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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第七章 学園異世界転移編

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第八十六話 停電の森


【現実世界・学園/高等部・教室】


チャイムが鳴る――はずだった。

けれど音は途中で潰れた。金属が水に沈むみたいに、ぼやけて消える。


次の瞬間、教室の照明が一斉に落ちた。

蛍光灯の白が消え、窓から入る昼の光だけが残る。


「え、停電?」

「マジ?」

誰かが笑いながら言う。いつもの冗談のテンションで。

でも、笑いは続かなかった。


床が、沈む。

“一拍”じゃない。じわり、と、確かに。

まるで校舎全体が、別の地面にゆっくり乗り換えるみたいに。


窓の外の空気が変わった。

匂い――湿った土と、青い葉と、遠くの苔。

ありえない匂いが、教室の中まで入り込んでくる。


ハレルは机の横のバッグへ手を伸ばした。

指が肩紐に触れた瞬間、胸元の主鍵が熱く脈打つ。


(来る……)


ゴン、と鈍い音。

何かが校舎にぶつかったような衝撃が走り、窓ガラスが一斉に鳴った。

生徒たちの悲鳴が重なる。


「うわっ!」

「地震!?」

「違う、これ……揺れ方がおかしい!」


黒板のチョークが床に落ちて砕け、筆箱が滑って転がる。

担任が机に手をついて叫ぶ。

「落ち着け!席につけ!」


その混乱の中心で、葛原レアだけが立っていた。

停電で薄暗い教室の中、彼女の顔は影に半分沈んでいる。

なのに、目だけがはっきり見える。暗闇でも見えてしまう笑み。


「落ち着いて。みんな、座って」

声は教師のそれだ。安心させる声。

でもハレルには分かる。

落ち着かせているんじゃない。状況を“整えている”。


ハレルは立ち上がった。

椅子が床を擦る音が、やけに大きく響く。


「葛原――」


担任が止めようとするより早く、ハレルはレアの前へ出る。

目の前の距離。

その笑みが、さらに薄くなる。


「どういうつもりだ……!」

声が掠れる。怒りで喉が乾く。

「何をしたんだ!!」


教室が一瞬だけ静まった。

生徒の視線が集まり、担任が青ざめる。


「雲賀!やめろ!」


レアは眉ひとつ動かさない。

ただ、ゆっくりと瞬きをして、ハレルの胸元――主鍵を見る。

見ているのは顔じゃない。鍵だ。


「……何の話?」

レアは肩をすくめた。

教師らしい仕草。教師らしい口調。

でも、言葉の端が冷たい。


「停電も揺れも、私のせいだと?」


「とぼけるな。お前がここに来てから――」


言い切る前に、また床が沈んだ。

今度は“揺れ”じゃない。

教室の空気そのものが、ひゅっと薄くなる。


窓の外が、緑に変わった。


青空はある。光も同じ。

でも、見えるものが違う。

校庭のはずの場所に、木がある。

しかも学園の植え込みじゃない。もっと荒い、野生の濃い緑。


「……え?」

誰かの声が震えて漏れた。

「なに、あれ……」


整備されたグラウンドの白線はない。

代わりに草が波打ち、木々が揺れている。

遠くには――石でできた塔みたいな輪郭が、ほんの少しだけ見えた。


(異世界……)


ハレルの背中が冷えた。

何度も見た景色だ。夢でも、境界でも。

でも今は“現実”として窓の外にある。


教室が一気に割れる。

悲鳴、泣き声、椅子を蹴る音。

担任が叫ぶ。

「窓に近づくな!全員、席に――!」


その叫びの中で、レアが小さく息を吐いた。

ハレルにだけ聞こえるくらいの声で。


「……ちゃんと来た」


ハレルの指が勝手に握り締まる。

怒鳴り返したいのに、今は優先がある。

――サキ。中等部。

同じ敷地。別の棟。

無事か。


ハレルはレアを睨みつけたまま、短く言った。

「……後で、絶対に聞く」


レアは笑みを崩さない。

「いいよ。いつでも」


その“いつでも”が、怖かった。

まるで時間がレアの側にあるみたいに。


ハレルはバッグを抱え、教室を飛び出した。


◆ ◆ ◆


【現実世界・学園/連絡通路】


廊下は薄暗い。非常灯もついていない。

窓の外の緑の光だけが廊下を照らし、影が伸びている。


その影が、どこか変だ。

校舎の影じゃない。

木の影が混じっている。

校舎の外に森が本当にある証拠。


ハレルは走る。

階段を駆け下り、連絡通路へ向かう。

途中、胸元の主鍵がまた熱く脈打った。

合図じゃない。

背中の皮膚がピリつく“見られている”感覚。


(セラ……!)


ハレルは息を切らしながら、小声で呼びかける。

「セラ!聞こえるか!」

ネックレスを握り、意識を“向こう”へ投げる。


返事はない。

いつもなら、薄くでも気配が返ってくる。

それが――ゼロだ。


「セラ……!」

もう一度。強く。

だが白いノイズみたいなものが、意識の端で弾けるだけ。


(繋がらない……?)

(なんで――)


サキのスマホが見せていた《外に出ないで》が頭をよぎる。

同じ種類の“誰かの誘導”。

でもセラは違う。セラは橋渡しで、味方だ。

そのセラにすら届かない。


ハレルは走りながら、次の名前を口にする。

「リオ……アデル……ノノ……!」

いつもの“同調”の回路を探す。

けれど返ってくるのは、音にならない空白だけだった。


――まるで、線を切られたみたいに。

最悪の想像が胸に刺さる。


「学園だけ」が丸ごと切り取られた。

こっちと向こうの接続ごと。


背後のどこかでガン、ガン、と音がした。

出入口の封鎖を誰かが叩いている音か。

それとも――外から試されている音か。


森の匂いが濃くなる。

どこかで低い遠吠えが聞こえた。

短く、鋭く、数がいる。


ハレルは歯を食いしばり、走る速度を上げた。

サキのところへ。

今はそれだけだ。


◆ ◆ ◆


【現実世界・学園/中等部・教室】


サキの教室も同じように停電していた。

照明が落ち、ざわめきが広がり、誰かが泣きだす。


窓の外を見た子が声を上げる。

「……木がある!」

「え、校庭のところ、森になってる!」


担任が教室の前に立ち、震える声を押さえつけるように言う。

「みんな!落ち着いて!席に座りなさい!」

「絶対に外に出ない!いいね!」


サキは机の下でスマホを握りしめた。

《外に出ないで》

その一行が、画面に残っている。

怖いのに、正しい気がしてしまう。


その時、教室の扉が勢いよく開いた。

「サキ!」


息を切らしたハレルが立っていた。


サキは立ち上がり、走って兄のほうへ行く。

「お兄ちゃん……!」


ハレルは一瞬、サキの肩に手を置いて確かめる。

生きてる。温かい。ここにいる。

それだけで、胸の奥の何かが少しだけほどけた。


「無事でよかった」

声が少し震える。


担任が怒鳴る。

「勝手に入ってきちゃだめ!」


ハレルは頭を下げる。

「すみません。でも……今、普通じゃない。サキを連れて行きます」


「連れてってどこへ――」

担任の声に答えず、ハレルはサキの手を取る。


その瞬間、校内放送のスピーカーが「ザッ」と音を立てた。

ノイズの向こうに、震える教頭の声。


『全校生徒に通達します。現在、原因不明の停電および外部環境の異常が確認されています』

『全ての出入口を封鎖します。生徒は教室から出ないでください』

『繰り返します。絶対に外に出ないでください』


教室がざわめき、泣き声が増える。

窓際の子が叫んだ。

「外……なんか動いた!」


木の間。緑の向こう。

黒い影が走った気がした。

狼みたいな、でも校庭にいるはずがないもの。


担任がカーテンを引く。

「見ない!」


ハレルはサキに小さく言う。

「行くぞ」

「……うん」


廊下に出た瞬間、森のほうから低い遠吠えが聞こえた。

今度は近い。

封鎖の“理由”が、もう音として届いてくる。


◆ ◆ ◆


【現実世界・警視庁関連施設/監視室】


モニターの列が、いきなりざらついた。


学園の外周カメラ。正門。裏門。通学路。

全部に、同時にノイズが走る。

白い線が斜めに裂け、画面が一瞬“別の色”になる。緑が混じる。

森の緑だ。


城ヶ峰は椅子から立ち上がった。

「……何だ、これ」


オペレーターが顔を青くする。

「学園一帯の映像が……!信号が、歪んで――」


城ヶ峰はモニターを食い入るように見る。

ノイズの奥で、学園の輪郭が揺れている。

建物が揺れているんじゃない。

“画面の中の世界”そのものが、ずれる。


そして――

学園の映像が、途切れた。


一瞬、真っ黒。

次の瞬間、同じ位置のカメラが映したのは――森だった。

校舎がない。校庭がない。

あるのは、見たことのない植物の密度と、湿った影。


「……消えた、のか」

城ヶ峰の声が低く落ちる。


オペレーターが震える声で言う。

「周辺カメラには……異常なノイズの後、景色が……森に」

「……学園だけ、抜けた」


城ヶ峰はすぐに無線を掴む。

「現地班。木崎は?」


◆ ◆ ◆


【現実世界・学園周辺/外周道路】


木崎は、学園の外周フェンス沿いにいた。

取材目的――表向きはそれだ。

最近、学園周辺で目撃されていた不審な動き。

それを追っていた。


手元のカメラを上げた瞬間、地面が鳴った。

轟音。

地震に似ているのに、揺れが“縦”に来る。

空気が押しつぶされるような圧。


「……何だよ、これ」


フェンスの向こう、学園の敷地が揺れる。

いや、揺れるんじゃない。

輪郭が歪む。

空間が、きしむ。


次の瞬間、敷地の中が“白く”なった。

光じゃない。

現実の色が抜けた白。影が薄い白。


木崎は反射でシャッターを切った。

カシャ、という音が妙に遅れて耳に届く。

遅れて届く、という時点で、もう普通じゃない。


白が引く。

すると――そこには、森があった。


学園がない。

校舎も、グラウンドも、体育館も。

広大な敷地いっぱいに、現実では見たことのない緑が広がっている。


木崎の背筋が凍る。

「……は?」


森の奥、中心部。

木々の隙間に、何かの建物が見えた。

石の塊みたいな、古い構造物。

学園の建物じゃない。


そして、森の中から低い唸り声がした。

犬じゃない。狼に近い。

数がいる音。


木崎は一歩下がり、すぐにスマホを出した。

「城ヶ峰……!」

指が震える。だが、声は出た。

「学園が……消えた。今、目の前で。敷地が森に変わった……!」


返事を待つ間にも、森の影が動く。

フェンスの向こう側で、黒いものが走る。


木崎はカメラをもう一度構える。

取材じゃない。証拠だ。

これが現実だと、後で言えるようにするための。


――その瞬間、森の奥で、枝が折れた。

近い。

そして、唸り声が一段低くなる。


木崎は息を吸い、足を止めなかった。

逃げるのではない。

距離を取りながら、目を離さない。

森の中心の“建物”を見失わない。


(学園が……あっちに行った?)

(それとも――あれが、学園を飲み込んだ?)


答えはまだ出ない。

ただ、確かなのはひとつ。

ここから先は、もうニュースの見出しじゃ済まない。


森が、現実に来ている。

そしてその森は――生き物を連れてきている。


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