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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第一章 大臣殺人事件

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第七話 歪む日常

 翌朝。

 ハレルはいつもより早く家を出た。

 涼と交わした言葉が、頭の奥に残響のようにこびりついている。


 ――「この世界が、壊れ始めてる。」


 それは比喩ではない。

 街の色も、空気の匂いも、昨日とわずかに違って感じられた。

 紫がかった雲、揺れる街灯の光。

 現実そのものが、ほんの少し軋んでいるようだった。


 母はまだ眠っている。

 サキが用意したトーストを口に運びながら、テレビをつける。


 「――柏木陽介教諭の死亡について、警察は“心不全による自然死”と発表しました。」


 箸を止める。

 昨日まで「事故と事件の両面で捜査中」と報じていたはずだ。

 キャスターの口調も、妙に均一で機械的だ。


 「……書き換えられてる。」 小さく呟いた。


 リモコンで巻き戻しても、同じ映像が繰り返されるだけ。

 だが一瞬だけ、ニュースの背景に“歪んだ光”が走った。

 人の顔のような――ノイズ。


 胸の奥が冷たくなる。 セラの言葉が蘇った。

 ――“観測の記録が改竄されれば、現実も歪む。”


 学校に着くと、空気はいつも通りのはずなのに重かった。

 柏木先生の席には、別の若い臨時教員が立っている。

 黒板に書かれた名前は「藤宮」。


 「……誰?」

 隣の生徒に小声で尋ねる。

 「え、藤宮先生? 前からこのクラスの担任だろ?」


 ハレルは息を呑む。

 ――“柏木先生なんて、最初から存在しなかった”ように。


 昼休み。

 屋上の風はいつもより強く、空は薄紫に濁っていた。

 ハレルは制服のポケットからスマホを取り出し、カメラを起動する。

 画面越しに映る空間の中に、小さな光の粒――“ノイズ”が漂っていた。


 それを見つめていると、背後から声がした。


 「やっぱり、ここにいたか。」


 驚いて振り返ると、フェンスの影に木崎が立っていた。

 茶色のコートの裾を風に揺らし、目だけが真剣だ。


 「木崎さん……なんでここに?」

 「いつもここに来るって聞いてね。悪いけど、忍び込んだんだ。」

 軽く肩をすくめるが、笑っていない。


 「学校の連中には内緒だ。記者が屋上にいるなんて知られたら面倒だろ。」

 「……で、何の用ですか。」

 「確認したいことがある。ニュースを見たろ?」


 ハレルは無言でうなずいた。

 木崎はポケットから一枚の紙を取り出した。

 昨日の新聞の切り抜きだ。

 “柏木教諭死亡、捜査開始”――確かにそう印刷されている。


 「今朝の版には、この記事が消えてた。」

 「……消えた?」

 「いや、“なかったことにされた”んだ。編集部のデータごと。」


 木崎の瞳が細く光る。

 「お前の父も、こういう現象を“観測の改竄”と呼んでた。」


 「父が……その言葉を?」

 「そうだ。奴は数年前から“現実のノイズ”を調べてた。

  だけどある日、突然すべての資料が消えた。まるで……この世界からごっそり抹消されたように。」


 風が吹き抜ける。フェンスがきしむ音。

 ハレルは空を見上げた。

 遠くで、紫の雲がひび割れたように裂けていく。

 その奥に、一瞬だけ“イルダの塔”が見えた。


 「……世界が、繋がりかけてる。」

 小さく呟いたその言葉に、木崎が首を傾げる。

 「何て?」

 「いえ……何でも。」


 スマホを取り出す。

 画面の中で、ノイズが再び現れた。

 青い光の粒が、人の形に変わっていく。


 ――セラ。


 声はない。 だが唇が確かに動いた。


 《観測が重なってる。早く“記録”を閉じて》


 光が一瞬強まり、ハレルは目を覆った。

 耳の奥で、鐘の音が鳴る。

 イルダの鐘。

 現実にまで侵食してくる異世界の響き。


 光が消えたとき、画面には何も映っていなかった。

 けれど胸の奥に、確かな“違和感”が残っていた。

 まるで現実の一部が、書き換えられたような感覚。


 「……セラ。」

 その名を呼んでも、答える声はなかった。


 風が吹き抜け、紙片がフェンスの外へ飛んでいく。

 そこに書かれた“柏木陽介”という名前が、 陽光の中でかすかに消えていった。

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