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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第六章 奪われた座標

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第七十話 入り口は開く


【現実世界・湾岸再開発エリア/オルタリンクタワー前】


風が冷たい。

湾岸の夜は、ビルのガラスに反射して増幅される。

光が多いのに、温度だけが足りない。


オルタリンクタワーは、光を抱えたまま立っていた。

高層のガラス面が、街を映す。

映しているはずなのに――

その一部だけ、まるで“別の夜”を映しているみたいに暗い。


サキのスマホが、まだ熱を持っている。

画面は消えているのに、手の中で生き物みたいに脈打つ。


《ようこそ》


さっき出た文字が、指先に焼き付いて離れない。


木崎が低い声で言った。

「……招かれてる。気に食わねえが、

入口が開くってんなら入るしかねえ」


ハレルは頷く。

胸元のペンダントが、じわりと熱い。

昨夜の熱とは違う。

もっと“合図”に近い熱だ。


(こっちが観測したら、向こうが確定する)

(でも――観測しないと、日下部は戻らない)


薄緑のコアケースは、ハレルのバッグの中にある。

従来どおり薄緑。

……なのに光が薄い。脈が、途中で途切れかける。


さっきから、黒い粒が混ざる。

一瞬だけ、薄緑が濁る。

すぐ戻る。戻るたびに、何かが削れていくみたいに。


「……お兄ちゃん」


サキが小さく言う。

「これ、また来てる」


スマホが短く震えた。

音は鳴らない。画面だけが点く。


《右》

《二つ目の扉》

《音を立てるな》


木崎が苦い顔で笑った。


「親父さんのアプリ、指示が細けえな」


ハレルは返事をせず、タワーの右手、

搬入口に近いサービス導線を見た。


監視カメラの位置。

死角。城ヶ峰が渡してきた情報の線が、頭の中で重なる。


「行く」

それだけ言って、ハレルは足を出した。


タワーの足元は、冷たい石だ。

――いや、一瞬だけ、石畳に見えた。


目を瞬く。

コンクリに戻る。

でも戻りきらない。

端の方だけ、別の質感が残っている。


「……今、見えた?」

サキが息を呑む。


「見るな」

木崎が短く言う。


「見たら固定される。

……お前らは“必要なところだけ”見ろ」


それは忠告であり、命令でもあった。


◆ ◆ ◆【


異世界・王都/解析室】


ノノ=シュタインは、境界地図を睨みつけていた。

赤い点が増えている。増え方が、昨日までの“増加”じゃない。


「……やばい」

口から出た声は、自分でも乾いていた。


水晶板の端に表示される数値が、ひとつずつ“合わない”。

合わない、じゃない。誰かが、合わないように“回してる”。


「リオ! アデル! 聞こえる!?」

イヤーカフに指を当てる。


返ってきたのは、風の音の奥に混じる低い声。


『聞こえる』

リオ。短い。


『地下へ入った』

アデル。切り捨てるように。


ノノは息を吸って、早口で言う。

「塔の根っこ、三本刺さってる!」

「黒ローブの杭! 昨日の焼け跡の“傷”を足場にしてる!」

「これ、上で防衛しても意味ない!

 根っこから引きずられる!」


『場所は』アデルが問う。


ノノは水晶板を叩きそうになって、堪えた。

「基礎区画の下! 床の古い陣の――“縫い目”のところ!」

「右の杭が上書き。真ん中が引きずり込み。左が固定」

「右から折って! 真ん中は最後! 反動くる!」


リオが舌打ちする音。

『分かった。……そっちは?

 現実側、動いたか』


ノノは視線を赤点の束へ走らせた。

その束は、ひとつの“高い座標”に集まっている。

まるでガラスの塔へ、群れが吸い寄せられるみたいに。


「……動いてる」ノノは言った。

「もう入口、開いてる。たぶん今夜――重なるよ」


一瞬だけ、解析室の空気が冷えた。

ノノは唇を噛む。


(間に合って)

(間に合え。こっちが折らないと――あっちが落ちる)


◆ ◆ ◆


【異世界・オルタ・スパイア/塔内部・地下階段】


塔の内部は、外より静かだ。

風の音が薄くなり、代わりに“塔が軋む音”が聞こえる。

石と金属が混ざったみたいな、嫌な軋み。


地下へ向かう階段は狭い。

壁に刻まれた古い紋が、薄く光っている。

昨日は光っていなかった。

光っている=揺れている。


リオの右手首の腕輪が熱い。

熱が皮膚に食い込み、骨の内側まで伝わる。


「……臭い」

リオが吐き捨てる。

「焦げた臭いがする」


アデルは剣の柄に手を置いたまま、淡々と言った。

「焼痕標の延長だ。消しきれなかった傷に、杭を打った」

「座標を縫い止める気だ」


扉が見えた。

石の扉の隙間から、赤い光が漏れている。


――黒ローブ。


アデルが低く命じる。

「不用意に“見るな”」

「連中は、見た瞬間に座標を引く」


リオは短く頷き、息を整える。

(姉さん……)

ユナのことを考えかけて、噛み潰した。


今は違う。

今は――日下部だ。奪われた器。

そこに別の意識を流し込まれる。


扉を押し開ける。

基礎区画。円形の空洞。床には古い魔術陣。

その上に新しい焼け跡が重なり、赤黒い線が脈打っている。


杭が三本。黒い杭。赤い紋が走り、空気の膜を縫っている。

見えない糸で、別世界へ針を通しているみたいに。


ノノの声がイヤーカフから跳ねる。

「右! 右が上書き!」

「まず右を折って!」


リオが腕輪に魔力を通した。

〈閃撃・第二級〉


光の線が走る。

右の杭の紋を貫き、赤い光が跳ねた。


――“ビキッ”と、空気が割れる音。


その瞬間だけ、壁の石目が、ガラスみたいに変わった。

向こう側が見える。

白い廊下。数字みたいな光粒。そして――


制服の黒が、薄く揺れた。

少年と少女。もう一人、白い影。


リオは息を呑んだ。(

ハレル……?)


アデルがすぐに言う。

「見るな。固定される」言いながら、自分も視線を切る。

だが、見えてしまったものは消えない。


「……同調が進んでる」

リオが低く言う。


「進ませるな」

アデルは即座に返す。

「根を折る。今夜、こちらが主導権を握る」


真ん中の杭が、赤く強く脈打った。

引きずり込み。

ここが生きている限り、現実側は“落ちる”。


◆ ◆ ◆


【現実世界・オルタリンクタワー/サービス導線】


二つ目の扉は、想像より重かった。

木崎がカードを通し、ハレルが押す。

金属が鈍く鳴る。


サキのスマホが震える。


《止まるな》

《三歩、左》

《カメラ》


ハレルは言われた通りに動く。

監視カメラの死角へ滑り込み、配管の影に身を寄せる。

カメラのレンズが“こちらを見ている”気配がするのに、

視界の端でしか見ない。見たくない。


「……ここ、冷えすぎだろ」


木崎が小声で言う。

「地下の空気じゃねえ」


確かに冷たい。

皮膚が粟立つ冷たさ。

病院の冷たさとも違う。

“向こう側”の冷たさだ。


ハレルの胸元のペンダントが、短く脈打った。

熱、熱、沈黙。

まるで、誰かが向こうから叩いているみたいに。


バッグの中。

薄緑のコアが、ふっと弱くなる。


ハレルは立ち止まりそうになって、堪えた。

止まったら観測する。

観測したら固定される。


(……日下部)

(持ってるのに、遠い)


サキが、バッグを見た。

分かっているのか分からないのか、唇が小さく動く。


「……今、光――」


「言うな」ハレルが小声で遮った。

「言葉にしたら、確定する」


サキは頷き、息を飲み込む。


通路の先で、金属扉が見えた。

重い。無骨。中枢手前の扉。

その周囲だけ、壁材の色が違う。

白い。薄く光っている。


病院で聞いた“白い廊下”の話が、背中に貼り付く。


木崎が足を止め、目だけで周囲を見た。


「……ここだな」


サキのスマホが、震えた。

画面が点く。


《開けるな》

《まだ》

《……向こうが先に折る》


ハレルは息を止めた。

向こうが先に折る? 何を?


バッグの中で、薄緑が濁った。

黒い粒が混ざる。

脈が――途切れかける。


ハレルは反射でバッグを開けかけて、手を止めた。

見るな。

でも、見ないと――消える。


ペンダントが熱を増した。

熱が、“痛み”に近い。


木崎が低く言った。

「……おい、さっきからコアが――」


言いかけて、木崎も止めた。

言葉にしたら確定する。

木崎でさえ、それを理解している顔だった。


金属扉の向こうから、微かな音がする。

風じゃない。機械の稼働音でもない。


――“縫い目”が鳴る音。


サキが、小さく呟いた。

「……向こう側、近い」


その瞬間、扉の周囲の白が、ほんの一拍だけ強く光った。

白い廊下の気配が、こちらへ漏れる。


ハレルのペンダントが、短く一度だけ脈打つ。

同時に、薄緑のコアが弱く跳ねた。

途切れかけた脈が、ぎりぎりで繋がった。


(……まだ、いる)

(まだ、戻れる)


サキのスマホに、最後の一行が出た。


《今、向こうが折った》


ハレルは扉に手を掛ける。

冷たい金属。掌は熱い。


木崎が、背後で囁いた。

「開けるなら、短く開けろ」

「覗くな。――入るなら入れ」


ハレルは頷いた。息を吸う。


扉が、軋んだ。


◆ ◆ ◆


【異世界・オルタ・スパイア/基礎区画】


右の杭が折れた瞬間、空気の膜が緩んだ。

それを逃さず、アデルが左手を床に叩きつける。


「〈封縫・戻り線〉」


光の線が走り、杭の紋の“縫い目”を上書きする。

赤い光が呻くように揺れ、真ん中の杭が一瞬だけ弱まった。


ノノの声が跳ねる。

「今! 真ん中、行ける!」

「でも反動くる! リオ、抑えて!」


リオは歯を食いしばり、腕輪に魔力を通す。

鎖の術式が床に走り、真ん中の杭を絡め取る。


「……引っ張るなよ」

誰に言っているのか分からない。


真ん中の杭が、赤く脈打った。

そして――


ガラスの壁が、もう一度だけ現れた。


白い廊下。

数字の光粒。


金属扉に手を掛ける少年の影。


(……来る)


リオは低く言った。


「ハレルが――来る」


アデルは冷たく頷く。

「来させる。来た瞬間、こちらで受け止める」


塔が、軋んだ。二つの世界が、もう息を合わせ始めている。


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