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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第六章 奪われた座標

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第七十八話 見られている

【現実世界・オルタリンクタワー/深部・裂け目の前】


裂け目は、扉じゃなかった。

壁が割れているわけでも、床が抜けているわけでもない。

“ここから先が別の場所だ”という規則だけが、先に存在している。


白い廊下の匂い――焦げと、冷たい粉の匂い。

それが、裂け目の縁から静かに漏れていた。

覗き込むほどの穴じゃないのに、

目の奥が勝手にその先を探ろうとして、気持ち悪い。


「見るな」

リオが短く言う。

言われなくても分かっているのに、言われると余計に意識してしまう。


「見ないで“進む”のが、いちばん難しい」

セラが淡く言い、

いつもの距離を保ったまま裂け目の横に立った。

彼女は近づかない。

近づけば、こちらの確定に巻き込まれる。橋渡しの癖だ。


アデルが剣を構えた。

「入る。先頭は私。次にリオ。後ろは――」


「俺が真ん中」

ハレルが言うと、サキが即座に袖を掴んだ。

「私、離れない」


拒む言葉が、喉まで出かけて止まる。

もう、ここに来た時点で巻き込まれている。

それに、サキのスマホはさっきから異常なほど静かだ。

静かなのが、いちばん怖い。


バッグの中で、薄緑が弱く揺れた。

日下部のコア。薄緑は固定。

なのに、光が薄い。

黒い粒が混ざり、脈が――とぎれかける。


(ここまで来て、まだ引っ張られるのか)

(器が、向こうにある……)


アデルが裂け目に踏み込んだ。

剣の刃先が、空気の膜を切る。

次の瞬間、アデルの外套の裾が、白く一拍だけ“洗われる”。

白が、赤黒い紋の上に薄く降りて、すぐに消えた。


「――来い」

アデルが振り返らずに命じる。


リオが続き、ハレルとサキが同時に踏み出す。

靴底が、床に触れたはずなのに、音が遅れて耳の奥に落ちた。

それだけで、空間のルールが変わったと分かる。


視界の端に、数字みたいな光粒が舞った。

白い廊下の粒と、塔の赤い粒が、同じ速度で落ちる。

混ざって、ほどけて、また分かれる。


(……境界が、遊んでる)


セラが低く言う。

「気をつけて。ここは“奪われた座標”の入口。

 杭が折れても、中心はまだ生きています」


「中心」

サキが小さく繰り返す。

その声が、震えていないのが逆に怖かった。


裂け目の向こう側は、廊下ではなかった。

狭い通路。金属の壁。配線。

現実の設備導線のはず――なのに、床には赤黒い紋が染みている。

紋の上を、黒い影が薄く流れる。

黒ローブの“気配”だけが、まだ残っている。


「……残り香だ」

リオが吐き捨てる。

「本体は奥」


アデルが、通路の角を曲がる。

その瞬間。


上から、軽い音がした。

拍手じゃない。硬い金属片が転がる音。

なのに、背筋が凍った。

“それ”は音で知らせている。ここにいる、と。


ハレルは反射で見上げそうになって、噛み殺す。

見るな。固定するな。

だが“見られている”感覚は、視線とは別の場所から来る。


――皮膚の裏。

――脳の底。

――息のリズム。


主鍵が、じわりと熱を増した。

熱が、嬉しそうに脈を打つ。

まるで誰かの指が、こちらの心臓を叩いているみたいに。


サキのスマホが、一度だけ震えた。

画面が勝手に点く。


《回収対象:707》

《照合:進行中》

《……目を閉じても、見られる》


「……っ」

サキが息を呑む。


ハレルは、咄嗟にスマホを覗き込まないようにして、サキの手首を軽く押さえた。

「読むな。全部、読まなくていい」


「でも……」

サキの唇が揺れる。

怖い。――それでも、手を放さない。


セラが視線を通路の奥に向けたまま言った。

「“707”は、あなたたちが奪われた番号。……彼の器の座標です」


日下部の病室番号。

第七特別病棟の、あのベッド。

それが、こんなふうに“回収対象”として表示される。


(父さんのアプリだとしても)

(――誰かが、使ってる)


ハレルの胸に、嫌な確信が沈む。

父が残したものは、橋のはずだった。

なのに、橋は両側から使われる。

こちらのためだけに存在しない。


「来る」

アデルが呟いた。


通路の先。

暗がりが、ひとつ“伸びた”。

黒ローブではない。

もっと重い影。

人の形をしているのに、人の温度がない。


足音が、遅れて落ちる。

コツ、ではなく、鈍い“ぺたり”。

床に貼り付くような歩き方。


「……代用」

リオの声が低くなる。


サロゲート。

カイトの身体をベースにした、寄せ集めの意識。

“ボク”と名乗る、あれ。


だが、まだ姿は見えない。

影だけが、角の向こうで揺れている。

見せない。見せないのに、こちらを測る。


セラが囁いた。

「姿を見せないのは、あなたの“観測”を誘うためです。……我慢して」


「分かってる」

ハレルは短く返した。

分かっているのに、心臓が速い。

目が、勝手に角を見ようとする。

見れば、確定する。確定すれば、実験が進む。


サキが、小さく言う。

「お兄ちゃん……私、怖い。……でも、離れない」


「うん」

ハレルはそれだけ答え、サキの肩に手を置いた。

触れたことで、二人の歩幅が揃う。

揃うことが、鍵になる。――そう言われた気がする。


アデルが剣先を少し上げた。

「ここを抜ける。中心へ」


リオが腕輪に魔力を通す。

鎖の術式が、床を這い――角の向こうへ噛みつく準備をする。


その瞬間、通路の天井の配線が、一拍だけ“光の糸”に変わった。

現実のケーブルが、異世界の魔術回路みたいに見える。

そしてすぐに戻る。


世界が、まだ揺れている。

同調は成立した。

けれど安定はしていない。

むしろ、ここからが本番だ。


◆ ◆ ◆


【現実世界・雲賀兄妹の通う学校周辺/夕方】


校門前の道路は、いつも通りのはずだった。

部活帰りの生徒。自転車。コンビニ袋。

夕陽の角度が変わるたび、アスファルトがオレンジに光る。


――ただ、影がひとつだけおかしい。


街路樹の影が、伸びる。

伸びるのに、揺れない。

風が吹いても、葉の影だけが揺れて、幹の影が揺れない。


それを、誰も気にしない。

気にしないように、目が滑っていく。


校門の反対側。

古い電柱の陰に、黒い服の人物が立っていた。

フード。スカーフ。細い肩。

顔は見えない。

見えないのに、目だけがこちらを見ている気がする。


その人物の足元で、アスファルトの表面が一拍だけ“石畳に見えた”。

次の瞬間、元に戻る。

誰かが瞬きした程度の一瞬。


黒い人物は、スマホを取り出した。

画面をタップする指先が、軽い。

遊ぶみたいに。


そして、校門の内側――中学校側の敷地に向かって、何かを“置く”ような仕草をした。

置いたものは見えない。

見えないのに、空気だけが少し冷えた。


遠くで、チャイムが鳴る。

いつもの下校放送。

なのに、音の奥に、別の鐘の余韻が混ざった。


誰かが笑った気がした。

笑い声じゃない。

“笑われている”という感覚だけが、空気に残った。


◆ ◆ ◆


【現実世界・オルタリンクタワー/深部・通路】


ハレルの背中に、遅れて寒気が走った。

理由が分からない。

分からないのに、主鍵が一拍だけ熱を上げる。


(……今、どこかで)

(境界が――)


考える暇はなかった。

角の向こうの影が、こちらへ一歩ぶん近づいたからだ。


「来るぞ」

リオが短く言う。


アデルが、息だけで命じた。

「怯むな。見るな。――折るのは、真ん中だ」


ハレルは頷き、サキの手を強く握った。

バッグの中で薄緑が、途切れそうな脈を打つ。


見られている。

見られているのに、見返せない。


それでも、進む。

奪われた座標の中心へ。


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