓から、黒いマスクの少年が飛び込んでくる。迷いがない。
リオ。
ハレルの目が、一瞬だけ熱くなる。
でも、泣く暇はない。今は――目の前で人が殺される。
リオは着地と同時に掌を突き出した。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」
細い光が走り、鎖になってレアの上半身へ巻きつく。
肩、胸、腕。刃を振るう“軸”をまとめて縛る形。
レアの動きが、初めて止まった。
「……へえ」
笑ったのに、声が低い。怒りじゃない。楽しんでいる声だ。
縛られたまま、レアは顔だけをハレルへ向ける。
その目が言っていた。――逃がさない。
リオが短く言う。
「今!」
ハレルは反射で動いた。
サキの手を掴む。握り返される。生きている温度。
「行くぞ!」
ハレルはバッグを抱え、走った。
リオもすぐに並ぶ。マスクの下から漏れる息が荒い。
廊下の奥では先生たちが生徒を押し戻し、泣き声が転がっている。
誰もが混乱している。だが、ひとつだけは分かる。
――ここは安全じゃない。
「ユナの……それ、あるんだな」
走りながら、リオがバッグへ視線を落とす。
声は小さい。周囲に聞かれないように、息に混ぜる。
ハレルは頷く。
「ある。絶対に渡さない」
リオの目が一瞬だけ細くなった。
怒りと、焦りと、守りたい気持ちが全部そこにある。
三人は曲がり角を抜け、階段を駆け下りる。
廊下の窓の外では、正門前の結界が光っていた。
そこに、アデルがいる。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/正門内・校舎前】
正門は開いていた。
門の“外”は森。門の“内”は学園の敷地。
――ただし、敷地の端まで草が伸び、木の影が混じっている。
「……うそでしょ」
先生のひとりが呆然と呟いた。目の前で“魔術”が壁になっている。
アデルは校舎前に立ち、剣先を地面へ向けている。
光の線が地面に広がり、透明な膜が何枚も重なって、門前を押さえていた。
門の外ではグレイウルフの群れが吠え、結界に体当たりして跳ね返されている。
衝突のたびに、ドン! と鈍い音。結界がしなる。けれど割れない。
「み、見えますか……あれ……狼……?」
「大きすぎる……!」
生徒たちが校舎の窓に張りつきかけ、先生が叫ぶ。
「窓から離れて! 今は見ないで!」
アデルは先生たちへ、短く、しかし落ち着いた声を向けた。
「大丈夫。門は守る。今は、建物の中に生徒を集めて」
命令じゃない。状況を整理するための言葉。
それが逆に、先生たちの足を動かした。
「は、はい! 全員、教室に戻って――!」
「泣いてる子を先に!」
その時、校舎の中から走ってくる足音。
ハレル、サキ、そしてリオ。
「アデル!」
ハレルの声が割れた。
アデルが振り向き、はっきりと頷く。
「来たね。無事でよかった」
リオが息を吐く。
「合流できた」
ほんの一瞬だけ、再会の温度がそこに生まれる。
でも次の瞬間、校舎のほうで金属が裂ける音がした。
ロッカーか、手すりか、何かが切られる音。
リオの視線が鋭くなる。
「……追ってくる」
ハレルが握りしめたバッグの中で、コアのカプセルが小さく鳴った。
その重みが、現実に戻すべきものの重みだ。
アデルは門前の結界を維持したまま、部隊へ目配せする。
「門の外は私が押さえる。中の誘導、お願い」
部隊員たちが槍を構え直し、校舎側へ動く。
先生たちも、まだ混乱しながらも
“この人たちが味方”だと理解し始めていた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/解析室】
机の上に広げた地図が、ノノの指先でずれる。
古い紙だ。王都の記録庫から引っ張り出した、昔の地形図。
「……やっぱり」
イヤーカフ越しに、ノノの声が飛ぶ。リオとアデルへ、いつもの速さで、必要な情報だけ。
『学園が落ちた場所、王都の古地図だと“監獄区画”の外縁に近い』
『昔、罪人を入れてた施設があった。今は使われてない。……廃墟になってるはず』
アデルが短く返す。
「廃墟……カシウスが好きそうだね」
『うん。たぶん、昔から“使える場所”だったんだと思う』
ノノは息を吸い直す。
『座標の揺れ、普通の転移じゃない。引っ張って落とした感じがある。……レアたち、準備してた』
リオが低く言う。
「じゃあ、学園は“たまたま”じゃない」
『うん。たぶん、狙ってる』
ノノの言葉が終わった直後、解析室の計器がひとつ、嫌な音を立てた。
温度のラインが、また少し上がる。
『……中の熱、まだ上がってる。気をつけて』
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/森・石造りの建物前】
木々の隙間から、石の壁が迫ってくる。
苔と蔦に覆われた建物は、森の中で不自然なくらい“形”を保っていた。
入口は暗い穴みたいに口を開け、鉄柵の名残が歪んでぶら下がっている。
中から風が吹き出す。冷たい。湿った鉄の匂いが混ざる。
「……ここが、根っこ」
日下部が小さく呟いた。自分に言い聞かせるみたいに。
城ヶ峰は隊員へ合図する。
「突入。光は最小。音を殺せ」
木崎はカメラを胸に抱え、唇を噛んだ。
怖い。けれど、目をそらしたら負けだと思った。
一歩、入口の中へ。
石の廊下。壁に削れた傷。
鉄格子の跡。床には古い焦げ跡が点々と残っている。
「……実験場跡、か」
木崎が息で言う。言葉にした瞬間、背中がぞくっとした。
日下部はノートパソコンを開きかけて、やめた。
画面の光すら、今は怖い。
その時、奥で――コツ、と音がした。
人の足音じゃない。爪が石を叩く音。
全員が止まる。銃口が上がる。
城ヶ峰は小さく指を立てる。黙れ、という合図。
そして、前を見た。
「……来る」
暗闇の奥で、何かが動いた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/高等部・廊下】
捕縛の鎖が、きしんだ。
レアが、腕の筋肉だけで鎖を引きちぎろうとしている。
笑みは消えていない。むしろ、楽しそうに口角が上がったままだ。
「……縛るだけじゃ、足りないか」
レアの光刃が、鎖の隙間から伸びる。
壁を、柱を、水道の配管を――触れただけで切り裂いていく。金属が裂け、火花が散る。
逃げる方向の先で、ハレルたちの足音が遠ざかっていく。
それを“追う”ために、レアは壊しながら進む。
「ハラルくん……逃げても、同じだよ」
廊下に、誰かの泣き声が残っていた。
そしてその泣き声すら、光刃が切った空気に押し潰される。
レアの足が一歩、前へ出た。
捕縛の鎖が、最後にもう一度だけ鳴って――
パキン、と砕けた。
「……追いかけよう」
レアは楽しげに言い、結界の光が見えるほうへ歩き出した。




