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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第一章 大臣殺人事件

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第九話 逃走の記録

夜のイルダ裏街区は、どこまでも暗かった。

 遠くで鐘の音が鳴り響き、湿った風が石畳を這う。


 「こっちだ、早く!」

 リオの低い声が響く。

 マントの裾を翻し、狭い路地を抜けるその背中を、ハレルは必死に追った。


 背後では甲冑の兵たちの足音が近づいてくる。

 光を放つ槍が壁を焼き、石片が飛び散った。


 「……くそ、どこまで追ってくるんだ!」

 「“観測者”を捕らえるのが奴らの任務だ。逃げ場は限られてる。」

 リオは肩越しに答えながら、腕輪に手をかざした。


 瞬間、淡い青の魔法陣が彼の前に展開する。

 「《アーク・シェルド》!」

 放たれた光の盾が壁のように立ち上がり、追撃の光弾を弾き返した。

 衝撃波が夜気を震わせ、火花が散る。


 ハレルは息を呑む。

 「それが……リオの魔法か。」

 「元は観測庁の技術だ。“記録された光”を再現する。」

 リオの声にはわずかな疲労が滲んでいた。


 横を並んで走るセラの輪郭が、微かにノイズを帯びている。

 髪が風に揺れるたび、粒子のように光が崩れ、また再構成される。


 「セラ……大丈夫か?」


 「平気。ただ、少し信号が乱れているだけ。」

 そう言いながらも、その表情は僅かに曇っていた。


 「観測領域が歪んでる。あの兵たちは、“記録庁”の残党かもしれない。」

 「記録庁?」

 ハレルが聞き返すと、リオが短くうなずいた。


 「昔、世界の出来事を“観測・記録”していた組織。

  今は崩壊して、改竄者どもがその技術を使ってる。」


 セラの声が重なる。

 「……彼らは“観測の欠片”を持つ。つまり、私と同じシステムで構成された存在。」


 その言葉に、ハレルの胸がざわつく。


 「同じ……って、セラ、お前も……?」


 セラは一瞬だけ彼を見たが、答えず前を向いた。

 「今は逃げるのが先。」


 やがて三人は廃聖堂の前に出た。

 黒ずんだ扉が半ば崩れ、ステンドグラスの破片が光を反射している。

 中から冷たい空気が漏れてきた。


 「ここなら一時的に隠れられる。」

 リオが腕輪をかざすと、扉の魔法鍵が青く光って開いた。


 中は広く、かつて祭壇があった場所には古い装置の残骸が散らばっていた。

 鉄と油の匂い。壁にはひび割れた碑文が刻まれている。


 《記録ログは真実を写す。だが観測者が歪めれば、神の眼も欺かれる。》


 ハレルはその文を見つめながら呟いた。

 「……この言葉、前にもどこかで。」


 リオが頷く。

 「現実世界の“クロスゲート・テクノロジーズ”の社章の裏面だ。

  まさか、あの会社の理念がこっちの世界にも刻まれてるとはな。」


 「つまり、二つの世界は最初から繋がっていた……?」

 ハレルの問いに、セラの輪郭が一瞬だけ乱れる。

 「まだ答えられない。でも、あなたの父がそれを知っていた可能性はある。」


 「父が……?」 ハレルの瞳に影が差す。

 「本当にこの世界と関わってたのか……?」

 「……言葉を選ぶなら、“観測した”のは彼自身。」

 セラの声が微かに震えた。


 その時、聖堂の外で鈍い音が響いた。

 足音。数は少ないが、明らかに近づいている。


 リオが魔法陣を展開する。

 「セラ、結界を張れるか。」

 「試してみる。」


 セラの手が光り、空気に微細な粒が広がる。

 だが、光は途中で途切れ、彼女の体が一瞬だけ透けた。


 「セラ!」

 「……問題ない。ただ、通信帯域が不安定。」


 その言葉にハレルの胸が締め付けられる。

 (まるで……彼女がこの世界の“AI”みたいだ。)


 リオが短く言う。

 「今は隠れる。敵が通り過ぎたら南の路地へ抜けよう。」

 「了解。」


 三人は瓦礫の陰に身を潜めた。

 外では兵たちの声が響く。


 「“観測者”を見た者は?」

 「報告なし。だが確実にこの区域に入った。」

 「なら記録を上書きしろ。痕跡を消せ。」


 その会話を聞きながら、ハレルは息を殺した。

 (記録を……上書き? 本当に、世界を“書き換えて”いる……。)


 やがて、足音が遠ざかる。

 沈黙が戻った。

 セラが小さく息を吐く。


 「……今のが“観測部隊”。彼らはまだ表層の動き。

  本隊が出てくる前に、ここを離れた方がいい。」


 ハレルはリオの横顔を見る。

 「なぁリオ……この世界で何が起きてるんだ?」

 リオは短く答えた。

 「――“真実”が殺されてる。」


 その言葉が、静かな廃聖堂に重く響いた。

 外では再び鐘が鳴る。

 異世界イルダの空が、ゆっくりと紫に染まり始めていた。


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