第九十一話 門を開ける
【異世界・転移した学園/外周・正門前】
門の前で、結界がうなっていた。
透明な膜が幾重にも重なり、森の唸り声を“薄い壁”で受け止めている。
グレイウルフが突っ込むたび、ドン、と腹に響く衝撃。
膜はしなる。でも割れない。割らせない。
アデルは門の蝶番を見て、短く息を吐いた。
「……門を開ける。結界は残したまま、通れる“切れ目”だけ作る」
部隊員が頷く。槍を構え、門の内側へ視線を送る。
門の向こう――校舎とグラウンド。そこに“人”がいる。悲鳴がある。
リオはマスクの奥で、唇を噛んだ。
(中はパニックだ。俺たちの姿を見たら、もっと崩れる)
それでも、行く。止めるために。
アデルが剣先を地面へ。
詠唱は短い。けれど声は揺れない。
「〈大結界・第一級〉――光よ、“門の形”で開け」
結界の膜が一瞬だけ波打ち、門の前に“切れ目”が生まれた。
人が一列で通れる幅。そこだけ、膜が薄く開く。
「今!」
部隊員が門を押す。ギギ、と金属が鳴り、門が内側へ開いた。
――その瞬間を、グレイウルフは逃さない。
先頭の一匹が、牙を剥いて突っ込んだ。切れ目へ。
リオが半歩前へ。掌を出す。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」
細い光が鎖になり、獣の前脚へ食いついた。
勢いが殺され、巨体が前のめりに沈む。土が抉れ、唸り声が跳ねる。
だが後ろの群れが押してくる。数が多い。圧が重い。
部隊の術者が門の横に立ち、息を整えた。
「〈第四階位・風圧〉――『押し返せ』!」
空気が一枚、硬くなる。
見えない壁が森へ向かって“押し返し”、群れの前列がまとめて転がった。
枝が折れ、土が舞い、怒りの遠吠えが森を揺らす。
「……今のうちに、入る!」
リオとアデル、部隊が門の内側へ滑り込んだ。
門の中――グラウンドの端に、先生たちが集まっていた。
出入口は封鎖している。けれど正門側の騒音が大きすぎて、様子を見に来てしまった顔だ。
先生たちは、目の前の光景に凍りつく。
馬。鎧のような装備。槍。剣。
そして今しがた、空気そのものが獣を押し返した。
「……え?」
「え、なに、今の……」
誰かが震える声を漏らす。
生徒の数人が遠巻きに見ていて、腰が抜けかけている。
担任らしい男性教師が、やっと声を出した。
「あなたたちは……誰ですか!?」
アデルは剣を下げたまま、一歩だけ前へ。
怖がらせない距離で止まる。
「敵じゃない」
言い切ってから、少しだけ言葉を選ぶ。
「……外の獣を止めに来た。ここにいる人は、建物の中へ。窓から離れて」
先生の顔が引きつる。理解が追いつかない。
でも門の外で結界が鳴り、獣の唸り声が近い。現実より説得力がある。
別の先生が叫ぶ。
「生徒は校舎へ戻って!早く!走らない!」
生徒たちが泣きながら動き出す。
その背中に、グレイウルフの遠吠えが追い打ちをかけた。
リオは門の外へ一瞬だけ視線をやり、マスクの奥で呟く。
(……間に合った。まだ、割れてない)
イヤーカフから、ノノの声が入る。
『うん、門の前、今の押し返しで少し落ち着いた。ありがと』
『でも中、温度の上がり方が変。たぶん――誰かが“中心”で揺らしてる』
リオの目が細くなる。
(レアだ)
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/高等部・階段~廊下】
ハレルはサキの手を引いて走る。
背後から、白い熱が追ってくる。光刃の気配。
レアの声が、甘く冷たい。
「逃げ道、選んでるの?えらいね」
ハレルは振り返らない。
振り返った瞬間、“鍵”を見られる。確定される。最悪になる。
その時――胸元の主観測鍵が、いつもと違う脈を打った。
熱が“線”になる感じ。引っ張られるような、でも懐かしい感覚。
(……セラ?)
ノイズの向こうで、ほんの一瞬だけ、誰かの息が重なる。
白い粒が視界の端を走った気がした。
「……ハレル」
聞こえた。確かに。
でも次の瞬間、途切れる。線が切れる。
ハレルは歯を食いしばり、サキにだけ聞こえる声で言う。
「……もうすぐ、誰かが来る。だから、今は走れ」
サキは頷く。泣きそうなのに、足は止めない。
その背中に、校舎のどこかから別の悲鳴が重なった。
正門側――外が、さらに荒れている音。
レアが笑う気配がした。
「来たんだ。ほんとに」
その言葉が、背中に針みたいに刺さる。
ハレルは走りながら、心の中でだけ、もう一度だけ願った。
(繋がれ。……一瞬でいい)
◆ ◆ ◆
【現実世界・警察系医療施設/病室】
日下部がベッドから起き上がったのは
――数時間前だった。
胸の奥が“ずれる”感覚に叩き起こされ、
世界の輪郭が一拍遅れて見えたあの瞬間。
(……今、動いた)
頭の奥に白い廊下がよぎる。数字みたいな光粒。焦げた匂い。
夢じゃない。身体が覚えている。
ナースステーションまで辿り着いた時、
誰かが「待って!」と声を張った。
けれど日下部は止まらなかった。
机の上のノートパソコンを掴み、腕に抱え込む。
「ちょっと!それ、病院の――!」
「戻って!あなた、まだ――!」
振り返らない。説明してる暇はない。
必要なのは言葉じゃなく、場所だ。
(森の中の建物)
(あそこに……ある)
外へ出た。
止めに来た職員を振り切り、
誰かが呼んだ警備員の声も置き去りにした。
タクシーも電車も、道の途中も、
全部が“時間”なのに――体感だけが早い。
追い立てられるみたいに、日下部は学園跡地へ向かった。
そして今。
ようやく森の外縁まで来てしまった。
息は切れているのに、足だけは止まらない。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/森・外縁】
銃声が止んだ直後、森がまた唸った。
倒れない狼。消える影。増える気配。
木崎はカメラを握りしめたまま、汗を飲み込む。
城ヶ峰は隊形を前へ押し、中心部を睨んでいる。
その背後で、外縁の警戒線がざわついた。
「なんなんだよ!」
「危険なんだよ、止まれって!」
次の瞬間、こちらへ走ってくる影。
病衣に上着を引っかけただけの男が、ノートパソコンを抱えている。
「日下部……!?」
木崎が目を見開く。
城ヶ峰も一瞬だけ眉を動かした。
制止していた特殊部隊員が、息を切らしながら追いつく。
「止めたんですけど……全然聞かなくて……!」
日下部は木崎の前まで来て、息を整える暇もなく言った。
「……森の中の建物。あそこに“残ってる”。
たぶん、俺たちが追ってたものの根っこが」
木崎が言葉を失う。
城ヶ峰は日下部の目を見て、嘘じゃないと判断した顔になった。
「……根拠は」
城ヶ峰の声が低い。
日下部は唇を噛み、ノートパソコンを抱え直した。
「説明できない。
……でも、分かる。引っ張られてる。俺の中の、あの“ずれ”が」
森の奥で、また枝が折れた。
数がいる。近い。
城ヶ峰は短く息を吐き、即決した。
「……付いて来い。ただし前には出るな。守る側の邪魔をするな」
日下部が頷く。
特殊部隊員が渋い顔で日下部の横に付く。結局、放っておけない。
木崎はカメラを構え直し、森の中心の影を見る。
「……マジで、全部繋がってんのかよ」
返事の代わりに、森が唸った。
そして一行は、さらに深く、中心へ向かって進み始めた。




