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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第六章 奪われた座標

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第七十九話 合わない数字


【現実世界・オルタリンクタワー/深部・通路】


角の向こうにいる“それ”は、まだ姿を見せない。

見せないのに、存在だけが濃くなる。


声は壁に貼り付いているのに、温度は床から這い上がってくる。

呼吸のタイミングが狂う。

心臓の音だけが、自分のじゃないみたいに遅れる。


「……来るな」

リオが低く言い、床を這う鎖の術式を、いったん“止めた”。


さっきまでのように噛ませない。

噛ませた瞬間、相手の位置が確定する――そう思ってしまう。

思った時点で、こちらの負けだ。


アデルは剣を構えたまま、視線を一ミリも動かさない。

「耳で測れ。目で追うな」


「分かってる」

ハレルは短く返す。


分かっているのに、脳の奥が勝手に角の向こうを描こうとする。

見たことのないものを、見たことがあるように補完しようとする。


それが一番危険だ。

観測は、視線だけじゃない。

“理解した”と思った瞬間に、世界が確定する。


サキの指が、ハレルの袖を掴んでいる。

強い。小さな爪が食い込むほど。

怖いのに、離さない。


バッグの中で、薄緑が弱く脈を打った。

日下部のコア。

色は従来どおり薄緑――なのに、光が薄い。

黒い粒が混ざり、脈が途切れかける。


(まだ持ってるのに、遠い)

(……器が向こう側で、呼んでる)


セラが、いつもの一歩ぶん距離を取った位置で立つ。

近づかない。触れない。

橋渡しは、こちらの確定に巻き込まれない場所にいる。


「ここは、音も匂いも“誘導”されます」

セラが静かに言った。

「焦げた匂い、金属音、足音……全部、

 視線の代わりに“確定”を進める」


「性格悪いな」

リオが吐き捨てる。


「……こんにちは」

少年の声が落ちた。


柔らかい。礼儀正しい。

それが余計に気持ち悪い。


「ボク、遅かった?」


“ボク”。

サロゲート。


ハレルの胸元で主鍵が、じわりと熱を増す。

熱が嬉しそうに脈を打つ。

まるで“見て”と言われているみたいに。


「……今、どこにいる」

アデルが低く問う。


「ここだよ」

声が、右から。

次の瞬間、背後から。

天井の配線の隙間からも。

通路全体に声が貼り付いて、位置情報を奪う。


リオが歯を食いしばった。

「……座標を持ってないのか」


「うん、持ってない」

少年は楽しそうに答える。

「貸してもらってるだけだし。器って便利だよね」


器。

その単語だけで、バッグの薄緑が一拍弱くなった。

黒い粒が、脈の間に入り込む。


セラが、声を落とす。

「反応しないで。……引っ張られる」


遅い。

相手はもう嗅ぎつけている。


「薄緑、まだ持ってるんだ?」

少年の声が、甘くなる。

「壊れてない?

 壊れてないならさ――“向こう”で続きをしようよ」


続きを。

実験の続きを。

日下部の器で。


アデルが、剣先を通路の奥へ向けた。

「……中心へ行く。こいつの相手は途中で切る」


「途中で切れるか?」

リオが言い返す。

声は荒いが、焦りは抑えている。


セラが、淡く言う。

「切れます。……ただし、あなたたちが“追わない”こと。

 追えば、相手の思う通りになります」


ハレルは息を吸い、吐く。

追わない。見ない。

進む。中心へ。


「サキ」

「うん」


ハレルがサキの手を握り直すと、主鍵の熱と、サキの体温が一拍だけ揃った。

揃う。――それが鍵になる。

嫌なほど、腑に落ちる。


通路の奥で、赤黒い紋が脈打った。

壁の配線が、一瞬だけ白い糸に見える。

白い廊下の粒が、床の紋の上に落ちて――消える。


同調は成立している。

だからこそ、ここはもう“別世界”じゃない。

現実の内側に、侵入してきた異常だ。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都/解析室】


王都の解析室は、夜でも乾いた白で満ちている。

魔術灯の光が、机の上の金属盤と羊皮紙を照らし、影を薄くする。


ノノ=シュタインは椅子に背を預けない。

預けたら、数値が崩れる気がする。

彼女は計算盤を弾き、もう片方の手で魔術盤の針を押さえた。


「……やっぱ、おかしい」


口に出した瞬間、喉の奥が冷える。

針の震え方が“綺麗”じゃない。

同調の波は本来、中心に向かって収束する。

なのに、今は――収束しない。

どこかへ枝分かれして、外へ伸びていく。


「数値が合わない……」

ノノは唇を噛み、盤面の端を指でなぞる。

中心とは別に、同じリズムの揺れが“立ち上がって”いる。


(……杭、刺してる)

(塔だけじゃない。現実側の、どこか……)


盤面の外縁に、淡い点がひとつ灯る。

その点は、中心と同じ脈で光る。

人の集まりを示すように、周囲がざわつく数値を吐き出している。


ノノはイヤーカフに指を当てた。

「リオ、アデル。聞こえる?」


返事はすぐだ。リオの声が短く落ちる。

『聞こえてる』


ノノは早口になりそうなのを抑え、言葉を噛んで整える。

「中心、収束してない。

 塔の深部とは別に、現実側で同じ揺れが立ってる。

 ……人が集まる場所の周辺っぽい」


『人が集まる場所?』

アデルの声が混じる。


「うん。まだ断定できない。けど、中心の振動と同じ。

 ――嫌な感じ」

ノノは言い切って、すぐ盤面へ視線を戻す。

確定させたくない。

断定は、観測者じゃない自分でも“固定”に加担する気がした。


『今は? どっち優先だ』

リオが問う。


ノノは息を吸い、吐く。

「今は中心。日下部の器が“核”になってる。

 そこ折らないと、外側の揺れも止まらない」


『了解』

アデルの声が短い。


ノノは盤面の点を一度だけ見て、すぐに視線を外した。

見すぎると、確定する。

だから、必要最低限。


「……気をつけて。

 サロゲートの声、位置がない。追うと引っ張られる」

ノノは最後にそれだけ付け足した。

命令じゃない。注意喚起。

彼らなら分かる。


◆ ◆ ◆


【現実世界・オルタリンクタワー/深部・通路】


イヤーカフが一拍だけ熱を帯びた。

リオが、ハレルを見ずに言う。

「ノノから。……中心の揺れが収束してない。

 現実側のどこかでも同じ揺れが立ってる。

 人が集まる場所の周辺っぽい」


サキが息を呑む。

「……どこ、なの……?」


「まだ分からない」

リオが短く返す。

「だから今は中心を折る。そっちが先だ」


アデルが剣先を少し上げた。

「迷うな。今、ここで核を折る。――行く」


セラが静かに続ける。

「中心に近づくほど、声と匂いが強くなります。

 ……“見たくなる”はず。耐えて」


「分かってる」

ハレルは言い、サキの手をもう一度握り直す。

二人の歩幅を揃える。揃えたまま、ブレない。


通路の奥で、赤黒い紋が強く脈打った。

壁の金属が一拍だけ石に見え、すぐ戻る。

白い粒が落ち、床の紋に吸われる。


少年の声が、また貼り付いた。

「急いでね。薄緑、途切れそうだよ」


バッグの中で薄緑が、弱く脈を打つ。

黒い粒が増えた気がする。

途切れかける――それでも、まだ生きている。


アデルが角を曲がった。

次の瞬間、通路が“広がった”。


金属の通路のはずなのに、天井が高い。

床はガラスみたいに冷たく、赤黒い紋が巨大な円を描いている。

円の中心に、台座みたいなものがある。

医療ベッドの形に似ているのに、素材は金属でも布でもない。

白い膜。――あの廊下と同じ質感。


「……あれが核だ」

リオが息だけで言う。


台座の上に、“人の形”があった。

横たわる影。


輪郭が揺れて、何度も別の形に変わりかける。

それでも、そこに“器”があると分かる。


ハレルの胸元の主鍵が、痛いほど熱くなった。

バッグの中の薄緑が、最後の力で脈を打つ。

薄い光が、台座の方へ引かれていく。


(……日下部)

(そこにいるんだな)


サキが、声にならない息を漏らした。

「……あれ……人……?」


セラが答えた。

「ええ。……器です。奪われた座標の中心。

 ――彼の“戻り先”でもある」


少年の声が、優しく笑った。

「やっと来たね」


見えないのに、中心から声がした。

核にいる。

そこにいる。


アデルが剣を構え、リオが術式を組む。

ハレルはサキの手を離さず、視線を“必要最低限”に絞ったまま

――一歩、前へ出る。


台座の上の影が、わずかに動いた。

人の形が、こちらを向きかける。


その瞬間、薄緑の脈が――途切れそうに、跳ねた。


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